ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

2月のわくわくお出かけはヤクルト神戸工場でした。

2011-02-27 | お出かけ

晴天で暖かい日に12人で また明石の魚の棚に行き

近くで昼食を摂って 神姫バスで上脇というところにある

ヤクルト神戸工場を見学してきました。

パソコン教室のTさんから明石でお勧めのお店は

「山城」と聞いていましてそこで昼食にしましたが

とても良かったです。

ヤクルト工場では高速で流れている「ヤクルト400」の

瓶詰めの工程を見学してからヤクルトの製品について説明を

受けてきました。化粧品も作っているそうです。

明石では魚の棚で焼きアナゴなど買い物をしました。


8年前のエジプト旅行も終わりに-- (カイロ→帰国)

2011-02-24 | 旅行

8日目 11/27(木)
午前:セントカタリーナよリカイロヘ。
途中、アインムーサにて、それまで飲めなかった水が
モーゼが杖を投げることにより飲めるようになったと
いわれている★モーゼの泉をご覧いただきます。

午後:カイロにて★ハーン・アル・アリーリのバザールへご案内。
夜:ナイル川ベリーダンスディナークルーズをお楽しみください。
宿泊はカイロのソネスタ カイロ。
             

9日目 11/28(金)
カイロ発11:30 空路、コリアンエアーでソウルにて乗リ継ぎ、
帰国の途へ。  機中泊。

10日目 11/29(土)
ソウル着04:50 ソウル発09:50 
関空着11:30
  着後、入国手続き後解散。



8日目 7時から朝食 9時前に宿を出てバスでカイロに向けて出発
途中 トイレ休憩と レストランでの昼食 
それと「モーゼの泉」の見学。

砂漠の中 一直線の道路をかなりのスピードで走りました。
その頃 バスの横転事故のニュースがあったのですが 事故も
起こりそうな気がしたように思いました。


 

     

 


夕方に宿に着き それからエジプトで1番大きなスーク(市場)
ハンハリーリバザール」に行きました。
迷路のような小さな道の両側に観光客用のお土産屋さん
メインに、たくさんのお店が並んでいました。

ここで銅製のお皿 ピラミッドの置物 カレンダー 絵葉書などを
買いました。
若い笹岡さん(高知の人)は民族衣装風のドレスを何着も値切って
買っていました。交渉でかなり安くなります。



7時からナイル川のナイトクルージングディナーで ベリーダンスのショーも
あり 私も恥ずかしそうに舞台に立った写真がありました。

10時半に宿に帰ったのですが 笹岡さんはホテルでダイヤの指輪を
買うのにガイドさんの応援を頼んで長時間粘っていたことを覚えています。
エジプトはダイヤも有名なのでしょうか?




9日目 7時から朝食 9時過ぎに空港について時間があり 土産にタバコなどの
買い物をして 残ったエジプトポンドは空港の寄付ボックスに入れたと思います。

11時半に出発し 二回の機内食 映画を2本見て 22時頃にソウル着
ソウルに着いたのは朝の5時 それから出発までの5時間を空港での
朝食と買い物。
お土産にキムチを買いました。

11時半に関空について 無事に10間の旅を終えて自宅に
帰って来ました。


8年前のエジプト旅行を思い出して -- (スエズ編)

2011-02-23 | 旅行

5日目 11/24(月)
バスで砂漠道路を通り、スエズヘ向います。
到着後スエズ観光。
(★スエズ運河、★魚市場)
また、アフリカ大陸とアジア大陸をむすぶ
ムバラク橋を横断します。
その後、紅海のリゾート地ラスセドルヘ。
ご宿泊はコンコルドラスセドルです。


旅行も中盤になり疲れも出てきたと思うが 今日も早朝からの
バスの移動と見学。
ラマダン(断食月)が終わったと当時の旅行メモにあった。

宿を6:40に出て 300万の都市ポートサイドに8:20着。  

スエズ運河は拡張して 現在は深さ22m 幅380mで
25万トンのタンカーも通行可能。
丁度 船が通っていました。

 

