ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

志度の畑に米ヌカを蒔いて、ワラを敷き 果物の木を剪定して来ました。

2014-12-31 | 志度の畑

12/27(土)の朝一番の高速バスで志度に行き、12/29(日)の昼過ぎのバスで

吹田に戻って来て、夜はマンションの防災委員での忘年会でした。

今年の志度行きの記録を

Excelでまとめました。

Snipping Toolで切り取って

画像で保存する方法で作業が

ずいぶんラクになりました。

月平均で8日ほど志度で畑仕事を

しました。

今回の作業は玉ねぎ・エンドウ・そら豆の畝に米ヌカのこやしを蒔いて、寒さ除けにワラを敷いてきました。

 今年はタマネギを早生・晩生・赤玉を500本以上
 植えました。

 畝も4ヶ所に作っています。生育は順調なようで
 安心です。

 エンドウは収穫して特に喜ばれる野菜です。

 ネットを張ることが必要なので、ログの近くと、
 畑の回りに
3ケ所に支柱を立てています。
 連作は良くないとのことですが
 今年も大丈夫のように思っています。

   

 

そら豆は3回目で、今年は3ケ所に5畝も作っています。

   


 寒くなってきて、木の枝を剪定する時期に

 なりました。

 去年 初めてナシの収穫ができて、今年も

 生ってくれるように枝を大胆にカットしました。

 レモン・ユズ・ユスラ梅・ビワ・梅の木も

 剪定しましたが、プラムは相手が大きすぎて

 来年に弟にも手伝ってもらっての作業です。

 


 今年の8月6日のブログ : 志度の畑のブログを
       振り返ってみました。(2014-1~6)

 で今年前半のブログをまとめてみました。

 各月のブログで使った画像を

 Picasaウェブアルバムに登録して、それを一覧表に

 まとめたものです。

 今年はブログの作成で ペイントブラシ・Photoscape

 Snipping Toolなどのソフトを使うのに慣れました。


 

 11月27日のブログ : 志度の畑のブログを
        振り返ってみます。(2014-7~11)

 で今年後半のブログを前半と同様に

  Picasaウェブアルバムに登録して、それを一覧表に

 まとめました。

  夏の頃にたくさんの野菜が収穫出来たことが

  残っています。

 

 


年の今頃に書いたブログ : 志度の畑で今年最終の作業をして、「南天」と「万両」がきれいでした。2013-12-28

に使った画像が、そのまま今年にも使えるくらい同じようなものです。

畑の野菜の様子も 周囲の木も同じような画像です。 Photoscapeで編集しました。

          


  畑の近くの斜面には古くからの南天の木が

  沢山あって、まだまだ自然に増えていきます。

  今年も真っ赤な実を沢山付けていて、

  正月に玄関先に飾るのに切ってきました。

  水仙はまだまだですが、少しだけ咲いていたので

  持ち帰ってきました。

  万両も方々の木の陰ににいつのまにか
   育っています。

  ワット草という花は見たこともなかったの

  ですが、今年は笹を刈ったので元気です。

  白い花が咲きます。

  ログの入り口に植えた黄色いツルバラ

  元気です。

  来年も何回か花が咲くことを期待しています。


香川県(讃岐)の偉人 「讃岐糖業の父」向山周慶について調べました。

2014-12-26 | パソコン

前回のブログで香川県(讃岐)の偉人 「坂出塩田の父」久米通賢について書きました。

今回は讃岐を代表する特産品だった「砂糖」「塩」「綿」が「讃岐三白」の一つの

「砂糖」を産業化した向山周慶(さきやま・しゅうけい)について調べました。

 東さぬき市白鳥町にある向良神社です。
 江戸時代の人、向山周慶さんと関良助さんから
 一字ずつとって、
神社の名前がつけられました。

 向山周慶さんは白砂糖の国産化に日本で初めて
 成功した人で 
関良介さんは薩摩の人で、医者の
 向山周慶さんが関良助を助けたことに
恩義を
 感じた良助が国禁の砂糖キビの苗を持ちだし、
 周慶のもとへとどけ、
砂糖きびが讃岐の国に
 根づいたと伝えられています。


