細沼園のお茶飲み話

お茶の時間のひとときに、思いつくまま書きました。

双柿舎(坪内逍遥 旧居)

2013-04-07 11:17:19 | 散歩・旅  静岡県

 中門  

双柿舎の命名のもととなった木 

双柿舎は坪内逍遥の別荘として建てられました。すべて逍遥自身の設計です。

本館 

池の中のかっぱ  

 逍遥書屋 

風見鶏はかわせみ    

楽焼窯風の焼却炉

福之湯の碑  

東館

 

 双柿舎は坪内逍遥(つぼうち しょうよう)の別荘として建てられました。逍遥は、早稲田大学の創立の功労者、文学部の開設者であると共に、明治・大正・昭和の三代にわたる、文豪・劇壇の偉大な開拓者であり指導者でもありました。

 文学では「小説神髄」「当世書生気質」を著わして、わが国の近代小説の端緒をつくり、演劇では「桐一葉」「沓手鳥孤城落月」等をもって歌舞伎に新風を吹き込み、あるいはシェークスピアに傾倒して、その全訳『シェークスピヤ全集』四十巻を完成しました。

 逍遥は早くから熱海の風土を好み、明治44(1911)年には荒宿の地に小さな別荘を営みました。しかし熱海町の発展につれ、そのあたりは繁華な街となったため静けさを求めて、大正9(1920)年に山の手の水口村(水口町)に居を移しました。この地は、後ろに四季折々その趣をかえる山々を背負い、眼下には熱海の海と市街が広がる景勝の地でした。敷地には、二百余年を経たかと思われる二本の老柿があり、逍遥はこれに因んで「雙柿舎(そうししゃ)」と命名し、以来ほとんどここに起き伏して著述や研究につとめ、ここで生涯を終えました。

 双柿舎はすべて逍遥自身の設計です。建物はもちろんのこと、庭のたたずまい、泉石の配置、一木一草に至るまで、逍遥の細心の注意が行き届いており、さながら一つの創作作品を見るようです。逍遥書屋は昭和3(1928)年に建てられましたが、これも逍遥の苦心の作で、和漢洋を折衷した特異な景観をもち、塔上には、シェークスピアの句から思いついた鋳金の翡翠(かわせみ)の風見が掲げられています。    (パンフレットより)


凌寒荘(佐々木信綱 旧居)

2013-04-06 15:50:29 | 散歩・旅  静岡県

たくさんの鳥がとまっているので、おもわず撮ってしまいました。

 

こちらも傾いている木が気になって

国文学者、万葉集研究の歌人として活躍した佐々木信綱は、昭和19年、72歳のとき肺炎を患い病後の静養地として、冬の寒さの余り厳しくない熱海に転居してきた。「凌寒荘」の名は友人の徳富蘇峰が中国の名文章家、王安石の詩の一節をとって名付けた。

   

6歳の時から父の指導で万葉集、山家集を暗誦し作歌を始め、27歳のとき万葉歌風の「心の華」を発刊する一方、多くの優れた門人を輩出した。明治36年、32歳で処女歌集「思草」を出している。

願はくはわれ春風に身をなして憂ある人の門をとはばや(歌集「思草」より)

  

大正元年、第二歌集「新月」を刊行する。

ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲(歌集「新月」より)

昭和23年、妻雪子に先立たれた悲しみは、歌集「山と水と」に次のように歌われている。
呼べど呼べど遠山彦のかそかなる声はこたへて人かへりこず
昭和38年12月2日この地で永眠された(享年92歳)

 

 

潤雪庵(谷崎潤一郎 旧居)

外観のみ

谷崎潤一郎は家族の避寒地として西山の別荘を購入し昭和17年よりこの自宅で「細雪」の執筆に専念した。翌18年に中央公論に第一回を発表し、第二回を発表すると陸軍省報道部から、この作品は時局にあわぬという理由で掲載禁止となった。しかし谷崎はそれに屈せず友人からの援助を受けて「細雪」を書き続け昭和19年に上巻200部を私版として発行した。これも警察にみつかり始末書を書かされる事になった。この頃時局も緊迫して家族も熱海に疎開してきたが収入がなくなり生活は困窮していた。

