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ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

Googleフォトアルバムに世界の美術館めぐりで見つけた作品を集めました。(NO.1)

2017-01-02 | パソコン

2012年に パソコン教室で教わった Google Art Project はインターネットで世界の美術館めぐりができるので 今でも時々見ています。
現在のサイトは「Google Arts & Culture」で、アドレスはhttps://www.google.com/culturalinstitute/beta/ です。
画家の名称などで 簡単に検索出来ます。 

今までに取り込んで Picasaウェブアルバムに載せておいた画像はGoogleフォトアルバムに移行されました。
今回 Googleフォトアルバムに有名な画家の作品を集めましたので、順次ブログで紹介していきます。

 1回目には 「ルネサンス」 に区分される画家の作品です。 

  *下の画像をクリックすると Googleフォトアルバムにリンクします。

               ボッティチェッリ

          レオナルド・ダ・ヴィンチ 

                ミケランジェロ

 

 

 


                  ラファエロ

                  デューラー

 

 

 

 


Googleフォトアルバムの作成(世界の美術館 中学校で習った名画集)

2016-12-18 | パソコン

世界の美術館めぐりで集めた有名な絵画をGoogleフォトアルバムに載せました。

中学校の美術の授業で習った記憶のある有名な画家の代表的な作品集です。

画家のリストは以下の内容で、年代順になっています。

       

下記の画像をクリックすると Googleフォトアルバムにリンクします。

     

有名な画家とその代表作品を紹介しているサイトがあり、それをSnipping Toolで取り込んで
編集しました。
(※ 画像をクリックすると リンクされた画像になり、さらのクリックすると拡大します。) 

  

  

    

    


世界の美術館めぐり(Google Art Project)関連のブログを振り返ってみました。(海外編)

2016-11-17 | パソコン

2012年に パソコン教室で教わった Google Art Project はインターネットで世界の美術館めぐりができるので 何度もブログに書いてあります。
今までに取り込んで Picasaウェブアルバムに載せておいた画像はGoogleフォトアルバムに移行されました。 今回 Googleフォトのアルバムのアドレスを確認して見直しました。 


Google Art Project 関連のブログは 以下のもので 作成した順です。
    (☆ タイトルを クリックすると ブログに リンクします。) 

  インターネットで世界の美術館めぐりができます。                                       2012-07-07   
 世界の美術館めぐり(Art Project)用に画家のリストを作りました。                 2012-07-23  
 Google Art Project(世界の美術館めぐり)でルーベンスの作品を見ました。   2012-11-13 
 Google Art Project(世界の美術館めぐり)ーイリヤ・レーピン編          2013-02-24  
 Google Art Project(世界の美術館めぐり)でベルサイユ宮殿を見学しました。  2013-03-10 
 Google Art Project(世界の美術館めぐり)ー ニューヨーク近代美術館     2013-03-29  
 Google Art Project(世界の美術館めぐり)が新しくなっています。         2013-07-09  
 Google Art Project(世界の美術館めぐり)から有名な浮世絵を集めました。    2013-09-05  
 Google Art Projectで足立美術館で見た「橋本関雪」の絵を集めました。      2013-10-21 
 Google Art Project(世界の美術館めぐり)からPicasaウェブアルバムを      2014-01-01  
 京都文化博物館で印象派の絵画と映画美術監督の井川氏に出会いました。    2014-04-08  
 Picasaウェブアルバムに美術館の印象派・ポスト印象派の絵画を載せました。  2014-06-11 
 Google アートプロジェクトから浮世絵画家の作品を集めました。        2014-06-24 
Picasaウェブアルバムに登録した美術館めぐりの作品集(海外編)   2014-11-13 
 Picasaウェブアルバムに登録した美術館めぐりの作品集(国内編)   2014-11-30
世界の美術館めぐり(Google Art Project)関連のブログを振り返りました。      2016-02-15  


Googleフォトアルバムに載せた作品は 以下のものです。
  (☆ 作品をクリックすると Googleフォトアルバムに リンクします。) 

   海外編

 ルノワール

 モネ

 マネ

 

 

 

 ピサロ

 ルソー 

 セザンヌ 

 

 

 

 スーラ 

 ゴッホ

 ゴーギャン

 

 

 

 シスレー 

 レンブラント

 ニューヨーク近代美術館

 

 

 

 イリヤ・レーピン

 ベルサイユ宮殿

 ルーベンス

 

 

 

 ミケランジェロ

 レオナルド・ダ・ヴィンチ

 ラファエロ

 

 

 


世界の美術館めぐり(Google Art Project)関連のブログを振り返ってみました。(国内編)

2016-11-16 | パソコン

2012年に パソコン教室で教わった Google Art Project はインターネットで世界の美術館めぐりができるので 何度もブログに書いてあります。
今までに取り込んで Picasaウェブアルバムに載せておいた画像はGoogleフォトアルバム
移行されました。
今回 Googleフォトのアルバムのアドレスを確認して見直しました。 


Google Art Project 関連のブログは 以下のもので 作成した順です。
    (☆ タイトルを クリックすると ブログに リンクします。) 

