ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

25年前のアメリカ西海岸の旅行を振り返ってみます。(サンフランシスコ編)

2023-12-12 | 旅行

25年前のアメリカ西海岸の旅行を振り返ってみます。(サンフランシスコ編)

2014-08-28 | 旅行

1998年12月6日から11日まで 初めての海外旅行に行った時の記憶をたどってみます。

55歳で仕事も忙しい時に家内がダンスの友達2人と行く旅行に便乗しました。

海外旅行の経験が豊富で、英語もすごく達者なYさんが面倒を見てくれて

無事に楽しい旅行ができました。

たしか 10数人くらいの少ないメンバーで、ガイドさんがよく世話をしてくれたと思います。

当時はまだデジカメが無くて、APSカメラで撮影してプリントしたアルバムが7冊ありました。

その中なら選んだ分をスキャナーで画像にしたり、インターネットで取り込んだ画像を編集しました。

 旅行に際して購入した本が残っていました。

 今 見るとよくわかりますが、その時は読んでも

 あまりわからなかったと思います。

  


アルバムの最初はサンフランシスコで、観光で一番の人気スポット ゴールデン・ゲート・ブリッジ

背景に写真を撮っていたのを編集しました。

 ゴールデン・ゲート・ブリッジを造った人の
 ことを 調べてみました。その時にガイド
 さんから説明があったと思いますが、すご
 い人です。 「20年と2億の言葉で説得。
 橋に賭けた男の夢」 金門橋物語  
 SF最大の名所、ゴールデン・ゲート・ブリ
 ッジ。特に夏、霧に包まれて浮かび上がる
 姿は、SFの代表シーンとして世界中の人々
 の頭に焼きついている。しかし世界屈指の
 橋も、この男がいなかったら実現しなかっ
 たことだろう。その男はシカゴ生まれの
 エンジニア、ジョセフ・ストラウス。
 1920~30年代の長い間・ゴールデン・ゲー
 ト(金門)海峡に橋を架ける夢を語り、説得し
 続け、遂に実際に造り、その後まもなく死
 んでしまった。
 彼が生涯に手がけた橋は約400。まさに橋ロ
 マンの男と呼ぷにふさわしい人だった。
 周囲の説得にこんなに長くかかったのは、
 まずフェリー会社から猛反対が巻き起こ
 り、次いで市民から、景観や地震に対ずる
 不安の声が上がったからだ。

ようやく、周辺の6つの郡の住民投票によって、建設資金を集めるために公債を発行ずることが決まったが
大恐慌時代のさなかで、債券を引き受ける金融機関はなかなか見つからなかった。
この危機を救ってくれたのが、バンク・オプ・アメリカの創業者である。
橋の工事は1933年1月5日着工、完成は1937年4目28日。オープニングには歩行者を渡ることにしたが、
なんと20万人もが押し寄せた。
そして翌日が車の渡りぞめ。「説得には20年と2億の言葉を費やして、
コンクリートとスチールをくっつけるには、たったの4年と3500万ドル」というのが、
彼の感想だったとか。


 Googleマップのストリートビューで
 取り込んだ 画像を編集しました。
 「霧のサンフランシスコ」をCravin
 g Explorerで ダウンロードし
 た分をPicasaウェブアルバムに
 登録しました。
 

  

  旅行の本をスキャナーで取り込んで
  見ました。
  サンフランシスコを舞台にした映画が
  多くあると思って調べてみました。

  YouTubeにヒッチコックの
 「めまい」の予告編が あったのを
  取り込んで Picasaウェブアルバ
  ム に登録しました。

 

  

  出演者はジェームズ・スチュアートと

  キム・ノヴァクです。


サンフランシスコのホテルはケーブルカーの乗り場の近くだったかと思います。夕食後に家内と二人で

山頂まで行って無事に帰って来れました。イタリア人のグループがケーブルカーの中で元気に歌っていた記憶です。

暗い写真ですが 一枚だけケーブルカーが写っているのがあり、POWELL & HYDE Sts. の文字が見えます。

インターネットで取り込んだケーブルカーの画像を Photocapeで編集しました。

   

            


サンフランシスコの観光スポットとしては「フィッシャーマンズ・ワーフ」があり、自由に散策して

ガイドさんから勧められた人気のお店でカニを茹でたのを買って食べたと思います。

私が撮ってあった風景写真と、お店の人と買っている家内たちの写真を編集しました。

  

           


20年前のエジプト旅行ーセントカテレーナ編・スエズ編

2023-12-11 | 旅行

20年前の2003年11月20日~29日に家内が広島の友人と計画した
「10日間のエジプト」というツアーに便乗して行った「エジプト旅行」について
今までのブログを編集しました。

