ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

エリザベス・テーラーの訃報を聞いて映画をまとめました。

2011-03-27 | パソコン

2017-10-26 「いそしぎ」が再生できなくなっていたので Youtubeから取りこみました。 

 

エリザベス・テーラーの訃報記事を見て 持っているDVDやビデオを見直しました。

ELIZABETH TAYLOR 本名:エリザベス・ロズモンド・テイラー
生年月日:1932年2月27日 没年月日:2011年3月23日
出身地:イギリス  出演映画:48タイトル

今日(3月28日)の読売新聞の記事です。

 


 以下はエリザベス・テーラーの訃報記事(3月24日)です。

エリザベス・テイラーさん死去 

「若草物語」「クレオパトラ」「バージニア・ウルフなんかこわくない」
などで2度のアカデミー賞主演女優賞を獲得し、ハリウッド黄金時代の銀幕を彩った女優エリザベス・テイラーさんが23日、ロサンゼルス市内の病院でうっ血性心不全のため死去した。79
歳だった。
ロンドンで生まれ、39年にロサンゼルスヘ移住。10歳で子役として映画デビューし、「若草物語」、「花嫁の父」などでスターの座を獲得した。「バターフィールド8」でアカデミー賞主演女優賞を初受賞。その後も「クレオパトラ」、「いそしぎ」
などでファンを魅了。「ハリウッドで最も美しい女優」と称賛され、「リズ」の愛称で親しまれた。

エリザベス・テイラーさんの人気を決定づけたのは、
49年の「若草物語」。
演じたのはおしゃまな娘エミー役で、バラ色の頼に黒髪、美しい顔だちと豊かな表惰で世界の映画ファンを魅了した。
その後は徐々に演技派としての一面も見せた。
浮き沈みの激しいハリウッドで名実ともに女優としての地位を確立できたのは、天賦のスター性に子役時代から磨いた演技力が備わったからこそだろう。

80年代以降は、私生活で話題をまき続けた。18歳の時にホテル王の息子と結婚、後に英国の俳優リチャード・バートンさんとは2度結婚し、91年には20歳年下のラリー・フォーテンスキーさんとも結婚した。

近年、テイラーさんが力を注いだのは、エイズ撲滅運動。
親友で共演者でもあった俳優のロック・ハドソンさんがエイズで亡くなったのをきっかけに、91
年にはエリザベス・テイラー・エイズ財団を設立。
治療研究のため募金活動などを繰り広げた。
慈善運動やゴシップなど、晩年は本業以外の話題が先行しがちだったが、
映画界に残した確かな足跡を忘れてはなるまい。


 ○『若草物語』 LITTLE WOMEN 1949年 アメリカ映画 17歳
 
  監督:マーヴィン・ルロイ 出演:エリザベス・テイラー・ジェーン・アリソン

M-G-M社は、スタジオ創立25周年を記念して『若草物語』のテクニカラーでの再映画化を企画。 4度目となる映画化の製作と監督を担当したマーヴィン・ルロイは、映画化に際して経費を惜しむことなく贅沢に使い、マーチ家の四姉妹にはスタジオ専属の人気女優たちを豪華に起用。主人公で次女のジョー役にはジューン・アリソン、長女のメグ役にはジャネット・リー、三女のエイミー役にはエリザベス・テイラー、四女のベス役にはマーガレット・オブライエンを起用する。

出来上がった作品は観客からは絶大な支持を集め、49年の話題作の一本として興行的に大きな成功を収めた。

アカデミー賞では2部門にノミネートされ、カラー美術監督賞を獲得する。

     


○『陽のあたる場所』 A PLACE IN THE SUN 
    1951年 アメリカ映画 19歳
   監督:ジョージ・スティーヴンス 
   出演:エリザベス・テイラー・モンゴメリー・クリフト

原作はセオドア・ドライザアの小説『アメリカの悲劇』。
アメリカの光と影に焦点を当て続けた巨匠ジョージ・スティーヴンスが監督。
貧しい階級から上流社会へ…愛と欲望の間で苦悩する男が陥った闇を描くサスペンス。
青春の明と暗、栄光と挫折を当時の若手俳優を起用して製作、演出した野心作。神話的な戦後のスター二人、モンティとリズの心ときめく青春像の彫塑が素晴らしい。
アカデミー賞では監督・脚色・撮影・衣装デザイン・編集・音楽の6部門を受賞。

     


○『熱いトタン屋根の猫』 CAT ON A HOT TIN ROOF 
  1958年 アメリカ映画 26歳
 
  監督:リチャード・ブルックス 出演:エリザベス・テイラー

『欲望という名の電車』『バラの刺青』などで知られるテネシー・ウィリアムズのヒット舞台劇の映画化で、298回の上演記録をもつ同名の戯曲を、「暴力教室」「カラマゾフの兄弟」のリチャード・ブルックスが監督した。
主演は「愛情の花咲く樹」のエルザベス・テイラーに
「左ききの拳銃」のポール・ニューマン。
ニューマンは
1958年度カンヌ映画祭で主演男優賞を受けた。
南部の大農園の相続をめぐって、もろもろの欲望のうずまく一家の人間像を描き出すドラマ。

      


○『ジャイアンツ』 GIANT 1959年 アメリカ映画 27歳
  
監督:ジョージ・スティーブンス  
  出演:エリザベス・テイラー・ロック・ハドソン

第29回(1956年)アカデミー監督賞を獲得した作品である。
シマロン』などの小説で知られる女流作家エドナ・ファーバーが書き終えるのに
12年間かかったベストセラー小説を映画化した、大河ドラマである。

ドラマの中心となるベネディクト家は、移り行くテキサスを映す鏡である。監督は、その日常的な細部を克明に悠然たるテンポの演出で描くことによって、雄大なテキサスのエピックを完成しようとした。リアリズムを基調として、澎湃たるテキサスの発達史を描きだそうとしたわけで、野心的な試みである。

また、女性の自立の問題や人種問題など、21世紀になった現在でも直面している問題に対して、先駆的な問題意識を観客に届けている。

ロック・ハドソンエリザベス・テイラー  ジェームズ・ディーンの主役3名は熱演。
ディーンは、この作品の撮影終了後の1955年9月30日、
24歳の若さで自動車事故で世を去った。

テキサスに59万エーカーもの広大な土地を持つ牧場主ジョーダン・ベネディクト2世(ロック・ハドソン)が、東部の名門の娘レズリー(エリザベス・テイラー)を妻に迎える。初めてテキサスを訪れた彼女はその途方もない広さに驚き、東部とはあまりにも異なる人間の気質と生活習慣に戸惑う。夫の姉ラズ(マーセデス・マッケンブリッジ)の冷たい視線にも苦しめられ、一時は夫婦の間の絆にも危機が訪れるが、レズリーは持ち前の粘り強い性格でそれを乗り越えていく。

このレズリーに心を寄せるのがひねくれ者の若い牧童のジェット・リンク( ジェームス・ディーン)。彼は事故死したラズが遺してくれた土地に移って石油を掘り続け、ついに油田を掘り当て、石油事業を興して大金持ちになる。

歳月は流れ、米国でも屈指の大富豪になったジェットと牧畜業がうまくいかなくなったジョーダンは、ホテルの祝賀パーティの席で対決の時を迎える。

この物語にジョーダン3世(成長してデニス・ホッパー)、ラズ2世(成長してキャロル・ベイカー)、メキシコ人の若者(サル・ミネオ)らが複雑に絡み合い、メキシコ人差別の問題も盛り込みながら30年間のドラマが繰り広げられる。

 

     

James Dean, Giant


 

○『バタフィールド8』 BUTTERFIELD 8 1960年 アメリカ映画 28歳
  
監督:ダニエル・マン 出演:エリザベス・テイラー・ローレンス・ハーヴェイ

この作品でエリザベス・テイラーがアカデミー主演女優賞を受賞した。
テイラーの受賞は、それまで三回ノミネートされながら受賞せず、肺炎で倒れたことへの同情からで、それ以外にはノミネートされておらず作品の評価は高くない。
主演女優賞を受賞したエリザベス・テイラーだが、実はこの映画が嫌いで、
一度も観ていないという。