  インターネットで世界の美術館めぐりができます。                                       2012-07-07   
 世界の美術館めぐり(Art Project)用に画家のリストを作りました。                 2012-07-23  
 Google Art Project(世界の美術館めぐり)でルーベンスの作品を見ました。   2012-11-13 
 Google Art Project(世界の美術館めぐり)ーイリヤ・レーピン編          2013-02-24  
 Google Art Project(世界の美術館めぐり)でベルサイユ宮殿を見学しました。  2013-03-10 
 Google Art Project(世界の美術館めぐり)ー ニューヨーク近代美術館     2013-03-29  
 Google Art Project(世界の美術館めぐり)が新しくなっています。         2013-07-09  
 Google Art Project(世界の美術館めぐり)から有名な浮世絵を集めました。    2013-09-05  
 Google Art Projectで足立美術館で見た「橋本関雪」の絵を集めました。      2013-10-21 
 Google Art Project(世界の美術館めぐり)からPicasaウェブアルバムを      2014-01-01  
 京都文化博物館で印象派の絵画と映画美術監督の井川氏に出会いました。    2014-04-08  
 Picasaウェブアルバムに美術館の印象派・ポスト印象派の絵画を載せました。  2014-06-11 
 Google アートプロジェクトから浮世絵画家の作品を集めました。        2014-06-24 
Picasaウェブアルバムに登録した美術館めぐりの作品集(海外編)   2014-11-13 
 Picasaウェブアルバムに登録した美術館めぐりの作品集(国内編)   2014-11-30
世界の美術館めぐり(Google Art Project)関連のブログを振り返りました。      2016-02-15  


Googleフォトアルバムに載せた作品は 以下のものです。
  (☆ 作品をクリックすると Googleフォトアルバムに リンクします。) 

  国内編

俵屋宗達 

伊藤若

歌川国芳

 

 

 

 歌川広重

 葛飾北斎 

 喜多川歌麿 

 

 

 

 歌川国貞 

 川合玉堂

 日本の絵画

 

 

 

 横山大観

 橋本関雪

 冨岡鉄斎

 

 

 

 菱田春草

 上村松園 

 浮世絵 

 

 

 


世界の美術館めぐり(Google Art Project)関連のブログを振り返ってまとめました。

2016-02-15 | パソコン

2012年に パソコン教室で教わった Google Art Project はインターネットで世界の美術館めぐりができるので
何度もブログに書いてあります。
今回 今までのブログと 取り込んで Picasaウェブアルバムに載せた画像をまとめました。 

Google Art Projectのアドレスは 
https://www.google.com/culturalinstitute/project/art-project?hl=ja  です。


Google Art Projectは、Googleのパートナー・ミュージアムが所有する美術品を、
高画質で鑑賞できるサービスです。
 

プロジェクトは、ロンドンのテート・ギャラリー、ニューヨークのメトロポリタン美術館
フィレンツェの
ウフィツィ美術館など、17のミュージアムとGoogleが協力し、
2011年2月1日に始められました
 

サイト観覧者は、世界中のパートナー・ミュージアムの美術品を鑑賞することができる。 
サービスには、同社のストリートビューも利用されている 

2012年4月3日には、40カ国151のミュージアムの美術品が公開されることが発表された。
現在では、46の美術館の32,000点以上の作品が公開されている。 


Google Art Project 関連のブログは 以下のもので 作成した順です。
☆ クリックすると ブログに リンクします。) 

 

 インターネットで世界の美術館めぐりができます。                                2012-07-07   

 Picasaウェブアルバムに登録した美術館めぐりの作品集(国内編)     2014-11-30 


Picasaウェブアルバムに載せた作品は 以下のものです。
(☆ 作品をクリックすると ブログに リンクします。) 
  

    シスレー             ピサロ            マネ

 

    モネ                 ルノワール

  

  ゴーギャン              ゴッホ            スーラ

 

   セザンヌ              ルソー

 

     ルーベンス                レンブラント

 

      イリヤ・レーピン                   ベルサイユ宮殿


 

     北斎                      広重

  

   歌麿              国貞             國芳

  

    若冲              春草           鉄斎

 

      玉堂                       松園

           宗達

 

         大観                 関雪

 

      日本の絵画                浮世絵                                  


宮崎アニメの予告編をYoutubeから取り込んで Picasaウェブアルバムにまとめました。

2016-02-12 | パソコン

2013-9-15のブログ
宮崎 駿監督の引退会見を機会にスタジオジブリのアニメ作品の予告編を集めてみました。」で
宮崎アニメのベスト10ということを書きましたが、
今回1作目の「ルパン三世」から2013年の「風立ちぬ」までの
15作品をYouTubeから取り込んで、Picasaウェブアルバムに登録しました。

  

★予告編のタイトル 画像をクリックするとPicasaウェブアルバムにリンクします。


  『ルパン三世 カリオストロの城』は、
 モンキー・パンチ原作『ルパン三世』の
 アニメ劇場映画第2作。
 宮崎駿の映画初監督作品。1979年12月15
 日公開。 公開時のキャッチコピーは、
 「前作をしのげないのなら 2作目を作る意味がな
 い」、「巨大な城が動き始める! 影の軍団が襲っ
 てくる!」、「生きては還れぬ謎の古城でついに
 めぐり逢った最強の敵!」

 

   『風の谷のナウシカ』は、1984年3月11日
 公開。 
 宮崎駿監督の長編アニメーション映画第2作。
 『アニメージュ』に連載していた宮崎の同名漫画
 を原作とする。 宮崎自身が監督・脚本を手がけ
 た。高畑勲・鈴木敏夫・久石譲ら、
 のちのスタジオジブリ作品を支えるスタッフが
 顔を揃えている。
 キャッチコピーは「少女の愛が奇跡を呼んだ」

   

  『天空の城ラピュタ』は、スタジオジブリ制作の
 宮崎駿監督の作品。
 1986年8月2日公開。 宮崎にとって、
 原作となる作品が存在しない
 初のアニメオリジナルの監督作品である。
 スタジオジブリ制作映画の1作品目となる。
 次第に高年齢向けになっていくアニメに対して、
 小学生を対象に古典的な冒険活劇として企画さ
 れ、それが結果的に大人の鑑賞に耐えうる作品に
 なるというのが 宮崎の方針であった。

