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関ケ原

2017年09月16日 | 映画

石田三成の「旗印」は、「一人が万民のために、万民が一人のために尽くせば、天下の人々は幸福になれる」の意。
石田三成を演じた岡田准一は、そろそろ俳優業で一本立ちしたらと思わせる存在感をもちはじめた気がした。

司馬遼太郎の「関ヶ原」を原作とした戦国大河ドラマ。
東西陣容の相関図


不器用ながら「義」を重んじる生き方を貫く石田三成が描かれる。
1600年、天下分け目の戦い「関ヶ原」は、太閤秀吉が没して2年後のこと。石田三成率いる8万の西軍と徳川家康を総大将とする10万の東軍がぶつかり合い、わずか一日で東軍が勝利する。
クライマックスの合戦シーンは、流石な大迫力。エキストラが3000人、延べ400頭の馬が使われたという。

-物語りの後日談-
石田三成が六条河原で処刑された後、彼の父・兄と妻や側近たちは、1600年9月18日に佐和山城が陥落した際、城と運命をともにした。
しかし、三成の5人の子どもたちは処刑されず、僧侶になった者、名前を変えて別の大名に仕えた者など、様々な顛末があるという。

<THX方式>
                              昨年に訪ねた関ヶ原古戦場 

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15 コメント

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お早うございます (延岡の山歩人K)
2017-09-16 06:28:25
関ケ原
なにか 特別な 思いがありますね
大きな 歴史の曲がり角・・そんな気がします
日本に限らず 世界中で
人類の歴史は 戦いや戦争によって作られている様ですね
もし
関ケ原の戦いの結果が違っていたら
今の日本はそうなっているのでしょう?
返信する
関ヶ原 (らいちゃん)
2017-09-16 07:08:14
サブタイトルの通り、「誰もが知る関ヶ原」ですが、「誰も知らないその真実については映画を観なさいと言うことですね。
物語の後日談が誰も知らない真実のようですね。

誰も知らない真実と言えば、先日のニュースで、本能寺の変を起こした明智光秀の手紙が見つかり、誰も知らない事実が明らかになったようです。
明智光秀が「本能寺の変」で主君の織田信長を討ったのは、足利義昭を奉じて室町幕府を再興させようとする政権構想がうかがえると、これまでの信長への遺恨説から新説を発表していました。
歴史の研究によってそれまでの説が覆されることがありますね。

>サラリーマンの働く割合を、一年間に働く日数と評価することにした
iina様の検証結果ほどではないにしても、確かにサラリーマンは気楽な稼業です。
しかし、植木等が活躍した高度成長期の頃のサラリーマンと現在では相当変わってきているでしょうね。
石川啄木ではないですが、
「はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」
この詩を実感として受け止める人も多いのではないでしょうか。
返信する
 (延岡の山歩人K) さん へ (もののはじめのiina)
2017-09-16 08:05:26

水滴のしたたる彼岸花は、美しくも妖しい雰囲気をかもしています。

20万本もの彼岸花が一斉に咲けば、七ツ森古墳は赤色に燃えたぎるでしょうね。3年前の景色は、美しいです。


> 関ケ原・・・大きな 歴史の曲がり角・・・関ケ原の戦いの結果が違っていたら今の日本はそうなっているのでしょう?
関ケ原は、壬申の乱で大海人皇子(後の天武天皇)と天智天皇の子の大友皇子との間で戦場になったころは、不破関(ふわのせき)
といってました。昔から、そんな重要な狭間でした。

歴史に「もしも」はありませんが、考えるのは面白いです。

返信する
らいちゃん  へ (iina)
2017-09-16 08:33:48
> 世界初の自動改札が関西から始まった
IC切符が導入された平成8~9年頃に、iinaは大阪に住んでいました。ICは、一度入場した切符等で出口で出なければ
ならないことから、キセルが出来なくなりました。このことで、わずか1年間に開発費を稼ぎ出した画期的なシステムでした。
それほど、キセルが悪用されていたわけです。

オムロン開発のドキュメントをテレビで見たことがあります。
切符と定期券の大きさが異なることから自動改札処理に難があったのですが、釣りに行ったとき流れてきた葉が岩に当たると
縦型に向きを変えるのをヒントに解決したそうです。こんなシステムを見ると技術力の素晴らしさを想います。

