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作家が作品に取り組むに当たって、たった一行を書きたいがために一遍の小説を構成するという場合がよくあるという。
山本周五郎もまた、しばしばその一行を書くために、読者をうならせる名編をものにした作者である。
たとえば、
「かあちゃん」では、泥棒にはいった青年が「かあちゃん」のお勝に不心得をさとされて後悔し、自分の恵まれなかった過去を語りだす。
彼が泣きながら「初めてだ、おらあ、・・・生みの親にもこんなにされたこたあなかった」といったとき「かあちゃん」は、眼をあげて鋭く叱りつける「あたしは親を悪く云う人間は大嫌いだ」。
山本周五郎は、このお勝の一言が書きたくて「かあちゃん」の筆を執ったのだ、とよく語ったものであった。
名作
「よじょう」は、作者自身が「後半期の道を開いてくれた」と自負する野心作であって、剣聖にして人生の求道者だったと評価する吉川英治流の宮本武蔵を真っ向から否定し、単なる見栄っ張りの棒振り男ときめつけた痛快至極の小説だった。
一の発端はこうなっている。
「肥後のくに熊本城の大御殿の廊下で、宮本武蔵という剣術の達人が、なにがしかという包丁人を斬った。さしたることではない。」この「さしたることではない」は二行目に出てくるのだが、さらに三行後に「その包丁人が待ち伏せていて、襲いかかった。すると武蔵の方では声もあげずに、ただ一刀でこれを斬り倒した。さしたる仔細はない。それだけのことであった。」と「さしたる・・・」という言葉が重ねられてい、全部で六行のプロローグは、そこで終っている。
物語は包丁人のドラ息子と周囲の人に見られていた岩太が、女たちにも総スカンを喰い、水前寺通の白川にかかる橋のそばに乞食小屋を立てる。彼は本当に乞食に成り下がって世間を笑ってやるつもりだったのだが、そこは武蔵が控え家から登下城する往還に当たっており、見廻りに立ち寄った下役人が、岩太が仇討ちの所望ありと誤解したことから、にわかに世間の同情や激励が集まる。寄付金や到来物が相次ぎ「小屋を拡張しなくちゃならねえ」ほどの人気である。
武蔵は小屋の前をとおりすぎるときは、いかなる襲撃にも応ずる姿勢で立ち止まるが、決して武蔵の方から切り込むことはしない。達人の沽券にかかわるからだ。もちろん岩太は武蔵の心裡を見抜いており、世人の同情や人気も半年と踏んでそろそろ逃げ出そうかと思い始めていたとき、とつぜん武蔵が病死してしまう。臨終に際して武蔵は岩太に、晋の予譲の故事にならって恨みを晴らせと、垢つきの帷子<カタビラ>を遺す。いかにも武士道の実践者にふさわしい武蔵の奥床しい振る舞いであるが、岩太が予譲の故事を知らなかったために、武蔵のひとりよがりに帰しそうになる。だが、故事の来歴を教えられた岩太は、抜け目なく帷子を逆利用することを思いつき、情婦とはじめた旅館「よじょう」の客寄せ展示物とする。そして、商売は繁盛していった・・・というのである。
エピローグは、おそらく作者の計算であろう、発端とまったく同じ六行で、最後は「さしたる仔細はない。そのために旅館は繁昌していった。」とあって「さしたる仔細はない」という言葉でしめくくられている。作者はこの印象的な文章を発端と結尾に配置してみごとな効果をあげているのである。
清田陽一の「山本周五郎論」によれば、プロローグの「さしたる仔細はない」は、宮本武蔵に代表される上層・権力階層から下層の社会に振り下ろされた斬り捨て御免の情け容赦のないさげすみであり、エピローグにおける「さしたる仔細はない」は、岩太に代表される零細な弱者の立場から上層社会へ吐きかけたあざけりないしプロテストとして投げ返されている。作者はもちろん岩太の側に大きな比重を配分して「よじょう」の感銘度を盛り上げ、ずしりとした重量感を与えたのだ。ここにも、山本周五郎がまことの庶民の味方としての文学態度を貫き通した一端をうかがうことができる。
以上は、木村久彌典の解説を「扇野」巻末からひろいました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/dogeza.gif)
お詫び 2011-08-15の記事をきょうに移動させました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/dogeza.gif)
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山本周五郎もまた、しばしばその一行を書くために、読者をうならせる名編をものにした作者である。
たとえば、
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彼が泣きながら「初めてだ、おらあ、・・・生みの親にもこんなにされたこたあなかった」といったとき「かあちゃん」は、眼をあげて鋭く叱りつける「あたしは親を悪く云う人間は大嫌いだ」。
山本周五郎は、このお勝の一言が書きたくて「かあちゃん」の筆を執ったのだ、とよく語ったものであった。
名作
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一の発端はこうなっている。
