市原シニアアンサンブルこすもす(ISE)

ホームページは
http://secosmos.web.fc2.com/
です。

オチのある話  令和4年6年1月18日  練 習 報 告  ちはら台視聴覚室にて

2024-01-24 11:20:41 | 日記

 

先日ひょんなきっかけで吉幾三の「おら東京さ行くだ」を久しぶりに聞き、大笑いしていました。おそらく昭和生まれの日本人ほとんどが知る「おらこんな村ヤダー」の曲です。こんな所に居たくはないという魂の叫び、その頂点の先にはちゃんと夢があります。

「東京さ行ったら銭コ貯めて銀座で山買うだー」なんだそうです。

「んな馬鹿な!」

落語の世界では最後こういうのを「落ち」と呼ぶそうで、敢えてこの歌でそれをいうなら「銀座で山を買う」と間の抜けたことを言っているので「間抜けオチ」というものかしれません。

日本人はリラックスを「落ち着く」といいますし、交渉の集結を「落ちどころ」と言ったりします。そう、音楽でいえばフィナーレです。

バッハなんかを聴いていると、「お・し・ま・い」という絵本を閉じるような終わり方。モーツァルトになりとフィナーレの言葉ふさわしく「宴もたけなわ」のウキウキ感を残します。ベートーヴェンぐらいになると三本締めくらいの勢いでしょうか。交響曲5番のエンディングなどはハラハラします。一方ジャズのサラ・ボーンのバードランドの子守唄のエンディングなんかですと、まるで連載物のドラマのように「つ・づ・く」と言われているかのようです。

また中々終わらないエンディングとしてスクリャービンの「法悦の詩」というのがあるそうです。原語ではle poem de l’extase。エクスタシーの詩、というところでなんとなくカタカナで書くとエロチックですが語源はギリシャ語のekstasis、これは「外側にいる状態」を指し、つまりこの世の外の「あの世」体験と言っていいくらいの宗教的体験をも意味します。

考えてみればこの世は「浮世」。みんないずれこぼれ「落ち」ていきます。

昔ドリフのコントで、中々ご臨終にならない加藤茶演じるおじいちゃんがいました。「オレの遺産は・・・うっ」バタッ。「おとおさん!!」「オレの遺産は・・・うっ」バタッ。「おとおさん、ちゃんと言ってくれないと!」おじいちゃん起き上がる。。。

これが今回のオチです。         MO

 

        

驚きの面白い投稿です。私もこの位書けたら、作家デビューしたい。何事にも物怖じない、先週に引き続きフルートのOさんです。TT

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽の癒し  令和6年1月11日  練 習 報 告     ちはら台視聴覚室にて

2024-01-18 11:52:33 | 日記

 

 

 

毎日の地震報道で他人事でない痛み、不安を覚えるこの頃です!

寄る年波には勝てない我が身にはがゆい思いを感じる時もありますが、音楽やってて本当!良かったと思えるこのごろです。

 

1月11日の練習曲

川は呼んでる:暗譜もっともっと必要です。

オリーブの首飾り:頭で出だしのメリハリ

Wien bleibt Wien:もっと弾むように

Danny boy:つい口ずさみたくなります。

Brazil :第五回の演奏会の曲、パーカッション沢山入りました。

以上5曲です。

 

2024年1月

今年、わたしたちは宮城道雄の「春の海」間もなく、あの嫌な緊急地震速報の連発で新年を迎えました。被害に遭われた方はこれから先の事も含め癒しきれない大きな傷と不安の中、度重なる余震で神経をすり減らしておられるでしょう。ニュースを見るだけでも胸が痛み、足がすくみます。

音楽は心を癒し、明日を活気づけるものと一般に受け入れられていますが、日々苦しい生活を送られている方々に音楽はまだ早いでしょうか。音楽はいつも人の感情の傍で色々な顔を見せます。お祝いの席に湿っぽいのは不愉快でしょうし、悲しいときに明るい音楽を掛けられてもそんな気分にはなれないと余計悲しくなります。ある人にとっては懐メロでも、別の人が聞けば嫌な思い出を彷彿とさせることだってあります。それでも、人間、目は閉じれても、耳は閉じれません。音からは逃れられず、音楽も共にあります。極度の神経症に陥った画家のゴッホが耳を切った話は有名です。

ピアニストで、指揮者であった故ダニエル・バレンボイムは「音楽の聴き方 (How to listen to music)」とう講義で「音楽は同時に泣き顔と笑顔をみせる(music cries and smiles at the same time)」といいました。また、音楽を聴くときには最初の音に集中し、その音に心を乗せてもらい、音楽という飛行の旅に連れていってもらうのだそうです。音楽を聴くときには、相手の嫌な発言や、親の心配、買い物やしなければならないことや、洗濯など・・・そういうことは一切考えず、聴く前に一呼吸おき、全集中力を最初の一音に注ぎなさい、ということでした。


言い方を変えると、音楽は「その時の感情」から引き離してくれるツールになりえるというわけです。確かに毎回こういう聴き方出来れば、音楽は心の垢を洗い落とす清水であり、行き詰った空気を入れ替えるそよ風になりえるかしれません。名曲がいつ聴いても時代を超え、新鮮、というのはそういうことかもしれません。

私は来週、一生に一度はと思っていたベートーヴェン交響曲第九番の合唱にチャレンジします。この期に及んでも、独語の歌詞も早いメロディについていけなかったりします。分からなくなった口パクでもいいという寛大なアドバイスに甘えつつ、少しでも覚えていこうと勉強中です。

第九、「歓喜の歌」のメッセージでは、「厳しく分断されていたものを束ね(Was die Mode streng geteilt)」とあり、「万人よ(Millionen)」「兄弟たちよ(Brüder)」「世界よ(Welt)」という呼びかけ言葉が連呼します。そして「すべての善人、すべての悪人」「虫けら」「天使」に「嘆き」悲しんではいられないと、「喜び勇み」「走れ」と、「歓喜の輪に加われ」と促します。

そして、ふと思い出しました。以前盆踊りで流行った「のってのって音頭」。「四角い心もマルになる」「じいちゃんもばあちゃんものってのって」「知らない音頭ものってのって」としまいにはスーパーマンもベートーベンも鞍馬天狗ものってのって、と凄まじい多様性で笑いを誘う歌ですが、実際これが千葉の盆踊りでは大人気曲で、小さな「歓喜の輪」がありました。YouTubeであったのでぜひご覧になってみてください。懐かしい!という人もいるかも。

さて歓喜の歌の歌詞はこうはじまります。

おお 友よ
このような調べではなく
もっとここちよい歌を

2024年が良い年になりますように、皆で喜びを分かち合える時が巡ってきますように。  MO

 

        

新年にむけて、素晴らしい文章を頂き、ありがとうございました。

いつもflutist  MO さんの文才には驚きます。文才というか博識ですかね!

引き続き、来週もよろしくお願いします。TT

              

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする