ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

志度の畑の風景です。(2020-12-24)ログに電気が開通しました。

2020-12-24 | 志度の畑

12月15日に四電工の人が電柱を立ててくれて、18日には電気の引込線工事をしてくれました。

ホームセンターの人がメーターと分電盤の設置をしてくれて電気工事が年内に終了しました。

寒い日が続いて 最近は少し暖かい感じで、エンドウの面倒を見たりしています。

 左の画像はアーチ状の支柱で育っている
 エンドウの様子です。ツルをネットに誘引
 しています。下の画像は支柱にネットを張って
 育てています。
 

      下の画像はログの近くに植えてあるエンドウの様子です。
      日当たりが良くないせいか、土が良くないのか元気がありません。
      

 左の画像は周囲をビニールで囲ってある
 ソラマメの様子を上方から撮って編集した
 ものです。少し大きくなってきています。
 下の画像は4カ所に植えてあるニンニクです。
 

 

 左の画像はタマネギの様子を編集しました。
 まだ細いのもありますが、しっかりしてきた
 ので、肥やしを撒いています。 
 下の画像の左側は中段のエリアの三角畑と
 上段のエリアと下段のエリアを編集しました。
 上段のエリアにはソラマメとダイコンと
 ニンジン・ホウレンソウが残っています。
 下段のエリアにはタマネギとソラマメ以外に
 ハクサイやキャベツが残っています。
 下の画像の右側はイチゴ畑・スイセン畑と
 マンリョウの赤い実とワット草の様子です。


 

 左の画像はシャクヤク畑の様子です。
 前に花が咲いた後には棒を立ててあり
 その付近の草取りをしたら もう赤い
 芽が見つかりました。
 下の画像の左側は アジサイの芽と
 赤いナンテンの実です。
 今年も沢山の赤い実がきれいです。
 下の画像の右側は 取り残したレモンの
 実と 色づいてきたキンカンの実です。
 今年はレモンが豊作で初めて黄色く
 色づくまで待って採りました。

 


 

      下の画像はウメの木と プラムの木の様子です。すっかり葉が散っています。

      


 左の画像は12月18日に四電工の人が
 クレーン車を使って引込線工事をやって
 いる様子を撮りました。
 下の画像は15日に手掘りで2mの深さまで
 掘って6本の電柱を繋いで立ててくれました。
 

      下の画像はホームセンターの人が電柱から引き込んだ後にメーターボックスを
      ログに取り付けてくれた様子です。来年の夏用にクーラーを取り付ける計画です。

      


志度の畑の風景です。(2020-12-10)エンドウのネット張りも終えました。

2020-12-10 | 志度の畑

12月に入って好天が続き、寒さもそれほどでなくて作業は順調です。

エンドウの支柱を立てた後のネット張りの作業を終えて、ネットに絡むように手入れをしています。

斜面にたくさん生っていたのはハッサクで、全部採ったのですが早すぎと教えられました。

レモンは黄色くなってきて 少しづつ採っています。

 左の画像はアーチ状の支柱に植えた
 エンドウの生育状況です。
 下の方に竹の棒を横に固定して育って
 きたツルを誘引しています。
 上の方にはネットを張りました。
 もう一枚追加して完成します。

 下の左側の画像は二本の支柱にネット
 を張った状態です。まだ小さいので
 これからネットに届いていきます。

 下の右側の画像はログ近くに植えた
 エンドウ(2カ所)と中段のエリア
 に追加で植えたツルなしえんどう
 の様子です。

 

 

 

 

      下の画像の上側は下段のエリアのソラマメのビニールシートで囲った3個分で
      横から見た分と 上から見た分です。一列で2本づつ植えてあります。 
     下の画像の下側は下段のエリアの手前に植えた分です。4本植えてあります。
        

     下の画像の上側の左側は下段のエリアの奥に植えた分で、6本を2列に
     植えてあります。下の画像の上側の右側は中段のエリアに1列に植えた分です。

     下の画像の下側の左側はは中段のエリアと上段のエリアに6本を2列に植えた分です。
     

 左の画像はタマネギを
 植えた状況です。
 下段のエリアと中段の
 エリアと追加の畝2つに
 合計500本を植えました

 早生には12月と1月に
 晩生と赤玉ねぎは1月
 と2月に肥しをやります。

 一畝に約50本 2列か
 3列に植えました。

 


