こんにちは いけや正の 晴れ時々スケッチ  

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日清戦争・日露戦争130年・120年 日本の植民地支配を学ぶ旅

2024年10月16日 | 日記

 日清戦争から130年、日露戦争から120年の今年、日本の植民地支配を韓国で考える旅に参加した。歴史教育者協議会が主催。富士国際旅行社が企画。

 総選挙前の慌ただしい時期だったが、大いに学ぶことができた旅。

 1875年(明治8年)明治維新からわずか8年後、日本は朝鮮の江華島で日本の軍艦と朝鮮の砲台が戦火を交えた江華島事件。翌年、朝鮮と修好条規を結ぶことに。朝鮮にとっては全くの不平等条約であった。ここから、日本の朝鮮支配の野望がスタートすることに。

 その現場に立ち、韓国の歴史学者から当時の状況の説明を聞く。

 江華島事件から19年後、日清戦争、29年後、日露戦争が。その戦争のいずれも主たる戦場は朝鮮半島で朝鮮の支配をめぐる戦争であった。その二つの戦争に勝利した日本はやがて朝鮮併合を成し遂げ、植民地に。1945年、日本の敗戦まで続くことになる。

 日本がいかに朝鮮を支配していったのか、その一端を韓国からみることができた有意義な旅であった。

 

 江華島南端部の草芝鎮の城跡。当時の朝鮮王朝の砦。王宮のある漢城の入り口にあたる漢江の河口に位置する。現地でいただいたパンフ。ハングルでの説明。

 

 

 


やっと秋晴れの天気が

2024年10月12日 | 日記

 昨日と今日、やっと秋晴れの天気に。秋が来ないまま、冬になるのでは、などと近所の人と話し合っていたが。

 気候温暖化はもう私たちの日常に。二酸化炭素排出ゼロへ、政治の力が必要。自民公明政権では不可能。この間の実績が証明。政治を変えるチャンス。

 選挙に行って政治を変えよう。未来のために。今の暮らしを守るために。

岩手盛岡の町中を流れる北上川。


日本被団協にノーベル平和賞 

2024年10月11日 | 日記

 日本被団協にノーベル平和賞が。驚きのニュース。そして飛び上がるほどうれしいニュース。

 「核は人類と共存できない」「核兵器の廃絶を」と訴えてきた被爆者のみなさん。長年にわたる努力が一つ報われた思い。

 核兵器禁止条約をさらに広げ、核保有国の手を縛り、核兵器を持ち、威嚇し、拡散することで犯罪者となる条約を世界の隅々に。

 見事な盛岡城の石垣。50数年前にもこの場所に立ったことを思い出す。


袴田巌さん 無罪に 検察控訴断念

2024年10月08日 | 日記

 夕方、国会中継中に臨時ニュースが。「袴田巌さんの無罪が確定」「検察が控訴を断念」との報道。よかった。

 夜9時のNHkのニュースでは控訴を断念した畝本直美検事総長は「証拠捏造などとした判決には到底承服できない」としつつ「袴田さんを長期にわたり法的に不安定な立場に置いてきたこと熟慮し」「控訴しない」ことにした。との談話。

 しかし、どう考えてもあとから出てきた味噌樽からの血の付いた衣類の証拠品は、不自然。作為的なものとしか考えられないのでは。

 検察当局は結局認めなかったっが、「証拠品の捏造」などあってはならないことで、この件について検察内部の徹底した検証を行うべきでは。

 再審手続きの再検討も含め、日本の法制度の問題は多い。

 秋晴れの天気はいずこに。どんよりとした雨模様の天気が続く。しかも、少々暑いから厄介なことこの上ない。


袴田さんの無罪 東京新聞の謝罪

2024年10月02日 | 日記

  袴田巌さんの無罪判決。裁判のやり直しで死刑判決から無罪に。検察側が控訴するかの判断が注目。「味噌樽にあった犯行時の血の付いた衣類は捜査当局の捏造」と断じた判決。

 「本当にこんなことを捜査当局がするんだ」と驚愕。しかし、かつての下山事件や三鷹事件などの権力によるでっち上げの犯罪はすでに歴史的にも明らかに。

 過去の話ではない。安倍晋三元総理による森友事件では、証拠文書の削除、財務省職員の自死、国会答弁で平気でうそをつくなど、今も国家権力は平然と嘘をつき、「国家のため」と称してこの世を謳歌している。

 東京新聞は過去に袴田さんの記事の報道に際して、当局の発表をうのみにし、犯罪者扱いした自紙の記事を謝罪。一面に掲載してマスコミ、社会の公器としての矜持を示した。感服。マスコミたるものこうでなければ。

 かつての大本営発表になりつつある昨今のマスコミ関係者に、自らの立ち位置を再確認してもらいたいもの。

見事な夕焼けの空。でも暑いのは勘弁。