  
    

BUtterfield8 - Gloria

 


 ○『クレオパトラ』 CLEOPATRA 1963年 アメリカ映画 31歳
  
監督:ジョセフ・L・マンキウィッツ 
  出演:エリザベス・テイラー・リチャード・バートン・レックス・ハリソン

クレオパトラの波乱の生涯を描いた、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督による文字通りのスペクタクル史劇超大作。エリザベス・テイラーが世界三大美女の一人クレオパトラを気高く演じる。映画史上もっとも金と時間がかかった作品とも言われ、製作時からトラブルが続発し、製作会社20世紀FOXの屋台骨が一時傾いたほど。
しかし、
CGではなく本物の人海戦術で作られた本作品のスケールと迫力は、
今やハリウッドでも表現不可能なものである。
アカデミー賞では撮影、美術監督、衣装デザイン、特撮効果賞の
4部門を受賞。

 

   

Cleopatra part 1


○『いそしぎ』 THE SANDPIPER 1965年 アメリカ映画 33歳

監督:ヴィンセント・ミネリ 出演:エリザベス・テイラー・リチャード・バートン

当時、夫婦だったエリザベス・テイラーとリチャード・バートンの、結婚後の初の共演作であり、主題歌『シャドウ・オブ・ユア・スマイル』は第38回アカデミー賞の音楽賞を受賞した。

     

The Sandpiper (いそしぎ)-"The Shadow Of Your Smile"


3月のわくわくお出かけはキューピー伊丹工場でした。

2011-03-26 | お出かけ

今回はJR宝塚線の猪名寺駅から近いところにある

キューピー伊丹工場を見学してきました。

そこではマヨネーズを作っていて すごい速さで機械が

卵を割って 黄身と卵白に分けて プラスチックの瓶に詰めて

いました。 自動機械やロボットが活躍しているのに感心しました。

見学の後は キューピー伊丹工場の近くに「つかしん」という

ショッピングセンターがあり そこのイタリアンバイキングで昼食にしました。

パスタとピザでデザートもあって 1280円で割安に感じました。

「つかしん」は私が勤めていた会社に近いので懐かしかったですが

かなり雰囲気が変わっていました。

一緒に来られていた廣瀬さんがデジカメで撮った写真を

Wordで編集してくれました。

「つかしん」から阪急電車の塚口までの住宅街を

5人で歩いて帰ったのですが 通勤や飲み会で

通っていた道です。


食事の店は「モビー・ディック」でした。 お手ふきに「MOBI DICK」と

書かれていて鯨の尾がデザインされていました。

「モビー・ディック」は昔見た クレゴリー・ペックが主役の

映画「白鯨」かと思って調べてみました。

   

この映画はグレゴリー・ペックの熱演と特撮など見所の多い

好きな映画で とても懐かしいです。

映画「白鯨」を紹介しているインターネットを見つけました。

http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/MOBY%20DICK.htm

です。

YouTubeにある「Moby Dick」の予告編は

Moby Dick trailer

です。

ご覧下さい。


志度は水仙が咲いて春の感じになっていました

2011-03-22 | 志度の畑

3連休に高速バスで志度に行きました。
久しぶりに歩くと農道が舗装されていたり
風景が少し変わっていました。
いつもの五剣山と途中で見つけた花などの写真を
撮りました。

      ボケの花  

  ミモザの花

一年前と同じように 畑にはホトケノザが沢山咲いていて
ログハウスに置いてある鉢植えの春蘭はもう咲きそうでした。
ログハウスの近くにある 6月に実をつけるスモモが2日間
の滞在中で芽が大きくなり 次回には葉になっているでしょう。

  

  

3月の初めに植えたジャガイモはまだ芽が出ていませんでした。
今回はワケギ ブロッコリーなどの苗を買って植えてきました。
冬を過ごしたタマネギが生長してきて楽しみです。
まんば は収穫できる大きさになっていたので持って帰りました。
えんどう と ごぼうも少しずつ大きくなってきています。

  

