絵が描かれていないのに画廊の主は日取りを決める

2015-06-26 16:21:32 | 日記

 絵が描かれていないのに画廊の主は日取りを決める

   訪問看護・介護の体制が見えないのに病床を減らす政府

 

  政府は、現在ある全国の病院のベット数(134万7000床)を、2025年に向け約15万から20万床削減する方針であることが判明した。(6.12毎日新聞)そして年間40兆円と言われる国民医療費の削減を図るとされている。中でも千葉・埼玉・東京・神奈川・大阪などではベット不足のため今後は増床が必要であるが、その他は過剰であるとして30パーセント前後の削減が迫られると解説している。そのことは約30万人程度の入院患者が、病院から介護施設や自宅での在宅医療にむけられることを意味する。よって、政府はそれに対応できる条件を整備すると述べているが明白ではない。

  そこで病院から自宅、あるいは施設に移るとされているが、まず施設への入所は困難と見るのが妥当であろう。そこで自宅療養となる。この問題を語るとき、必ず取り上げられるのが核家族化・高齢化の実態である。あらためてその実態を見る。2015年度における65 歳以上の世帯は2.242 万世帯(全世帯の44.7%)である。それを世帯構造別にみると「夫婦のみの世帯」が697 万4.000世帯(31.1%)で最も多く、次いで「単独世帯」が573 万世帯(同25.6%)、「親と未婚の子のみの世帯」が444 万2.000世帯(同19.8%)となっている。(平成25年 国民生活基礎調査)

  その世帯構成にあって「自宅療養・自宅介護」というものがどのような結果を生むかは、多くの深刻な事例が新聞紙上に書かれている。まさに「介護・看護難民」であり、「老人貧困の物語」である。そこで一番の悩みが「療養病床」であろう。慢性期の疾患であるが医療行為も必要であり介護も欠かせない。私の知人の母親は5年にわたりこの病床にある。受け入れる施設もない、だからと言って自宅に戻すにしても看る人がいない。これもドキュメント番組で報道されたことであるが、退院を決断するにあたって、主治医は必ず家族に集まって頂くことにしているという。自宅に戻した場合、介護にあたるキーマンを定めて欲しいからである。その旨を連絡し集まってもらうのだが、大方は決めきれいまま病院に集まり、主治医の前での家族論争になるという。悲しいことであり、悩ましいことである。しかしこれも実態である。このような療養病床は全国で34万床ある。それを2025年までに14万床を削減し、さらに20万床削減まで持っていくというのも政府の方針である。

  では、そのためにどのような施策があるのか。政府は整備を図るとしているが、例えば訪問医療(主治医の指示に従い訪問看護・訪問介護の体制)である。これが整っているかと言えば皆無に等しい。ここに私の市がかかげている「平成27年から29年に及ぶ高齢者福祉計画・介護保険事業計画」なるものがある。ページを開く。「看護小規模多機能型居宅介護」という見出しを読む。「利用者の状態に応じて『通い』『訪問』『泊まり』のサービスを提供する小規模多機能型居宅介護に訪問看護を組み合わせ、柔軟な対応のサービスが必要です。特に褥瘡の処置・胃ろうなどの経管栄養・退院直後の医療管理を行います。さらに自宅療養に対し必要な訪問看護を提供します」と書かれている。

  しかし、何回となく述べてきたことである。「わかった。十分とはいかないまでも、その体制をどうしてつくるのか」ということに対する回答は用意されていない。絵筆と絵具を持ってもキャンバスの前にたって「絵を描かなければ始まらない」。私たちは「その絵を見たい」のである。にもかかわらず「画廊の主人は、絵が仕上がるか、どうかは関係なく勝手に展覧会の会場、日取りを決めている」。「病床削減・医療費削減」の数字を並べる政府は、まさに無責任な「画廊の主」と同じである。

 


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