
30年も前から続けていること
ずっと考えていること
それは、地球は有限だと云うけれど
ほんとうは
地球のごく僅かな表面に生活圏のある生物にとって
有機的な循環をしていれば
生命の環は無限大であること。
有限だと嘆きながら循環する環を断ち切るやり方もあるが、そうでない方法を撰べばいい。
見るより先ず感じよう
決める前に拡がれ心
そうすれば、自ずとつながる
それが、自然。
森はスーパーマーケット
ただし、お金で交換できるものはない
ただし、整然と陳列されていない
ただし、ばらつきがあり個性豊か
ただし、旬のもの限定
ただし、地球の体調に左右される
ただし、希望の品が見つからないことも多数
ただし、代用できる何かが見つかる
ただし、得意な誰かに分けてもらえて、
別の何かと交換できる
ただし、時々全く予想外のものを見つけてしまう
ただし、大抵のものは生きて循環する
ただし、森の賢者にも時々出会う
ただし、等身大で10000年は経営してる
ただし、オーナーは無数の家族経営
ただし、壊すと予想外の展開が待っている
ただし、壊れる手前で哲学的になれる
いつしかみなが似たようなことを感じている。
ただし、深く汎く自在につき、全てわかる日は来ないよ。
そんなことをね。
ねぇ、グレーテル、
お菓子の家もいいけれど、
魔女と話すより
栗や苺を拾って森の祭に参じてみたら?
ぐりとぐらみたいに大きなケーキをみんなで焼いて飾り付けて
美味しく食べて
なかよくなれるかも。
(トトロの森からグレタちゃんに伝えたい気分)
1986年には大規模伐採(皆伐)の大罪に苦しめられていた森の人々に出会った。日本の高度経済成長は表はビカピカメッキ、裏地は熱帯雨林の乱伐、皆伐でボロボロにした。
その上に農薬だらけの作物を一斉に植えてさらに取る。
そんなに慌てると終わりも早い。あっという間にバブルもはじけたね。
ボルネオ島(マレーシア)の森深く入り込み川の長老や最奥の民にも会った。赤道直下でも深い森の中だけを移動しながら暮らす民は日焼けすらあまりしていない。
アマゾン河支流の奥地には文字もお金も必要なく、完璧な円環の村を造り上げるいとも逞しく和やかな人々がいた。大抵のものは素手で作れると思い知らされた。
空想にしか思えなかった縄文時代がそのままある。御先祖様に会えた確信。
……深い森からは、地球の姿はだいぶ違って感じられる。
「怖がるとこはそこじゃないねん」
ニュースや噂話でソワソワしている時、いつも心にそう問いかけてくる。
じっと手を見る。
2022年。