「縄文楽」とは
ほとんど縄文遺跡の博物館の展示場には「縄文土器」が並んでいます。しかし、時間をかけて土器をじっと眺めている人はいたでしょうか。
また、専門家に「土器の模様や器体は・・・?」と質問しても「デザインです。・・縄文人は精霊が宿っているので理解できないような土器を作っている」といった「精霊」がなせる業として扱うことを耳にします。
他に専門家は「物的証拠」がないので証明できないともいわれます。
縄文楽は「縄文を楽しく」ということで物的証拠がなくても「イメージ」を生かして湧いてくる思いを大切にして解決に至るようにすることを「楽しみ」としています。自分で思いを高めて解決するようにしているのです。
「縄文土器の解読」に関する文献は限られていると思います。
※武居幸重さんの「縄文土器の文様に意味がある縄文記号の世界」をネットで見たくらいです。すごい努力ですね!
縄文ヒトも現代ヒトと変わりない人間であり「神話的思考」や「霊」に惑わされているわけでなく現実的な思考を持ったヒトだと思います。結果が正論かどうかは自分の意思で確かめることにする。自分が納得する解決策が一番良い。まちがえば次は正解に近づくと考えるのが「縄文楽」の進め方です。
以上のような「意識」で土器などを見つめるようにしています。
今後も、土器を解明する楽しさを味わっていくつもりです。土器を拡大鏡で見るように眺める。原点です。
縄文楽 浄山(小倉)
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