「妻」には、女性が男性と結婚すればなれるけど、きょうは 漢字「妻」の成り立ちのおハナシ
「女」は神前でひざまずく女性の姿。そして「安」は嫁入りした家の先祖の霊にお参りするために廟(みたまや)の中で座っている新妻の姿。
「妻」は「十」と、片仮名の「ヨ」の真ん中の横棒が右に突き出た字形(「彗(すい)」の下部と同形)と「女」を合わせた文字。
この「十」の部分は髪に飾る「簪(かんざし)」が三本かかれた形。「ヨ」の真ん中の横棒が出た字形は「手」の形。それに「女」を加えた「妻」は三本の簪を手で頭に挿している女性の姿を字にしたもの。これは結婚式の際に正装した女性の姿。
次の「毎」の古代文字を見ると、文字の上部は頭に挿した三本の簪。下部の「母」の部分が「女」の字に点が二つ加わって乳で子を育んでいる。
つまり、「毎」は髪を結って簪を挿して身だしなみを整えた女性が祭り事に「いそしむ」という意味。現在の「つねに」の意味は、字の音を借りて別の意味を表す仮借(かしゃ)という用法です。
「すばしこいこと」を「敏捷(びんしょう)」と言う。この「敏」も「捷」もやはり簪を挿した女性。
まず、「敏」は「毎」に「攵(ぼく)」を加えた字形。
「攵」は木の枝で何かを打つ形で、古代文字を見ると「攵」ではなくて、「又(また)」(手の形)の形に書かれたものがある。
つまり「毎」に「又」(手)を加えたのが元の「敏」で、正装した女性が、手で髪飾りを整えながら祭事にいそしむ姿を「敏」という。
最後は「捷」。この旁(つくり)は「妻」の「女」が「止」になった形。「止」は「足」のことで、人が動くことを表している。
これに「扌」(手)を加えた「捷」は簪など髪飾りを着けた女性がそれに手を添え、祭事に忙しく奔走する姿のこと。
<< 安の成り立ち <
「女」は神前でひざまずく女性の姿。そして「安」は嫁入りした家の先祖の霊にお参りするために廟(みたまや)の中で座っている新妻の姿。
「妻」は「十」と、片仮名の「ヨ」の真ん中の横棒が右に突き出た字形(「彗(すい)」の下部と同形)と「女」を合わせた文字。
この「十」の部分は髪に飾る「簪(かんざし)」が三本かかれた形。「ヨ」の真ん中の横棒が出た字形は「手」の形。それに「女」を加えた「妻」は三本の簪を手で頭に挿している女性の姿を字にしたもの。これは結婚式の際に正装した女性の姿。
次の「毎」の古代文字を見ると、文字の上部は頭に挿した三本の簪。下部の「母」の部分が「女」の字に点が二つ加わって乳で子を育んでいる。
つまり、「毎」は髪を結って簪を挿して身だしなみを整えた女性が祭り事に「いそしむ」という意味。現在の「つねに」の意味は、字の音を借りて別の意味を表す仮借(かしゃ)という用法です。
「すばしこいこと」を「敏捷(びんしょう)」と言う。この「敏」も「捷」もやはり簪を挿した女性。
まず、「敏」は「毎」に「攵(ぼく)」を加えた字形。
「攵」は木の枝で何かを打つ形で、古代文字を見ると「攵」ではなくて、「又(また)」(手の形)の形に書かれたものがある。
つまり「毎」に「又」(手)を加えたのが元の「敏」で、正装した女性が、手で髪飾りを整えながら祭事にいそしむ姿を「敏」という。
最後は「捷」。この旁(つくり)は「妻」の「女」が「止」になった形。「止」は「足」のことで、人が動くことを表している。
これに「扌」(手)を加えた「捷」は簪など髪飾りを着けた女性がそれに手を添え、祭事に忙しく奔走する姿のこと。
<< 安の成り立ち <
つまり、嫁ぐときにカンザシなどで着飾った花嫁なのですね。
(妻) (了解)
ということは結婚しても妻になるのではなく、女のままでいることなのですね。
我が愚妻を始め、ひざまずく女性も見ることがありません。
時代が変わりましたね。
iinaもらいちゃんと同じく、漱石に俳句を教えた子規が、「建長寺」の句を真似したなどとは思えないです。
> 様式の結婚式が増え…かんざしを飾る花嫁が少なくなり…結婚しても妻になるのではなく、女のままでいることなのですね。
いえいえ、女性が男性と結婚すれば「妻」になりますょ。はい。
きのうは、健康麻雀の日でした。
「妻」の字の上半分は、髪のかんざしとかんざしに添えた手を表しているそうです。
「毒」は、通常より髪飾りなどを多くつけているため、厚化粧の意から「好ましくないこと」さらに「害をあたえるもの」という意味がうまれたとか・・・。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/7431e5939d29218e8acc0c85bdb79060
ajioka1025さんのブログアドレスをコメント上に置きました。