安倍首相のヤジは「国家祖動員法」の審議と共通。かっては陸軍・今安倍首相

2015-06-13 16:42:59 | 日記

 安倍首相のヤジは「国家祖動員法」の審議と共通。かっては陸軍・今安倍首相

 

  6月13日の毎日新聞に、昭和史の研究者、保坂正康さんのコラム「昭和史のかたち」・「安倍首相のやじ国家総動員法審議と共通」という記事がある。内容は「安倍首相のやじ」に、国家総動員法審議と共通するものがあるとしている。確かに辻元議員の発言中における「早く質問しろよ」という総理大臣席からのヤジは「品が問われる」を超えて恐ろしいものを感じたことは事実である。そのことについては5月29日のブログ「驚くことである。総理大臣席からのヤジ」にも書いたが、保坂記事を読んであらためて書きたくなった。

  保坂さんは、この安倍首相のヤジの一件に触れた時、「私はすぐに昭和13年3月の衆院国家総動員法案委員会での、あるヤジを想起した」と述べている。つまり折からの日中戦争の最中、その戦時体制を強めるためにあらゆる生活上の制限を与えようとする軍部の画策があった。それが「国家総動員法」の確立である。その法案説明に立ったのが陸軍省の佐藤賢了中佐であつた。佐藤の発言は軍部の立場から長々と、そして明らかに範囲を超えるものとなっていた。それに対し委員の宮脇は「委員長、この男にどこまで答弁わさせるのですか」と抗議すると、佐藤は「黙れ!」とどなった。この頃の軍部の傍若無人さを示す出来事であった。

  そして今般の安倍首相の発言である。委員長の指摘に対し謝罪はしたものの、法案を通そうとする行政府の立法府に対する姿勢が、、あの時の軍部に極めて似ていることを保坂さんは指摘している。法案を通そうとする行政側の長である安倍首相に「意見などを述べる必要が無いし、聞く耳も持たない。質問があるなら早く述べろ。ちゃんと答えてやるから」という態度がある。当時の軍部は、とりわけ陸軍は「陸軍無くして国家なし」とした強権姿勢をもって臨んでいた。軍部のいうことに「文句があるのか。黙って聞け」が、「黙れ!」の発言になったとしても決しておかしくない状況にあった。

  「憲法調査会」における参考人の違憲発言からはじまり国会の論戦は熱を帯びてきた。しかし、解明されなければならないひとつひとつの事項に対する政府の答弁は、「全てが政府の判断する事」であるとしてしりぞけ、最後は「黄門の印籠」ではないが新3要件を並べ立てる。何の具体的な回答を示していない。このことは、当時の「国家総動員法」を強行しようとしていた軍部の姿勢に似ていると保坂さんは指摘している。そして最後は「早く質問しろよ、答えてやるから」となれば、もはや立法府の存立を否定し「立法府は、行政府の下請け機関でも構わない」という計算が先に立っていることを意味するものであろう。「国会は死んだという状況になって欲しくはないが、そのようなプロセスが立法府の内部に宿っていることを私たちは知らなければならない」と保坂さんは述べている。(昭和のかたち)まさにその通りである。

  その意味で「黙れ!」も「早く質問しろ」も同義語であることを強く表明したい。

  国会も終盤戦となり、憲法学者のみならず、自民党の元副総理山崎拓氏をはじめ、亀井静香、武村正義、藤井裕久の4氏が「安保法案・認めがたい」という反対声明を出した。重鎮保守派の面々である。

  「窮鼠猫を噛む」の譬えがある。追いつめられた安倍内閣は怖い面を持っている。延長国会の中で何をやらかすかはわからない。よくよく警戒しながら追い詰める必要がある。

  そして今、自・公が盛んに取り上げている「砂川判決」がある。「読み方にはいろいろある」として逆宣伝に使っているが、この判決文をもってお返しとしたい。安全保障にかかわる司法判断が難しい問題であるとしながらも、最高裁は「主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべき」と最後に明記している。高村副総裁は「憲法の文字面にこだわっている憲法学者」と批判し「最高裁の判断にゆだねる」と述べている。そうであれば、この最後の最高裁の文字も「文字面として読んではいけない」というのであろうか。あれこれ理屈を述べるよりも、書いてあることを大事にすべきだろう。「砂川最高裁判決」が大事なら「主権を有する国民の政治的批判」を無視して、ましてや、今国会において、強行採決をはかることはとうていできないはずである。