水仙が沢山きれいに咲いていました。
遅い品種はまだつぼみで 斜面の分はもっと遅くなるようです。


新聞の記事に屋島にまつわる話がありました。

2011-03-07 | お出かけ

私が郷里の香川県に行って寝泊りしているのは
高松市の屋島にある家内の実家です。

近くにある新川という橋の欄干に 那須与一
扇の的を射た という話の銅像などがあり、
今回 好天の朝に写真を撮ってきました。

  

川の向こうに見えるのが屋島で 隣には五剣山があります。


最近の読売新聞の夕刊に 海の細道」という連載記事があり
13回「扇の的」射落とされた平家 の中に
以下のように 那須与一のことが書かれていました。
  

黄金の太陽をえがいた紅の扇を竿の先に立て、

舟のうえから手招きしているのは

『平家物語』によると「十八九ばかりなる女房」だった。 

若い女性であるのは平家の陣中にただよう、ある空気を物語っている。

同じ平家の陣営にいても男と女では敵に対する気持ちがちがう。

男にとって源氏の武者は敵以外の何者でもないが、

女にとってはそうばかりでもない。

坂東の田舎侍とはどんな男たちなのか、ちょっと気になる。

からかってみたくもある。

舟の女人は平家陣営の女たちのそうした気持ちの代弁者として

波にゆられながら立っている。

源氏方はこんな挑発を放っておくわけにはゆかない。

扇を射落とすために弓の上手な者のなかから選ばれたのは

那須与一だった。

まだ二十歳ばかり、一本の矢によって後世に名をとどめる若者である。

西国の春の夕ぐれ、太陽は屋島のかなたに沈もうとしていた。

与一は残照にそまる白波に馬を乗り入れた。

このとき、与一が馬を立て、
矢を射たという岩が

海のなごりの水路に沈んでいる。

与一は神々に祈ると、矢を弓につがえ、ぐいとひきしぼってひょうと

放った。鏑矢の先端には形の笛がついていて、放てば音高く鳴る。

『平家物語』のこのくだりは美酒に酔うかのような名文。


そのまま引こう。

「鏑は浦響く程に長鳴りして、誤たず扇の要際一寸ばかりを射て、

ひふつとぞ射切つたる。鏑は海へ入りければ、扇は空へぞあがりける。

春風に一み二按みもまれて、海へさつとぞ散つたりける」

青年はみごと若い女のかかげる扇を射落とした。

恋のかけひきにもまがうこの余興はただの余興ではなかった。

源平合戦のゆく末を占う意昧があった。

じつは扇を射られたとき、平家は源氏に敗れ去った。

壇ノ浦で平家が滅亡するのは、これからわずかひと月

のことである。
 


翌日の「海の細道」 14回 「海の要塞」 敗れて瀬戸内を失う

には 古く 要塞としての屋島が書かれていました。

2月11日の大雪の日に撮った屋島の写真があり 

「海に浮かぶ要塞」 として以下の記事がありました。
 

 

