あらためて「首都圏からの高齢者移住」を考える。政府には任せられない社会保障問題

2015-06-16 21:07:23 | 日記

あらためて「首都圏からの高齢者移住」を考える。

          政府には任せられない社会保障問題

  昨日は「首都圏からの高齢者移住」について書いた。余りにも身勝手なことであるとして「いわき市への避難者」の実例をもって報告をした。しかし、その報告をしたものの、後になって、同じ高齢者の一人として後味の悪い想いを身に背負ったことも間違いない。誰がすき好んで移住をするだろうか。そこに「居住」できないから移ってきたのである。首都圏に住まわれた高齢者も、ならば「住み慣れた家」とは言えなくとも、その町で過ごしたいと思うのは当然であろう。

  今、脱サラ、あるいは退職後の生活を地方に求める人が増えている。福島県の南会津地区にも数組の移住者がいる。しかし、その皆さんはその地で生涯を終えるだけの、それだけの計画をもって移り住んでいる。そこが違うところである。

  そこでもう少し突っ込んで考えてみたい。石破大臣が述べている「日本版CCRC」というものがある。いわゆる、高齢者が自立できている状態で「共同体」をつくるというものである。先進国の米国では2000箇所の「共同体」に75万人の高齢者が移り住んでいる。日本でも幾つかの事例が生まれている。その一つに上田市真田町がある。人口は1万1000人。そこには数ケ所の特老を含めたディーサービスセンター・居宅支援センターがある。そして、いわゆるサテライトセンター(小規模多機能居宅介護)なるものが14箇所ある。サテライトつまり「衛星」である。本体の事業所(親星)から車で20分程度のところに小規模施設があり常に管理下に置かれている。いつ、何時、何があっても応援ができる体制にある。そこはデイーサービス、ショウトスティーの施設である。そして別に「宅老所」と称して、数人がそれぞれ独立した部屋を持ち同居の生活をする。そして、そこには、地域の皆さんが野菜や茶菓子を持って集まる。あるいは、元気な居住者は地域の畑作業の手伝いをする。その意味では「地域に溶け込んだ高齢者施設」ということになる。しかし、これとてどこでも作れるものではない。人口1万人、そして「真田町」という特有の土壌もあるだろう。それでも費用負担の問題は残る。共住費・食事費・共通費などを含めると月・13万から15万円となる。そこに、介護が必要となれば介護費の本人負担、そして医療費、さらには本人の諸経費もある。そうなると年金生活の収入では困難ということにもなるだろう。ましてや「国民年金者」にとっては尚の事である。

  さて、首都圏からの移住問題に戻りたい。「それでなくとも、地域共住者の待機者の増大の中で受け入れは困難」という発言がある。それもあるだろうが、政府は受け入れを条件に「施設の増設」を促す交付金も含めた規制の緩和をしてくるだろう。しかし、保険料の算定は、その地域に住む40歳以上の人員を分母として、施設建設費も含めた総介護費用を除することによって保険料が決まることを考えれば結果的に保険料の増額は避けられない。そして施設入所の希望者が増大する。待機者は増える。要介護1・2は申し込みもできない。さらに「要支援者」は介護保険の適用が受けられない。そして保険料は増大する。

  「後味の悪い」ことであるが、さあどうぞ、お出でくださいとならない本音がそこに出てくる。

  仮に、移住を希望し、そして受け入れ先もあるとする。そうした場合、職場の移動に合わせて自分の金年が移動できたように、その移住者の介護保険の積立を、そっくり持って移住するというのであればまだしもとなる。もし政府が移住の方針を実行するとするなら、その「長持ち」をつけて欲しいと思うがどうだろう。

  いずれにしても10年後の2025年には、戦後の団塊世代が一斉に75歳に突入する。社会保障はパンクする。その課題を政府にあづけてはならない。国民が知恵を尽くして考えなければならない。いまから始めなければならない課題と思うが、どうだろう。

 

 

 


首都圏の「高齢者移住」を考える。地方の立場から・・・・・・・

2015-06-15 14:25:51 | 日記

 首都圏の「高齢者移住」を考える。地方の立場から・・・・・・・

 

