『棗』が千家のお茶の代名詞とされ、
歴代家元がさまざまな好みの棗を生み出されております。
酒田の本間美術館で開催中「すごいぞ!日本の美術」展
へ伺った折、薄暗い中にスポット照明で照らされた
ある棗のハッとする美しさに、見とれてしまいました。
『夜桜棗』です。(淡交別冊 棗より)
クリックして拡大を
江戸時代宗哲造とありました。
小庵好みの薄茶器の一種で、
一見すると、黒塗りの棗にしか見えませんが、
黒漆で桜の花弁を描き、さらに黒漆がかけられることで、
灯のかげに透かして眺めると、ようやく
夜目にも黒く桜の花が浮かび上がることから
『夜桜棗』と呼ばれております。
二代・小庵宗淳(しょうあんそうじゅん・1546~1614)は
利休形や、利休の茶のあり方を守り、
利休居士の継承を第一とすることで、
利休から伝えられたものを多く用い、
またその好みも利休に範を置くものが殆どだそうです。
その中で小庵の独自性を、強く表したものが
「夜桜棗」という事です。
小庵の人間性を私に語りかけるこの棗
はるばる酒田へ来てよかった。
本間美術館に足をのばしてよかった。
芭蕉の句に
「さまざまのこと思ひ出すさくらかな 」
出会いに感謝いたします。
歴代家元がさまざまな好みの棗を生み出されております。
酒田の本間美術館で開催中「すごいぞ!日本の美術」展
へ伺った折、薄暗い中にスポット照明で照らされた
ある棗のハッとする美しさに、見とれてしまいました。
『夜桜棗』です。(淡交別冊 棗より)
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江戸時代宗哲造とありました。
小庵好みの薄茶器の一種で、
一見すると、黒塗りの棗にしか見えませんが、
黒漆で桜の花弁を描き、さらに黒漆がかけられることで、
灯のかげに透かして眺めると、ようやく
夜目にも黒く桜の花が浮かび上がることから
『夜桜棗』と呼ばれております。
二代・小庵宗淳(しょうあんそうじゅん・1546~1614)は
利休形や、利休の茶のあり方を守り、
利休居士の継承を第一とすることで、
利休から伝えられたものを多く用い、
またその好みも利休に範を置くものが殆どだそうです。
その中で小庵の独自性を、強く表したものが
「夜桜棗」という事です。
小庵の人間性を私に語りかけるこの棗
はるばる酒田へ来てよかった。
本間美術館に足をのばしてよかった。
芭蕉の句に
「さまざまのこと思ひ出すさくらかな 」
出会いに感謝いたします。