 左の画像は上段のエリアの様子です。
 奥のワケギは収穫してダイコンとカブと
 ニンジンとホウレンソウが育っています。
 下の画像はニンニクです。4カ所に植えて
 ありますので収穫を期待しています。
 


 左の画像は中段のエリアの様子です。
 3角形の畝にレタス・チンゲンサイ・
 キクナ・パセリとツルなしエンドウ
 を植えました。下の画像はダイコンと
 カブとマンバの様子です。
 

      下の画像はダイコンとナバナとラッキョウとワケギの様子です。

      

      下の画像は黄色く色づいたレモンとイチゴ畑とスイセン畑の様子です。

      

      下の画像は色づいたクリの木と桃の芽とリコリス・マンリョウ・ナンテンの様子です。

      


四国八十八ケ寺の67番から71番の札所に行って来ました。(2020-11-25)

2020-12-04 | お出かけ

11/25には家内の友人と一緒に四国八十八ケ寺の67番から70番の札所を回って、その後

財田町の道の駅に寄ってから「環の湯」に入って来ました。

11/28には四国八十八ケ寺の71番の札所にお参りしてから、まんのう町の「塩入温泉」に入り

その後 「まんのう公園のイルミネーション」を見て来ました。

 11/25に 67番札所の大興寺に行き、
 68番札所の神恵院と69番札所の
 観音寺に行き、70番札所の本山寺
 に行って来ました。
 11/28には71番札所の祖谷寺に行って
 来ました。
 68番札所と69番札所は同じ場所に
 ありました。
 70番札所の本山寺には五重塔があり
 とても立派なお寺でした。
 71番札所の祖谷寺は子供のころの
 「七ヶ所まいり」の記憶があります。

      


第67番札所 小松尾山 不動光院 大興寺

 大興寺の歴史・由来

 地元では大興寺というより、山号にちなむ「小松尾寺」という呼称が親しまれ、
 近傍一帯の集落を小松尾と呼ぶ。

 縁起によると、天平十四年(742)熊野三所権現鎮護のために東大寺末寺として
 現在地よりも約1キロ北西に建立され、延暦11年(792)大師の巡錫を仰ぎ、
 弘仁13年(823)嵯峨聖帝の勅により再興されたと伝えられている。
 しかしながら、戦国時代末、長宗我部元親の兵火により一部を残してことごとくを焼失、
 慶長年間に再建されたが再び焼亡、本堂は寛保元年(1741)に建立されたものである。
   

 現在の大興寺は真言宗の寺院であるが、往時真言二十四坊天台十二坊が甍を連ね、
 同じ境内で真言天台二宗が兼学したという珍しい来歴を持つ。
 そのためか天台宗の影響が大きく、本堂に向かって左側の弘法大師堂とともに、
 右側に天台宗第三祖智顗を祀る天台大師堂があるという配置にその名残を留めている。
 また本尊脇侍は不動明王と毘沙門天であるが、不動明王は天台様式である。

 香川県の文化財として指定されているのは次の5件である。
 1つは像高84センチの本尊藥師如來坐像で、平安後期、檜寄木造り、漆箔、伝弘法大師作。
 鎌倉時代後期建治2年(1276)の銘がある天台大師坐像は檜寄木造り彩色で像高77.4センチ。
 天台大師の彫像は極めて少ない。
 弘法大師坐像は近年の調査により天台大師坐像と同じ建治2年の作であることが判明し、
 文化財として指定された。四国最古の銘のある弘法大師像である。
 仁王門にある雄渾な二つの金剛力士立像は仏師として名高い運慶の作と伝えられ、
 像高314センチ。鎌倉初期の作、八十八ヶ所中最大とされる。
 「大興寺」と記された扁額には文永4年の年号と「従三位藤原朝臣経朝」の裏書きがある。

大興寺の見どころ

  本堂の「七日燈明」 : 本堂で赤い蝋燭を7日間灯し祈祷していただくもの。
             病気平癒、安産、良縁などのご利益があります。

  仁王門 : 風堂々とした金剛力士像は仏師として名高い運慶作と伝えられます。

 

 

            