  私も高齢者の一人である。しかも夫婦二人の生活、いわゆる「老々介護予備軍」に属する。介護が不要の状態で終われることを望むがこれとてその保証はない。昔、子育て最中にあった私たちは、近所のお婆さんの長い経験がともなう知恵に幾度も助けられた。また面白い話も聞いた。お婆さんの若いときの事である。田植えの手間取り(日銭稼ぎ)をする。数人が並び、片手に稲束を持ち植え方を始める。その先の「畔」にはどぶろくの入った一升瓶が立っている。お婆さんは言う。「男めらは我先にと苗を植えていく、どぶろくが飲みたくて。女は結局追い立てられるようになる」。だからこのあたりの田はみんな細長くなっていると。なるほど、そうしてみると長方形の田が多い。正方形では一升瓶の数が増えるわけである。

  そのお婆さんも、ある日コタツに顔を伏せたまま逝ってしまった。このような亡くなり方は珍しい。多くは本人も苦しみ、家族も悩む「終わり方」が圧倒的である。

  さて、最近の話題の一つに、首都圏に住む高齢者の移住問題がある。

  石破茂地方創生担当相は12日の「まち・ひと・しごと創生会議」(議長・安倍晋三首相)で地方創生基本方針の骨子を示した。その中の一つに、高齢者の地方移住を促す地域づくりの推進があり、月内に基本方針を策定すると報じている。その提言は、東京圏(埼玉、千葉、東京、神奈川の四都県)で七十五歳以上の高齢者が今後急増するとして、医療・介護の施設や人材に余裕がある二十六道府県四十一地域への移住促進を要請するという。だが、移住先として名指しされた地域には戸惑いが広がる。石井隆一富山県知事は「県内で特別養護老人ホームの入所を待機している人がおり、余力があるわけではない」と提言に疑問を呈した。達増拓也岩手県知事は「高齢者の介護や医療の負担だけが押し付けられ、かえって地方衰退を加速することになっては本末転倒だ」と指摘した。舛添要一東京都知事は「『施設が足りないから移住を』というのは乱暴だ」と批判、黒岩祐治神奈川県知事も「無理に高齢者を地方に移住させるのは違和感がある」と否定的な見解を示した。

  ここに福島県いわき市の実例がある。放射能の線量も比較的低い、そして同じ太平洋沿岸で気候も変わらないこともあって双葉地区の避難者が集まった。あっという間に過密の状態になった市内で、先ず現れたのが「町のお医者さんの前に行列」ができたことである。空き家はなくなり家賃・地代は跳ね上がった。小さいことであるが日常的な「ゴミ出し」がある。町内の皆さんが当番で管理をしている。そこにゴミを持ってくる避難者に対する不満。些細なことではあるが、いわき市民と避難者との間に「いさかい」が生じたことは事実である。それも突然の災害による緊急避難であるにもかかわらず、助け合わなけれはならないにもかかわらず。そして今も土地の値段は高騰を続けている。

  前に戻ろう。とりわけ戦後の東京の街づくりに携わったのが今の高齢者の皆さんである。東京都は義務としてもその高齢者の後半を守責任があるだろう。しかし、経済的、物理的にそれが困難であるところに、地方への移住が、選択の一つとして浮かび上がってきた。そうであるとしても唐突な政策である。万に一つ、その移住が選択の一つとしても受け入れる側にその体制があるのか。富山県知事も述べているように「県民でさえも施設への入所が困難なところに移住者の受け入れの条件はない」というのも当然である。直近の例として「いわき市」を上げた。高齢者移住と直接的に結びつけことは無理としても考えなければならない事実である。そして2025年を前にして超高齢化は避けては通れない。その意味では急がなければならない悩ましい課題である。

 

 

 


バカな戦争はやめろ』と言えなくなる。始まってしまうと手に負えなくなる

2015-06-14 14:52:03 | 日記

 

バカな戦争はやめろ』と言えなくなる。始まってしまうと手に負えなくなる

  毎日新聞(6月18日)は、脚本家・山田太一さん「創作の原点・戦後70年」を文化面(13面)で取り上げている。昨日は、同日のコラム『昭和のかたち・保坂正康』の「安倍首相のヤジ、国家総動員法審議のものと共通」が取り上げられていた。

