今くらい、政治を誰もが自分の実生活に身近なものと感じているときはないと受け止める。

2021-05-30 09:56:46 | 日記
    国会がはじまるといつも思う。それは首相をはじめとする各大臣、そして参考人として招致された官僚までもが、頻繁に使う言葉に「言い逃れ」や「同じ回答の繰り返し」はては「記憶にありません」、「答える立場にはありません」のオンパレードがある。
 いわゆる質問にはまともに回答をしない。説明をしないという態度である。

 国の最高機関である国会の権威は何処にいったのであろうかといつも思う。そして費やさなければならない必要な「政治の論議時間」を無駄に過ごしているばかりか、国費の浪費であるとさえ言いたい。
 同時に、質問に立つ野党についても疑問を持つ。それぞれが党を代表しての質問ということなのだろうが、野党もまた同様の質問を繰り返す。それに対し答える側も同じ回答を続ける。それでは政府の「のど元」を突き刺し、立ち往生させる場面を生むことができないと思うが、どうだろうか。

 勿論、野党自身も自らの党の方針もあり、そして存在を示そうとするのであろうが、問題は国会を「お喋りの場にしてほしくない」ということである。
 残念だが、現状は自民党一強政治になっている。例えば予算委員会の中継で自民党席に座る多数の議員を見る。しかし彼らは、野党の質問にはまともに答えず『ごはん論法』もよろしく、回答をすり替える首相をはじめとする政府・官僚の姿勢に対し、眉をひそめるなどがあても良いと思う場面に対しても、何の反応を示さない自民党席の光景に、市民感覚からしても「この国には民主主義」がないのかとの疑念を持つ。
 同時に、野党は最大限の院内共闘をもって立ち向かう必要があるのではないかということを考える。

 例えば、野党合同による官僚とのヒヤリング、各党の調査研修とその公表、場合によっては「問答集の作成」するなど、事前のすり合わせができないものであろうか。とりわけ予算委員会は、国民が注目する討論の場である。政府・与党に胡坐をかかせてはいてはいけない。
 ましてや審議をつかさどる委員長は自民党議員である。国会中継でもよく見る場面であるが「その件については理事会で検討をする」との言葉で終わる。  
 ではその理事会の審議の結果を国民の前に明らかにされているだろうか。その記憶は残念ながらない。 
 そして国会は終了をする。

 今、変異株による国内感染が第5波を予想するように広がろうとしている。しかし政府は東京五輪の開催を強行しようとしている。今くらい政治を、誰もが自分の実生活に身近なものと感じているときはないと受け止める。であればなおのこと、野党の責任も追及されて良いのではなかろうか。
  
 あらためて野党に訴えたい。例えば、政府与党を詰めるためにもA党は○○。B党は▽▽。C党は◇◇といった課題の分散と、そのすり合わせよる政府への追求ができないものだろうか。今のままでは、国民にとって国会論議は蚊帳の外となりかねない恐れを痛感する。
 まさに、民主主義の危機である。
 あらためて、野党の責任もまた問われていると思うが、どうだろうか。

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