第68番札所 七宝山 神恵院

 神恵院の歴史・由来

 六十八番・神恵院も六十九番・観音寺も琴弾公園内の琴弾山の中腹にあります。
 2つの札所が同じ境内に存在する、とても珍しい霊場です。

 開基したのは法相宗の高僧・日証上人といわれています。
 大宝3年(703)この地で修行中、宇佐八幡宮のお告げを受け、かなたの海上で神船と琴を発見。
 琴弾山に引き上げ、「琴弾八幡宮」を建立して祀りました。
 このとき、神宮寺として建てられた寺が起源とされています。
 大同2年(807)弘法大師が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、
 後に院号を「神恵院」とし、六十八番霊場としました。

 その後、明治初年の神仏分離令で八幡宮は琴弾神社と神恵院に分離され、
 神恵院は麓の観音寺境内に移転。
 同時に八幡宮に安置されていた阿弥陀如来像も西金堂に移されました。
 以降、「神恵院」は西金堂(2002年に新築)を本堂に、阿弥陀如来像を本尊として今に至っています。

 神恵院の見どころ

 本堂  : 2002年に新しく建立された本堂は、コンクリート打ちっぱなしで
       白木と組み合わされた近代的な造り。

 宝物館 : 「釈迦涅槃像」や「琴弾八幡本地仏像図」「琴弾宮絵縁起図」など、
       国の重要文化財に指定された寺宝が数多く納められています。

第69番札所 七宝山 観音寺

 観音寺の歴史・由来

 観音寺が第六十八番・神恵院と同一境内にあり、開基も創建の時期や由縁も同じであることは、
 前項で述べている。ただ、創建されたころの寺号は「神宮寺宝光院」と称した。
 以来、100年後の縁起からたどる。大同2年(807)、弘法大師は琴弾八幡宮の本地仏である
 阿弥陀如来像を納めたとき、この寺の第7世住職となって入山したと伝わる。
 そこで大師は、琴弾山の中腹に奈良の興福寺に倣って中金堂、東金堂、西金堂の様式で
 七堂伽藍を建立し、その中金堂には本尊とする聖観世音菩薩像を彫造して安置した。
 さらに、この地に仏塔を建てて瑠璃、珊瑚、瑪瑙などの七宝を埋め、
 地鎮をしたことから、寺名の神宮寺を「七宝山・観音寺」に改め、霊場に定めたとされている。

 桓武天皇はじめ3代の天皇の勅願所となり、また室町時代には足利尊氏の子・道尊大政大僧正が
 住職として45年間務めるなど、寺運は隆盛を誇った。
 だが、やはり明治新政府の神仏分離令により本地仏を移し、一境内に二霊場となった。
 本堂は、金堂とも呼ばれて室町時代の建築で国指定重要文化財。朱塗りの柱が色鮮やか。
 境内には宝物館があり、彫刻としては珍しい「仏涅槃像」(厨子入り、平安〜鎌倉時代)をはじめ、
 絵画では「琴弾宮絵縁起」(絹本著色、鎌倉時代)、「不動二童子像」(絹本著色、室町時代)
 のほか、前項で触れた本地仏像など国の重要文化財が数多く収蔵されている。

 観音寺の見どころ

 琴弾宮絵縁起 : 開基の日証上人が琴弾八幡宮を創建した由来を描いた大和絵で、
          中央の山頂付近に社殿の様子が描かれている。

 最古の落書き : 本堂に「常州下妻庄…貞和三年…」(南北朝時代)などと書かれ、
          貴重な遍路文化の資料とされる。

 

 

 


第70番札所 七宝山 持宝院 本山寺

 本山寺の歴史・由来

 四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔が目印。
 天暦3年(950)の建立でしたが損傷が激しく明治43年に再建されました。
 また、本尊は馬頭観世音菩薩で四国霊場では唯一のもの。
 頭上に馬頭をいただく観音様で、祀られている本堂のそばには馬の像が控えています。

 大同2年(807)平城天皇の勅願により、弘法大師が七十番札所として開基。
 当時は「長福寺」という名で、本堂は大師が一夜ほどの短期間にて建立したという伝説が残ります。
 およそ2万平方メートルの広大な境内には国宝の本堂はじめ、仁王門、五重塔、鎮守堂、大師堂、
 十王堂、赤堂(大日堂)、慰霊堂、鐘楼、客殿などが並び、大寺として栄華を極めた当時を偲ばせます。

 天正の兵火では長宗我部軍が本堂に侵入の際、住職を刃にかけたところ脇仏の阿弥陀如来の
 右手から血が流れ落ち、これに驚いた軍勢が退去したため本堂は兵火を免れたといわれます。
 この仏は「太刀受けの弥陀」と呼ばれています。その後、「本山寺」と名を改め、今に至ります。

