今日は雑節の二百十日、雨で憂鬱そのもの、
先日の旅行を思い出してみました。
40年ぶりの再訪で、山寺は正式には立石寺といいます。
石段を上り、根本中堂へ。
雰囲気は、本当に昔のまま、
本堂の前の大黒さんは皆様にさすられて
つやつや。
私もここが痛いので、さわらせていただきお願いを。
この堂は御山全体の寺院の本堂に当たり、
不滅の法灯がともり続けており、その灯からの種火より
ローソクをともさせていただきました。
そして内陣の薬師如来様に参らせていただき、
「不滅の法灯」を杯灯
比叡山延暦寺から分灯されており、信長の焼き討ちで、
灯が途絶えたおり、立石寺から灯がお戻りになられたそうで。
関西のお寺と違い、風雨の激しさからか、
またはヒノキ材ではなく、ブナ材を使用されているためか、
素朴さの中に荘厳さが醸し出されておりました。
根本中堂を辞すと、突然の蝉の鳴き声
やや低くジージーと、アブラゼミかな。
「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」
芭蕉さんが、訪れられたのは、西暦1689年7月13日で、
ニイニイゼミだといわれております。
茶店で、玉こんにゃくを頂き、奥ノ院へと向いますが、
入山料と雨が、・・・お腹もすいており断念。
来る途中、そばの花が咲いていたのを思い出し、
新そばの幟にさそわれ、探すもどれもこれも
もうひとつ、駅前のお蕎麦屋さん「焔蔵」へ
十割天板そばを、そば粉は最上地方の「最上早生」で、
まだ花が咲いたばかり。新ソバは、まだでしたが、
香りが高く、独特のコシを味わいました。
まだまだ芋煮会は早いですが、名物の芋煮もついでに、
里芋、牛蒡、ネギなどが入り、すき焼き風でした。
さすがに、もうこれ以上は。
車中、道端の「つがる」二個、百円に誘われ、
もはや、食欲の秋そのもの、旅はいいですね。
なお芭蕉はそばの句を”奥の細道”で作句されておられないが、
こんな句を詠まれております。
「蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな」
芭蕉を訪ね伊賀まで来てくれた弟子を、
蕎麦切りでもてなすことのできない心情が表され、
蕎麦は旬だけの食べ物であったのですね。
先日の旅行を思い出してみました。
40年ぶりの再訪で、山寺は正式には立石寺といいます。
石段を上り、根本中堂へ。
雰囲気は、本当に昔のまま、
本堂の前の大黒さんは皆様にさすられて
つやつや。
私もここが痛いので、さわらせていただきお願いを。
この堂は御山全体の寺院の本堂に当たり、
不滅の法灯がともり続けており、その灯からの種火より
ローソクをともさせていただきました。
そして内陣の薬師如来様に参らせていただき、
「不滅の法灯」を杯灯
比叡山延暦寺から分灯されており、信長の焼き討ちで、
灯が途絶えたおり、立石寺から灯がお戻りになられたそうで。
関西のお寺と違い、風雨の激しさからか、
またはヒノキ材ではなく、ブナ材を使用されているためか、
素朴さの中に荘厳さが醸し出されておりました。
根本中堂を辞すと、突然の蝉の鳴き声
やや低くジージーと、アブラゼミかな。
「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」
芭蕉さんが、訪れられたのは、西暦1689年7月13日で、
ニイニイゼミだといわれております。
茶店で、玉こんにゃくを頂き、奥ノ院へと向いますが、
入山料と雨が、・・・お腹もすいており断念。
来る途中、そばの花が咲いていたのを思い出し、
新そばの幟にさそわれ、探すもどれもこれも
もうひとつ、駅前のお蕎麦屋さん「焔蔵」へ
十割天板そばを、そば粉は最上地方の「最上早生」で、
まだ花が咲いたばかり。新ソバは、まだでしたが、
香りが高く、独特のコシを味わいました。
まだまだ芋煮会は早いですが、名物の芋煮もついでに、
里芋、牛蒡、ネギなどが入り、すき焼き風でした。
さすがに、もうこれ以上は。
車中、道端の「つがる」二個、百円に誘われ、
もはや、食欲の秋そのもの、旅はいいですね。
なお芭蕉はそばの句を”奥の細道”で作句されておられないが、
こんな句を詠まれております。
「蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな」
芭蕉を訪ね伊賀まで来てくれた弟子を、
蕎麦切りでもてなすことのできない心情が表され、
蕎麦は旬だけの食べ物であったのですね。