  さて、山田太一さんである。1934年生まれというから私にとっては兄の年代となる。もし2年早く生まれていたら確実に戦地に赴いていただろう年齢である。最近よく思い出す。私の校舎と高等科の校舎が同敷地内にあった。そこでは兄にあたる13歳から14歳の生徒が鉄棒や土俵の上で、教師と四つに組んでの相撲をしている光景をよく目にしていた。とりわけ私の記憶にある生徒は、鉄棒が得意で大車輪そして着手するなどその姿は恰好がよかった。今のような身長ではなかったが大きく感じたことを記憶している。何せ、その生徒が先生を土俵に投げつけるなどの姿を見ていたから当然であろう。そして14歳の春で卒業をしていった。

  折しも戦局悪化の中であった。15歳から応募ができるとした乙種少年飛行兵制度が、1年下げて15歳未満でも採用できるという制度となった。そして後で知ったことであるが、何人かが応募し合格をしたというニュースを聞く。私は勝手に校庭で目にした憧れの先輩の顔を思い浮かべた。生きて戻ったのか、それとも戻らなかったのか。それとも応募しなかったのか。それは知らない。

  山田太一さんは述べる。「今考えると、どんどん死んでいった。家も取り壊された。(山田さんの家は強制疎開で家が取り壊された)今だったら、なぜ『戦争反対』と言わないのかと思われるかもしれないけれど、戦争が始まってしまうと『反対』なんと言えない。出征する人がいて、死んでしまう人がいる。『バカな戦争はやめろ』と言えなくなる。始まってしまうと手に負えなくなる」

  NHKの朝ドラ「ごちそうさん」の場面でバケツリレーでの消火風景があった。現にあの当時は、本気で火が消せると思っていたのである。油の火(焼夷弾)であることさえも知らなかった。「本土決戦」・女、子どもが竹やりで上陸してきた米兵を殺せると本気で思っていたのである。そして日本が負けるとは考えてもみなかった。「神国・神風・無敵艦隊などなど」。今の若者に話せば「バカか」と言われるだろうが、それが事実罷り通っていたのである。

  昭和19年の正月を超えたころからである。隣組の誰々さんが戦死をしたとか、あるいは「白木の箱」をかかえて戻ってこられる方が多くなった。その度に私たちは道に並び目礼をした。その年の暮れ、長患いをしていた父が亡くなった。弔いに来た皆さんが「こっちの父ちゃんは自分の家の畳の上で死ねたから幸せだよ」という言葉を母にしていたのを記憶している。それは大人の言葉であって、父を亡くした子供には通じる言葉ではなかったはず。しかし、それが実態であった。

  最近のマスコミの報道には異常さが見られる。「国会中継」の報道が無い。無いだけではなく、なぜ「錦織選手」や芸能人のあれこれが「国会報道」の前なのか。それもその報道はちょろりである。民放もさることながら、NHKテレビの企画にやたらと「食べる場面」が出てくる。30分であれば半分以上は食べている。

  最後に、随筆家岡部伊都子さんの言葉を紹介したい。 「自分はこの戦争は間違っていると思う。こんな戦争で死にたくない」。これが私の婚約者だった人が遺した言葉でした。小学校の先輩で、婚約が決まってやっと二人だけになって、初めて話したときの言葉です。忘れられません。「どうしてそんなことを言うの」と、軍国少女だった私はこう答え戦争に行くのを止めようとは思わなかった。その人は敗戦の年の5月31日、沖縄本島の津嘉山というところで死にました。木村邦夫という名前。もう戦後60年。私は「邦夫さん、ごめんね」と言い続けている。平和を語るときも、愛を語るときも、私の原点は、邦夫さんです。


安倍首相のヤジは「国家祖動員法」の審議と共通。かっては陸軍・今安倍首相

2015-06-13 16:42:59 | 日記

 安倍首相のヤジは「国家祖動員法」の審議と共通。かっては陸軍・今安倍首相

 

