よい香りが街を包んでいます
白い花と宵
この香り、想像したくなる?
少し風が強いので
下界の風向きと
天つ風が作る雲の流れは
違う模様
今の世の中と相似しているようにも思える
道ばたのごみや痰や黒ずみは
このところすっかり浄められて
ニュースで流れてくる淀んだ物事とは
微妙に違う空気の流れ
そういえば、もし過去世などが有るとすればなんだけど
記憶を共有しているからなのか
ワクワク思えることが時々あるなあ。
古代から近代まで歴史や考古学の近傍を
延々と回遊しながら
ずっとバラバラで
繋がるのを望んでいた
「知識」の断篇を
紡いでいて
新たな発見がある毎日。
例えば、新年の初詣は
明治時代以降に
鉄道の発達とともに
プロモーションされた文化だ、とか、
(三ヶ日は一族が集う)
お米や野菜など物を奉納するのが常で
御賽銭は普及しずらかったとか
そもそも日本の伝統、と思い込んでいたことは
明治以降、昭和からなんてことも多いし、
ごく一地方、局地的なんてこともある。
ピンと来ないわけだ。
一方で、百人一首の歌人が
歌で、あるいは
枕詞で現していた世界観は
歌人同士が既に過ぎた時代を脳裡で共有化していたのか
それとも現代では途切れてしまっているけれど
一族や一地方の共有世界をよりリアルに深く滲ませていたのか…
案外予想を超えるのかもしれない
私がはじめて百人一首の歌を眺めたり、
遊んだりしはじめた小学生の頃、
不思議なほど気になる歌があるかと思えば、
興味が湧かない歌があった。
家族、兄弟でも好みは皆バラバラ。
私が気になるのは、
まるで見ているように景色が浮かんでしまう歌。
所謂、デジャブ
それで歌人の時代を遡ってみると
予想を超えて旅してる。
天香久山は
近畿地方ではなく
富士山そのものであったとも。
持統天皇は拠点にしていた
相模の国から船を漕ぎ出でて
駿河を経由し(富士山を眺めつつ)
都を造りに西へ何度も往き来した
百済の救済にも参戦。
リアル辣腕の才媛
もしかしたらエルチェ
もしかしたら百済観音
山部赤人は同郷の人だった気もする
富士山の春を詠む、
さらら姫(後の持統天皇)
富士山の秋を詠む、
後代の神官にして海の民アカイア人の末裔
もしかしたらかなり鼻が高く
もしかしたら栗毛でアーモンドアイの、
大柄なルックス!?
赤人は身分は低い宮廷歌人といわれるから、
吟遊詩人のように各地を旅し
宝石のような日本の景色を叙景歌に託し伝えたのかもしれない。
知りたいけれど旅できない多くの宮廷人に。
さらら姫(後の持統天皇)は
アクティブで、
相模の国から朝鮮半島まで京都に留まるまでは度々船出した。
山部赤人は名の通り
赤ら顔だった説もあるから、
つい語学の巧みな外タレ、という風情を浮かべてしまう(笑)
(没年は持統天皇より30年ほど後)
いまはむかし
撰人(エリート)の御話し
アフターコロナの時代を見誤りたくない
気持ちもある。
いっそのこと、12000年ほど遡り、
氷期の終わりから
鳥の目になり
獸の目になり
魚の皮膚感覚になり
広い視界を大切にしたいね。
嗚呼、、
春なのに毎日
罐詰だもの
景色を巡る大脱線(笑)
春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天香久山
持統天皇
田子ノ浦ゆ打ち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りつつ
山部赤人