安倍首相の真珠湾訪問・自国民を意識したポエムの舞台と見たら・・・・・・

2016-12-30 05:42:48 | 日記

  安倍首相の真珠湾訪問・自国民を意識したポエムの舞台と見たら・・・・・・

 

   入社試験の面接の場である。面接者の前に安倍晋三君が座っている。面接者の一人が切り出した。「君の小論文は素晴らしく、よくまとめているが、就職をするにあたってのわが社への提案というよりは『自分宛て』の作文というのが、あたっているようだね」と。

   そして場面は真珠湾に移る。

  「パールハーバー真珠湾に、いま私は日本国総理大臣として立っています」という挨拶から始まる安倍首相の追悼の冒頭に「あの日、爆撃が戦艦アリゾナを2つに切り裂いたとき、紅蓮(ぐれん)の炎の中で死んでいった数知れぬ兵士たち」と述べている。その数は2,338名と報告をされている。もちろん膨大な死者であることは間違いない。しかし、この数字は世界貿易センタービルへ突っ込んだ同時テロ(9.11)で失った3025人よりは少なく、沖縄戦の時の戦死者数、沖縄244,136名・米国12,520名と比べても桁が2つも違うことは確かである。また記録によれば、湾内に停泊をしていた病院船には爆弾を投下することが無かったと記されている。しかし、日米戦の熾烈化の深まりの中とは言え東京・広島・長崎をはじめとした都市への無差別攻撃による民間人の殺傷の歴史は消し去ることはできない。

   安倍首相はさらに続ける。「75年がたったいまも、海底に横たわるアリゾナには、数知れぬ兵士たちが眠っています。耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。あの日、日曜の朝の明るくくつろいだ、弾む会話の声。自分の未来を、そして夢を語り合う、若い兵士たちの声。最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。生まれてくる子の幸せを祈る声。1人、ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。愛する妻や恋人がいた。成長を楽しみにしている子どもたちがいたでしょう。それら、すべての思いが断たれてしまった。その厳粛な事実を思うとき、かみしめるとき、私は言葉を失います」と。

   追悼式の席上にいた「退役老兵」の言葉も紹介されていた。「憎みは失せています」と。そのことはオバマ大統領の広島訪問に際し被爆者代表と肩を抱き合った光景と重なる。人間は、幸いにして「時間が事を解決する」という知恵を持っている。しかし記録を消し去ることはできない。

   そして戦後70年談話においては、安倍首相は村山談話を踏襲しつつ次の言葉を発している。「戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません」と。

   真珠湾における「老兵の寛容な言葉」は嬉しい。しかしその背景には、本国は爆弾一つも落とされず、しかも軍需景気に沸いた国の手厚い恩恵を受けたであろう国民と、今もって発展の途上にあり、70年後もその苦渋にさいなまれている国民との違いはあると考えるのは私の偏見であろうか。

   沖縄をはじめとする国内の、そしてアジア諸国への戦後処理は「真珠湾における未来志向」の言葉で終わるものではないことは確かである。そのことを今後の安倍政治は立証しなければならない。いずれ今回の真珠湾における安倍首相の政治姿勢には、国内の世論は高い評価を与えていることが報じられている。

   そこであらためて冒頭の試験場に戻る。「よくまとめているが、わが社への提案というよりは自分宛ての作文だね」と。そのことは、言い換えれば「米国民よりは、むしろ自国民を観客とし、その観客を意識しポエムを詠い、きれいにまとめあげた舞台の演技」と私は受けとめるのだが、いかがだろうか。


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