竹林の七賢人
昔々、ユーラシアで交遊した、下記の七人の称。
阮籍(げんせき)
嵆康(けいこう)
山濤(さんとう)
劉伶(りゅうれい)
阮咸(げんかん)
向秀(しょうしゅう)
王戎(おうじゅう)
阮籍が指導的存在である。
その自由奔放な言動は『世説新語』に記されており、後世の人々から敬愛されている。
7人が一堂に会したことはないらしく、
4世紀頃からそう呼ばれるようになったとされる。
隠者と言われることがあるが、多くは役職についており、
特に山濤と王戎は宰相格の高官に登っている。
日本では竹林の七賢というと、
現実離れしたお気楽な発言をする者の代名詞となっているが、
当時の陰惨な状況では奔放な言動は死の危険があり、
事実、嵆康は鍾会の讒言によって陥れられ、
死刑に処せられている。
彼らの俗世から超越した言動は、悪意と偽善に満ちた社会に対する慷慨(憤り)と、その意図の韜晦(目くらまし)であり、当時の知識人の精一杯で命がけの批判表明と賞される。
魏から晋の時代には、老荘思想に基づき俗世から超越した談論を行う清談が流行した。『世説新語』には、彼ら以外の多く人物について記されているが、彼ら以後は、社会に対する慷慨の気分は薄れ、詩文も華美な方向に流れた。
ー 引用させて頂きました。
⬛画像⬛
今年は早い筍
もう随分出てしまいました。
萌木色の鶏冠(トサカ)みたいなパンク烏帽子に
見事なフェイクファーの羽織り
褐色の衣の下には
紫と生成りのグラデーションのお召し物
いやはや美しい。