 その砂糖が和三盆といわれて、
 独特の風味が今でも重宝がられています。

    向山周慶の記念碑    関良介のお墓

    

  向山周慶は1746年に讃岐国大内郡湊村
 (香川県東かがわ市湊)生まれ
  1819年に74歳で死去。

  讃岐糖業の始祖として白砂糖作りを確立し、「讃岐糖業の父」と称される。

  高松藩医・池田玄丈について医術を学んだ。

  その頃、第5代高松藩主・松平頼恭は、砂糖生産に注目し、玄丈に研究を命じていた。

  16歳で周慶は、玄丈から砂糖精製の研究を託され、以後30年間にも及ぶ苦難の歳月を経て、
  1790年はじめて白砂糖の精製に成功した。

  1803年白砂糖の製法を確立し、大坂で讃岐の和三盆糖として名声を高めた。


向良神社にある顕彰の碑に書かれている碑文の写真と、
その内容をWORD → PDF → JPG画像にしたものです。


 左の写真は屋島の四国村に展示されている砂糖を
 作っていた小屋を
紹介しているものです。

 今ではこのような小屋は残っていませんが、
「和三盆」づくりが東讃の方で残っているよう
 です。

    

最近は通りませんが、志度から大阪に帰るときに国道11号線に和三盆のお店(ばいこう堂)があり、
立ち寄ったことがあります。

とても上品な感じのする甘さのお菓子で、私の口に合うようなものではなく 
たまにしか食べることはありません。

和三盆の作り方と お菓子の写真をインターネットで調べてPhotoscapeで編集しました。

 

 

 

  


 2012-2-10の
 ブログ : 
 讃岐弁の話ーその2
 に餡入り餅の雑煮のことを
 書いています。

 日本の各地でいろんなお雑煮が
 ありますが、私が子供の頃には
 甘い餡の入った餅のお雑煮が
 普通で 母親が皆の希望を
 きいては 白いのが何個 
 赤いのが何個とたくさんの
 お雑煮を作っていました。

 昔 砂糖が高級品だったころに
 せめて正月くらいは甘い餅を
 食べたい
ということから
 始まったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 2012-1-10のブログ : 讃岐の食べ物の話ー1 志度のカキ焼き

 2012-1-10のブログ : 讃岐の食べ物の話ー2 白方のカキ

  に讃岐の冬の味覚と言うことで、観光大使になってカキのことを書いています。  
 その記事をWordに貼りつけて、編集してからPDF→画像にしました。
 
      
  

香川県(讃岐)の偉人 「坂出塩田の父」久米通賢について調べました。

2014-12-24 | パソコン

私が毎日 楽しみにしているブログに香川県のさぬき市におられるお坊さんの
まほろば自然博物館があります。

 左の画像は12/23のブログです。
 毎日のさぬき市の天候から地域の行事などを
 詳しく書いてくれますので雨のことなどで志度の畑の心配が
 少し減ったりします。
 今年の9月のブログに
 坂出市が、「六人の偉人を巡る」という冊子を作っているとい
 うことがありました。

 崇徳上皇・西行法師・久米通賢・菅原道真・柿ノ本人麿・理源
 大師
という六人の偉人・・という冊子である。

  私は多度津生まれで坂出は近くですが。久米通賢と言う人が「坂出塩田の父」とは知りませんでした。

 志度の畑はさぬき市にあり、平賀源内の記念館もあって有名な人で
 さぬき市のミケランジェロともいうべき人。


 今回 久米通賢について調べると伊能忠敬とのことを詳細に書いている記事も見つけました。 


井上通賢の前に香川県(讃岐)についても調べました。

右の地図は少し古いもので、今は町村合併で高松市や坂出市に入った町があります。

志度町もさぬき市で東の方は東かがわ市です。

讃岐三白」と言う言葉があります。

「砂糖」「塩」「綿」が讃岐を代表する特産品だったようです。

「綿」でなく「小麦・米」という説もある様で、私は「小麦」と思っていました。

 

            

さぬきの塩・讃岐の砂糖で調べて見つけた画像です。

  


