今朝、台子のお稽古に伺いますと、東大寺大仏殿の甍に
聳え立つ金色に輝く鴟尾、その上には若草山が・・・
緑が一段と濃くなり、初夏の装いですね。
現在東大寺大仏殿への最寄駅は、JR奈良駅(1890年)もしくは
近鉄奈良駅(1914年)ですが、明治時代には『大仏駅』もあり、
名古屋からの大阪を目指した関西(かんぜい)鉄道が、関西本線
加茂駅から山越えのルート・愛称『大仏鉄道』の終着駅として
1998年(明治31年)4月に開業しており、大仏殿から西に1.8Km
離れていましたが、一条通りを経て大仏詣で賑わったそうです。
一年後には当初の計画通り今のJR奈良駅にまで延伸されたが、
25‰と勾配がきつく運転の障害となり木津駅経由の平坦な本線が
出来たことで1907年8月に休止後、11月には廃線に至りました。
現在わずか9年間の”幻”の廃線跡には隧道や橋台が所々に残り
大仏駅跡も、小さいながら大仏鐡道記念公園になっており、
この公園から北へ約75m続くホームがあったそうです。
機関車の車輪を模したモニュメントがありますが、
春になれば、奈良の氷室神社の枝垂桜に劣らず、
きれいな枝垂れ桜も見られ、穴場になりますね。
このわずか9年間の”幻”の廃線跡9.9kmを訪ねる機会があり、
「健康日本21」では理想的な一日の歩数は「1万歩」、
”老化は足から”と、予防も兼ね16Kmほど歩いてきました。
遺構めぐりマップ
詳細は次回に。
聳え立つ金色に輝く鴟尾、その上には若草山が・・・
緑が一段と濃くなり、初夏の装いですね。
現在東大寺大仏殿への最寄駅は、JR奈良駅(1890年)もしくは
近鉄奈良駅(1914年)ですが、明治時代には『大仏駅』もあり、
名古屋からの大阪を目指した関西(かんぜい)鉄道が、関西本線
加茂駅から山越えのルート・愛称『大仏鉄道』の終着駅として
1998年(明治31年)4月に開業しており、大仏殿から西に1.8Km
離れていましたが、一条通りを経て大仏詣で賑わったそうです。
一年後には当初の計画通り今のJR奈良駅にまで延伸されたが、
25‰と勾配がきつく運転の障害となり木津駅経由の平坦な本線が
出来たことで1907年8月に休止後、11月には廃線に至りました。
現在わずか9年間の”幻”の廃線跡には隧道や橋台が所々に残り
大仏駅跡も、小さいながら大仏鐡道記念公園になっており、
この公園から北へ約75m続くホームがあったそうです。
機関車の車輪を模したモニュメントがありますが、
春になれば、奈良の氷室神社の枝垂桜に劣らず、
きれいな枝垂れ桜も見られ、穴場になりますね。
このわずか9年間の”幻”の廃線跡9.9kmを訪ねる機会があり、
「健康日本21」では理想的な一日の歩数は「1万歩」、
”老化は足から”と、予防も兼ね16Kmほど歩いてきました。
遺構めぐりマップ
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