土器ではないが、家形の軽石を解説します。
北黄金貝塚公園には、竪穴式住居が三棟建っている。 その三棟とも「壁立ち式住居」と言ってよく見ると壁がある住居になっている 。この住居の見本として 噴火湾の対岸にある八雲町の栄浜遺跡の軽石でできた住居が見本となっている。入母屋造りの屋根と壁からなり、 屋根の部分は丁寧に磨かれている 。
縄文時代の軽石の家を模したと考えられる。 今風の家であり人気もある が、縄文時代は、土葺きの屋根の住居であったと思われる。
ところが、 何のために作ったのか疑問があった。縄文ヒトは無意味なものは作らないのである。これは家でなくてイカを模したものと考えられる 。近くの森町に「いかめし」が名産になっている。イカとして見るとどうであろうか よくできている。壁部分はイカの足になり、噴火湾はイカの産地だったと思われる。
イカは開いて干してスルメにしたのだろうか。イカを食べていたという証拠はないが軽石のイカ型は「イカに感謝」という気持ちが分かる。
縄文楽 浄山