細沼園のお茶飲み話

お茶の時間のひとときに、思いつくまま書きました。

鹿屋から知覧へ

2011-06-21 20:50:56 | 特別攻撃隊戦没者追悼式へ

大隈半島から薩摩半島まで陸路だと時間がかかるんですね。

フェリーで大隅半島から薩摩半島まで。

4月10日 の朝日です。

 知覧の町

道路の左右にたくさんの石燈篭が並んでいます。知覧から飛び立った特攻隊員の方々の慰霊のため建立されたそうです

知覧特攻平和会館

パンフレットより

《世界恒久平和を願いながら》

この知覧特攻平和会館は、大東亜戦争末期(戦後は太平洋戦争ともいう)沖縄戦で、人類史上類のない爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示して当時の真情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与するものです。

 

 知覧は、昭和16年、太刀洗陸軍飛行学校知覧文教所が開校、少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官らが操縦訓練を重ねていましたが戦況が緊迫し険悪となり遂に昭和20年本土最南端の陸軍特攻基地となり、二十歳前後の若い隊員達が満州・日本内地から集結しては、家族・国の将来を思いながら出撃した地です。   

 沖縄戦で特攻戦死された1036名の隊員は、知覧基地を主軸として万世・都城基地から、第8飛行師団は台湾各基地、義烈空挺隊は健軍(熊本)基地から出撃しています。

 この地が特攻隊の出撃基地であったことから、沖縄戦の特攻作戦で戦死された隊員の慰霊に努め、当時の真の姿・遺品・記録を後世に残し、この史実を多くの方に知っていただき、特攻をとうして戦争のむなしさ、平和の大切さ・ありがたさ、命の尊さを訴え、後世に正しく語り継ぎ恒久の平和を祈念することが基地のあった住民の責務であろうと、特攻基地跡の一角に知覧特攻平和会館を建設しました。毎年5月3日の知覧特攻基地戦没者慰霊祭には全国から参拝者が訪れています。                                                                     

零戦も軽量化・コストカットのため、布でできている部分があるという話し・・・

飛行機の胴体の下に250キロ爆弾を搭載し、片道だけの燃料で飛行機ごと敵艦に体当たりするという決死の攻撃隊。

韓国籍、台湾国籍の方々もいる・・・・。

遺書、手紙など遺品をみたり、熊谷達也著『翼に息吹を』、門田隆将著 『蒼海に消ゆ』(アメリカ国籍をもちながら特攻隊員だった)、百田尚樹著『永遠のO』を読んだり・・・やるせなさがつのる。

家族や国のためとあるが、それしか考えられなかった社会だったのではないのだろうか・・・・・。

全国の特攻隊員の数は、海軍が4142名、陸軍が1710名、合わせて5852名だそうです。

赤い急須です。

富屋食堂

西南戦争のときの激しい銃撃戦の弾痕

《仙厳園》      パンフレットより

島津家の長い歴史の重要な舞台に

仙厳園は万治元年(1658年)、19代島津光久が別邸として構えたものであり、その後、歴代の当主らによって受け継がれました。21代島津吉貴は、隠居後仙厳園に居住し、磯奉行を置いて園内の整備に努め、27代島津斉興の時には庭地拡張が行われました。また28代島津斉彬は隣接地に集成館を築くなど、島津家の長い歴史の中でも重要な意味を持つ場所となっています。さらに、明治時代には、29代島津忠義と後の30代島津忠重らがくらしたこともある由緒ある庭園です。

50000㎡にも及ぶ広大な敷地から眺める桜島の美しさは素晴らしく、昭和33年には国の名勝にも指定されました。仙厳園の中心にある磯御殿は明治17年(1884)に大規模な改築が行われ、明治21年から10年間あまり29代島津忠義が本邸として使用しました。

 かりんの花

 

 

 


旧鹿屋航空基地 特別攻撃隊戦没者追悼式へ 

2011-06-20 21:13:20 | 特別攻撃隊戦没者追悼式へ

旧鹿屋航空基地 特別攻撃隊戦没者追悼式(4月9日)へ出席するため平成22年4月8日に鹿児島へ

 