明智光秀の「本能寺の変」が足利義昭の陰謀説は昔からありますが、室町幕府再興構想を自発的に行動したか、足利義昭主導
あるいは味方の少なさに後付け構想かの議論は、これから深まりそうです。

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4 トラックバックにコメントします (iina)
2017-09-16 11:55:55
 (西京極 紫の館) さん へ
> 日本語字幕が必要なくらい滑舌が悪く、しかも早口。
仙石絵巻の風景と思えば、それなりに好いですょ。

忍者とのからみも、関ケ原を少しはとらえ易くしょうと努めたのでしょうね。きっと。




 (勝手に映画評) さん へ
ちょうど去年に、関ケ原を歩いたし 司馬遼太郎の大作はほぼ読んでいるので、興味深かったです。

大河ドラマを映画にまとめようとすると、端折らねばならず消化不足が出てしまうのでしようか・・・。



 (読書と映画とガーデニング) さん へ
原作では、処刑前の石田光成が歯を大切にして、後日に備えると答えるのを、敵方についた者たちを見たかったと少しいじってました。


山本周五郎を読んでいるのですね。
涙なしに読めない悲恋小説の二作「柳橋物語」と「むかしも今も」を採り上げました、こんな塩梅です。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/3b63b2f9c13987495e3a8b5d53902795

また、名作「よじょう」は、コロッケが「ほら吹きと武蔵」で演じましたょ。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/23c47c29698a6dd01fa2e2a92fce76f2 




 (花ごよみ) さん へ
映画を観て参りました。
愚直な石田三成像を演出していました( ^ω^)・・・。

> すごい数のエキストラ   西軍、東軍、入り乱れる合戦シーン、
物量作品は臨場感を高めました。^^

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ボクも観たい「関が原」 (hide-san)
2017-09-16 14:02:16
ボクも観たいと思っていた「関が原」、
今、カミさんが転んで骨折したため、身動きが出来ず、
映画鑑賞もままなりません。

司馬遼太郎原作でしたら、本を読むことにします。

関が原駅前の現場では、石田三成の陣ばかり、
大きく取り上げられていたように思えます。

宇喜多秀家の陣は森の中にひっそりとしていましたね。


返信する
 (hide-san) さん へ (iina)
2017-09-17 09:22:23
関ヶ原を検索すると、「豪徳寺」に誘導されました。
そうでした。豪徳寺はまねき猫が有名でした。
前にもご案内しましたが、浅草の今戸神社も招き猫が有名です。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/f3c05d7475f486ebc0c786790fd1da08

伊井家は、関ヶ原で東軍について赤備えの軍団が西軍を圧倒した働きを見せました。赤い袰を背負った
騎馬がそうです。


> カミさんが転んで骨折したため、身動きが出来ず、映画鑑賞もままなりません。
おだいじに・・・

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4 トラックバックにコメントします  (iina)
2017-09-17 10:37:55
 (ネタバレ映画館) さん へ
原作を読みましたが、随分前のことですから詳細は忘れました。
上杉討伐に出た軍団が小山軍議でとって返す所もなかったですが、監督が考えたこと故いろいろな処方があっても仕方ないと思います。

また、小説通りに映画化しても、脚色しても難癖つける余地はあるので、これも止むを得ぬ気はします。




 (ITニュース、ほか何でもあり。by KGR) さん へ
> 石田三成ほど、題材によって違う評価で描かれる人物も珍しい、と毎回書いているような気がする。
所詮、歴史的に負けた側はよくは描かれぬものです。

忍者とのからみは必要以上に多い気がしました。
一般に親しみ易くしようとしたのでしょうね・・・。




 (NAO日和) さん へ
関ヶ原の戦いは、いろいろな小説を読んで知ってますから、映画がダイジェスト的に描かれるのも仕方ない気はします。

> 佐和山から見る彦根城の景色が なかなか素敵なんです。
佐和山城は琵琶湖に浮かんでいると思っていたら、昨年に、彦根城を訪ねたので位置が分かりました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/14a690cbe481f20190a4b06d7334bd48

そのときに、関ケ原も歩いたので、タイムリーな映画公開でした。意外に狭いエリアで戦ったのですね。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/ebd2fd3fd609c1221db67c1f9078bdc4




