市原シニアアンサンブルこすもす(ISE)

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団員の声第11弾!ギターの安斎(あんさい)で~す。 

2010-10-04 20:19:50 | 日記
市原シニアアンサンブルに入団して

今年の3月に息子夫婦と孫が住む大網白里町へ来て半年になります。雪深い南会津・田島に住んでいました。JRを昨年定年退職、これを機会に将来のこと(老後のこと、念願の雪のない温かいところに住みたい思い、孫の子守、娘の嫁ぎ先が東京であること、次兄が鎌ヶ谷に、妹が武蔵野市にすんでいること等々)を考え妻とここに住むことにしました。
息子の嫁も地元生まれで姉妹の姉のほうであり、両親に孫を見せにいくにもここがいいと息子は判断し、みどりが丘に2世帯住宅を建てました。
玄関も駐車場も別々につくり、私たちはネコの額ほどの畑をつくっています。電気・水道はメーターを別々にし、キッチン、風呂、トイレも別々でお互いに何時に起きようが何時に寝ようが、何を食べようが、干渉しないことにしています。
息子夫婦は朝はパンのようで私たちは60年ご飯で生きてきましたから朝からパンはなじめません。こんなことを考えると2世帯にして良かったと思います。
1世帯同居ではお互いに気を使い、疲れてしまい、そそくさと南会津の家へ帰ったと思います。

みどりが丘に住んで毎日、ポケッとしていることに息子が心配し、何かやったら?というので何かないかと探していたところへ運命の町の広報が舞い込んだのでした。アンサンブルへの入団は町の広報で団員募集をみてすぐ寺岡さんへ電話しました。友達からマンドリンをもらったので弾けるようになりたいと思い4月8日に、ちはら台へ行きました。全然弾けないし、自分だけのでマンドリンではついていけないと思い、ギターならなんとかなるかも?と思いギターの楽譜をもらいました。マンドリンは棚に眠ったまま出番を待っています。
ギターは高校時代にかじったことがあるので何とかついていきたいと思っています。
JR時代は会津若松保線技術センターだったのでギターはもちろん音楽の縁はまったくといっていいほどありませんでした。レール、まくらぎと、にらめっこの毎日でした。南会津の家へは時々帰り、部屋の空気の入れ換え、義父母への顔見せのため帰ると思います。もちろん冬の1月2月はここがいいです。雪のない冬を実感したいです。
2人の子供が東京の大学を出て、そのまま東京と千葉に就職してしまい、住み慣れた南会津を留守にするさびしさはありますが子供や孫の近くで役立つこと、妻と2人で好きなことをして残りの人生をゆっくり、のんびり、有意義にすごしていきたいと思う今日この頃です。
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わあ~、橋田すがこさんの小説を読んでる錯覚に陥りそうな、古い日本の温かいぬくもりを感じました。ただ、あの若い安斎さんと内容にギャップを感じてしまう私は、もう純粋さを失ってしまっているのでしょうか?
ちなみに、うちは主人も、娘婿も国立にあるJr総合研究所です。息子もJRシステムです。
昔で言う国鉄一家ですので、保線区とかという言葉はよく耳にしました。
多分、どこかで関わりはあった事でしょう。余計な事でした。    (Tetsuko)
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