気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

萩の花を

2015-09-10 13:20:42 | 季節の花々
 玄関のしつらえ
6月下旬から咲きだした『萩の花』、
やっと飾っても良い季節になりました。

『萩』は「艹」くさかんむりに、「秋」の字
既成の文字を組み合わせた「会意文字」で、
豊かに咲きこぼれる様は、
豊穣を表す秋のシンボルですね。
でも実は、「萩」の漢字は、ヨモギの一種を指し、
日本語の特別な意味として、「はぎ」の花になるそうで、
『萩の花』を用いるのが良いのではないでしょうか。

『萩の花』(芽の花)は「秋の七草」の一つで、
山上憶良が万葉集で選定されております。
「秋の野に 咲きたる花を 指折り
  かき数ふれば 七種の花
  芽の花 乎花葛花 嬰麦の花
  姫部志 また藤袴 朝貌(あさがお)の花」
漢字はすべては読めません
口ずさむとわかりますが、・・・
朝貌を「あさがお」と詠むそうですが???、
現在は桔梗(ききょう)とされています。

香合は桔梗とで、
ススキといえば、お月見ですね。
今年の十五夜は、9月27日で、
お月見団子を作りましょう。
あっそうでした。お彼岸”お萩”のほうが先です。
忙しいですが、楽しみ、楽しみ。

主菓子は着せ綿(重陽の節句)にて

2015-09-09 00:06:01 | 主菓子とお干菓子
今日の九月九日は、「重陽の節句」で佳日とされます。
日本では「菊の節句」ともいわれ、長寿を願い
独自の風習として、
古くは菊の花を浮かべた「菊酒」を飲まれたり、
露を吸わせたその真綿で、身をぬぐう、
菊の着せ綿(きせわた、被綿)がありました。
お稽古は主菓子を『着せ綿』にしました。
私が何度かいただいたものは、紅色の菊でしたが、
今回は紫芋餡とユリ根餡を使って、
紫芋餡の中にこし餡をいれて、紅紫色の菊を作り、
百合根餡を細いきんとんにして
上にそっと乗せたら、
樫屋さんのようには、なかなか・・・
  
『着せ綿』とわかっていただけるかしら
早速、記念撮影です。
『着せ綿』の主菓子で、不老延寿のご利益がありますように。

お花は宗全籠に木槿、紫式部、水引、吾亦紅、ホトトギスを
香合は桔梗と尾花のしつらえ。
  
お薄器は春秋茶器の秋、
お茶碗は赤膚焼武田明(メイ)さんの白菊、
長板の二つ置きを準備しました。

新暦の9月9日は、菊の蕾は固く葉が生茂るだけで、
夜露も降りません。
とても「菊の節句」とは言えませんが、
御稽古の時だけでも重陽の節句を感じていただけたら
幸せですね。

追記:
和菓子の世界は、季節感を非常に大切にされる故、
「着せ綿」の習俗も、和菓子の中では『着せ綿』として、
今後も長く受け継がれるでしょう。
なお旧暦9月9日は、今年は新暦の10月21日に当たります。

長月の玄関は蛇笏の句で

2015-09-08 07:00:06 | しつらえ
秋雨前線が居座っており、夏が終わってしまいました。
夕暮れ時、近くの平城京跡を車で通ると、
ツバメたちが群れを成して飛んでおり、
もうそろそろ、南への渡りが始まるのでしょうか。  
玄関に”秋燕”の句を掛けてみました。
クリックして拡大
飯田蛇笏       深田 妙 書 
『高波に かくるヽ秋の つばめかな』 

2個の台風がこの週末、日本に接近と上陸が予想されており、
高波にもかかわらず、一羽一羽で南へと旅立つのでしょう。
  
このほかの、秋燕の句を紹介します。   
『落日の なかを燕の 帰るかな』 蕪村「夜半叟句集」
『乙鳥は 妻子揃うて 帰るなり』 一茶「九番日記」
『秋燕に 映えつつ朝は まだ見えず』中村草田男
秋のもの悲しさが、漂っております。

