昨日23日は、
不思議な出来事がありましたよ。
地球の反対側のセネガルの出来事が、まるで太古の人々のトーキングドラムによる伝令のように届いたのです。
ドゥドゥ・ニジャエ・ローズというセネガル(西アフリカ)の音楽家がいました。
日本にも度々来日し、親日家でもありました。日本にもアフリカの魂を伝えようと、太鼓を伝授。
40名の叩き手、それから数多くのファンが生まれました。。
そのドゥドゥが19日、セネガルのダカールでなくなりました。
1930年7月28日生まれ、85歳でした。
ドゥドゥファミリーは伝統的なグリオ(太鼓や弦楽器と唄による情報伝達者、吟遊詩人とも)の家系。
セネガルの人間国宝でした。
この画像のジャンベはギニアのアルファさんが日本に運んできたものですが、時々ちょっとした奇跡をもたらしてくれるみたい。
この太鼓を前に、昨日、まるで予想も出来ない突然の訪問者が伝えてくれたのです。
聞けば、その紳士は以前直々にドゥドゥや息子達に習い演奏をした日本に40名しかいない精鋭のお一人でした。精鋭というより好きで好きで堪らないほどのめり込めたお一人でしょうか(^O^)
実は私もドゥドゥの息子の演奏とワークショップを二十歳位のころ、逗子の海岸で体験していました。
そういえば、2つの予兆(?)がありましたっけ。
1つは、19日には私の太鼓の師匠のライヴ【エンダ・サファリ】が開催されたのに、行きそびれたこと。
それから翌日20日には、知らない外国人が編み物をする私に吸い寄せられるように話しかけてきたこと。
85歳でアナザーワールドに行ったニホンジンの祖母は(と言いながら天井を指差す)、編み物が好きだったから、自分もつい話しかけてしまったよ~と。
編み物はメディテーションだと言い切った30歳くらいの彼は、モーフィアスというかオバマさんというか…アフリカンアメリカンジャパニーズだそうですがハンサムガイでしたよ。
いつになく、アフリカが気になった日が続いていたのでした。
とにもかくにも23日にはそのあと、街のお祭りで久しぶりにジャンベを通りに出しました。
遠いアフリカに思いを馳せて軽く叩いていると、ビンガタの橙色の沖縄地方の着物を羽織りジャミセンを弾きながらやって来る人。
しばらく合わせて演奏していると、近くの広場でも頼まれているから、そこに行って一緒にやりましょうと。何だかお祭りムードが盛り上がって来ました(笑)
そして雑談一分後には、なんと私がきっかり2ヶ月前まで働いていた場所のすぐ近くの、しかも、似たような仕事をしているとな(笑)
はじめて合わせる沖縄民謡は難しかったけれど、楽しかったです。
ハイサイ。
ドゥドゥさんに、橙色の華を捧げます。