 左の画像は坂出市の塩釜神社にある久米通建賢の銅像で
 す

   久米翁略歴
 1780年、大内郡馬宿(現在の香川県東かがわ市)に
 生まれる。
 1841年、死去。享年62歳。
 1798年、大坂へ出て、暦学者の「間重富」氏の門下となり、暦学・数学等を学ぶ。
 1806年、高松藩の測量方に採用され、引田から西へと、測量地図の作成に従事。これは、”伊能図”より早い、讃岐最古の
実測地図である。
 1808年、幕命で日本地図を作成していた「伊能忠敬」一行が、讃岐国を訪れ、通賢も協力する。
 「忠敬」は「通賢」が作成した地図を見て、その精度の高さに驚き、賞賛する。
 1824年、このころ、財政難に悩んでいた高松藩、第9代藩主「松平頼恕」は、「通賢」の才能を見込んで、財政再建策をはかった。「通賢」はこれに応えて、坂出の浜に、新たな塩田の開発を献策。
 1826年、高松藩はこの案を採用し、「通賢」は普請奉行に任じられる。
        ところが、高松藩の財政難は深刻で、 途中から塩田開発工事資金がとどこおるようになった。
        「通賢」は工事を完成させるため、私財を投入して、工事を継続させる。
 1829年、坂出の東大浜、西大浜に ”入り浜式塩田” がついに完成した。
        藩主「頼恕」は大いに喜び、「通賢」の功績を称えるため、「阪出墾田之碑」を建立。
         この塩田完成で、坂出の塩生産量は、日本全体の約半分を占めるまでにいたった。
         高松藩の財政は、持ち直し、塩業は、長く讃岐国・香川県の代表的産業となった。        


坂出市にある鎌田共済会郷土博物館で、通賢の業績や発明品を見ることができる。

 伊能忠敬も賞賛したという測量地図の作成に必要な測定具もレベルの高いものだった。

   

久米通賢の経歴を調べていくと測量・塩田のキーワード以外に銃器のことも多く書かれていました。

江戸時代も末期になると、外国船が日本近海を訪れるようになっていたため、栄左衛門も兵法、オランダ流砲術等を学んでいる。

海防に関心をもち、たまたま1807年のロシア兵の択捉島侵略に刺戟されて造兵に意を注ぎ全流水軍術に工夫を加え火器を備えた 戦艦の構想をまとめて「戦船作積之覚」を藩庁に提出した。

また、銃器の改良についても従来の火縄銃に代えて燧石に接した鋼輪の回転によって発生する連続火花によって点火する方法を考案し、輪燧佩銃・無敵鎗間銃を作った。

1815年には従来の火縄式銃を火打ち石式に改良することに成功している。

さらに1839年には雷汞を完成して生火銃と称する雷管銃を藩主に献上するまでになった。

銃砲発射機構の改良に努力し,1812年輪燧佩銃(歯車式撃発銃)を,

1824年には風砲(空気銃)を,1839年には〈ドンドロ付木〉(オランダ製マッチ)の製造に成功,

1839年以降これを発火装置に応用した多くの雷管式銃などを製作して,近江国の鉄砲鍛冶国友藤兵衛とならび称せられた。

また,これらの発火装置を使用した大砲製作に努力し,発貢,無敵銃,百敵砲などの作品をのこした。

技術者として通賢が製作したものとして、星眼鏡・地平儀・オクタント・象限儀・風銃・水揚器・百敵砲などが知られている。


久米通賢の研究家・沢田平さん他の記事をインターネットで見つけて、Word → PDF → JPG画像にしました。
内容が高度すぎてよくわからないですが、久米通賢という人は伊能忠敬に匹敵するようです。

 

 

  


12月のわくわくお出かけは神戸市役所から生田神社の後、神仙閣での忘年会でした。

2014-12-18 | お出かけ

12/16(火)の9時に18名がJR吹田に集まって、三宮まで普通電車で
座って行きました。小雨模様でしたが市役所まで歩いていき、見学の後
生田神社に参拝してから昼食は「神仙閣」でした。