一緒に写真を撮った方は福井から一人で来られた江口さん(80歳)
旅行会社から難色を示されたそうですが ヨーロッパ一周も一人だったと
言ってOKを取ったそうです。(最もその時は若かったそうですが。)
ガイドのアラーアッパスさん 添乗員の雫まゆみさんも一緒に写真を。




運河の下のトンネルを通り 吊り橋を渡って
ホテルまで180km 2Hrで到着

13:30 昼食 14:50 部屋へ

ホテルCONCORDEは 紅海のリゾート地 ラスセロルに
ありました。 海岸の近くの小さな建物です。

夕食後 別の部屋で何人かのメンバーが集まり
9時過ぎまでビールを飲んだりして 楽しく過ごしました。
   

スエズ運河見学 → 魚市場 9:00 


8年前のエジプト旅行のハイライト -- (ピラミッド編)

2011-02-21 | 旅行

4日目 11/23(日)
        午前:キザのピフミッド見学。
               4,500年前の古王国第4王朝時代に作られた最も美しいとされる
    
   最大の★クフ王のピラミッド、★カウラー王のピラミッド、
        ★メンカウラー王のビラミッド
          (3大ピラミッドのうち1つは内部まで入場)

        ★スフィンクスを見学。
        またパピルスのお店へご案内します。
        昼食は名物ケハブ料理をご賞味下さい。
        午後はオプショナルツアーでメンフィス・サッカラ観光。
        宿泊は同じホテル。


今回のツアーに参加した目的はピラミッドです。昔の映画で「ピラミッド」
を観た記憶もあり、どうやって造ったのか想像できません。
沢山のピラミッドを見て 1つのピラミッドには途中までですが内部にも
入れました。その頃は体力もあって元気だったと思います。

ピラミッドとスフィンクスの前で記念写真を撮りました。

ピラミッドはいたるところにあり 事前に勉強をしていいなかったので
どれがどれだかも分からずに見て廻りました。




ピラミッドの入場券もいろいろ買っていました。
まだ他にもあったようです。

沢山撮ってきたピラミッドの写真をコラージュにしました。




オプションツアーの中に カーペットを作っているところの見学もありました。
小さな子供がカーペットを作っている写真です。
    
        


今日はパピルスの店に案内されました。
パピルス「papyrus」は 茎の断面が三角形で、
「paper」は「papyrusに由来するそうです。

インターネットで同じ店かどうかはわかりませんが
パピルスの店を紹介したブログを見つけました。

http://blog.livedoor.jp/maimitsu/archives/51512855.html

その店で売っている絵を買ってきまして
帰ってから初めて絵の額を買う経験をしました。
いまでも飾っていますが綺麗です。
会社の人達にはバスに売りに来る千円で何枚も買えるのにして
配りました。
買った絵の図柄は次のようなものです。

     

 


8年前のエジプト旅行の記憶をだどって -- (アレキサンドリア編)

2011-02-20 | 旅行

3日目 11/22(土
バスにて地中海に面した美しきリゾ一ト地アレキサンドリアヘ。
到着後アレキサンンドリア観光。
アレキサンリアで発見された、クレオパトラの生きたグレコローマン時代の
遺物の
教々を展示した☆グレコローマン博物館、
プトレマイオス朝の巨大な図書館の柱のある☆ポンペイの柱、
ローマを逃れたキリスト教徒が隠れ礼拝した☆カタコンベ。
昼食はシーフードです。
その後カイロへ戻り金属品のお店へご案内。
 宿泊は同じホテル。


3時半に起床。4時から朝食。6時過ぎにバスで出発。
220km離れた街 アレキサンドリアへ。

 

グレコローマン博物館は収蔵品も多くて立派な内容でしたが、
ゆっくり展示品を見て歩くというよりは
早足で写真を撮って廻ったという感じです。

ポンペイの柱もすごい高さで どうやって立てたのかと感心します。

カタコンベ(地下墳墓のこと)は写真が禁止でした。
墳墓は地下3階まであり、螺旋階段でおりて行くと
礼拝堂やら供物部屋、彩色された部屋などもあり
内部はとても広い。

