退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#633: イノヴェーションとネセシティー、おまけに動物園で撮った写真

2016-02-24 21:43:39 | アメリカ便り
土曜日、隣人アリッサを誘って“ルート66パーク”、昔はダイオキシンに汚染されたタイムスビーチといわれた町、でウオーキング。
私と同じぐらいテクノロジー音痴と思っていたアリッサが、“フィットビット”をしているではないか。
これってアリッサには程遠いい、健康オタクがするものだと思っていた。
心拍数、どのくらい運動したかとか、私にしてみれば“そんなもん、何だっていいじゃん”と思うことをすべて教えてくれる、人によれば大変便利な、なくてはならないもののようです。
実は、おととし、フィットビットを主人がクリスマスプレゼントとして私にプレゼントしてくれました。
私が絶対に使わないものをプレゼントするなんて、よほどプレゼントのアイディアが浮かばなかったのでしょう。
即、アマゾンに送り返しました。
だからいつも言っているのです。
プレゼントは“お金”にしてって。
これは義理の両親にも言っていることです。
そしたら好きなものが買えるし、送り返す手間も省けるのに。

“必要は発明の母”と言う諺があります。
つまり、必要だから発明がおきる。
心拍数やら、運動距離、燃やしたカロリー、運動が激しかったかやわだったか。
そんなことを知らなくてはいけないと言う必要性が、フォービットの発明につながったのでしょうか。
苦しくなったら、激しすぎた運動をしたことになるし、時計と歩数がわかったら(私は万歩計は持ってますよ、もう使っていませんが)歩いたり走ったりした距離がわかるし。
つまり簡単な算数で計算できるし。
と言うか運動した時間がわかったら、それだけで十分じゃないですか。
ちなみに私は1マイルを15分、2000歩で歩きます。

ところで、運動をする人って“私は今日、このぐらい運動しなくちゃだめなんだ”と思って運動しているんでしょうか。
だから、正確な数字が必要になるのでしょうかね。

私にしてみれば、真なる必要性が伴っていない発明品って、企業にとっての良いカモ育成につながっていると思うし、例えば動いて物を取るのが億劫になった人が使う、例の掴む部分がついた長い棒のようなもので、人間の頭脳も体力も衰えさせる感じがします。

これからの必要性って、発明品が出てきてから考えるようになるのでは、、
つまり、発明と必要性が逆転する。
つまり、“これって、あれに使うことができるのでは、、、”てな感じで。

別にテクノ音痴が開き直ったわけではないですよ。

動物園、ねこ科の写真。











サーバルキャット




これはイヌ科でした