 左の画像はGoogleマップでに 
 当日の
ルートを表示させたものを
 Snippinng Tool
で切り取ったものです。
 今年はブログに載せる写真を 
 Googleの
ストリートビューで
 見つけて切り取ることを
よくやりました。
 今回のルートも①花時計前から見える
 市役所
少し歩いて②IKUTA ROAD
 の入り口の鳥居
 ③IKUTA ROAD
 の途中の風景   
④IKUTA ROADの
 最終で生田神社の近く
 ⑤生田神社の
 入り口(ストリートビューの最終)
 ⑥昼食の「神仙閣」の入り口までを
 Photoscape で下の画像を編集しました。 

 


 神戸市役所の24F 展望ロビーでKさんが
 依頼して
くれていたボランティアガイドさん
 二人に神戸についての
詳しい説明をして頂き、
 いろいろな知識を得ました。

 海側に見える公園では昨日までのルミナリエが
 撤去
され始めてしました。
 もう来年で20年になる大震災からの復興
 には
 目を見張るものがあります。
 皆さん神戸や震災についての思い出がたくさん
 あり、
ガイドさんにいろいろと質問をされて
 いました。
山側にはちょうど雲がかかって
 いて、良い景色でした。

 

 わくわくお出かけ恒例の記念撮影をもう一人の
 ガイドさん
が撮ってくれた全体の分と、
 別に撮った分をPhotoscape
で編集しました。

 女性のガイドさんの写真も撮りました。

     


 いつも全体の写真を撮るときに私とKさんが
 同じ構図で2回撮ります。
 それのどちらかをブログに載せていた
 のですが
今回は片方から一人を
 切り取って合成して
見ました。
 左右を広く撮っておかないと

 貼り付けに困ることに気づきました。
 この写真は右側に追加しています。
 手順は①Photoscapeでトリミング 
 ②Clipping Magicで切抜き
  
    ③Wordで背景を削除してpng保管
 ④Photoscapeで合成 です。


 

 市役所から雨の中を歩いて、IKUTA ROAD
 の入り口にある赤鳥居の前の写真です。
 ここから商店街を北に行くと生田神社が
 あります。
 生田神社に着くと すぐに記念撮影です。
 傘をさしているわりには うまく撮れて
 います。

 この写真も左に一人を追加しました。
 生田神社はとても立派なところでした。
 後方にある生田の森にも行きましたが
 大きな楠などがあり良いところです。
 撮った写真をPhotoscapeで4つづつを
 編集したものを4つ載せます。

  

  

参拝をして帰る前に もう一度屋根のあるところで記念写真を撮りました。
左側に一人追加したのですが、
これは赤い柱をPaintブラシで少し太くすることで
背景らしくなってうまく出来ました。


 お昼は忘年会と言うことで「神仙閣」という少し立派なお店を
予約しました。

 左にあるのがメニューです。焼きそばと炒飯を半分づつにして
 もらったら良かったかと
 思いますが、店の雰囲気も味の方も
 良かったです。

 

前菜が出てくる前に少し時間があったので、Kさんが用意してくれていましたアンケート用紙を配って
いままでに行って良かった所とか、これから行きたいところところなどを書いてもらいました。
今迄にお出かけで行った記録は以下のもので、これで話が弾んで今後の事もたくさん聞くことが
出来ました。

食事に時の写真をトリミングしたり、若く加工したりして編集した画像と
店の人がロビーで撮ってくれた写真です。

     

          


 今回も早速に長谷川さんが当日の事を
 まとめて送ってくれました。
 そのWordをPDFにしてから
 PDF-Viewerで

 JPG画像に変換しました。
 小椎尾さんがブログ:
     わくわくお出かけ・忘年会

 吉田さんがブログ: 
  神戸市役所・生田神社・神仙閣

 多村さんがブログ: 
     12月お出かけ神戸で忘年会。

 を書かれています。

 タイトルをクリックするとブログに
 リンクします。
 ご覧ください。

 

 

 


10年前に兄が企画したバリ島旅行を振り返ってみます。

2014-12-14 | 旅行

海外旅行の経験は少しですが、パソコンに記録してあります。

1998年12月 55才の時に家内の友人と行ったアメリカ旅行が最初です。その時の写真を整理して 今年の8/28~10/2に 5回に分けてブログに載せました。
16年前のアメリカ西海岸の旅行。(サンフランシスコ編)2014-08-28  