燕返しではありませんが、
九月をどうして『長月』と呼ぶのでしょうか。
ここ朝晩は、めっきり遅くなりってきており、
夜がだんだん長くなる意味の「夜長月」の略称(奥義抄
とされたという説が一般的ですね。

付記:
また別名「菊月」ともいわれ、特に明日の九月九日
「菊の節句」や「重陽の節句」で佳日とされます。
日本独自の風習として、古くは
菊の花を浮かべた「菊酒」を飲まれたり、
菊の着せ綿(被綿)をされていたそうですが、
今では和菓子の名前に、「着せ綿」が残っております。
なおこの「九日」が「くにち」そして「くんち」へと変化し、
九州北部の「長崎くんち」「唐津くんち」「博多おくんち」
などの秋祭りとして受けつがれているそうです。
但し、開催日は旧暦に戻り10月になっており、
長崎くんちが10月7日~10月9日
唐津くんちは10月9日は初くんち、
      11月2日~11月4日が曳山巡行です。
唐津焼の見学を兼ね、「くんち」の時期に再訪したいものです。

文楽劇場で『棒しばり』を

2015-09-07 06:52:41 | 散策
久しぶりに観劇に行かせていただきました。
というのも、友達から国立文楽劇場である
前進座9月特別公演の観劇券をいただいたからです。

今にも雨が降り出しそうな中、大阪日本橋に到着。
やはり、日本橋界隈は外国からの方が目立っておりますが、
文楽劇場あたりは、ひっそり
文楽が懸かっているときと同じ雰囲気です。

中に入ると、やや年配の方が多いですが、
若い方もちらほら、お見えに。

棒しばり』は狂言の曲名で
盗み酒が出来ぬようにされた二人が、酔うほどに
明るく愉快な舞踊を繰り広げられます。特に
左手から扇子を放り投げ、上手に右で掴められた時は
会場が拍手で鳴り響いておりました。
この演目は京都南座や狂言でも拝見しておりますが、
私には11年前に、亡き勘三郎さんが、勘九郎時代に
坂東三津五郎(故)さんとの「棒しばり」で大笑いした思い出があります。
やはり、お二人の棒しばり以上のものは・・・・

そういえば、お茶に関してですが、
狂言の演目で、有名な『茶壺』がありますね。
最後の結末は、本当にアッと驚きます。
歌舞伎では、『伽羅先代萩』の茶飯釜でしょうか。
この演目は江戸時代の浄瑠璃からとられており、
この話の頃には既に茶飯釜があり、
部屋の中に台子茶道具を据えてあったことも
わかるのですね。

最後に、がんばれ、”文楽”ということで、ご紹介を。
錦秋文楽公演が10月31日~11月23日の予定で
演目は、
午前:碁太平記白石噺(ごたいへいきしらいしばなし)
   田植の段/浅草雷門の段/新吉原揚屋の段

   桜鍔恨鮫鞘(さくらつばうらみのさめざや)
   鰻谷の段

   団子売(だんごうり)

午後 玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)
   清水寺の段/道春館の段/神泉苑の段/
   廊下の段/訴訟の段/祈りの段/化粧殺生石

字幕表示もありますので、ご興味のある方は
是非お出かけを。

追記:
終演後、先日雨で行けなかった
つるとんたん”宗右衛門町店にて
遅い昼食となりました。
美味しいけれど、
もう少し薄味が私にはあっているかも、
ごちそうさまでした。

月山は雨、湯殿山の秋はまだ

2015-09-06 17:29:35 | 旅行
先日の山形への旅行の目的の一つは月山でした。
夏の終わりですが、もう秋雨前線が懸かっており
月山は厚い雲の中、あきらめ
峠を下りかけると、雲間からの日差しが
湯殿山なら低いのでと、ハンドルを向けました。
 
出羽三山は江戸時代、”西の伊勢参り、東の奥参り”として
庶民からの信仰の対象で、
特にこの湯殿山は再生の山とされております。
有料道路の終点で、大きな赤い鳥居が現れました。
  