食後に海を見ようと道路を横断して行ったのですが、
帰りのときには車が信号無視でくるのが怖くて
ガイドさんが迎えに来て道路を渡らせてくれました。

グレコローマン博物館の入場券


  ポンペイの柱の入場券

アレキサンドリアで撮った写真をコラージュにしました。


エジプトは金製品が有名ですので 金製品の店に案内されましたが
高価だったのか 値段の交渉をした記憶もなく何も買わなかったようです

同じホテルにて宿泊。


8年前のエジプト旅行を思い出して--1・2日目(カイロ編)

2011-02-19 | 旅行

まだ会社で仕事をしていた頃でしたので まめにEXCELで行程表・土産リスト・支払い明細表などを作ってありました。
当時は 1ドル 120円 エジプトポンド(L.E.) 20円でした。
日本円の支払いも出来て 「千円・千円」と言って土産物を売っていて
つい いろいろと買ってしまいました。

行程表は次のようなもので 帰国してから作ったものを今回パソコンから
見つけて今回 手直しをしました。
これをもとに当時の記憶をたどっていくことにします。

当時はまだデジカメがポピュラーではなく APSのカメラとバカチョンカメラ
で撮ったのを カメラのキタムラでCD化してもらっていました。
現地で団体写真も撮ったのが残っていたり パソコンに沢山の写真があったので
地域ごとにコラージュにしたり 絵ハガキのスキャナー分なども入れて
整理していきます。


 

「エジプト旅行の行程表」


1日目 11/20(木)
関空発17:20 コリアンエアーにてソウルで乗り継ぎカイロへ。

2日目 11/21(金)
カイロ着02:20 朝食後エジプト考古学博館観光。
エシプト各地より出土された貴童な品が数々あります。
とくに2階に展示されているツタンカーメンの黄金の品々は圧巻です。
午後はカイロ観光(モハメッド・アリモスク)
その後香水のお店へご案内。
宿泊はカイロ近郊のヘリオポリスにあるムーベンビック。


 回は 34名のツアーで
添乗員は 雫まゆみさん 千里山梅花学園 三原の人
ガイドさんは アラーアッパスさん 日本で勉強をしたことがある
知り合った人 福井県高浜町の 江口さん 80歳 女性 ひとりで
       奈良県生駒郡の 中島さん 夫婦
       高知市の    笹岡さん 若い女性 ひとりで 

関空 → ソウル 2時間  ソウル → カイロ 12時間 

AM3時に入国 バスでホテルへ 
7時前に朝食に小さなレストランへ
そこでいきなりピラミッドが見えて驚きました。


 


カイロ観光の説明資料は次のもので 今日は エジプト考古学博物館
モハメッド・アリモスクの観光と 香水店での買い物です。 

   


エジプト考古学博物館観光は 2時間半ほどで駆け足で観た感じですが
ツタンカーメンと特別室のミイラは見ました。 

   


 モハメッド・アリモスクは立派な建造物で 内部の装飾も豪華絢爛という
表現があてはまる見事さでした。

記念撮影した写真や絵葉書の写真などで コラージュにしました。 

  


エジプトは香水が有名だそうで香水店に案内されました。
香水には縁のない生活ですが、装飾に綺麗なので小さなガラス製の香水瓶
を買ってしまいました。

ヘリオポリスのホテルはシャワーも出て バスタブもあり ドライヤーも
付いていて良かったです。


8年前のエジプト旅行を整理してみました。(エジプトの紹介編)

2011-02-19 | 旅行

2003年の11月末に広島にいる家内の友人から

誘われて 以下の内容のツアーに参加しました。

まだ会社勤めでしたが この機会にと思って行ってきて良かったです。


広島の「阪急交通社」で 格安ツアー(129,000円)

「全食事付き! 10日間のエジプト」

カイロでは「ファーストクラスのホテルにご宿泊!

 

☆ツアーポイント☆

1.カイロではギザの3大ピラミッドやスフィンクス、エジプト考古学樽物館を観光します。

2.クレオパトラの時代に栄えた地中海リゾ一トの街アレクサンドリアなどさらに魅カ的な観光内容。

また、スエズ運河やシナイ山もご覧頂きます。

3.ナイル川でのディナークルーズやエジプトの名物料理を含む内容豊かな全食事付き。

4カイロのホテルはワンランク上のファーストクラスのホテルにご宿泊!