16年前のアメリカ西海岸の旅行。(ロサンゼルス編)2014-10-02  

 
 

 2003年11月 60才の時にも家内の友人と
 一緒に
 エジプト旅行に行きました。
 その時の写真も資料も

 沢山あったので エジプト 2011年2/
 19~2/24
に 6回のブログを載せました。 

 8年前のエジプト旅行(カイロ編) 2011-02-19
 8年前のエジプト旅行も終わりに(カイロ→ 帰国) 2011-02-24 

 
 

今回 寒くて家にいる時間があり、2004年12月 61才 の時に兄が誘ってくれたバリ島旅行を整理しました。

その時の資料がほとんどなくて、日記から12/5~10日だったと分かりました。
バリ島がどんな位置にあるかも
知らず、
何の予備知識なしでの旅行でした。

一緒に行ったのは兄夫婦と、丸亀市の叔父さん
夫婦の
6人です。その叔父さんはガンで亡くなり 叔母さんも介護施設での生活になっています。

2004年12月26日にスマトラ島沖地震があり、その時の大津波の映像が凄くて、旅行で乗った象さんが
気がかりでしたが、ちゃんと繋がれている鎖を自力で切って助かったというニュースの記憶があります。


 泊まったホテルはかなり立派だったのですが、
 ホテル名を
思い出せません。
 いくつかのオプションツアーに参加したり、
 ホテルから
 タクシーで現地の市場に出かけて
 みたり、スーパーで
 部屋で飲むお酒や
 土産のチョコレートを買ったりしました。

 ホテルでエステのサービスがあり、私の分も家内
 が使い
 良かったようでした。

 

 
 ホテルの柱は太い木で作られていて、高い天井です。
ホテルの所々に石で造られた大きな像などがあり、
庭も部屋も立派だったと思います。

食事も特に問題があるような味には遇いませんでした。そのころはブログに残すようなことは考えがなくて何を食べたかと言われると 中華もあり、宮廷料理もあり、海鮮料理もあり 現地の料理などいろいろと食べたのです
写真がないので思い出せません。

 

 上段の左の写真は多分 芸術村と言う所で絵を
 描いている
様子を見学した後に現地の人と
 記念撮影をした時です。

 上段の右はどこかの海岸で兄と撮りました。

 10年前は若くてまだそれほど太っていません。

 ずっと好天気で暑さも適度だったかと思います。

 下段の写真は海岸近くの店での記念撮影です。

 誰かに撮影を頼んで6人が写っている分です。 


右の写真はディナーショーの時に観たバリ舞踊の写真をトリミングして Photoscapeで編集しました。

下の写真は ケチャダンス だったと思います。

踊りの内容を聞いたと思いますが、ほとんど

記憶がありません。

 

 

 左の写真はバスで見に行ったと思います。

 当然 ストーリーがあって、それに沿って踊りが
 進んでいくのですが舞台とか 衣装とか 近くの
 楽器の演奏などが見て楽しかったかと思います。

 インターネットで「バリ舞踊」を検索しました
 バリ舞踊はインドネシアのバリ島でバリ・ヒンド
 ゥーの 儀式や冠婚葬祭の際に演じられる舞踊。

  これらは、元来は共同体の宗教儀礼として行なわ
 れて
きたものであるが、実際に観光客に見せてい
 るのは、
共同体の祭祀からは切り離され観光用
 に 仕組まれた
レパートリーであり、舞踊芸術が
 宗教的文脈から
 切り離されていったのである。

 


バリ島観光で絵画や工芸品を作っている村を見学して、鮮やかな色彩と緻密な絵の数々に感心しました。

一枚の絵を選んで、木彫りの粗末な額に入ったのを買って帰り長い間 飾ってあったのですが 今は見当たりません。

展示してあった絵の写真をたくさん撮ってあったのを、トリミングして Picasa3でコラージュにしました。

           


 オプショナルツアー観光で象にのりました。

 ジャングルの中を象の背に乗って歩いていきます。

 途中で象の頭のところに乗せてくれたり、

 最後にはプールで水遊びで、良い体験でした。

 そこで昼食もあって 現地のメニューだったかと

 思いますが何も記憶にないです。  

  下の写真は舟で行った海亀の島での写真と

 ナイトクルージングで撮った写真を

 Photoscapeで編集したものです。

 

