珍しく・・いいお天気 富士山がきれいだ
国宝茶室『如庵』跡
如庵の遷移と歴史
作動大興の祖である利休門下の小田有楽斉の創案の成るところの、茶室『如庵』は、元和四年(1618年)に京都、建仁寺塔頭(たっちゅう)正伝院に建造される。その後、明治四十二年(1909年)東京の三井邸内に移され、昭和十一年(1936年)国宝建造物の指定を受け、戦火を逃れるため、昭和13年に三井別邸城山荘(現大磯城山公園)に移築された。その時、菩提所大和松山徳源寺より唐門を、また旧正伝院書院を移築することにより、元和四年の頃の『如庵』が復元された。その後、昭和二十五年の法律改正により昭和二十六年改めて国宝指定された。そして、昭和四十五年、犬山市有楽園に移築され、現在に至っている。当時の『如庵』は、大磯町郷土資料館北側のこの場所にあって、寄付(松声寮)、書院(旧正伝院)、如庵、露地(茶室に付属した庭)から構成されていた。 (案内板より)
明治4年に取扱いが開始された郵便事業は長い間市民生活の中で共に歩んでおります。
この1号丸型ポストは昭和25年から60年まで活躍し、愛されてきたものです。
最近の郵便物の大型化、取扱量の増大につれて差し入れ口、容量の大きい角型ポストにその役割を譲って引退することが多くなりました。
ここに記念の意味を込めてこの郷土資料館に保存することになったものです (案内板より)
新緑がいいですね~
内門(兜門)
サンフランシスコ講和条約を記念して建てられた門で、別名「講和条約門」とも言われています。また、軒先に曲線状の切り欠きがあり、兜の形に似ていることから「兜門」とも呼ばれます。
屋根には、「檜皮葺(ひわだぶき)」という薄いヒノキの皮を重ねた伝統的技法が用いられてます。
昭和29年に完成しましたが、老朽化が著しかったため、公園整備に合わせ、屋根の葺き替えなどの修復工事を行いました。 (案内板より)
池泉式庭園
平成21年3月 吉田茂邸は焼失してしまったそうです。平成26年以降に再建するそうです。
その頃にまた来れるといいね。
さて そば処 松涛庵 に向かいます。おそばが美味しいんです。