まだ間に合う。維新は軌道修正を・・・労働者派遣法の改悪にストップを

2015-06-12 16:21:56 | 日記

まだ間に合う。維新は軌道修正を・・・労働者派遣法の改悪にストップを

 

  3月期の報道を賑わした一つに大企業を中心とした大幅賃上げがあった。そして夏のボーナス期を前にしてまたもや同様な報道がなされている。かく言う私は、かつて民間企業にあり、労働組合の役員の一端を担っていたものとして、以前「その賃上げの実態を明かにすべき」ということをブログに書いた。ベースアップ率○○パーセントとか、ボーナス支給額平均〇〇円とかの数字が紙面に踊る。では、その増額の配分内訳はどうなっているのかということをあらためて問うたのである。例えば「給料」である。額面でいけばベースアップと定期昇給額を合わせると1万円何がしとなる。それではその配分がどうなっているのか。賃上げ闘争を行うということは額面だけではない。積み上げ額はもとより、その配分を明らかにし、全組合員が納得をし合うことまで含んでの賃金闘争であり、成果の総括である。70年代における「大幅賃上げ春闘」においてもそのことが指摘された。しかし、「平均ベース」の数字は公表されても、多くの労働組合は、組織内の年令、勤続、職種別の配分実績は公表しなかった。実は、組合員にとっての関心事は、自分も含め仲間の、そして他の労働組合の同じような労働者の実態を知りたかったのである。

  そのことは勤続と年齢を主体とした生活基本給の体系から、成果・能力、そして資格を重視する「資格・職能給」という賃金制度に移行させられていった時代での現象であった。それは、自社の賃金管理の実態を他に知られたくないとする「労使運命共同の意識」の結果であることを意味した。あれから40年経った現在、そのことが縮小されたとは考えにくい。むしろ拡大されているであろう。

  私があえてこの問題を取り上げたのは、今般の国会における「派遣法改正」の法案の成立にかかわるときにあるからである。ここにきて「是是非非の立場で臨む」とする維新が、いわゆる「同一労働・同一賃金」の議員立法の成立を条件に国会の議決に参加する(賛成する)という方針を取ったことに対する誤りを指摘したかったからである。

  かつての労働運動においても「同一労働・同一賃金」という要求を掲げた時代があった。つまり前記の「大幅賃上げ、年金スト」などの「国民春闘」の時である。当時の「同一労働・同一賃金」の方針は、男女及び雇用形態の違いからくる差別をなくすことにあった。つまり男女の賃金格差を無くせ、本採用と臨時採用の差別を無くせということにあった。しかし、今回、国会の場に持ち出されたのは表現が同じでも中身は「全く異にするもの。似て非なるもの」である。残念ながら自民党の労務政策が数段上であることが証明された。案の上、この案件が論議されている部会で与党は「均等な待遇及び均衡のとれた待遇」と「勤続年数や責任の重さを考慮する均衡待遇」という文言を入れる修正をもつて維新への回答とした。そこに正規・非正規間の賃金格差を容認する余地が生まれた。維新は一歩前進というがそれは違う。骨抜きになったのである。

  前に戻りたい。当該労働組合も公表し得ない「資格職能給」の給料総額に占めるに割合が大きくなっているだろう。そして、ますます組合員間(従業員間)の「配分の格差」が拡大していることは明らかである。正規雇用の労働者においてさえ「同一労働・同一賃金」の理念が生かされていない労務管理下にあって、どうして「派遣労働者」にその理念が生かされるのだろうか。はじめから「同じ職場にいる正規雇用者と同じ給料を」と規定すればよかったのである。それだけではない。この理念は何も給料だけではない。夏・冬のボーナスもある。さらに労働時間(時間外労働も含め)、年休もある。そして失業、年金、医療保険など人件福利費にいたるまで「同一」でなければならない。にもかかわらず「何が何でも反対」という立場は取らないという維新の方針が、今逆手に取られたことが明らかになったことを知るべきであろう。維新は勇気をもって軌道修正をはかり、野党共闘の輪に戻ってほしいと願う。「安倍政治の傲慢、強行路線」に杭を打つためにも。