     

          


 叔母さんは洋服などを作るお店をやっていたので
 生地を探して、気に入ったのがあったようでし
 た。
家内は舞踊の細工をした銀の飾りのを買いま
 した。
 私の部屋にありるティッシュ入れもバリのお土産
 でしょうか。
 絵を飾っている写真です。買ったのは踊っている
 三人が
 少しづつ色が付いている絵ですが、
 見当たりません。
 海亀の島で買った小さな置物が出てきました。

         

バリ島のお土産品をインターネットで調べて、Photoscapeで編集しました。

 インターネットで見つけた バリ島の果物です。(ドリアン・マンゴー・マンゴスティン・ランブータン
              ドラゴンフルーツ・スネークフルーツ どれがどれか良くわかりません。)

バリ島の棚田は見事な風景でした。私が撮ってあった写真とインターネットでの写真を編集しました。


寒波の週末に志度の畑と「ホテル レオマの森」に行って来ました。

2014-12-09 | 旅行

12/5(金)の9時半頃に家内の運転で志度に行き、少しだけ畑の仕事をして

丸亀にある「レオマワールド」のホテルに向かいました。

兄夫婦は大阪から無料のバスで来て、多度津にいる弟夫婦は近くから車で来て

久しぶりに3組が集まって風呂に入って、夕食のバイキングを食べました。

12/6の午後からは志度の畑で仕事をして、12/7(日)の夕方に吹田に帰って来ました。


 今回の仕事はエンドウとそら豆の支えと、
 コヤシやり
でした。エンドウにはネットを張り、
 紐でくくりつけ
 そら豆にも支柱を追加しまし
 た。
こやしは米ヌカがたくさんあるので、玉ねぎ
 のエリアと
 そら豆・エンドウなどの畝に蒔いて
 きました。
 収穫したのはダイコン・カブ・ハクサイ・マンバ
 などです。
ダイコンは「べったら漬け」のレシピ
 が10kgとのことで
 毎年 買っていたのです
 が、今年で初めて自作分です。

ダイコン・カブのエリアは今年が初めての場所で土地の状況が良かったのか、ダイコンが大きくなっています。カブは美味しくて喜ばれますが、少ししか収穫できず来年はもっと増やすほうがよさそうです。ハクサイは4株持ち帰りました。かなり虫に食われていますが、どうにかハクサイらしき形になっています。マンバは何度でも育つので名前が付いたかと思いますが、今回も収穫出来ました。

冬瓜は日持ちするようで、今回も隣家から頂きました。 


 今回のレオマ行きは兄の発案で、大阪から無料の
 バスが
あり「北海道バイキング」とのことで、
 3組の兄弟夫婦が
集まりました。

 私はレオマワールドのホテルに泊まるのは初めて
 ですが
 「大江戸温泉物語」になってから人気が
 あるようです。

 露天風呂が3つか4つもあって、お風呂の好きな
 人は
 喜べます。
 バイキングもカニがいくらでも食べれて、刺身な
 ども
 美味しくて たくさんいただきました。

 大きな場所ですが、満席の状態です。

 私たちは5時半からの組で入って 8時くらいま
 で
いました。帰るころには受付にかなりの人が
 並んでいました。


 

 


2011-7-4のブログ : 子ども・孫たちと香川県の遊園地(レオマワールド)に行きました。

でレオマに行ったことを書いてありました。 ブログで残しておくのが記憶をたどるのに良いです

 


 ホテルの部屋のTVでは徳島県の東みよし町、つるぎ町
 などに
大雪が降って道路が通行止めとのニュースです。
 レオマに来る途中で見えた山々には雪が降っているよう
 に
見えましたが、こんなに被害が出るとは思いませんで
 した。

   


弟の息子が建てた家が高松市の西にあるので、見に行きました。

出来たところで きれいです。内部も最新式でいろいろと便利なようになっています。

レオマからそこに行く途中に「田村うどん」の店があり、小さいですが観光バスが止まっていました。

 