大きな鳥居は、奈良の三輪明神や
熊野本宮大社の大斎原でお参りさせて頂きましたが、
唖然、そのもの
導かれるままに、バス道に足が向いておりました。
歩いて登って、20分で奥社へ参ります。
湯殿山神社のある付近の秋は、まだまだでした。
楓の一部に紅葉?がみられ、
ナナカマドの実も赤く色づきますが、
葉はまだ青いままでした。
これから、あっという間に秋になるのです。
 
「残雪に 大幣の舞ふ 湯殿山」盤水   
ここから先は、写真撮影禁止、
神聖なお山で、俗世とは切り離された神域ですからね。 
参拝に際しても、「語るなかれ、聞くなかれ」といわれ、
かの松尾芭蕉も、
「語られぬ湯殿にぬらす袂かな 」と詠んでおられます。

参拝を終え、なんともいえぬ清々しい気持ちを頂きました。

バス道を下る(10分)途中のお花を紹介します。
 
ヤマアジサイ、  フジバカマ
   
ミヤマアキノキリンソウ、ネジバナ、キンミズヒキ
アザミもまだ咲いており、また幼虫も、
山の秋はすぐそこ、
早く蛹になって羽化しないと。
 

帰り果物の町・寒河江(さがえ)で秋の果物を買い求め、
果物袋だけを手に持って、大事に飛行機内へ

桃(おどろき)、洋梨(オーロラ)、林檎(つがる)
売り場のコピーに、なんと
この桃は堅く、これ以上は柔らかくならず、糖度も低いです。と

食べるのが、楽しみですね。

庭の秋を探して、長緒茶入でお稽古を

2015-09-05 09:21:03 | お稽古
のんびりと朝餉をしておりました。
前日は京都にて巻紙(茶の湯の手紙)の特別講習後にヨガ、
家にたどり着いたのは午後9時半、
講習会では多岐に亘る先生のお話に今回も”目からうろこ”。


昨日の講習会を思い返しておりますと、突然の電話です。
「今日御稽古できますか」
すみません メールを見てなくて
10時にお稽古に、来られます。
あわてて庭に出て、お花を、
虫しぐれの中、
ムラサキシキブが色づき始め、
萩が風に揺れ、吾亦紅がふらふら
ホトトギスは凛と立ち、
まだまだ槿も負けてはおりませんが、
今日は玄関に萩を入れてみました。

珍しいトンボが、止まっております。
アオイトトンボだそうです。
そういえば香合も蜻蛉でした。
 
秋の足音が聞こえておりますね。
 
昨日いただいた蕾の芙蓉が、
一晩で咲き切り写真のとおりです。
どうぞ御稽古の間萎まないように。
今日は長緒茶入の点前をさせていただきましょう。
長緒でのお濃茶は始めての方です。
お一人なので、じっくりできますよ。 
お薄器は、重陽の節句がもうそこなので
高台寺蒔絵棗としました。
お茶杓の銘が楽しみです。
  