  近くの小学校の校舎の壁。


雨が降ってきちゃった・・ 伊豆山神社

2012-11-20 18:16:59 | 散歩・旅  静岡県

 伊豆山神社に向かう時に見かけたピンクの車。

どんな人が乗っているのかなぁって。ぺーさん、パー子さんだったりして

 

伊豆山神社に着きましたがぽつぽつと雨が降ってきました。

 

 祖霊社

 文化財  木造役行者倚像

 赤龍は火、白龍は水の力を掌(つかさど)り、二龍の力を合わせて温泉を生み出すという最強の守護神だそうです。

どんどん雨が降ってきてしまったので、837段ある階段を下りることをあきらめました。

雨で途中で帰ることが多いんです。

ずーーーっと前からですが 雨男 と言われています。

 

夜の天気予報で強風、強雨注意報が出ていました。

あんまり歩いていないけれど、ビールとおでんが美味しかった。

 

 


起雲閣

2012-02-17 19:05:24 | 散歩・旅  静岡県

大正・昭和の浪漫あふれる名邸《起雲閣》へ行ってきました。

1919(大正8)年別荘として築かれ、非公開の岩崎別荘、今はなき住友別荘とならび、『熱海の三大別荘』と賞賛された名邸が基となる《起雲閣》。1947年に旅館として生まれ変わり、熱海を代表する宿として数多くの宿泊客を迎え、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、船橋聖一、武田泰淳など、日本を代表する文豪たちにも愛されてきました。市街地とは思えない緑豊かな庭園。日本家屋の美しさをとどめる本館と離れ。日本、中国、欧州などの装飾、様式を融合させた独特の雰囲気を持つ洋館。優美な気品を醸し出すこれらの施設は、歴史的・文化的遺産として未来に継承されます。

    

    

    

緑豊かな庭園は昭和の時代、“鉄道王”の異名を持つ実業家、根津嘉一郎の手により整えられました。茶人としても知られた根津氏自ら采配を揮い、中央にある巨石は推定約20トン、20人の庭師が2か月近くをかけて運んだといわれています。

ところどころに説明をしてくださる方がいるので、聞けばよかったなと思うことがありました。

この後、重要文化財 旧日向別邸にも行ってきました。

 

 

 

 


久能山東照宮

2012-01-26 14:25:19 | 散歩・旅  静岡県

 

お昼ごはんです。

久能山東照宮

ご幼少の頃からのあらゆる艱難辛苦を払いのけ、遂には天下を統一し征夷大将軍の座に就かれた徳川家康公は、日本史上最も平和な時代を築かれたお方です。晩年を静岡で過ごされた家康公は遺命として久能山に眠ることを家臣に託し、元和2年(1616年)4月17日に神々の世界へと旅立たれました。徳川家康公を祀る全国初の神社、それが久能山東照宮です。当時の最高の技術と芸術をもってして造営された社殿は、平成22年12月に国宝指定されました。      (久能山東照宮のHPより)

    

 

  

  

 

『金のなる木』

  

 

   

 

 

ロープウェイのゴンドラの写真を撮ろうと思ったのですが、雨が降っていてきれいに撮れませんでした。結構派手なゴンドラでした。

  

 えびのかき揚げが美味しかった。

 

 

 

 


熱海梅園もみじまつり

2011-11-23 18:05:05 | 散歩・旅  静岡県

熱海梅園  もみじまつり

12月11日まで開催されているそうです。

 

中山晋平記念館

大正初期から大衆音楽の普及に大きな足跡を残した著名な作曲家 中山晋平 の別荘を移築し、一般公開しているそうです。昭和19年、第二次世界大戦がはげしくなったのを契機に東京都中野区より熱海市に移住し、昭和27年に亡くなるまで移住していました。

檜作りのしっかりした建物です。

 

 

 

 

 

 

トイレ。

まだまだこれからが本番だそうです。