兵頭新児の女災対策的読書

「女災」とは「女性災害」の略、女性がそのジェンダーを濫用することで男性が被る厄災を指します。

『東京新聞』3月21日朝刊「さいたさいたセシウムがさいた」

2012-03-21 22:49:26 | 時評

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■小さいと思うのでクリックしてみてください。


 今月十日、埼玉県教職員組合主催の国際女性デー関連の集会が企画されていたのですが、直前になって集会が中止された、という事件がありました。その案内チラシに詩人アーサー・ビナードさんの講演のタイトル「さいたさいたセシウムがさいた」というものが書かれており、あまりに不謹慎だと抗議が殺到したというのです(詳しくはhttp://www.j-cast.com/2012/03/07124705.html?p=allなど)。
 本件について、実は二、三日前の『東京新聞』の投書欄にも擁護する意見が載っていたのですが、本日、二面を取って大きく扱われていました。もちろん、ビナードさんにもインタビューして、全面擁護の形です。


 ビナードさんはこの講演タイトルを戦前の小学校の国語教科書にある「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」のもじりであり、その言葉に続く「ススメ ススメ ヘイタイススメ」などといった軍国教育的なイメージを想定しての使用であったと弁解しています。
 その後、彼は
日本人がこの歌をあまり知っておらず、自分の使用意図を勘違いしたのだ、と続けていますが(また「さいた」は「咲いた」と同時に「裂いた」とのダブルミーニングでもあった、などとも言っていますが)、そもそも常識的に「不謹慎」だと考えなかったその心理が理解に苦しみます。この人が仮に「日本文化に疎いガイジンさん」だったとしても(来日して二十年経ってるみたいですが)、それをチラシにするまでに誰も止めなかったことで既に充分に非常識でしょう。
 彼はそれに続け、「文学に携わる者は『みなまで言うな』が原則。読む人に、何だろうと思わせなければならない」とも言い、更に以前も講演会などに「平和利用 なーんちゃって!」などと題していたこともある、むろんそれは原発の平和利用などあり得ないのだとのアイロニーであり、今回のキャッチコピーもそれと同様のアイロニーであった、との主張をします。
 むろん、悪意はなかったのだろうとは思いますが、そうした物言いが既に何というか、鼻につきますw バブルの頃によくありましたよね、何か勘違いした芸術家気取りの作った、「
深遠な意図が込められた」CMとか。宣伝なんだから簡潔に伝えろよ、バカじゃねーのってやつ。
「皮肉云々以前に不謹慎だ」といった常識論はひとまず、置きましょう。
 
 ぼくはそれよりも、何となくここに、左派――というか、「市民運動」みたいなものの抱えた困難さを感じてしまい、それをちょっと指摘してみたいと思うのです。
 彼の「さいたさいた」も「なーんちゃって」も、申し訳ないけれどもセンスゼロの代物です。「なーんちゃて」はもう、激烈に痛いですよね。ぼくは実は、この種の「時代遅れのおふざけ」というのが、ある種、今の左派の抱えた問題を象徴していると思うのです。
「体制」へのカウンターパンチとして繰り出したその「不良ぶりっ子」が
仮面ライダーフォーゼくらい時代錯誤で、ハタから見ていて痛い感じ。
 それを見て「何か、市民運動ってダッセー」と感じる一般的なリアクションは、意外に直感的に本質を突いているのではないか。
 左派というのは「カウンター」として出てきたものであり、ある種の反社会性、逸脱性を最初から内包したものです。だから世間ではあまり迎え入れられないような異端者の受け皿としての機能を果たしてもいるのですが、とは言え、そういう異端者ってぶっちゃけ世間的にはワルモノであることが多いというのもまた、身も蓋もない事実ではあります。
しかし更に言うなら「体制」がいついかなる場合も正義とは限らない以上、左派のそうした機能をぼくもまた、否定するものではありません。
 が、今回の事件を見て、ぼくは感じたのです。彼らの持つ「ぼくたちは弱者、被害者」と言った時代遅れの自意識が、そうした自分たちの「反社会性」を内省する機会を手放させてしまっているのではないか。だから、自分たちが不謹慎なことをやって叩かれるという場面への想像力を、彼らは喪失してしまっていたのではないか。
 もう一つ、本当のことか作為があるのかわかりませんが、記事ではこのチラシに対する抗議の半分以上が日教組批判、つまり政治的な意図の批判であったとし(そもそも主催は全日本教職員組合であり、日教組とは別らしいのですが)論調は
「表現の自由」を大切にせよとの方向へとリードされていきます。
 これにサザンの「TSUNAMI」自粛問題などを絡めてくるのだから、もう大変です。311後に、まさにそれそのものをテーマにする講演に「セシウムさいた」などとタイトルする行為といっしょにされちゃ、桑田もたまったものじゃないでしょう。
 とは言え、集会の中止は右翼団体の脅迫を受けてのものだったということです。
 こうなると彼らは立派な被害者です。「教職員の団体が軽薄なチラシで被災者を傷つけた」という物語から、「清らかな市民運動をしているワタシたちが右翼にいぢめられた」という物語への華麗なるキャリアアップです。いえ、こういうのをキャリアアップとは言いませんけれども。


 そして、ちょっと連想したのは例のわかばっちさんの事件です(疲れたので、詳しく説明しません。ご存じない方は「わかばっち LO」で検索してみてください)。
 ネット上での集団ヒステリーはもう、「やめろ」と言っても収まりようのないものですが、いかにわかばっちさんの主張には賛成できなくとも、彼女の住所など個人情報を調べ上げてアップなどしている時点で「オタクが悪い」と言われても反論ができなくなってしまいます。そもそも彼女は(むろん、以前より敵対行動があったのだから彼女にムカつくのは当然ですが)少なくとも本件に関してはAmazonにメールしただけで、文句を言うべきなのはそんなメールくらいで過剰反応するAmazonの方でしょう。
 これら一連の事件の時に、オタクのオピニオンリーダー的な人々が妙にのんびり構えていたのもどうかと思いました(リツイートされたのを眺めた程度なのですが、「みんなそろそろ止めた方がいいよ」といった感じの、何だか危機感のないつぶやきが多いように感じました)。
 さて、何だかもう疲れたし時間もないし、この辺で終わりにしたいので、適当な結論を書いておきます。
 この世は「スーパー弱者大戦」のバトルフィールドです。
 そこには「フェミニズム」といった「スーパー系」な弱者、「被災者」といった「リアル系」な弱者が群雄割拠していますが、「リアル系」の弱者は知っているわけです、「絶対的な正義」がないように、「絶対的な弱者」などといったラクな存在など、この世に居ない、ということを。
 今回の騒動はそうした「スーパー系」の弱者が「リアル系」の人々を侵犯してしまい、しかし自らの行為を省みることなく「スーパー系」の必殺技の乱発を続けている――とまあ、そんなふうにまとめてしまえるのでは、ないでしょうか。


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