主菓子は、いただき物が冷蔵庫に
花仙堂(奈良)の「悠水」です
栗と大納言小豆を葛でくるんだものです。
 
栗で秋を感じていただきましょう。
茶を掃き、炭を置いて、釡を掛け、
さあ、水を撒いていつでもどうぞ。

酒田で夜桜棗に出会い うっとり

2015-09-04 09:15:53 | 日記
『棗』が千家のお茶の代名詞とされ、
歴代家元がさまざまな好みの棗を生み出されております。
酒田の本間美術館で開催中「すごいぞ!日本の美術」展
へ伺った折、薄暗い中にスポット照明で照らされた
ある棗のハッとする美しさに、見とれてしまいました。
『夜桜棗』です。(淡交別冊 棗より)
 クリックして拡大を
江戸時代宗哲造とありました。
小庵好みの薄茶器の一種で、
一見すると、黒塗りの棗にしか見えませんが、
黒漆で桜の花弁を描き、さらに黒漆がかけられることで、
灯のかげに透かして眺めると、ようやく
夜目にも黒く桜の花が浮かび上がることから
『夜桜棗』と呼ばれております。
二代・小庵宗淳(しょうあんそうじゅん・1546~1614)は
利休形や、利休の茶のあり方を守り、
利休居士の継承を第一とすることで、
利休から伝えられたものを多く用い、
またその好みも利休に範を置くものが殆どだそうです。
その中で小庵の独自性を、強く表したものが
「夜桜棗」という事です。
小庵の人間性を私に語りかけるこの棗
はるばる酒田へ来てよかった。
本間美術館に足をのばしてよかった。
芭蕉の句に
さまざまのこと思ひ出すさくらかな
出会いに感謝いたします。

藤沢周平の町のアル・ケッチァーノにて山形イタリアンを食す

2015-09-03 18:55:20 | グルメ
先日山形県鶴岡市を訪れております。
庄内地方の街で、作家、藤沢周平さんや、
近年は映画のロケ地として有名ですが、
関西からですと、どうしてもアクセスが・・・
仙台空港からの眺めは、復興途上の感があり、
4年半前の大惨事に、手を合わせるのみです。
ほとんどが高速道で、2時間弱で到着し、
この旅のかくれた楽しみ、『アル・ケッチァーノ』へ

山形イタリアンの雄、奥田政行シェフのお店です。
庄内地方の食材にこだわっておられ、
壁メニューにはマタギ、熊、鹿、山鳥、鴨、雉や生産者名等が、
今日は5皿のAコースをランチで頂きました。
ワインも味わってみたいのですが、車のためNG

別料理で、岩ガキのモロヘイヤソースを
私は、そのままが好きですが、これも良いかも
前菜:イナダにセロリ、イタリアンパセリ
*関東でイナダ、関西ではハマチ、北陸ではフクラギ
出世魚ブリの前に前で40~60cmですね。
日本は面白い、次に何が来るのかな
旬のスープ:だだっ茶豆と海藻(イギス
自家製のホカッチャが運ばれてきました。
このあたりで席はすべて埋まっており、
さすが、有名店ですね。
今年はミラノ万博・日本館の料理にも関わっておられ
ますます、予約がとりにくくなるのではないでしょうか。
稚鮎に茄子
稚鮎の苦みが茄子に移り、茄子田楽風です。
庄内浜のアクアパッチャ
庄内豚のグリル
トマトのパスタ
パスタ:外内鳥きゅうりと鯛のペペロンチーノ
イタリアンドルチェ
美味しくいただきました。
お料理はソースではなく、基本は塩、胡椒での味付けで、
薄味で、関西人には良いと思われますが、
食材に、塩、胡椒とオイルだけの料理だとの批評もあり、
さらに「星野や」にもお店を出されたらしく、
今後の奥田シェフの動向に目が離せません。

さあ数時間でお腹を空かせなくては。

追記:
知らずに旅館で買って帰ったお塩を見ると
おいしい理由はお塩だったのでしょう。

奥田シェフは写真左側”山ぶどう原液の塩”の監修者
そして日本ソルトコーディネーター協会顧問
納得ですね。
山ブドウの塩、いい色でしょう。
いろいろ料理に使え、楽しみが増しました。


出羽三山神社に茶筅供養碑が

2015-09-02 20:01:02 | 旅行

出羽三山神社にお参りさせていただきました。
  
赤い一の鳥居では、車の中から手を合わせます。
随神門(ずいしんもん)をくぐると、神聖な雰囲気が
500年以上の杉に囲まれた急な石段の参道を下ります。
    
祓川(昔はお参りの方は身を清めます)を渡り、
須賀の瀧からの石段を上りますと、ハ、ハ、ハ、
五分ほどで爺杉(樹齢1000年)に至ります。すぐ側に
   
国宝五重塔、スギ林に囲まれ、室生寺と同じ雰囲気が、
しかも、風雪による枯れた感じがまた良いですね。
是非訪れる価値がありますよ。
ここから頂上まで2446段の石段で、40分以上かかり、
この足では・・・車に戻り、頂上の三神合祭殿へ。
  