 



    『となりのトトロ』は、スタジオジブリ制作の
 日本の長編アニメーション作品。
  1988年4月6日公開。観客動員数は約80万
 人。 配給収入は5.9億円と『風の谷のナウシカ』
 を大きく下回ったが、キネマ旬報の「日本映画
 ベストテン」第1位などの作品賞を獲得。
 昭和30年代前半の日本を舞台にしたファンタジ
 ー。 田舎へ引っ越してきた草壁一家のサツキ、
 メイ姉妹と、“もののけ”とよばれる不思議な
 生き物「トトロ」との交流を描く。

 

 

   『魔女の宅急便』は、1989年(平成元年)
 公開。
 原作は角野栄子の児童書『魔女の宅急便』
 (第1巻)。
 監督は宮崎駿。 宮崎が監督を務めたスタジオジ
 ブリの長編映画としては
 初の、他者の原作による作品であり、宮崎が
 『ハウルの動く城』の監督に
 就くまで15年間にわたって唯一の作品であった。

 

   『おもひでぽろぽろ』は、岡本螢・刀根夕子の
 漫画および、 それを原作としたスタジオジブリ
 制作の作品。 監督・脚本は高畑勲。
 東京の会社に勤める岡島タエ子は東京生まれの
 東京育ち。 27歳のある日、結婚した姉の縁で、
 姉の夫の親類の家に2度目の居候をしに出かける。
 山形へ向かう夜汽車の中、東京育ちで田舎を
 持つことにあこがれた小学生時代を思い出し、
 山形の風景の中で 小学5年の自分が溢れ出す。

 

   『紅の豚』は、スタジオジブリ制作の作品。
 1992年7月18日公開。監督は宮崎駿。
 前作の『魔女の宅急便』に続いて劇場用アニメ
 映画の興行成績 日本記録を更新した。
 世界大恐慌時のイタリア・アドリア海を舞台に、
 飛行艇を乗り回す 海賊ならぬ空賊と、
 それを相手に賞金稼ぎで生きるブタの姿をした
 退役軍人の操縦士の物語。
 第一次世界大戦後の動乱の時代に生き、
 夢を追い求める男達の生き様を描く。




  『耳をすませば』は、柊あおいの漫画作品、
 それを原作とした 近藤喜文監督、スタジオジブ
 リ製作の作品。読書が大好きな中学1年生の少女、
 月島雫。 雫は愛読書の図書貸し出しカードに
 天沢聖司という名が度々あることに
 気がつき、知らない彼への思いをめぐらす。
 そんなある日、電車の車内で 出会った猫に導か
 れ、地球屋という不思議な店に迷い込む。
 主題歌の「カントリーロード」をムービーメーカ
 ーで追加した。 

   『もののけ姫』は、宮崎駿によるスタジオジブリ
 の作品。 1997年7月12日公開。
 森を侵す人間たちとあらぶる神々との対立を背景
 として、狼に育てられた「もののけ姫」と呼ばれ
 る少女サンとアシタカとの出会いを描く。
 宮崎が構想16年、制作に3年をかけた大作であり、
 興行収入193億円を記録し当時の日本映画の
 興行記録を塗り替えた。
 

 

   『千と千尋の神隠し』は、スタジオジブリの長編
 アニメーション映画。 監督は宮崎駿。2001
 年7月20日公開。興行収入300億円を超えた近年
 稀に見る異例の大ヒット作品である。
 10歳の少女、荻野千尋はごく普通の女の子。
 夏のある日、両親と千尋は引越し先の町に向かう
 途中で森の中に迷い込み、そこで奇妙なトンネル
 を見つける。嫌な予感がした千尋は両親に「帰ろ
 う」と縋るが、両親は好奇心からトンネルの中へ
 と足を進めてしまう。仕方なく後を追いかける千
                          尋。

   『猫の恩返し』は、森田宏幸監督によるスタジオ
 ジブリの映画で2002年に公開。『耳をすませば』
 の主人公である月島雫が書いた物語という 柊あ
 おいが描き下ろしたコミック『バロン 猫の男爵』
 を原作とする。日本国内の興行収入は64.6億円で
 2002年の邦画1位。何となく日常を過ごす、ごく
 普通の女子高生・吉岡ハルは、ある日、トラック
 に轢かれそうになった何かをくわえた猫を助け
 る。助けられた後、その猫は日本語で礼を述べ、
 二足歩行で歩き去る。
実は、彼は猫の国の王子
                          ・ルーンだった。
 

   『ハウルの動く城』は、イギリスの作家の小説
 『魔法使いハウルと火の悪魔』を原作とした。
 2004年11月20日公開。監督は宮崎駿。
 スタジオジブリの宮崎駿監督の長編映画としては
 『魔女の宅急便』以来、15年振りとなる
 他者原作の作品となった。

 

 

   『崖の上のポニョ』は、スタジオジブリ制作、
 宮崎駿監督の長編アニメーション映画。

    2008年7月19日公開。
 宮崎の長編監督作品としては2004年の
『ハウルの動く城』以来4年ぶり、
 原作・脚本・監督のすべてを担当するのは
 2001年公開の
   『千と千尋の神隠し』以来7年ぶりの作品。
 海沿いの街を舞台に、「人間になりたい」と
 願うさかなの子・ポニョと
   5歳の少年・宗介の物語。

 

 

 