まだ会社で仕事をしていた頃でしたので まめにEXCELで
行程表・土産リスト・支払い明細表などを作ってありました。
当時は 1ドル 120円 エジプトポンド(L.E.) 20円でした。
日本円の支払いも出来て 「千円・千円」と言って土産物を売っていて
つい いろいろと買ってしまいました。

行程表は次のようなもので 帰国してから作ったものを今回パソコンから
見つけて今回 手直しをしました。
当時はまだデジカメがポピュラーではなく APSのカメラとバカチョンカメラ
で撮ったのを カメラのキタムラでCD化してもらっていました。
現地で団体写真も撮ったのが残っていたり パソコンに沢山の写真があったので
地域ごとにコラージュにしたり 絵ハガキのスキャナー分なども入れて
整理していきます。


 

6日目 11/25(火)
            午前:ラスセドルにて自由行動。
            午後:聖なる街セントカタリーナヘ。 
                 宿泊はセントカタリーナプラザホテル。
7日目 11/26(水)
            夜明け前、シナイ山を登り、
            山頂で荘厳な日の出を待ちます。
            (徒歩での登山になりますので
            ご希望の方のみご案内します。)
            ホテルの出発は午前2時半…3時頃です。
            ホテルに戻り朝食後
                 ☆セントカタリーナ修道院観光へ。
            午後:自由行動または
               (0P)ぺトウィン観光――不参加。
            宿泊は同じホテル。

25日の午前中は海岸に行ったり ゆっくりと過ごしました。
シーズンオフの海岸は静かで何もなくて寂しい風景です。
ナツメヤシに木に沢山の実が付いているのを見つけました。

  

昼食後 バスで280kmを 5hrかけてセントカタリーナへ。
宿は旅行案内に蚊取り線こうが必要かもとあったような所にありました。
周りは岩山で水はとても貴重だと思えます。
木もほとんどないのですが 生活できるのですね。

今回のエジプト旅行の大きな目的にシナイ山に登ることがありました。
モーゼの十戒にでてくる山で 山頂にはいろんな国の人が
大勢いました。クリスチャンの江口さん(80歳の人)は
「登りたいのですが とても無理です。」
と言っておられました。

宿を1時半に出発して 山頂で6時過ぎに日の出を見ました。
足に自信のない人はラクダに乗って登るのですが 暗い坂道を
結構な早さで行くので恐かったようです。
満天の星空とは こういうものかと思ったくらいの多くの星でした。

9時過ぎに宿に戻り シャワーと朝食後に セントカタリーナ寺院の
見学に行きました。
岩山に古くからある見事な建物 それと金色に輝く装飾の見事さに
目を見張りました。



さすがに疲れて 昼食後は休憩で少し昼寝をしました。
その後 ホテルの近くを歩いたりして 夕食後には
ホテルにある店で大理石の土産や絵はがきなどの買い物
をしました。こちらでは値切って買うのが普通だと
ガイドさんに教わりました。
高い買い物の時にはガイドさんに値切りの交渉を手伝って
もらう人もいました。

5日目 11/24(月)
バスで砂漠道路を通り、スエズヘ向います。
到着後スエズ観光。(★スエズ運河、★魚市場)。
また、アフリカ大陸とアジア大陸をむすぶ
ムバラク橋を横断します。
その後、紅海のリゾート地ラスセドルヘ。
ご宿泊はコンコルドラスセドルです。

旅行も中盤になり疲れも出てきたと思うが 今日も早朝からの
バスの移動と見学。
ラマダン(断食月)が終わったと当時の旅行メモにあった。

宿を6:40に出て 300万の都市ポートサイドに8:20着。  

スエズ運河は拡張して 現在は深さ22m 幅380mで
25万トンのタンカーも通行可能。
丁度 船が通っていました。

一緒に写真を撮った方は福井から一人で来られた江口さん(80歳)
旅行会社から難色を示されたそうですが ヨーロッパ一周も一人だったと
言ってOKを取ったそうです。(最もその時は若かったそうですが。)
ガイドのアラーアッパスさん 添乗員の雫まゆみさんも一緒に写真を。

    


運河の下のトンネルを通り 吊り橋を渡って
ホテルまで180km 2Hrで到着

13:30 昼食 14:50 部屋へ

ホテルCONCORDEは 紅海のリゾート地 ラスセロルに
ありました。 海岸の近くの小さな建物です。

夕食後 別の部屋で何人かのメンバーが集まり
9時過ぎまでビールを飲んだりして 楽しく過ごしました。   

スエズ運河見学 → 魚市場 9:00 

8日目 11/27(木)
午前:セントカタリーナよリカイロヘ。
途中、アインムーサにて、それまで飲めなかった水が
モーゼが杖を投げることにより飲めるようになったと
いわれている★モーゼの泉をご覧いただきます。