今朝の新聞にもエジプトについての記事がありました。
市民デモで政権を倒した経過のニュースに関心を持って
いたのは 一度エジプトに行ったことがあるからでしょう。


当時のエジプトも治安が良い状況ではなかったので
南のルクソールへは行けず 地中海に面したアレキサンドリアと
スエズ運河を渡ってシナイ半島へ旅行でした。

カイロには4泊して博物館 ピラミッド クルージングや
市場での買い物など移動も多くて体力が要りました。
シナイ山に登るのはモーゼの十戒のことなど知らずに行きましたがいろんな国の観光客で賑わっていました。

         カイロ市街の地図

   


旅行会社からもらったエジプト案内の資料です。

  


ボクシングの世界チャンピオンが誕生。

2011-02-12 | パソコン

今回は雪で志度に行くのを止めたので 丁度 7時からのボクシングの
中継を見ることが出来ました。

7戦目で世界チャンピオンになった井岡選手は殆ど打たれてなく
インタビューも落ち着いたものでした。

  

  


私と同じようにTV観戦していた コラムニストの勝谷誠彦氏の
文章を拝借します。

実にいい試合でした。軽いクラスなので音が鳴るようなパンチの応酬はないかわりに、早いの何の。最初のダウンを奪ったフックも決め手となったボディも私にはっきりと見えなかった。それにしてもボディでノックアウトするとはなあ。

ボディでノックアウトがとれるチャンピオンの誕生だ。
 TBSが1時間とはいえこの試合を中継したのは自らがかかわっている
『あしたのジョー』のプロモーションのためなのだが、それはそれでよかった。
丹下段平役の香川照之さんの解説は、どんな元プロのそれよりも凄味があった。

 

「あしたのジョー」は熱心に読んだので 今でもいろんな場面や言葉が
記憶にあります。
その映画が公開されるので 見てみたいと思っています。

 

  

 


TVを引き続き観ていたら 「ぴったんこカンカン」は
 『あしたのジョー』ツアー 2Hスペシャル! で
香川照之さんが出ていて 石垣島に具志堅用高に会いに
行って ボクシングへの傾倒ぶりを見せてくれました。

  

香川照之が、映画『あしたのジョー』の丹下段平役に懸けた思いをつづった
著書「慢性拳闘症」が発売されています。

以下はその書評です。

自身の「拳闘」に対する異常な性癖と症候群と表現する香川。
その著書からは、丹下段平役に挑んだ香川はもちろん、
矢吹丈を演じた山下智久、力石徹を演じた伊勢谷友介、
そしてスタッフたちの熱い撮影の日々が伝わってくる。
 

 腹巻きを巻き、ニッカボッカと地下足袋を履き、ネルシャツを着て、竹のステッキをつかむ……
映画『あしたのジョー』で、香川は見事に丹下段平になりきった。
自身も、著書の中で「渾身の化身が怨念に満ちた写し絵のごとく目の前に現れてしまった。
間違いなく皆がそう思っているのが手に取るように分かるではないか。ああ! 
私は確信する。最初の扮装テストで、もはや丹下段平がほぼ出来上がっている!」と自画自賛している。
「慢性拳闘症」というタイトルの通り、「私はまだ病気でした。病人でした。すみません」と
自身のボクシングに対する情熱を
病気と記しているのも印象的だ。 
先日行われた映画『あしたのジョー』の完成報告会見では、
慢性拳闘症であることが功を奏し、
撮影中は山下や伊勢谷に対してボクシング指導をしたことも明かされた香川。

これまでも映画『鬼が来た!』『ゆれる』などの撮影秘話を
「中国魅録
-『鬼が来た!』撮影日記」「日本魅録」といった著書にまとめている香川。
そのタッチは絶妙で、映画『あしたのジョー』を撮り終えた達成感も、
「そうして、二時間のフィルムの中だけに我々は焼き付けられて、私たちは消えた。
全ては真っ白に戻った。真っ白に。燃え尽きた。
燃え尽きちまったよ。おっつぁん」と表現。
「慢性拳闘症」は、映画のサイドストーリーとして楽しめる一作になっている。
 