  『コクリコ坂から』は、佐山哲郎の原作、高橋千鶴
 の漫画、およびそれを原作とした作品。
 乗った船
 が遭難し、行方不明となった船乗りの父と、仕事
 のためにアメリカに渡った カメラマンの母を持つ
 小松崎海は、母の留守中、小松崎家を懸命に切り
 盛りしていた。 そのころ、海たちが通う港南学園
 では、新聞部部長の風間俊と生徒会長の水沼史郎
 が 起こす騒動によって、生徒と教師が翻弄されて
 いた。こうした一連の騒動を海は冷ややかに
  見つめていたが、制服廃止運動の敗北の責任を
風間が一身に負わされるのを見て、 いつしか海は風間を擁護する声を上げるようになる。
 風間もまたひたむきな海にひかれ、2人は交際を始める。

   『風立ちぬ』は、宮崎駿が『モデルグラフィック
 ス』誌上にて発表した連載漫画であり、
 その後、スタジオジブリによりアニメーション
 映画化された。実在の人物である堀越二郎をモデ
 ルに、その半生を描いた作品であるが、
 堀辰雄の小説『風立ちぬ』からの着想も盛り込ま
 れている。そのため映画のポスターには両名の名
 を挙げており、「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込め
 て」と記されている。宮崎の父は、幼いころに
 関東大震災に遭い、その後零式艦上戦闘機や
   月光の風防などを製造する会社の経営に携わり、
 のちに前妻を結核で亡くしている。
 これらをモチーフとすることで、本作の主人公像
が作られていった。   航空技術者として活躍した堀越二郎が、主人公のモデルとなっている。 


さぬき市で人気のうどん店をインターネット調べて画像を編集してみました。

2016-01-29 | パソコン

去年の11月に高松市の屋島の家から 志度の畑に近いさぬき市の造田に移りました。
それまでの昼食は志度の畑に近いうどん店でしたが、造田に移ってからはさぬき市のいろいろな
うどん店に行くようになりました。
今まではセルフのお店が多くて、夕方には営業していないのですが 先日の夜に行ったお店が
良かったので さぬき市のうどん店をインターネットで調べました。 

さぬき市うどんランキングTOP39 (☆クリックするとインターネットのサイトにリンクします。

下の表にあるお店をクリックすると お店のサイトにリンクします。
☆水色太字のお店は良く行くお店です。


 

11位:門家 

12位:手打うどん まるたけ 

13位:たむら 

14位:亀城庵 志度店 

15位:こがね製麺所 志度店 

16位:大山製粉製麺所 

17位:麺喰 

18位:うどん亭いわせ 

19位:おかだ 

20位:松原うどん



21位:根っこ 志度店 

22位:若潮 

23位:いこい食堂 

24位: 

25位:若鮎 

26位:麦わら 

27位:松乃家生麺 

28位:野田屋 

29位:田村屋

30:はなまるうどん 志度店 

31:杉本 

32:嵯峨野 

33:うどん処 花林亭 

34:カメリア温泉 

35:春日温泉 

36:飛猿閣 

37:うどん亭いわせ 

38:はなみずき 

39:木下製麺  

 
  志度の畑作業の時の昼食は
 近くのうどん屋さんが多いで
 す。

 いつも行く店はセルフスタイル
 で
 夕方には閉店になります。
 一番良く行くのは「亀城庵」
 麺も出汁も好みにあい、惣菜
 とトッピングの種類が多くて
 お店も広いです。志度駅近くの
 「牟礼製麺」
和そばも中華そ
 ばもあります。
「根っ子 」は肉
 うどんかカレー
 うどんを食べ
 るときに行きます。
 
 
  

          

「源内」「若鮎」「麺喰」には何度か行きましたが セルフスタイルのお店でなくて作業着で行くのが
気が引けそうです。
讃岐のうどん屋さんには トッピングの具材に加えて「おでん」と「お寿司」などを置いてあります

 
 
  

 造田にある「溜」という
 お店には何度か
行っていま
 す。古い民家を改造して

 広いお店です。
 オープンした頃には

 段取りがわるくて行列でし
 たが
 今は順調に流れて
 います。

 ツインパル長尾へ温泉に行ったときに
 「うどん亭いわさ」で食べ
 た鍋焼きうどん
 は美味しかったです。お店
 の人気メニューのようで
 す。 「春日温泉」では
 うどんを食べなかったので
 すが さぬき市のベスト
 39には入っているので
 今度は何かを食べてみようかと思います。
 みろく温泉の付近には食事処がないのですが 途中に「まるたけ」というお店があって人気が
 あるようです。トッピングに「とり天」があって 「とり天」は ほかの店も出しているようです。 

  

  


香川県(讃岐)の偉人についてのブログをまとめました。

2016-01-17 | パソコン

一昨年の暮れから昨年の初めに 香川県(讃岐)の偉人についてインターネットで調べてブログに書きました。
(タイトルをクリックするとブログにリンクします。)
1回目は2014-12-24のブログ香川県(讃岐)の偉人 「坂出塩田の父」久米通賢
2回目は2014-12-30のブログ香川川県(讃岐)の偉人 「讃岐糖業の父」向山周慶
回目は2015-01-07のブログ川県(讃岐)の偉人 「香川漆芸の父」玉楮象谷
回目は2015-01-29のブログ香川県(讃岐)の偉人 「明治期の政治家」大久保 諶之丞 
回目は2015-02-05のブログ四国鉄道の先覚者・景山甚右衛門さんが多度津の人と知りました。


・香川の偉人-久米通賢(くめ・みちかた)
香川県東かがわ市馬宿 生まれ。
安永9年(1780)-天保12年(1841) 62歳
江戸時代後期の技術者・科学者。
マルチな才能をもった「塩田開発の父」「坂出塩田の父」