 12/1にスマホを買い替えました。3年使って 
 電池の減りが早いので新しくしましたが
 電池の持ちだけでなく いりいろと改善されてい
 て
 使いやすくなっています。
 やっとメールと電話になれてきて、カレンダーの
 登録や
 LINE・MAPなどはこれからです。

 カメラの機能も随分 良くなっているようです
 が、
帰りに明石海峡大橋の写真を撮ってみたとこ
 ろ 
きれいには撮れませんでした。
 夜景の撮り方などを調べます。

  


Picasaウェブアルバムに登録したいろいろな映画作品をまとめました。

2014-12-04 | パソコン

Picasaウェブアルバムに動画を登録できることを習ってから、訃報を聞いた時などに

インターネットから動画を取り込んで ムービーメーカーで編集したりして載せてあります。

今回は高倉 健さんの訃報を聞いてCraving Explorerで「昭和残侠伝」の予告編を

9作品ダウンロードして、ムービーメーカーで編集した分を登録しました。

     (☆下の画像をクリックするとPicasaウェブアルバムにリンクします。)

     


2013-4-16のブログ : 三國連太郎の訃報を知り、50年以上も昔の映画をウェブアルバムに載せました。

「大いなる旅路」は父が機関車の運転手だったことから、公民館でも上映したりした作品です。

最後の方で父の三国連太郎を載せた新幹線「こだま」の運転手が高倉健です。

作品全体をムービーメーカーで6作品に分けて、Picasaウェブアルバムに登録しました。た。

             (☆下の画像をクリックするとPicasaウェブアルバムにリンクします。)

     


2014-1-19のブログ : 宮崎アニメの予告編をYouTubeから取り込んで Picasaウェブアルバムにまとめました。

宮崎 駿の引退を機会に 2013-9-15のブログで、宮崎アニメのベスト10ということを書きましたが、

今回1作目の「ルパン三世」から昨年の「風立ちぬ」までの15作品をYouTubeから取り込んだ分を

ムービーメーカーで編集して、一つにまとめました。      
    (☆下の画像をクリックするとPicasaウェブアルバムにリンクします。)

 


2013-7-21のブログ : エリザベス・テーラー主演の映画「ジャイアンツ」を編集してYouTubeに載せました。

 2011-3-27のブログ「エリザベス・テーラーの訃報を聞いて映画をまとめました。」でいろいろな

作品を載せましたが、「ジャイアンツ」が一番好きな映画なのでムービーメーカーで編集しました。

一度 YouTubeに載せましたが、著作権侵害で削除されたのでPicasaウェブアルバムに
登録しました。

       (☆下の画像をクリックするとPicasaウェブアルバムにリンクします。)

     

https://photos.app.goo.gl/PLnWZ0sDuhq8Z7ME2


2014-10-16のブログ : 50年前の映画「渚にて」をPicasaウェブアルバムに登録しました。

この映画については 2011-2-1のブログ 若い頃に観た映画 「渚にて」を DVDにしました

で YouTubeから取り込んだ映画の ラストシーンと、インターネットで調べた映画の解説を載せましたが、今回はムービーメーカーで最初と最後を一つにまとめてPicasaウェブアルバムに登録しました。

     (☆下の画像をクリックするとPicasaウェブアルバムにリンクします。)

     

https://photos.app.goo.gl/0mjjKNsBol9qv1d42

 

今回の映画「渚にて」はレコーダーでDVDにしたもので、保管された状態は分割されていましたが、

この一つをPicasaウェブアルバムにアップロードして、残りの3つを追加でアップロードしました。

      (☆下の画像をクリックするとPicasaウェブアルバムにリンクします。)

       

https://photos.app.goo.gl/BnW6rkFlAw5oxMzE2


懐かしい映画をいくつか Craving Explorerでパソコンに取り込んで、DVDにしたりしました。

Picasaウェブアルバムに登録すると容量が大きいので あまり登録できません。

加藤大介さんの自伝的な映画で、多くの俳優が出ている「南の島に雪が降る」を

Picasaウェブアルバムに登録してあります。

     (☆下の画像をクリックするとPicasaウェブアルバムにリンクします。)