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必ずコメントに参ります by iina

招き猫

2008年12月15日 | 東京エリア
伝わるところでは、江戸末期、浅草に住むある老婆が、貧しさゆえに愛猫を手放したところ、夢枕にその猫が立って、”自分の姿を人形にしたら必ずや福徳を授かる”と告げました。
そこで老婆が横向きで片手を挙げた人形を作り、浅草寺の参道で売り出してみたら大評判になったといいます。

今戸焼の招き猫いまどやき まねきねこは、オス猫とメス猫が一体になったもので、商売繁盛・招福に加えて、良縁招き猫として、今戸神社で授与します。


”招き猫”は商売繁盛や招福への願いをこめて、よく店先や玄関などに飾られており、猫は古代から神秘的な力をもつと考えられていた。
いわゆる招き猫の登場は江戸時代で、一方、人形としての招き猫はここ今戸の地で十六世紀から焼かれていた今戸焼が始まりといわれる。


①「大不況に人気」へクリック           ②銀杏の今戸神社へクリック



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7 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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TB(つらつら日暮らし) さん へ (iina)
2008-12-15 17:34:01
大不況 招き猫だけ 売れている

なんとも不気味な不況到来です。

浅草の今戸神社でも、招き猫が好評だそうです。
この地は、新撰組の沖田総司終焉之地になっています。
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まねきネコ (ムツゴロウ)
2008-12-17 10:06:06
招き猫に、そんないわれがあったのですね。

今戸神社の招き猫は、でっかいなぁ。
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福を招く (こもも)
2008-12-17 12:56:04
赤い座布団にすわって、おまねき。
いろいろな福を呼び込みたいです。
宝くじの高額当選をお招きしてにゃん。
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コメントを まねくiina (iina)
2008-12-17 17:07:29
(ムツゴロウ) さん へ
招き猫は、いろんなところにもあるようです。
今戸神社の招き猫は、iinaにとり当たり前すぎて
ブログに取り上げたのは、はじめてでした。


(こもも)さん へ
白い猫が、赤い座布団に座って、宝くじ当選を招かれたいです。
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丸〆猫 (いまどき)
2010-03-20 19:11:15
はじめまして。今戸焼のお宅です。
ちょっと水を差すようですが、おばあさんの話についてひとこと。この話は「武江年表」という随筆の嘉永5年の項に出てくるのが原点なのですが、お婆さんの住んでいたところは浅草花川戸、猫のお告げによってその姿を作った後、福徳に恵まれて噂となり、今戸焼で作られた猫が流行したそうですが、その猫は観音様の脇の
三社権現(浅草神社)の脇の床店(仮設がけの店)で売られたというのが、オリジナルの話です。今戸神社(昔は今戸八幡)には今戸焼の火鉢屋、焙烙屋の名前の刻まれた文政年間建立、宝暦年間再建の石の狛犬一対があり、今戸の氏神さまとして歴史ある神社ではありますが、お婆さんの話については三社様が正しいと思います。
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(いまどき) さん へ (iina)
2010-03-21 10:32:43
2008年12月15日の記事に、'いまどき'お越しいただき恐縮です。
もっとも(いまどき)さんは、「東京の土人形 いまど人形 いまどき人形」
のブログ名をお使いでした。
今戸焼に詳しい方に、招き猫のいわれについて解説されると抗弁のしようも
ありません。恐らくご指摘の通りであろうかと思います?

iinaは、フリー百科事典『ウィキペディア』を採用しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%88%B8%E7%A5%9E%E7%A4%BE
ただ、『ウィキペディア』はWEB投稿者から成り立っており、100%信頼に足る
学術書ではなく、真偽は不明といわざるを得ません。

かつて、ラジオ視聴者に関東の「招き猫」伝説について問いかけたところ、
3~4伝説の反応がありました。多数決で何れが原典かを競いましたが、
今戸伝説はトップには採用されませんでした。
ラジオ談義はお遊びではありますが、それほど左様に諸説あるようです。

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おさわがせしました。 (いまどき)
2010-03-22 17:46:40
私のブログへお越しくださり、ありがとうございました。何年前か招き猫の大ブームがあり、いろいろなデパートで即売会などありましたね。その頃招き猫に関する本もいろいろでました。全部に目をとおした訳ではないのですが、招き猫の発祥とか元祖についていろいろな説が紹介されていたと思います。そのひとつに今戸の丸〆猫の話も含まれていました。伝説などもっと古い由緒の神社仏閣もあるようですが、たまたま私は今戸焼に関して興味があり、読みかじり、見かじりで丸〆猫については知っているので、ブログに書いているのですが、実際に錦絵や遺跡の出土品などの証拠物件があるので、嘉永5年の話はかなり信ぴょう性があると思っていまして、自分のブログに引き続き記事を書いていくつもりでいます。ただし、今戸焼の話が招き猫の元祖だと言い切ることはしません。あくまで今戸の歴史の一こまとして捉えていただければ、と思います。お騒がせしてすみません。
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