船舵職人の子に生まれ、栄左衛門と称した。
子供のころから天文と地理に興味を持ち、手先が器用で粘土細工などが上手で、大阪見物にいったときには時計の修理をして困った人
を助けたという話しが残る。

19歳のとき大坂の間重富の門に入り、4年間、数学・地理・天文・測量を学ぶ。
文化3年(1806)高松藩から領内測量を命ぜられてこれを完成した。
そのときに使われた測量器械には、すべて久米栄左衛門(通賢)の名が入っており、
自らが製作したものであった。

文化5年(1808)に行われた伊能忠敬の四国測量に際して高松藩領の案内を勤めた。
文化6年(1809)には、高松藩「天文測量方」になり、「久米」を名乗るを許された。
海防に関心をもち、たまたま文化4年(1807)のロシア兵の択捉島侵略に 刺戟されて造兵に意を注ぎ全流水軍術に工夫を加え火器を備えた
戦艦の構想をまとめて 「戦船作積之覚」を藩庁に提出した。

また、銃器の改良についても従来の火縄銃に代えて燧石に接した鋼輪の回転によって
発生する連続火花によって点火する方法を考案し、輪燧佩銃・無敵鎗間銃を作った。

さらに天保10年(1839)には雷汞を完成して生火銃と称する雷管銃を 藩主に献上するまでになった。
技術者として通賢が製作したものとして、星眼鏡・地平儀・オクタント
・象限儀・風銃・水揚器・百敵砲などが知られている。

藩の財政の立て直し、測量技術を生かした干拓工事や塩田開発、
砂糖製造業者の保護育成、港の工事などのほか、マッチや精米機の考案なども手がけた。

とくに、わが国最大の製塩地よいわれる坂出塩田は文政9年(1826)
通賢の努力によって開発されたのがはじまりである。


財政難の高松藩に財政立て直しの計画書を提出し、その中心事業が塩田開発であり、藩はこの計画を採用し、通賢は普請奉行(開発責任者)に任じられる
しかし開発費用が藩からの資金では不十分で、通賢は私財を投じ、自分や親戚の財産がなくなるほどの努力で、工事の完成を迎えた。
文政12年に完成した坂出塩田は、高い技術と独自の工夫をこらした「久米式塩田」とも呼べるもので、通賢の名を藩外にも広め、「塩田開発の父」と称された。
私財を使い果たし貧困の中でも技術者として様々な研究を続け、国産マッチの先駆けともいえる「ドントロ付木」などの発明品が今に伝わっている。 

久米通賢生誕地(香川県東かがわ市馬宿) 旧宅は四国村(四国民家博物館)に移築されている。

塩釜神社・香川県坂出市常盤公園内に上記の銅像がある。
鎌田共済会郷土博物館で 通賢の業績や発明品を見ることができる。


久米通賢墓所(香川県東かがわ市馬宿)のそばには紀功碑が建てられ、近辺には「久米通賢通り」という通りがある。


 ・香川の偉人-向山周慶(さきやま・しゅ
  うけい)

 1746年に讃岐国大内郡湊村(香川県東
  かがわ市湊)生まれ

 1819年に74歳で死去。
 讃岐糖業の始祖として白砂糖作りを確立
 し、「讃岐糖業の父」と称される。
 高松藩医・池田玄丈について医術を学ん
 だ。
 その頃、第5代高松藩主・松平頼恭は、
 砂糖生産に注目し、
 玄丈に研究を命じていた。
 16歳で周慶は、玄丈から砂糖精製の研究を託され、
 以後30年間にも及ぶ苦難の歳月を経て、
 1790年はじめて白砂糖の精製に成功
 した。
 1803年白砂糖の製法を確立し、
 大坂で讃岐の和三盆糖として名声を高め
 た。
 左の画像は高松市松島町にある向良神社
 です。
 向山周慶さんと関良助さんから一字ずつとっ
 て、神社の名前がつけられました。
 関良介さんは薩摩の人で、医者の向山周慶
 さんが関良助を助けたことに
 恩義を感じた良助が国禁の砂糖キビの苗を
 持ちだし、周慶のもとへとどけ、
 砂糖きびが讃岐の国に根づいたと伝えられ
 ています。


   向山周慶の記念碑        関良介のお墓
   


 ・香川の偉人-玉楮象谷(たまかじぞうこ
  く)
 高松市に1806年に生まれ、
  明治2年(1869)に64歳で亡くなりました。

 玉楮象谷は、中国の彫漆を模した技法や、
 南方漆器の技法を 独自の技法に消化した
 作風を開拓、象谷塗・讃岐彫とよばれる
 今日の高松漆器の源流をつくりあげ、
 今日特産品として名高い 高松漆工芸の
 基礎を築き
 「香川漆芸の父」と称されます。

 讃岐漆芸は、高松藩の漆彫司 玉楮象谷に
 始まる。
 当時、江戸や京都では蒔絵が主流であった
 が、象谷は父からうけついだ篆刻の技術を
 ふるい、あえて蒔絵によらず、京都の東本
 願寺や大徳寺に伝来していた堆朱、堆黒、
 存清など中国から舶載した 唐物漆器、あ
 るいは茶人の間で珍重された《キンマ手》
 とよばれる南方渡来の藍胎漆器に着目し、
 これらを摸して地方色豊かな漆器を作り出
 した。彫漆(ちょうしつ)、萄醤(きん
 ま)、存清(ぞんせい)の
三技法が その
 特色であり、彫漆は、色漆を厚く塗ね、
 文様を彫り表す技法。 萄醤は、剣と称す
 る彫刻刀で
文様を彫り、その彫り口に色漆
 を埋め、平らに研ぎ出す
 存清は、色漆で文様を描き、輪郭や細部に線彫りを加える手法である。 


