
伝わるところでは、江戸末期、浅草に住むある老婆が、貧しさゆえに愛猫を手放したところ、夢枕にその猫が立って、”自分の姿を人形にしたら必ずや福徳を授かる”と告げました。
そこで老婆が横向きで片手を挙げた人形を作り、浅草寺の参道で売り出してみたら大評判になったといいます。
今戸焼の招き猫は、オス猫とメス猫が一体になったもので、商売繁盛・招福に加えて、良縁招き猫として、今戸神社で授与します。
”招き猫”は商売繁盛や招福への願いをこめて、よく店先や玄関などに飾られており、猫は古代から神秘的な力をもつと考えられていた。
いわゆる招き猫の登場は江戸時代で、一方、人形としての招き猫はここ今戸の地で十六世紀から焼かれていた今戸焼が始まりといわれる。


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そこで老婆が横向きで片手を挙げた人形を作り、浅草寺の参道で売り出してみたら大評判になったといいます。
今戸焼の招き猫は、オス猫とメス猫が一体になったもので、商売繁盛・招福に加えて、良縁招き猫として、今戸神社で授与します。
”招き猫”は商売繁盛や招福への願いをこめて、よく店先や玄関などに飾られており、猫は古代から神秘的な力をもつと考えられていた。
いわゆる招き猫の登場は江戸時代で、一方、人形としての招き猫はここ今戸の地で十六世紀から焼かれていた今戸焼が始まりといわれる。


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なんとも不気味な不況到来です。
浅草の今戸神社でも、招き猫が好評だそうです。
この地は、新撰組の沖田総司終焉之地になっています。
今戸神社の招き猫は、でっかいなぁ。
いろいろな福を呼び込みたいです。
宝くじの高額当選をお招きしてにゃん。
招き猫は、いろんなところにもあるようです。
今戸神社の招き猫は、iinaにとり当たり前すぎて
ブログに取り上げたのは、はじめてでした。
(こもも)さん へ
白い猫が、赤い座布団に座って、宝くじ当選を招かれたいです。
ちょっと水を差すようですが、おばあさんの話についてひとこと。この話は「武江年表」という随筆の嘉永5年の項に出てくるのが原点なのですが、お婆さんの住んでいたところは浅草花川戸、猫のお告げによってその姿を作った後、福徳に恵まれて噂となり、今戸焼で作られた猫が流行したそうですが、その猫は観音様の脇の
三社権現(浅草神社)の脇の床店(仮設がけの店)で売られたというのが、オリジナルの話です。今戸神社(昔は今戸八幡)には今戸焼の火鉢屋、焙烙屋の名前の刻まれた文政年間建立、宝暦年間再建の石の狛犬一対があり、今戸の氏神さまとして歴史ある神社ではありますが、お婆さんの話については三社様が正しいと思います。
もっとも(いまどき)さんは、「東京の土人形 いまど人形 いまどき人形」
のブログ名をお使いでした。
今戸焼に詳しい方に、招き猫のいわれについて解説されると抗弁のしようも
ありません。恐らくご指摘の通りであろうかと思います?
iinaは、フリー百科事典『ウィキペディア』を採用しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%88%B8%E7%A5%9E%E7%A4%BE
ただ、『ウィキペディア』はWEB投稿者から成り立っており、100%信頼に足る
学術書ではなく、真偽は不明といわざるを得ません。
かつて、ラジオ視聴者に関東の「招き猫」伝説について問いかけたところ、
3~4伝説の反応がありました。多数決で何れが原典かを競いましたが、
今戸伝説はトップには採用されませんでした。
ラジオ談義はお遊びではありますが、それほど左様に諸説あるようです。