雨でした。

鹿児島空港からはバスで鹿屋市にある鹿屋航空基地史料館へ

一時間以上バスに乗っています。

「旧海軍の史料をを保存し、海上自衛隊員の教育の一助と、平和のために」と海上自衛隊と鹿屋市民有志が建設促進期成会を結成して、昭和47年8月に鹿屋基地内に「史料館」が設置された。

この史料館には、鹿屋基地から飛び立った特攻隊員の遺品・手紙・写真などと太平洋戦争までの旧海軍時代の文献や兵器類など約3500点が収集・展示されている。

この中には、わが国に一枚しか残されていないといわれる、胴体に有人特攻機「桜花」を抱いて基地を離れる一式陸軍攻撃機をはじめ、特攻隊員の宿舎になっていた野里小学校での出撃寸前のスナップ写真など珍しいものが多い。

海軍精神・五省

鹿屋航空基地史料館のHPから

《史料館とは》

鹿屋基地史料館は、旧海軍航空の興亡の軌跡及び戦後の海上自衛隊の歩みとその中で活躍する隊員の姿を伝えることにより、国を守ることの意味を理解してもらうために以下のテーマを元に開設しました。

・海軍を含めた鹿屋基地の歴史、
 施設及び部隊等の変遷に関すること。

・海軍の戦史資料及び海軍航空の資料、
 文献、航空部隊及び基地等に関すること。

・海軍特別攻撃隊に関する資料及び文献に関すること。

・海上自衛隊航空部隊の歴史、装備品等の変遷、
 任務、組織及び活動状況等に関すること。

《史料館の歴史》

鹿屋航空基地は、昭和11年鹿屋海軍航空隊に始まり多くの戦闘に参戦しました。それらに従事し、捧げた尊い命を悼み、多くの歴史を伝えるため、昭和47年新史料館を設立。改めて、旧海軍航空隊の興亡の軌跡と、戦後の海上自衛隊航空部隊の歩みを伝え、国を守ることを、わかりやすく理解していただくため、新史料館を開設しました。



母の兄です。

《桜花》とは

桜花は大日本帝国海軍が太平洋戦争中の昭和19年に開発した特攻兵器である。昭和20年より実戦に投入された。 専門に開発、実用化、量産された航空特攻兵器としては世界唯一の存在である。桜花は、機首部に大型の徹甲爆弾を搭載した小型の航空特攻兵器で、目標付近まで母機で運んで切り離し、その後は搭乗員が誘導して目標に体当たりさせる。

 

一日雨でした。

時間がなくてゆっくり見学できなかったのがとても残念でした。

 

 

4月9日 いい天気になりました。 

慰霊祭の前に《桜花の碑》まで行きました。

 隣は朝日神社です。

神雷特別攻撃隊別盃乃地  桜花の碑

神雷部隊とは昭和20年2月から鹿屋航空基地に司令部を置いた第5航空艦隊所属の第721海軍航空隊、人間爆弾「桜花」の部隊をいい昭和20年3月21日より6月22日までの間特別攻撃隊として出撃し南海の空に散った戦友の霊を祀るために昭和53年3月に第721海軍航空隊の特攻隊員であった小城久作氏が神雷部隊が宿舎にしていた旧野里小学校の跡地に碑を建立したものです。
碑文には当時海軍報道班員として野里村に住み神雷部隊の隊員と親交があった作家山岡荘八氏の撰文が刻まれている。

鹿屋基地は、太平洋戦争の末期、昭和20年2月から特攻作戦の基地として使用され、特攻で沖縄へと鹿屋の地を飛び立ち再び帰ることがなっかた1千余名もの若者の御霊を祀るために昭和33年3月20日鹿屋市今坂町に慰霊碑が建立されました。
塔の高さは11メートル、塔の上には南海の空に向かって飛び立とうとしている翼を広げた平和のシンボル、白鳩がのっています。
塔の銘板には特別攻撃隊戦没者908名の階級氏名、出撃年月日、特別攻撃隊名、出撃者数が刻まれています。

今日もまた

黒潮おどる海洋に

飛びたち行きし 友はかえらず

太平洋戦争中鹿屋航空基地より飛びたち肉弾となって散った 千有余の特攻隊員 御霊よ安かれ 必ずや平和の礎たらん

  