志度の畑では春が早く来るのを待っています。

2011-02-07 | 志度の畑

今年の寒さは相当なもので 2月の初めには
畑にある水道のしずくが凍って地面から氷柱に
なっていました。

     

次に畑に植えるのはジャガイモで もう売り出されていますが
この寒さではと思って 耕して植える時期を待っています。

畑のまんば と タマネギは 寒い中 頑張ってすこしづつ
育ってきていました。

  

梅の花がそろそろ咲きそうです。
今年は沢山の芽がでていて 実が沢山生ってくれるのを
楽しみにしています。

     

水仙が方々にあるので咲き出すと綺麗ですが 
咲くのが遅い品種は 今年の寒さではまだまだのようです。

     

水仙の品種で早いものもあり 日当たりの良い隣りの人にもらった
水仙と 一つだけ咲いていた水仙の写真です。

     


若い頃に観た映画 「渚にて」をDVDにしました

2011-02-01 | パソコン

今ではビデオレコーダが死語になってきていますが
古くから録りためたビデオが100本以上あります。
1本に3作品を入れているのが多いので いつ観るのかと
言われています。

今回 グレゴリー・ペックの話から 録画した中から「渚にて」を
DVD化して 久しぶりに観ました。
若い頃の感じとは 全く違って良い映画だと思いました。

インターネットで作品の紹介などを 調べていると
YouTubeに作品のラストがありました。

映画の中で全編を通じて流れている曲は豪州の国民歌とも言える
「ワルツイング・マチルダ」です。

Great Scenes: Waltzing Matilda Finale


インターネットで調べた 映画の解説を抜粋します。

ネヴィル・シュートの原作に基づき、「手錠のままの脱獄」のスタンリー・クレイマーが
製作・脚本した人類の未来の物語。
(1959年の作品--ON THE BEACH)
出演するのは グレゴリー・ペック、フレッド・アステア、
エヴァ・ガードナー、アンソニー・パーキンスなど。

こんなにも静かに人類滅亡を描いた映画があるだろうか・・・?
都市の破壊や、パニックシーンを一切排除し、
核兵器による放射能に汚染された
地球の最後の日を冷静に描いた。

本作は、若い夫婦の平和で幸福な朝の描写から始まる。
ハンサムな夫が、まどろんでいる妻のために朝食を用意しながら、
ベビーベッドの赤ん坊にミルクを飲ませている。
妻は夫のキスで目覚め、幸福そうに2人は微笑を交わす。
胸のうずく幸福感漂うこのシーンが、物語が進むうちに、
放射能により地球のほとんどが滅亡し、わずかに汚染から逃れた
オーストラリアの地に非難する少ない人類の最後の日々だという
衝撃の事実が判ってくる。
それなのに人々の暮らしは冒頭の朝の風景のように平和だ。
海水浴やパーティーを楽しみ、時にはピクニックやカーレースに興じる。
紳士たちはクラブで談笑し、妻たちは子供の世話にいそしむ。
どんなに現実逃避してみても、“その日”は刻一刻と迫ってくる。
「われわれにはまだ希望がある」のスローガンをかかげ、
広場で集会が開かれる中、人々は安楽に死ねる“薬”をもらうため、
長い行列をつくるのだ。
いよいよ最後の日、ある者は愛する人と見つめあいながら、
ある者は長年勤めた職場でただ一人でと、人々は静かに杯を傾ける・・・。
冒頭の幸せそうな夫婦は、“死”を受け入れることのできない
妻の苦しみを背負っている。
夫は愛する妻と子供のために“薬”を手に入れるが、
妻はその薬を子供に飲ますことは“殺人”だと夫をなじる。
誰もいなくなった街に ”There is still time..Brothers”、
「われわれにはまだ希望がある」と書かれた横断幕が、
ただ風にゆれている・・・。