東芝の不正経理・労働組合の立ち位置はどうなのか

2015-07-18 15:00:47 | 日記

東芝の不正経理・労働組合の立ち位置はどうなのか

 

  今、国内5大総合電機メーカーの一つである東芝の経理不正が取り上げられている。7月18日の数社の報道機関が[東芝幹部は17日夜、一連の問題が不正な会計処理だったことを認めた」と報じていた。

  そして、調査を委託された第三者委員会でも「社長の発言には『頑張って業績を上げろ』という以上に、(損失先送りなどを促すような)踏み込んだ内容があった」と指摘。さらに「現場に会計操作をしなければいけないと思わせてしまったことが問題であった」と強調している。さらに利益水増し問題を巡っては、田中社長が幹部らに早朝の電話やメールで「何で予算を達成できないんだ」「売上高、利益をもう少し上げろ」などと要請していたことが判明。佐々木則夫副会長も、社長時代に業績改善を現場に強く迫っていたことを明らかにしている。結果して、経営トップからの強い業績改善圧力に応えるため、各事業部門が「不正な会計処理に踏み出す構図になっていた模様であった」と報じている。

  近代的経営の装いをもつ日本のトップ企業の東芝の幹部が、いかに上部からの圧力があったとはいえ、何のためらいもなく不正処理をし、また異を唱える勇気を持ち合わせていなかったということなのであろうか。いずれにしても会社ぐるみの不正であったことには間違いない。

  このようなことは東芝だけの問題ではない。同じ電気メーカーの三菱電機における防衛省などへ装備品の代金を水増し請求問題がある。そして過大請求額や違約金などを合わせた返納金の見積額が773億円。それを満額返納したということもすでに報じられたことである。しかもその不正は、1970年代頃からあったことを記者会見の中で山西社長が述べている。とんでもないことである。

  昔、豊臣秀吉の時代に世間を騒がせた「大泥棒・石川五右衛門」がいる。やがて捉えられ、秀吉によって「釜ゆでの刑」に処せられた。その時の辞世の句が「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」であったと伝えられている。時を経て江戸時代である。この伝説の大泥棒が義賊として扱われるようになった。また権力者の豊臣秀吉の命を狙うという筋書きが、浄瑠璃や歌舞伎の演台に取り上げられ、江戸の庶民の心を捉えたことが記録されている。

  刑の前に読んだとされている「 世に盗人の 種は尽くまじ」との辞世の句。いつの時代にも「山吹色は魔物と化す」。それが近代的高層ビルデングの奥の院にも存在していたことの証明であろう。

  さて、それよりも何よりも、ここで述べたいことは「労働組合」はどのような立ち位置にあるのかという問いである。東芝・三菱もそうだが、多くの民間大手の労働組合は「労使経営協議会制度」を取っている。それは、労働組合が経営に参加することによって、経営を正し、企業努力を求め、そしてそこから生まれる利益の応分の配分を求めるという性格のものである。よって経営者も労働組合も「企業の社会的責任の追求」を掲げている。であるならこれらの「不正・不祥」の事実に対し黙認をして良いのか。共同の責任がないのかという問いである。厳密にいえば、一定の期間「不正請求によって得た利益の配分を労働組合も得たことにならないか」。そして、事実が判明し返納した膨大な金額をどう考えるのか。その回答はいかにという問いである。

  しかし、伝えられる限り労働組合の指導部の声を聞くことはない。それが「企業内組合の限界」ということなのか。また別な理由があるのか。難しい論理は必要ないと思う。不正は不正として経営の責任を正す。場合によっては経営陣の刷新を求める。そのための労使交渉を持つくらいのことはできないのだろうか。今後の労働組合のあり方への指導部の期待を大にする年金生活者の一人である。