式典次第

1 開式のことば

2 一同拝礼

3 国旗掲揚

4 国歌斉唱

5 追悼飛行

6 式辞

7 追悼のことば

8 献花

9 儀杖隊弔銃

10 式電披露

11 遺書朗読

12 生存者合唱(同期の桜)

13 主催者あいさつ

14 遺族代表謝辞

15 国旗降納

16 一同拝礼

17 閉会のことば

出撃日 

3月11日  菊水部隊  梓特別攻撃隊

3月18日  神風特別攻撃隊 菊水部隊 銀河隊

3月20日  神風特別攻撃隊 菊水部隊 銀河隊

3月21日  神風特別攻撃隊 菊水部隊 銀河隊 ・第一神風桜花特別攻撃隊 神雷部隊 桜花隊・攻撃隊・戦闘隊

4月1日  第二神風桜花特別攻撃隊 神雷部隊 桜花隊・攻撃隊

4月2日  神風特別攻撃隊 神雷部隊 第一建武隊

4月3日  神風特別攻撃隊 神雷部隊 第二建武隊

4月6日  神風特別攻撃隊 神雷部隊 第三建武隊 ・神風特別攻撃隊  第一筑波隊 ・神風特別攻撃隊 七生隊 ・神風特別攻撃 神剣隊

4月7日  神風特別攻撃隊 神雷部隊 第四建武隊

4月11日  神風特別攻撃隊 神雷部隊 第五建武隊

4月12日  第二神風桜花特別攻撃隊 神雷部隊 桜花隊・攻撃隊  ・神風特別攻撃隊 第二七生隊

4月14日  神風特別攻撃隊 神雷部隊 第六建武隊  ・神風特別攻撃隊 第二築波隊 ・第二神剣隊  ・第一昭和隊  ・第四神風桜花特別攻撃隊 神雷部隊 桜花隊・攻撃隊

4月16日  神風特別攻撃隊 神雷部隊 第七建武隊・第八建武隊  ・神風特別攻撃隊 第三築波隊 ・第三七生隊 ・第四七生隊 ・第三神剣隊 ・第四神剣隊 ・第二昭和隊 ・第三昭和隊 ・第四昭和隊  ・第五神風桜花特別攻撃隊 神雷部隊 桜花隊・攻撃隊

4月28日  第六神風桜花特別攻撃隊 桜花隊

4月29日  神風特別攻撃隊 神雷部隊 第9建武隊  ・神風特別攻撃隊 第四築波隊  ・第五七生隊  ・第五昭和隊  

5月4日  神風特別攻撃隊 第五神剣隊  ・第七神風桜花特別攻撃隊 神雷部隊 桜花隊・攻撃隊

5月11日   神風特別攻撃隊 神雷部隊 第10建武隊 ・神風特別攻撃隊 第五築波隊  ・第七七生隊  ・第六神剣隊  ・第六昭和隊  ・第七昭和隊  ・第8神風桜花特別攻撃隊 神雷部隊 桜花隊・攻撃隊

5月14日  神風特別攻撃隊 神雷部隊 第11建武隊  ・第六築波隊  ・第8七生隊  

5月24日  神風特別攻撃隊 菊水部隊 白菊隊

5月25日   神風特別攻撃隊 菊水部隊 白菊隊  ・第9神桜花特別攻撃隊 神雷部隊 桜花隊・攻撃隊

6月21日  神風特別攻撃隊 菊水部隊 第二白菊隊

6月22日  神風特別攻撃隊 第一神雷爆戦隊  ・第10神風桜花特別攻撃隊 神雷部隊 桜花隊・攻撃隊

6月26日  神風特別攻撃隊 菊水部隊 第三白菊隊

 同期の桜 合唱

 同期の桜 

 貴様と俺とは 同期の桜

 同じ航空隊の 庭に咲く

 咲いた花なら 散るのは覚悟

 みごと散りましょ 国のため

 貴様と俺とは 同期の桜

 同じ航空隊の 庭に咲く

 血肉分けたる 仲ではないか

 なぜか気が合うて 忘れられぬ

 貴様と俺とは 同期の桜

 同じ航空隊の 庭に咲く

 あれほど誓った その日も待たず

 なぜに死んだか 散ったのか

 貴様と俺とは 同期の桜

 離れ離れに 散ろうとも

 花の都の 靖国神社

 同じ梢に 咲いて会おうよ