 (ひろの映画見たまま) さん へ
> 徳川家康の別所広司、腹を膨らませての大暴れ、そのギラギラ感は圧巻だ。
はち切れんばかりのお腹は、CGだそうです。
そもそも、家康は天下など狙う地位になく、気がついたらそんな立場になっていたのが実情のように思えます。
元々人が好いという評判があったのを、晩年は手のひらを反すように野心満々になるのですから老獪です。


> 氷見の唯一の名所、氷見番屋街へ。
雨では残念でした。
氷見は、実は3千㍍級の立山と富山湾の深さ3千㍍級で、その落差は6千㍍もある立山連峰の絶景ポイントなのです。
氷見の直ぐ近くの「雨晴海岸」からの眺めをご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/4c2a180fe1a940f6b79900ba16676c90

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4 トラックバックにコメントします   (iina)
2017-09-18 10:03:34
 (事務職員へのこの1冊) さん へ
家康ひいきの方には、石田三成に焦点を当てた物語などしっくりこないのかもしれませんね。

司馬遼太郎の視線で語っているナレーションを木場勝己が担当しているのでしたか・・・。
・・・その木場勝己を知らぬのです。(^▽^;)   調べると同い歳でした。




 (映画的・絵画的・音楽的) さん へ
>石田三成をむしろ正義を重んじロマンに生きる武将として、徳川家康(役所広司)を、それに対する野望に燃える狡知な武将として描き出そうとしています。
映画化に監督が分かりやすいと考えた設定ですから、いいように思います。

秀吉・三成出逢いの「三献の茶」像です。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5f374ab224f563ffed934a62686d33c9

9つあるスクリーン内一番大きな劇場でTHX方式で鑑賞しましたが、後方で見ると音がこもっていたのがこの方式だとないので、戦闘シーンは迫力でした。




 (パピとママ映画のblog) さん へ
> 己の「愛」と「正義」を信じ、貫き通そうとした“純粋すぎる武将”三成を中心に、「愛」と「野望」の激突が、今幕を開ける――。



 (だらだら無気力ブログ!) さん へ
東西の配陣は、西軍が圧倒的に有利だし、戦闘も前半も優勢だったのが逆転するポイントに的を絞ると、尚よかったかなと思ったりします。
家康の筆まめ攻略等々。

ダイジェストも仕方ありませんね。

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4 トラックバックにコメントします   (iina)
2017-09-19 09:14:24
 (大江戸時夫の東京温度) さん へ
『天下分け目の関ケ原』のことは、いままでに散々小説や映画、テレビに採り上げられてますから、こんどは どのように物語るのか思って見てしまいます。

それほどよく知られた話ですから、総集編のようになるのは仕様が気もします。
小説とおりにするか新解釈かも、意見の分かれるところであろうとは思います。天下分け目の大戦ですから・・・。




 (『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭) さん へ
映画の日に、2本観たのですね。そんなこともあります。

当方は、「関ケ原」の翌日封切の「ダンケルク」を いずれも<THX方式>で観ました。

お金を払って映画館に行くのに、途中で寝るカミさんは「ダンケルク」を見通したのですが、「関ケ原」ははじめと途中で寝てました。(^▽^;)
寝る者の気がしれぬのですが、なんとも( ^ω^)・・・。



 (京の昼寝~♪) さん へ
去年に関ケ原を歩いていたので、タイムリーな映画公開でした。 意外に狭いエリアで戦ったように思いました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/ebd2fd3fd609c1221db67c1f9078bdc4


また、秀吉・三成出逢いの「三献の茶」像は、長浜駅前に立っていましたょ。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5f374ab224f563ffed934a62686d33c9

よく識る関ケ原ですから、上のようなコメントにしました。 

そういえば、石田三成と山内 一豊が その長浜で談笑していました。(^▽^;)
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/19468cf0bc4939a704c55895ad9e6dbd




 (映画と本の『たんぽぽ館』) さん へ
> 正義を重んじるけれども、人間関係に不器用。
理路整然と話して仕事にスキがなく、相手を遣り込める人というのは、いまも居ます。

戦闘シーンの歴史絵巻を映画で堪能しました。

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