ボブ・ディラン---彼は、僕にとって、長きにわたって謎のひとでした。
あのジョン・レノンが、ことあるごとに尊敬の念をこめて彼の名を語り、超・天才ギタリストであるジミヘンもディランの「オール・アロン・ザ・ウォッチタワー」を自分の魂の曲だといってカバーし、ジョージ・ハリソンにいたっては、「どんなにビートルズに業績があろうと、ボブ・ディランにはかなわない」なんてことまでいってる…。
こりゃあ、聴かんわけにはいかんでせう。
というわけで、当然、僕も聴きまくりましたよ、ディラン。
「フリーホイーリン」から「ハイウェイ61」「ブロンド・オン・ブロンド」に「欲望」まで。
高校生のころから聴きまくり、みんながハマってるディランの世界に、自分も潜入しようと必死に聴いた。
でもね、分かんなかったんだな、これが。
聴いても聴いても、僕には、ディランのよさが皆目分かんなかった。
----へっただなあ…。
てのが、なにしろいちばんの実感なんだから素質ないって。
きっと歌詞がいいんだろうと歌詞カードとにらめっこしてみても、僕には、ディランの韜晦癖のあるあの独自の歌詞世界がどうしても胸にこない。
てなわけで、ずーっとディランのことは敬遠してきたんです。
----みんなが凄いひとだっていってる。だから、きっと凄いひとなんだろう。たしかに、オリジナルなスタイルだ。魂をこめて歌っているのも分かる。でも、いかようにしても胸にこない。なんで? 英語が母国語のニンゲンじゃないと分からない種類の音楽なんじゃないか? 少なくとも自分とは相性がわるそうだ。だったら、まあ、べつにむりして聴く必要もないか…。
なんて風に思って、結局30代の中途で投げちゃったんですよ、ディラン。
CDも「ブロンド・オン・ブロンド」と「欲望」をのぞいて全部売り払っちゃった。
で、綺麗さっぱり忘れてたわけ。
けど、このほどちょっとプライベートでいろいろありまして、ま、落ちこんで、なんもやる気もおきなくって、ひたすら部屋の床にだらーんとマグロってたんです。
本も読まない、パソコンもいじらない、筋トレも無期限停止状態、音楽なんてとんでもない---ただ、自動的に働いて、喰って、風呂入って、あとは眠気がわいてくるのを茫洋と待っている---みたいな、ほとんどヒッキーじみた退廃的な毎日を送ってたんです。
寝るまえにちょっとベランダにでて、煙草吹かすのが唯一の気晴らしといった感じ。
もうほとんど生ゴミだよね---楽しいこと、なんにもないんだもん。
で、その夜、だらーんとしすぎてあまりにもけだるかったんで、たまにはウォークマンでもやりながら煙草すっか、と、ひさびさヘッドホンを耳にあてて、めったに聴かない種類の音楽をアトランダムに流しはじめたんですよ。
そしたら、それ、ディランだったの---アルバム「欲望」のなかの1曲「コーヒーをもう一杯」---
聴いてすぐ、僕、吹っとびました。
----な、なんだ、コレ!? カッコいいぞカッコいいぞカッコいいぞ…!