  6月13日の毎日新聞に、昭和史の研究者、保坂正康さんのコラム「昭和史のかたち」・「安倍首相のやじ国家総動員法審議と共通」という記事がある。内容は「安倍首相のやじ」に、国家総動員法審議と共通するものがあるとしている。確かに辻元議員の発言中における「早く質問しろよ」という総理大臣席からのヤジは「品が問われる」を超えて恐ろしいものを感じたことは事実である。そのことについては5月29日のブログ「驚くことである。総理大臣席からのヤジ」にも書いたが、保坂記事を読んであらためて書きたくなった。

  保坂さんは、この安倍首相のヤジの一件に触れた時、「私はすぐに昭和13年3月の衆院国家総動員法案委員会での、あるヤジを想起した」と述べている。つまり折からの日中戦争の最中、その戦時体制を強めるためにあらゆる生活上の制限を与えようとする軍部の画策があった。それが「国家総動員法」の確立である。その法案説明に立ったのが陸軍省の佐藤賢了中佐であつた。佐藤の発言は軍部の立場から長々と、そして明らかに範囲を超えるものとなっていた。それに対し委員の宮脇は「委員長、この男にどこまで答弁わさせるのですか」と抗議すると、佐藤は「黙れ!」とどなった。この頃の軍部の傍若無人さを示す出来事であった。

  そして今般の安倍首相の発言である。委員長の指摘に対し謝罪はしたものの、法案を通そうとする行政府の立法府に対する姿勢が、、あの時の軍部に極めて似ていることを保坂さんは指摘している。法案を通そうとする行政側の長である安倍首相に「意見などを述べる必要が無いし、聞く耳も持たない。質問があるなら早く述べろ。ちゃんと答えてやるから」という態度がある。当時の軍部は、とりわけ陸軍は「陸軍無くして国家なし」とした強権姿勢をもって臨んでいた。軍部のいうことに「文句があるのか。黙って聞け」が、「黙れ!」の発言になったとしても決しておかしくない状況にあった。

  「憲法調査会」における参考人の違憲発言からはじまり国会の論戦は熱を帯びてきた。しかし、解明されなければならないひとつひとつの事項に対する政府の答弁は、「全てが政府の判断する事」であるとしてしりぞけ、最後は「黄門の印籠」ではないが新3要件を並べ立てる。何の具体的な回答を示していない。このことは、当時の「国家総動員法」を強行しようとしていた軍部の姿勢に似ていると保坂さんは指摘している。そして最後は「早く質問しろよ、答えてやるから」となれば、もはや立法府の存立を否定し「立法府は、行政府の下請け機関でも構わない」という計算が先に立っていることを意味するものであろう。「国会は死んだという状況になって欲しくはないが、そのようなプロセスが立法府の内部に宿っていることを私たちは知らなければならない」と保坂さんは述べている。(昭和のかたち)まさにその通りである。

  その意味で「黙れ!」も「早く質問しろ」も同義語であることを強く表明したい。

  国会も終盤戦となり、憲法学者のみならず、自民党の元副総理山崎拓氏をはじめ、亀井静香、武村正義、藤井裕久の4氏が「安保法案・認めがたい」という反対声明を出した。重鎮保守派の面々である。

  「窮鼠猫を噛む」の譬えがある。追いつめられた安倍内閣は怖い面を持っている。延長国会の中で何をやらかすかはわからない。よくよく警戒しながら追い詰める必要がある。

  そして今、自・公が盛んに取り上げている「砂川判決」がある。「読み方にはいろいろある」として逆宣伝に使っているが、この判決文をもってお返しとしたい。安全保障にかかわる司法判断が難しい問題であるとしながらも、最高裁は「主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべき」と最後に明記している。高村副総裁は「憲法の文字面にこだわっている憲法学者」と批判し「最高裁の判断にゆだねる」と述べている。そうであれば、この最後の最高裁の文字も「文字面として読んではいけない」というのであろうか。あれこれ理屈を述べるよりも、書いてあることを大事にすべきだろう。「砂川最高裁判決」が大事なら「主権を有する国民の政治的批判」を無視して、ましてや、今国会において、強行採決をはかることはとうていできないはずである。