 本山寺の見どころ   

 本堂  : 国宝に指定され、一重寄棟造り、本瓦葺きの風格あふれる建物 
       正安2年(1300)建立の奈良風の造りです。

 五重塔 : 明治43年、住職の頼富実毅が再建。遠くからでも望め本山寺のシンボルとなっています。

 仁王門和様:唐様・天竺様という三つの様式の山門。
       全国でもほかに例のない、どっしりとした構えの八脚門は国指定の重要文化財です。

 鎮守堂  」室町時代末期の様式を残す小さな社。
       桧皮葺き屋根の素朴なたたずまいです。県の指定文化財です。

 

      

 


第71番札所 剣五山 千手院 弥谷寺

 弥谷寺の歴史・由来

 創建について :今からおよそ1300年前。人皇第45代聖武天皇の勅願により、 
            行基菩薩が堂宇を建立し、疾病平癒の為、光明皇后により、
           『大方広仏華厳経』がお祀りされ、寺院を創建したといわれています。
            また、華厳経以外にも、寺宝の経典の中には天平年間724年頃につくられた
            経典が残っており、少なくとも724年以前には寺院が建立されていた事が伺へ、
            大師生誕(774年)の50~100年程前に創建された事が分かっています。

 霊山信仰 :弥谷寺のある弥谷山は、古来より霊山(仏山)として信仰されたといわれ、
         日本三大霊場の一つに数えられたとされます。
         古来より、人々は山々に仏や神が宿ると信じ、その山を霊山(霊峰)と呼び
         信仰の対象としたとされ、この信仰は、お遍路の元となった、辺(遍)路信仰の
         1つともいわれています。
         弥谷山の霊山信仰では、『本堂下にある、水場横の洞窟が神仏のせかいへの
         入口だといわれ、特別強く信仰された。
 

 獅子之岩屋 :『弘法大師が9~12歳の頃、この岩屋にて修学に励まれた』といわれています。  
           また、寺院創建の頃より、この岩屋の右手奥にある洞窟は経蔵として
           使われていたとされ、大師はこの経蔵から経典をとりだし、
           岩屋の窓(明星之窓)からの明かりで、修学に昼夜問わず励まれたと
           いわれています。
           岩屋の形が『獅子が咆哮をあげた形に見える事から獅子之岩屋』と呼ばれ、
           「獅子の咆哮は仏の説法と同じ」という仏教の信仰から、
           この岩屋の前で信心をおこし参拝する事で、
           『その身につくあらゆる厄災を獅子が食べ尽くし、
           その身を護る』といわれ、信仰されています

 洞地蔵尊 :首から上の病に御利益があるといわれるお地蔵様です。
         獅子之岩屋に向かう途中の大師堂内より参拝でき、
         座って岩壁の10㍍上方を見上げないと姿を見る事ができないお地蔵様です。

 弥谷寺の見どころ :大師堂本堂・獅子の岩屋・弥陀三尊磨崖仏
              (大師堂から本堂へ向かう途中の岩壁にあり、
              大師が刻んだとされています。
             「磨崖仏(まがいぶつ)」と呼ばれ、
              真言を唱えると極楽往生ができるともいわれます。

 

      

 

      

 


 71番札所 祖谷寺の近くに道の駅
 「ふれあいパークみの」があり
 「いやだに温泉」があって弟と
 来たことがあります。
 近くの「鳥坂まんじゅう」の店で
 名物の酒まんじゅう買って食べました。

 


私達の小学生時代には、春と秋のお彼岸の中日には、「七ヶ所まいり」があり、
弁当をさげて、友達と、おまいりした。
七ヶ所めぐりの寺々は 
 ●第71番 弥谷寺  ●第72番 曼陀羅寺 ●第73番 出釈迦寺
  ●第74番 甲山寺   ●第75番 善通寺     ●第76番 金倉寺 ●第77番 道隆寺 です。

 11/29の夕方に「さいた たからの里
 環の湯」に行ってから「まんのう公園の
 イルミネーション」を見てきました。
 香川県のトップクラスのイルミネーション
 です。
 

財田町にはいままで立ち寄ったことが無かったのですが、香川県の偉人を調べたブログがありました。

 香川県(讃岐)の偉人 「明治期の政治家」大久保 諶之丞について調べました。 2015-01-29