イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その199☆追悼・太極拳野郎<ドン>PARTⅡ 挽歌篇☆

2015-01-11 13:12:02 | 身辺雑記
                  
                              <熊野川写真。2008.11.28.7:22早朝撮影>


 はーい、これ、徒然その196☆追悼・太極拳野郎<ドン>!☆の続編であります---。
 あまりに個人的な記事であり、かつ、明るい内容ではないので、興味ない方には素通りをお勧めします。
 去年の年の瀬の師走の30日に、仲のよかった友人が突如として亡くなりまして、僕等、1月の10日に彼の実家の春日部に集まったんですわ。
 彼の訃報を知らされた大晦日と同様、この1月10日も晴れ晴れとした、いい天気でした。
 5人の友人が集まり、午後の1時ごろ、皆でドン宅に線香あげにいったんですけど、もう70才のお母さんなんか憔悴しちゃっててね…そりゃあそうだ、手塩にかけた実の息子がふいに亡くなっちゃったんだから---ある程度予想はしてたんだけど、やっぱ、たまんなかったですねえ…。
 僕も、泣くまいとは思ってたんですが、実際に遺影と骨壷とを見ちゃうと、だめでした。
 こみあげてくるものを、ちょっととめられなかった。
 それに、すぐ後ろじゃ、情熱家のSがさっきから号泣してるし…。

----たく、ドンよぉ…こんなにちっちゃくなっちまいやがって……。

 なぜ、ひとは死ぬのか?
 死んで、どこにいくのか?
 鼻の奥に涙っぽいにおいを嗅ぎながら、僕は、そんな幼児じみたことをしきりに考えておりました。
 お袋さん、最初は平静だったんですが、僕等と思い出話してるうちにたまんなくなったんでせうね、杖ついたまま両肩を震わせて、

----代われるもんなら、あたしが代わりたいよ…。ねえ、もう、70だし、じゅうぶん生きたし、○○○と代わってやりたいよぅ…!

 それ、真近で見ながら、唇噛んで、僕は、じっと正座してて…。

  (死)(夭折)(逆縁)(永久の別れ)(骨になって)(運命ってなんだ?)

 お袋さんが警察の解剖を頑なに拒否したんで、結局、ドンの死因は分からずじまい。
 でもね、そりゃあそうだよ、解剖して生き返るんならいくらだって同意もするけど、もうさ、死んじゃってるんだから。
 どこをどう細工したって生きかえってきやしないんだから。
 だったら、いまさら死因なんて特定してなんになる?
 ドンは夜のいつかに自分のいるプレハブ小屋をでて、そのすぐさきのところの道路で、両足を軽くまげて倒れていたそうです。
 朝の9時にゴミ出しに出た親父さんがそれを見つけて、すぐお袋さんに知らせて。
 慌てて杖ついて出てきたお袋さんは、以前、看護士みたいなことやってたらしい。
 倒れた息子を見た途端、ああ、これはもうダメだ、と感じたそうです。

----ああ、これはね、見た瞬間、もうダメだなっていうのが分かったの…。でも、消防のひととかが一生懸命人工呼吸とかしてくれてるから、そんなこといえないでしょう? あたし、ダメだなあって思いながら、ぼーっとそれ見てたんですよ……。

 僕がこの日いちばん応えたのは、お袋さんのこの言葉でした。
 線香あげてから、皆で、鳩ヶ谷いって、そこのでっかいイオンで飯、食いました。
 積もる話もいっぱいあったから、結構盛りあがりましたね---。





 で、解散してから、僕はひとり、ドンのいってた太極拳の道場へ---。
 中国の四川に帰省していた癡半先生が、前日に帰国されてて、僕のいくのを待ってられたのです。
 僕が、十条の道場についたとき、もう陽はとっぷりと暮れておりました。
 先生しかいない道場に、僕は、ひとりであがります。
 先生とお逢いするのは、いついだったかドンに道場の忘年会に招かれて以来だから、たぶん6年ぶりくらいだったんじゃないでせうか?
 でも、あんまり違和感はなかったな。
 

----おひさしぶりです、先生…。

----ああ、よくきてくれました。ホント、よくきてくれた。さあ、なかに入ってください…!

 それから、僕等は道場の隅の椅子に陣取って、ドンの話をしました。
 ドンは、この道場ができたときからずっと師範代を勤めてきたきた、先生のいちばんの愛弟子でした。
 だから、先生とのつきあいも深く、先生自身もドンのふいの逝去にショックを受けているのが見受けられました。
 武道的にいうなら、この方、文革の時代をくぐりぬけた真正の達人で---僕も気功で飛ばされたことがある---でも、そのような達人であっても、今回の事件にひとかたならぬショックを受けて、僕とおなじようにやっぱり悲しんでいる、やるせながっているって事実は、僕の心を少し慰めてくれました。
 本当に僕等、いろんな話をしました。
 「武」の話---「弟子」の話---「書」の話(この癡半先生は、高名な書道家でもあるのです)---「拳法」の話---。
 ドンがよく叩いていたサンドバックを、先生の肩越しにときおり眺めながら。
 先生は、道場のドンの名札をはずさない、といいました。
 それから、僕に大事にしていた四川の石をくださいました。


       

       

       

 道場を去るとき、先生は、僕が道場沿いのまっすぐの道を曲がって見えなくなるまでずっと、僕の背を見送ってくださいました。
 僕も、200m先の角で立ちどまって、先生に目礼して、そして、ドンの道場をあとにしたのです…。


     亡き友に送る

---春日部の晦日に君を吸いあげし 紺碧の空を 今朝も見あげて…

 さらば、ドン、俺は生きる---そこの桟敷から見守っててくれい!     (了)