まだ間に合う。維新は軌道修正を・・・労働者派遣法の改悪にストップを

2015-06-12 16:21:56 | 日記

まだ間に合う。維新は軌道修正を・・・労働者派遣法の改悪にストップを

 

  3月期の報道を賑わした一つに大企業を中心とした大幅賃上げがあった。そして夏のボーナス期を前にしてまたもや同様な報道がなされている。かく言う私は、かつて民間企業にあり、労働組合の役員の一端を担っていたものとして、以前「その賃上げの実態を明かにすべき」ということをブログに書いた。ベースアップ率○○パーセントとか、ボーナス支給額平均〇〇円とかの数字が紙面に踊る。では、その増額の配分内訳はどうなっているのかということをあらためて問うたのである。例えば「給料」である。額面でいけばベースアップと定期昇給額を合わせると1万円何がしとなる。それではその配分がどうなっているのか。賃上げ闘争を行うということは額面だけではない。積み上げ額はもとより、その配分を明らかにし、全組合員が納得をし合うことまで含んでの賃金闘争であり、成果の総括である。70年代における「大幅賃上げ春闘」においてもそのことが指摘された。しかし、「平均ベース」の数字は公表されても、多くの労働組合は、組織内の年令、勤続、職種別の配分実績は公表しなかった。実は、組合員にとっての関心事は、自分も含め仲間の、そして他の労働組合の同じような労働者の実態を知りたかったのである。

  そのことは勤続と年齢を主体とした生活基本給の体系から、成果・能力、そして資格を重視する「資格・職能給」という賃金制度に移行させられていった時代での現象であった。それは、自社の賃金管理の実態を他に知られたくないとする「労使運命共同の意識」の結果であることを意味した。あれから40年経った現在、そのことが縮小されたとは考えにくい。むしろ拡大されているであろう。

  私があえてこの問題を取り上げたのは、今般の国会における「派遣法改正」の法案の成立にかかわるときにあるからである。ここにきて「是是非非の立場で臨む」とする維新が、いわゆる「同一労働・同一賃金」の議員立法の成立を条件に国会の議決に参加する(賛成する)という方針を取ったことに対する誤りを指摘したかったからである。

  かつての労働運動においても「同一労働・同一賃金」という要求を掲げた時代があった。つまり前記の「大幅賃上げ、年金スト」などの「国民春闘」の時である。当時の「同一労働・同一賃金」の方針は、男女及び雇用形態の違いからくる差別をなくすことにあった。つまり男女の賃金格差を無くせ、本採用と臨時採用の差別を無くせということにあった。しかし、今回、国会の場に持ち出されたのは表現が同じでも中身は「全く異にするもの。似て非なるもの」である。残念ながら自民党の労務政策が数段上であることが証明された。案の上、この案件が論議されている部会で与党は「均等な待遇及び均衡のとれた待遇」と「勤続年数や責任の重さを考慮する均衡待遇」という文言を入れる修正をもつて維新への回答とした。そこに正規・非正規間の賃金格差を容認する余地が生まれた。維新は一歩前進というがそれは違う。骨抜きになったのである。

  前に戻りたい。当該労働組合も公表し得ない「資格職能給」の給料総額に占めるに割合が大きくなっているだろう。そして、ますます組合員間(従業員間)の「配分の格差」が拡大していることは明らかである。正規雇用の労働者においてさえ「同一労働・同一賃金」の理念が生かされていない労務管理下にあって、どうして「派遣労働者」にその理念が生かされるのだろうか。はじめから「同じ職場にいる正規雇用者と同じ給料を」と規定すればよかったのである。それだけではない。この理念は何も給料だけではない。夏・冬のボーナスもある。さらに労働時間(時間外労働も含め)、年休もある。そして失業、年金、医療保険など人件福利費にいたるまで「同一」でなければならない。にもかかわらず「何が何でも反対」という立場は取らないという維新の方針が、今逆手に取られたことが明らかになったことを知るべきであろう。維新は勇気をもって軌道修正をはかり、野党共闘の輪に戻ってほしいと願う。「安倍政治の傲慢、強行路線」に杭を打つためにも。