 
象谷の最高傑作一角印籠

天保十年(1839)象谷が34歳のときに高松藩9代藩主松平頼恕に献上した印籠は「一角印籠」と呼ばれ、彼の神業的な彫りの技術を現しています。
高さ8.6cm、幅5.5cm、厚さ2.9cmの偏円筒形鞘に、1,086点の彫刻をしてあるのです。
鞘には池に生えた蓮の絵を彫っていますが、中に彫刻してある生物の種類と数は、蓮の葉55枚、
花が30、大湖石2個、池の中や石の上に亀が343匹、かに443匹、蛙41匹、ひきがえる4匹、
葉や茎にかたつむり27匹、とんぼ24匹、蝿9匹、蜂4匹、蝶26匹、玉虫2匹、いなご3匹、
こおろぎ2匹、かまきり4匹、くも18匹、けら2匹、むかで5匹、
かぶと虫1匹、このほかに雀19羽、鷺7羽、ひすい10羽、せきれい2羽、がちょう3羽です。

なんと生物だけで999の多数にのぼり、すべてを合わせると1,086点になります。
このように細かな細工のできる人は、全国でも珍しいはずです。しかも象谷のけし粒ほどの動物たちは、
一つ一つが生き生きとしていて今にも動き出しそうなのです。

この一角印籠は現在重要美術品に認定され、象谷の彫りの技能を代表する作品となっています。
しかし、象谷の真価は、微細な彫刻よりも独特の塗りの技能にあるともいわれます。 

 香川漆器(かがわしっき)は、讃岐漆器あるいは高松漆器とも呼ばれることがある。 
現在では彫漆、蒟醤、存清、後藤塗、象谷塗の5つの技法が国の伝統的工芸品に指定されている。
確立した香川漆芸は彫刻刀や剣による彫りの技術と色漆の使用が特徴であり、
蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、彫漆(ちょうしつ)「香川の3技法」といいます。 

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 ・香川の偉人-大久保 諶之丞(おおくぼ 
  じんのじょう)

 1849に三豊市財田町で 大地主であった
 大久保森冶の三男として生まれる。
 1891(明治24年)、42歳で死去。
 
 1872(明治5年)、財田村吏員、その後郡
 吏員等を
経て、1888年(明治21年)に
 愛媛県会議員、翌年、
香川県が愛媛県から
 分離し香川県会議員となる。 

 私財を投じて道路・橋梁を整備、奨学資金
 の貸付け、
病院建設への資金の寄贈等又、
 讃岐鉄道・北海道移住
などを提唱・実行す
 る。道路開発に情熱を傾け「四国新道開発
 の父
」と称される。

 北海道移住・開拓などにも私財を投じ、
 北海道洞爺湖町では「開拓の父」と称され
 る。

 北海道開拓移民には自ら資金を出し、毎年
 数百人を
 北海道に移住させた。

 左の画像は財田「たからだの里」に建つ
 諶之丞の胸像



 


大久保が育った財田は、阿讃山脈のふもとに位置しています。
隣の徳島県や高知県に行くためには、険しい猪ノ鼻峠を越えていかなければなりませんでした。
大久保は幼い頃から、人々が踏みわけ道程度の曲がりくねった道を苦労して峠越えしている様子を見て
育ちました。

讃岐の発展、四国の発展のためには、人々が容易に往来することができる道をつくることが必要であるとの
大久保の思いはこうして形成されました。

 香川県財田町と北海道洞爺村とのつながりは、明治20年(1887 年)5月10日、洞爺村開拓の父と
慕われる大 久保之丞が心血を注い だ「北海道移民計画」に共鳴し、香川県財田村を中心とする22戸
76 名の一団が 原始の洞爺に移り住んでから約120年、これらの人たちの 努力が実を結び、原始の大地は今は、豊かで美しい土地に姿を変え、人々 はいきいきと暮らしています。 開拓の第一歩が印されて以来、洞爺村には財田町との縁故の人達も数 多く、これらの方々にあっては途切れることなく交際がもたれていまし たが、両町村の組織的な交流は行われていませんでした。
このような状況のなかで昭和49年に財田町から町長と町議一行が 来村され、
「祖先を同じくする縁故を基にして、
今後さらに友好を深め 産業、教育、文化その他の交流を図りながら両町村発展のため、
友愛に よる姉妹町村の盟約を結ぼう」との話がもち上がり、洞爺村議会で「盟 約調印」が決議され、
昭和50年4月1日に姉妹町村盟約の調印を行い、 
財田町と洞爺村の姉妹の契りが結ばれ、
以後30有余年にわたり活発な 交流活動がなされてきました。


 ・香川の偉人-景山甚右衛門(かげやま・じんうえも
  ん)
  安政2年(1855)4月14日-昭和12年(1937)10月18
  日 83歳 
  香川県仲多度郡多度津町の回船問屋に生まれた。
  明治から大正時代の実業家、政治家。
 「讃岐鉄道の父」と称される。 