倦怠の霧がうそみたいに晴れわたった。
ディランのワイルドな声が、それ、吹きとばしてくれたの。
僕、夜中のベランダを煙吹きあげながら、何度もおなじ曲をリピートして、ベランダの手狭な空間を長いこといったりきたりしてました…。
× × ×
ディランの「コーヒーをもう一杯」は、1976年にでたアルバム「欲望」のなかのナンバー。
その3年後の79年には、僕は金沢にいて、その年が受験だったので、よく金沢の私立図書館に受験勉強にいって、このアルバムを聴いたもんです。
金沢のその図書館は、ほかの地の図書館よりテクノロジーがなぜか進んでて、最新のレコード視聴室みたいなのがあって。
で、僕は、受験勉強というアリバイにかこつけてレコードばっかり聴いてたの。
メインももちろんディランじゃなくて、ジャニスとかジミヘンとかマイルスとか、あとコルトレーンやホロヴィッツなんかも聴いてたな。
当時から僕はすでに「ディランって近寄りがたい」って感知してたんだけど、なぜだかこの「欲望」とはウマがあったっていうか。
ベランダで「コーヒーをもう一杯」を聴いた刹那、忘却の彼方から高校生時のそうした記憶が一瞬のうちに蘇ってきて、アタマがくらくらしました。
慌ててベランダから室内にもどり、「欲望」のアルバムを取りだし、なかから歌詞カードをひきだしてみる。
<One More Cup Of Coffee>
あんたの息は甘く、あんたの目は空にかがやく二つの宝石
あんたの背はまっすぐで、あんたの髪は寝ている枕にも柔らかい
けれど好意も感謝も愛情も感じられない
あんたの忠実はわたしに対してでなく、空の星に対してだ
道行きのためにコーヒーをもう一杯
道行きのためにコーヒーをもう一杯
これから谷を下るんだ
あんたの妹が未来を知るのは、ちょうどあんたやあんたのママとおんなじだ
あんたは読み書きを知らず、あんたの棚には一冊も本がない
あんたの快楽には底がなく、あんたの声はヒバリのようだ
しかしあんたの心は海のよう、神秘的で暗い…
道行きのためにコーヒーをもう一杯
道行きのためにコーヒーをもう一杯---これから谷を下るんだ…
いいなあ…。
ただね、詩がいいっていうんじゃない、そのときの僕にいちばん染みたのは、ディランの詩自体じゃなくて、そうした言葉を投げ捨てるように歌うときの、ディランの声自体がキーンときたんです。
ディランの声に均等に浸透してる、ディラン内の「覚悟」のような目線---。
それに、僕は絡みとられた。
抒情詩人ということであれば、僕は、ジョン・レノンのほうがはるかに好き---バカみたいに素直だし、なにより正直だし。
ディランの世界はそれよりもずっと錯綜してる---ディランの世界は、ジョンの世界よりはるかに苦くて、しかもジョンの世界にはうかがわれない、靄みたいな一種の策略臭がたちこめてる。
ここを歩くには、心を相当冷徹仕立てにしなくちゃ。
ひと見知りのジョンの世界には、あんまり「他人」ってでてこないんですよ。
ヨーコとショーンと、あと、知人の数人でもでてくれば完結しちゃうような趣きがなんかある。
いくらかジャパネスクな箱庭的宇宙っていっちゃってもいいかもしれない。
そこいくとディランの世界は、もうリアルに他人だらけ。
見るからに胡散臭いの---悪漢---詐欺師---戦争の親玉---無実のボクサー---ナイフ投げの無法者---娼家---工作員---ジミー・ギャグニーにイシス…。
道々でそれぞれの策略家とすれちがうたびに、ディランは即興で彼等に辛辣な言葉を投げつける。
それは、もの凄く「速さ」を感じさせる言葉です。
ろくすっぽ考えもせず、浮かんだままジャブのように言葉を「投げ捨てて」いるんじゃないのかな?
その瞬間の爽快感ときたら、凡百の亜流ディランからは決して味わえない種類のもの。
凄いや、ディランってば---その感傷をはさまない、ディランの孤高然とした、ぶっきらぼうな自然体に、僕は、魅了されました…。
で、ディラン・ワールドに波調があって以来、いまあわくって彼の世界を改めて聴きなおしてるんだけど、やっぱ、「ブロンド・オン・ブロンド」いいっスねえ!
「コーヒーをもう一杯」が入ってる「欲望」は70年代中途のベストセラー・アルバムだし、ディランもいつになく抒情的で、別れた奥さんを歌ったラストの「サラ」なんかも凄くいいんだけど、70年代全体の疲れにどことなく染められているみたいな中年のディランより、僕は、どうしても「ブロンド・オン・ブロンド」の野性味あふれるディランの若さのほうに魅かれてしまう。
ぶっきらぼうで、ほとんどアドリブでレコーディングしちゃったみたいな印象の香る、「Plendinng My Time」「Obviously 5 Bilievers」なんてもう絶対手放せませんし、売れませんねえ。(なんで売ったりしたんだ、このパカものが!)
あと、絶品の「I Want You」に「Just Like A Woman」はいわずもがな…。
ああ、たまらん、ディラン---!
明日の仕事帰りには、十数年前に売り払った「ハイウェイ61」を是非にも買いなおしてこようっと!---お休みなさい---。(^o-yuuu☆彡