「肥後のくに熊本城の大御殿の廊下で、宮本武蔵という剣術の達人が、なにがしかという包丁人を斬った。さしたることではない。」この「さしたることではない」は二行目に出てくるのだが、さらに三行後に「その包丁人が待ち伏せていて、襲いかかった。すると武蔵の方では声もあげずに、ただ一刀でこれを斬り倒した。さしたる仔細はない。それだけのことであった。」と「さしたる・・・」という言葉が重ねられてい、全部で六行のプロローグは、そこで終っている。
物語は包丁人のドラ息子と周囲の人に見られていた岩太が、女たちにも総スカンを喰い、水前寺通の白川にかかる橋のそばに乞食小屋を立てる。彼は本当に乞食に成り下がって世間を笑ってやるつもりだったのだが、そこは武蔵が控え家から登下城する往還に当たっており、見廻りに立ち寄った下役人が、岩太が仇討ちの所望ありと誤解したことから、にわかに世間の同情や激励が集まる。寄付金や到来物が相次ぎ「小屋を拡張しなくちゃならねえ」ほどの人気である。
武蔵は小屋の前をとおりすぎるときは、いかなる襲撃にも応ずる姿勢で立ち止まるが、決して武蔵の方から切り込むことはしない。達人の沽券にかかわるからだ。もちろん岩太は武蔵の心裡を見抜いており、世人の同情や人気も半年と踏んでそろそろ逃げ出そうかと思い始めていたとき、とつぜん武蔵が病死してしまう。臨終に際して武蔵は岩太に、晋の予譲の故事にならって恨みを晴らせと、垢つきの帷子<カタビラ>を遺す。いかにも武士道の実践者にふさわしい武蔵の奥床しい振る舞いであるが、岩太が予譲の故事を知らなかったために、武蔵のひとりよがりに帰しそうになる。だが、故事の来歴を教えられた岩太は、抜け目なく帷子を逆利用することを思いつき、情婦とはじめた旅館「よじょう」の客寄せ展示物とする。そして、商売は繁盛していった・・・というのである。
エピローグは、おそらく作者の計算であろう、発端とまったく同じ六行で、最後は「さしたる仔細はない。そのために旅館は繁昌していった。」とあって「さしたる仔細はない」という言葉でしめくくられている。作者はこの印象的な文章を発端と結尾に配置してみごとな効果をあげているのである。
清田陽一の「山本周五郎論」によれば、プロローグの「さしたる仔細はない」は、宮本武蔵に代表される上層・権力階層から下層の社会に振り下ろされた斬り捨て御免の情け容赦のないさげすみであり、エピローグにおける「さしたる仔細はない」は、岩太に代表される零細な弱者の立場から上層社会へ吐きかけたあざけりないしプロテストとして投げ返されている。作者はもちろん岩太の側に大きな比重を配分して「よじょう」の感銘度を盛り上げ、ずしりとした重量感を与えたのだ。ここにも、山本周五郎がまことの庶民の味方としての文学態度を貫き通した一端をうかがうことができる。
以上は、木村久彌典の解説を「扇野」巻末からひろいました。
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お詫び 2011-08-15の記事をきょうに移動させました。
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「武蔵小金井」
おかげです。ハイジにとって親孝行出来なかった
後悔、無念さをしみじみと今更ながら感じています。おとうさん、おかあさんありがとう。
『親孝行したいときに親はなし』
16日明日は送り火です。
たった1行の文章が一遍の小説を構成するとは・・・。
今まで小説を読んでいて、そのようなことを何も考えずに読んでいました。
参考になります。
いずれも人情ものですから、似ています。
おすすめの「かあちゃん」も「よじょう」も読んでません、本屋でさがすことにします。
おわんを浮かばせているような北前船は、恰好いいですね。
「武蔵小金井」 ・・・
・・・武蔵 子がねえ ・・・そのとおりでした。
お盆には、親族が家にもどってくる風習はいいですね。
我が家では、迎え火と送り火しました。
高松までお出かけでしたか。おかえりなさい。
リムジンバスをほぼ貸切で道中されたとは、眺めも好くいい思い出になりましたね。
主題をみつけると一行に凝縮することはあり得ることではあります。
時代劇を書かせたら、山本周五郎と藤沢周作の人情ものですね。
周五郎は場面を侍の世に置いただけで、情況設定は区分していないと話しています。
周五郎の小説は思わずホロリとさせられます。
青く澄んだ海がうつくしいですね。
一度沖縄を観光しましたが、見残しがたくさんあるようです。
主題を見つけると、書きようはさまざまあることでしょう。発想力(物事の切り口)こそ
作者の息吹きを注ぐ力点でしょうか。
山本周五郎は、吉川英治への対抗心がむき出しですね。
閑けさや 岩の染みにと 蝉の声 / iina川柳
山本周五郎と吉川英治の関係を、武蔵が知ったら、木枯し紋次郎が「あっしにゃぁ関わりのねぇこってござんす」ということろを、
何というでしょうか。
黒澤明監督が山本周五郎の小説を映画化してると聞いてます。
「かあちゃん」の中の「あたしは親を悪く云う人間は大嫌いだ」という表現も山本周五郎の思いが詰まっている言葉なのでしょうね。
山本周五郎さんの親を思う気持ちがよく表れていて、私は好きな表現です。