 19歳で家業を継ぎ、明治23年(1890)に
 讃岐鉄道(現JR四国)を、
 翌年には香川県内最初の多度津銀行を創設。

 また、四国水力電気(現四国電力)の社長を務めた
 ほか、衆院議員としても活躍した。

 20歳のとき上京して見た新橋~横浜間の鉄道に驚愕し、
 香川にも鉄道を開業するという構想を立て、
 丸亀~多度津~琴平に至る讃岐鉄道を設立して、
 開業させた。

 
■讃岐鉄道
横浜で蒸気機関車を見た甚右衛門は、これからは乗客や物資を「速く・大量に・時間通りに」運べる鉄道の時代であることを痛感、讃岐鉄道を興します。
この甚大なプロジェクトの資金を支えたのは、多度津七福神を中心とした多度津の豪商たちでした。
景山甚右衛門は、七福神の一人ではあったものの年若く、資金の面というよりも、
都会からの情報と実務を請け負い、資金あつめにも奔走したようです。
が、なにぶんにも、まだ、海のものとも山のものともわからない「鉄道事業」に対し、
理解をえるためには相当な苦労があったようで、船とか、馬車とか、既存の交通機関からの妨害もありました。

■多度津銀行
明治24年、、甚右衛門は多度津七福神の資金を集め、それを運用して事業を推進するために作られた
「多度津銀行」の頭取となります。多度津銀行は、昭和16年 国の政策により、
百十四銀行と合併されるまで手堅い経営を続けたそうです。


■讃岐土木株式会社
明治30年、当時、田圃が広がるまちだった善通寺に「陸軍第11師団」の建設が決まり
甚右衛門は土木会社を作り、土地造成、建設工事まで一貫してできる組織作りをし
善通寺に西洋建築を作っていくわけですが現場は地元の棟梁たち。
初めてみる西洋建築に、なかなか技術がついていかず、何度も工期延期の届けをだしながらの作業だったとか。

このレンガを使った大規模な西洋建築づくりによって、観音寺にレンガ工場ができさまざまな産業が根付いていきます。

■四国水力電気
エネルギーの供給に対する思いは強く、明治29年、坂出の鎌田勝太郎らと讃岐鉄道沿線に電力供給の申請をしていました。
同じエリアにあった西讃電灯の営業成績がふるわないと見た甚右衛門は、明治40年、自ら社長となって
多度津七福神とともに経営にのりだし、明治43年「四国水力電気」と改名、福沢桃介を社長に迎え

(福沢桃介は、四国電力はもとより、木曽川の水力発電、中部・関西地区での電力事業を展開
「日本の電力王」と呼ばれる)自分は副社長となって辣腕をふるいます。


■屋島登山鉄道株式会社
鉄道-銀行-近代建築-電力と進めていった多度津の甚右衛門が次に考えたのが「高松」。
大正8年、多度津七福神、坂出の鎌田勝太郎、高松の細谷宗次郎たちと
高松に、讃岐鉄道よりも早く、高松からこんぴらに参拝客を運ぶための準備をはじめます。
昭和2年には、屋島登山鉄道株式会社をつくりケーブルカーが走ります。
甚右衛門は、高松市周辺に高速電車(コトデンの前身)とケーブルカーを運行させ、
人々が大きく動き、さぬきが繋がっていくプロジェクトを始動させますが当時の技術では、なかなか実現することは難しかったようです。


お盆休みに3年ぶりの同窓会があり、米寿の先生をお祝いしました。

2015-08-20 | パソコン

8/13(木)にいつもの朝一番の高速バスは満席で、次の7時40分のバスに乗り 
交通渋滞で一時間ほど
遅れて志度に着きました。  
志度の畑は4日ぶりなので、あまり変わっていません。
2日間は斜面のエリアの草をかり、土曜は片づけをして日曜には同窓会に出席した後、
夕方の高速バスで
吹田に戻ってきました。お盆でバスは混んでいて、
渋滞の遅れもありましたが 最後部の座席でよく寝ました。

 8/16(日)には宇多津駅近
 くのホテルで
第3回目の計算尺
 部同窓会がありました。
 6年前に千田先生から集めてく
 れと言われた者が頑張って
 第1回の同窓会を開催して
 くれました。
 3年前の第2回は集まったメン
 バーが少なく、先生も入院中で
 病院までお見舞いに行きまし
 た。
先生は今年で米寿で かな
 り体調も弱っておられましたが
 出席して皆さんと話をして喜ん
 でいただきました。 

生は昨年の秋に「想出」という著作集を出版されています。300頁近い大作で、
多工計算尺のことも書かれています。

前回と前々回の記念写真と、同期で世話役をしてくれている者との写真を編集しました。
幹事が米寿のお祝いのプレートを用意してくれていて、今回も参加者の寄せ書きをお渡ししました。

  

参加メンバーは大体 香川県にいて一番若い者は 10歳以上の差があって、S52年の者はまだまだ現役
で、
四国電力・JR・役所などで仕事をしていています。

先生は早めに退席されましたが 皆さん元気で良く飲んで、かなり長時間の宴会になりました。
先生を囲んだ写真・同期の4人との写真・宴会の様子などをコラージュにしてみました。

多度津工業高校計算尺部はS36年に出来て、私たちS37年組が2期生です。今年は地元の世話役と
千葉・横浜・吹田の4人
が集まって、50何年か前の話から 現在のことなをいろいろと話ができて
楽しかったです。次の3年後には 75歳です。

今回も同期の者とS39年の者と若手の2名が幹事をしてくれて、S36年のリーダーが横浜から来て
くれ、その人は「日蘭交流歴史ウオーク」
の実行委員長をされていて、有名なかたで 今回も当時の高校のことなどをよく知っていて感心しました。

S39年の者とは 去年からフェイスブックで情報を交換していて、地区の囲碁で幅広く活躍しています。

 