少年のころ、『平家物語』をよんで不思議に思ったことがある。

屋島で敗れた平家はなぜ一気に壇ノ浦まで退いてしまうのか。

途中には平家の聖域である厳島もあるのに、たいした抵抗もせず、

あっさり瀬戸内海を源氏にあけわたしてしまうのはなぜか。

この謎をとく鍵のひとつは古代の東アジアにある。

七世紀半ば、唐と新羅の連合軍が朝鮮半島の百済をほろぼした。

大和朝廷は救援のため大艦隊をさしむけるが、村江の海戦で大敗する。

四百隻の軍船が炎上したという。

勢いづいた唐と新羅が攻め入るのを恐れた朝廷は瀬戸内海一帯に

防衛網をめぐらす。

西の要は太宰府である。もともと海寄りにあったが、

現在の内陸に移し、(水堀と防壁)を築き、

南北ふたつの山城で固めた。

瀬戸内海の屋島、難波と奈良をむすぶ道すじの高安山にも

(き)」とよぶ要塞を築いた。

ときの朝廷の指導者は中大兄皇子(のちの天智天皇)だが、

その警戒心は都を
飛烏から琵琶湖畔の大津、

つまり日本と大陸をむすぶ水路の奥まで下げたことからもわかる。

屋島の頂は平らな台になっている。

周囲は切り落としたような断崖である。

当時の土木技術者たちは断崖でないところに石積みをして

「海に浮かぶ要塞」を
つくりあげた。

瀬戸内淘歴史民俗資料館」の副館長だった溝渕茂樹さんと

要塞の上を歩いた。

「唐の艦隊がいつ姿を現すか、ここから西の海に目をこらして

 いたんですね」

「瀬戸内海はこの辺がいちばんくびれている。

 もしここを突破されれば、
都は裸も同然なのです」

溝渕さんは「屋島は瀬戸内海の制海権の要だった」という。

事情は五百年後の源平時代も同じだろう。

屋島を源氏に奪われた平家は、屋島とともに瀬戸内海全体を

失ってしまったことになる。

もはや、なすすべもなく西の果て関門海峡の壇ノ浦まで

引きさがるしかなかった。

 

    

 


 この記事を読んで 3年前の真夏に孫と岡山のお城を廻ったときに
備中 鬼ノ城 で屋島も同じ遺跡があるとの説明を聞いたことを
思い出しました。



 鬼ノ城は、吉備高原の南端に位置する鬼城山山頂に築かれた

古代山城(古代朝鮮式山城)だ。
 
すり鉢状になった山頂から八合目辺りをを土塁と石垣で

周囲2.8kmにも渡って廻らした城で、

中世・戦国時代の山城を見慣れている者にとって、

初めて見る古代山城は、全く違った山城の姿に驚かされた。

 鬼ノ城は、幾度も発掘調査はされ、その結果に基づいて

西門とその両翼に連なる版築土塁の復元

そして高石垣の修築、城壁内外の敷石や水門の発掘など、

数々の発掘と復元・修復が行われている。

鬼ノ城は、日本書紀や続日本紀などの史書には鬼ノ城に関する記述がなく、

研究者により諸説があり、実際の築城年代や築城者については定かでない。

 天智天皇2年(663年)、大和朝廷は朝鮮半島の動乱で百済救援のため

出兵し、白村江の戦いで唐・新羅に敗れた。
 
大和朝廷は、西日本に大野城など12城を築城して唐・新羅による

日本侵攻に備えた。

 鬼ノ城は、日本書紀に記されている12城が築城されてた頃に

築かれたか、あるいは以前からあった城砦を現在残る遺跡のように

大規模な増改築されたとする説が有力視されている。 


1月ぶりに志度に行って ジャガイモを植えてきました。

2011-03-07 | 志度の畑

2月の初めに志度に行き 畑を耕した後 11日からの3連休が
雪でいけず 今回 1ケ月ぶりに行ってきました。

お店に種芋を買いにいったら もう終わっている店が多くて
慌てました。
知り合いの人から 87番札所の長尾寺近くにあるお店を
教えてもらい 男爵を10kg アンデスともう一種類 初めての
品種を各1kg買いました。 メークインはもうありませんでした。

お店の人にジャガイモの植え方の説明を聞いていたら そこの
おばあさんが段ボールに詳細なマニュアルを書いてくれました。
やっとジャガイモについての知識を得られた感じがします。

畝を数本作ったのですが かなり上手に出来るようになりました。
80cmくらいの畝には2列で 幅の少ない畝には1列 30cm間隔
で カットしないで植え付けました。
新しく 別の場所にも 畝を作り うまく12kgのジャガイモが
植えられました。
何倍くらいの収穫になるかと 皮算用をしています。

ジャガイモを植えた後の写真をコラージュにしました。


現在 畑で育っているのは まんば と タマネギで 寒いのに
元気な様子で安心しました。
まんば は少し収穫してきて これから暖かくなるとすぐに大きくなるそうです。
タマネギの畝には草がかなり生えてきていて 草取りもしました。

  


畑の近くにある梅の木 2本がちょうど満開でとてもきれいでした。
実を沢山付くことを期待しています。

斜面にある水仙は まだまだの品種でこれからです。
つぼみが大きくなったのもあり 咲いているのは隣人の
水仙をもらったものです。

満開の梅の花 と いろいろな水仙 の写真をコラージュにしました。