神社なのに、鐘楼に目が行きます。
明治以前の神仏習合の証だそうで、それも萱葺。
さらに三神合祭殿は萱葺の建造物としては日本最大、
葦の厚さが、信仰の深さの証なのでしょう。
月山・羽黒山・湯殿山の神々が祀られておられ、
それは月山や湯殿山が冬季は雪でのため、
三山の祭典はすべてここで執り行われます。
ここを参拝すれば三山を巡ったことにもなるのです。

鏡池を回って、ちょっと探し物、
茶道祖・千利休居士の霊を鎮める供養塚が見当たりません。
なぜここに、供養塚と思われませんか。
・・・・・
この塚の前にて毎年6月の15日に、使い古した茶筅を
お焚き上げする茶筅供養祭が、
流派を超え執り行われています。
帰って調べますと、霊祭殿のそばでした。
荘内日報より
追記:
三山のそれぞれの山は、
羽黒山が現世(正観世音菩薩=観音浄土=現在)、
月山が前世(阿弥陀如来=阿弥陀浄土=来世)、
湯殿山が来世(大日如来=寂光浄土=未来)という
三世の浄土を表すとされます。
羽黒山から入り、月山で死とよみがえりの修行を行い、
湯殿山で再生する巡礼が多く行われ、
生まれ変わり(死と再生)の意味をもった
三関三渡(さんかんさんど)」の旅とされております。

山寺ではもう新蕎麦の幟が

2015-09-01 20:11:06 | 旅行
今日は雑節の二百十日、雨で憂鬱そのもの、
先日の旅行を思い出してみました。

40年ぶりの再訪で、山寺は正式には立石寺といいます。
石段を上り、根本中堂へ。
 
雰囲気は、本当に昔のまま、
本堂の前の大黒さんは皆様にさすられて
つやつや。
私もここが痛いので、さわらせていただきお願いを。
この堂は御山全体の寺院の本堂に当たり、
不滅の法灯がともり続けており、その灯からの種火より
ローソクをともさせていただきました。
そして内陣の薬師如来様に参らせていただき、
「不滅の法灯」を杯灯
比叡山延暦寺から分灯されており、信長の焼き討ちで、
灯が途絶えたおり、立石寺から灯がお戻りになられたそうで。
関西のお寺と違い、風雨の激しさからか、
またはヒノキ材ではなく、ブナ材を使用されているためか、
素朴さの中に荘厳さが醸し出されておりました。
根本中堂を辞すと、突然の蝉の鳴き声
やや低くジージーと、アブラゼミかな。
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
芭蕉さんが、訪れられたのは、西暦1689年7月13日で、
ニイニイゼミだといわれております。
茶店で、玉こんにゃくを頂き、奥ノ院へと向いますが、

入山料と雨が、・・・お腹もすいており断念。
来る途中、そばの花が咲いていたのを思い出し、

新そばの幟にさそわれ、探すもどれもこれも
もうひとつ、駅前のお蕎麦屋さん「焔蔵」へ
 
十割天板そばを、そば粉は最上地方の「最上早生」で、
まだ花が咲いたばかり。新ソバは、まだでしたが、
香りが高く、独特のコシを味わいました。

まだまだ芋煮会は早いですが、名物の芋煮もついでに、
里芋、牛蒡、ネギなどが入り、すき焼き風でした。
さすがに、もうこれ以上は。

車中、道端の「つがる」二個、百円に誘われ、
もはや、食欲の秋そのもの、旅はいいですね。

なお芭蕉はそばの句を”奥の細道”で作句されておられないが、
こんな句を詠まれております。
「蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな」
芭蕉を訪ね伊賀まで来てくれた弟子を、
蕎麦切りでもてなすことのできない心情が表され、
蕎麦は旬だけの食べ物であったのですね。