多度津町出身の「速水 史郎」さんは多工の先輩で、創立60周年の記念の作品が学校にあります。
奥様は音楽の先生で 私も授業を受けた記憶があります。

 「速水 史郎」さんについては
  2015-3-25のブログ : 

 私が育った多度津町の彫刻家「速水史郎さん」につい

 で作品から 略歴からをよく
 調べて書いてあります。 

 


第1回の同窓会は 2009-8-9のブログ: 懐かしい顔ぶれと会ってきました

第2回の同窓会は 2012-8-19のブログ: 3年ぶりに高校の時の「計算尺部同窓会」がありました。 に書いてあり

その内容を Wordに貼りつけて編集して、PDFファイルから JPGデータに変換しました。


最近は帰省しても車の移動ばかりで、昨年の夏にバスが満席で新幹線で帰って以来、

今回の同窓会で一年ぶりに香川県の電車(JR と ことでん)に乗りました。

JR高松駅にある「流 政之」さんの作品と案内板 電車と高松駅 宇多津駅の写真を編集しました。

 

8/16(日)久しぶりに屋島の家の近くの駅 「潟元」から ことでん に乗って高松駅に向かいました。路線図を見て 高松から志度までの駅が20あると数えたり、讃岐弁での「マナー講座」の写真を撮ったりジブリを支えた「近藤 喜文」の作品展が開かれていることなどをしりました。

 


8/13(木)は高松まつりの初日で、過去最多の1万2千発の花火が打ち上げられたそうです。

屋島の家の近くにある新川から花火が良く見えるので、デジカメで撮りに行きましたが

うまく撮影できませんで、雨も降ってきてそうそうに戻ってきました。

日本最大のクルーズ船(240m 5万トン)飛鳥Ⅱが8/13に寄港して、高松港で花火を見て

8/14に出港することが大きなニュースで、船内見学の倍率は76倍だったそうです。

一昨年に高松港に5万トン級バースが出来たことは知りませんで、飛鳥Ⅱの寄港は2回目だそうです。


 

 今回も志度と屋島で食事を摂っ
 た
お店を記録しておきます。

 1日目の夕食は 屋島のマルナ
 カで
弁当。

 2日目の夕食は 海鮮食堂

 3日目の夕食は 屋島食堂。

 昼食は いつものようにウドン
 で
 牟礼製麺 と 亀城庵 
 でした。


Picasaウェブアルバムに登録した映画作品を整理してみました。

2015-07-17 | パソコン

7/16(木) 台風11号の接近で、外出の予定を取りやめてパソコンに向かっていて、

今までにPicasaウェブアルバムに登録した作品を洗い出してみました。

(☆画像をクリックすると、Picasaウェブアルバムにリックします。)


Picasaウェブアルバムに動画を登録できることを習ってから、インターネットから映画の予告編を

Craving Explorerで取り込んで ムービーメーカーで編集したりしていろいろな作品を載せてきました。

一番多いのが宮崎アニメの予告編をまとめたもので、以下の15作品を42分に編集しました。

 

三國連太郎の東映作品「大いなる旅路」(1960年)は父が国鉄機関士だったことから記憶にあります。

地区の公民館で「シネマ&カフェ」を上映したことを思い出して、私のビデオライブラリーからパソコンに

取り込んで WindowsLiveムービーメーカーで6分割して、Picasaウェブアルバムに登録しました。

エリザベス・テーラーの映画は何作品もビデオに撮ってあり、「ジャイアンツ」は1956年の制作ですから見た当時と今では感じる場面が随分と変わっていて、昔の懐かしいシーンを再生したのをパソコンに取り込んで、それをムービーメーカーで40分ほどに編集してYouTubeに投稿しました。

テキサスに広大な土地を持つ牧場主ベネディクト2世(ロック・ハドソン)が、東部の名門の娘レズリー(エリザベス・テイラー)を妻に迎える。
初めてテキサスを訪れた彼女はその途方もない広さに驚き、
東部とはあまりにも異なる人間の気質と生活習慣に戸惑う。
夫の姉ラズの冷たい視線にも苦しめられ、一時は夫婦の間の絆にも危機が訪れるが、レズリーは持ち前の粘り強い性格で
それを乗り越えていく。
このレズリーに心を寄せるのがひねくれ者の若い牧童のジェット・リンクジェームス・ディーン)。
彼は事故死したラズが遺してくれた土地に
移って石油を掘り続け、
ついに油田を掘り当て、石油事業を興して大金持ちになる。

50年前の映画「渚にて」も懐かしい作品で、グレゴリー・ペックの映画が多くビデオに残っています。

全体を4分割して、Picasaウェブアルバムに登録しました。

この映画については YouTubeから取り込んだ映画の最初と最後を
一つにまとめた分も登録してあります。

       

懐かしい映画をいくつか Craving Explorerでパソコンに取り込んで、DVDにしたりしました。

映画をPicasaウェブアルバムに登録すると容量が大きいので あまり登録できませんが、。

加藤大介さんの自伝的な映画で、多くの俳優が出ている「南の島に雪が降る」を登録してあります。

      


  YouTubeで洋画の予告編を見つけては、Craving Explorerでパソコンに取り込んで
  から 
Picasaウェブアルバムに登録している8作品をまとめました。

      
    「ジャイアンツ」の予告編 

       「渚にて」の予告編 

    「クレオパトラ」の予告編 

「バターフィールド8」の予告編 

        「白鯨」の予告編 

       「めまい」の予告編 

「ウオルトディズニーの約束」の予告編 


高倉 健さんの訃報を聞いてCraving Explorerで「昭和残侠伝」の予告編を9作品ダウンロードして、ムービーメーカーで編集した分を Picasaウェブアルバムに登録しました。