午後:カイロにて★ハーン・アル・アリーリのバザールへご案内。
夜:ナイル川ベリーダンスディナークルーズをお楽しみください。
宿泊はカイロのソネスタ カイロ。          

 


7時から朝食 9時前に宿を出てバスでカイロに向けて出発
途中 トイレ休憩と レストランでの昼食 
それと「モーゼの泉」の見学。

    


砂漠の中 一直線の道路をかなりのスピードで走りました。
その頃 バスの横転事故のニュースがあったのですが 事故も
起こりそうな気がしたように思いました。

 

 

夕方に宿に着き それからエジプトで1番大きなスーク(市場)
「ハンハリーリバザール」に行きました。
迷路のような小さな道の両側に観光客用のお土産屋さんが
メインに、たくさんのお店が並んでいました。

ここで銅製のお皿 ピラミッドの置物 カレンダー 絵葉書などを
買いました。
若い笹岡さん(高知の人)は民族衣装風のドレスを何着も値切って
買っていました。交渉でかなり安くなります。

7時からナイル川のナイトクルージングディナーで ベリーダンスのショーも
あり 私も恥ずかしそうに舞台に立った写真がありました。

    

10時半に宿に帰ったのですが 笹岡さんはホテルでダイヤの指輪を
買うのにガイドさんの応援を頼んで長時間粘っていたことを覚えています。
エジプトはダイヤも有名なのでしょうか?

    

9日目 11/28(金)
カイロ発11:30 空路、コリアンエアーでソウルにて乗リ継ぎ、
帰国の途へ。  機中泊。7時から朝食 9時過ぎに空港について時間があり 土産にタバコなどの

買い物をして 残ったエジプトポンドは空港の寄付ボックスに入れたと思います。

二回の機内食 映画を2本見て 22時頃にソウル着
ソウルに着いたのは朝の5時 それから出発までの5時間を空港での
朝食と買い物。お土産にキムチを買いました。

 

10日目 11/29(土)
ソウル着04:50 ソウル発09:50 
関空着11:30  着後、入国手続き後解散。

無事に10間の旅を終えて自宅に帰って来ました。


20年前のエジプト旅行ーアレキサンドリア編・ピラミッド編

2023-12-11 | 旅行

0年前のエジプト旅行ーアレキサンドリア編・ピラミッド編

2023-12-11 | 旅行

20年前の2003年11月20日~29日に家内が広島の友人と計画した
「10日間のエジプト」というツアーに便乗して行った「エジプト旅行」について
今までのブログを編集しました。

まだ会社で仕事をしていた頃でしたので まめにEXCELで
行程表・土産リスト・支払い明細表などを作ってありました。
当時は 1ドル 120円 エジプトポンド(L.E.) 20円でした。
日本円の支払いも出来て 「千円・千円」と言って土産物を売っていて
つい いろいろと買ってしまいました。

行程表は次のようなもので 帰国してから作ったものを今回パソコンから
見つけて今回 手直しをしました。
これをもとに当時の記憶をたどっていくことにします。

当時はまだデジカメがポピュラーではなく APSのカメラとバカチョンカメラ
で撮ったのを カメラのキタムラでCD化してもらっていました。
現地で団体写真も撮ったのが残っていたり パソコンに沢山の写真があったので
地域ごとにコラージュにしたり 絵ハガキのスキャナー分なども入れて
整理していきます。


「エジプト旅行の行程表」

3日目 11/22(土)
バスにて地中海に面した美しきリゾ一ト地アレキサンドリアヘ。
到着後アレキサンンドリア観光。
アレキサンリアで発見された、クレオパトラの生きたグレコローマン時代の
遺物の教々を展示した☆グレコローマン博物館、
プトレマイオス朝の巨大な図書館の柱のある☆ポンペイの柱、
ローマを逃れたキリスト教徒が隠れ礼拝した☆カタコンベ。
昼食はシーフードです。
その後カイロへ戻り金属品のお店へご案内。
 宿泊は同じホテル。

3時半に起床。4時から朝食。6時過ぎにバスで出発。
220km離れた街 アレキサンドリアへ。

 

グレコローマン博物館は収蔵品も多くて立派な内容でしたが、
ゆっくり展示品を見て歩くというよりは
早足で写真を撮って廻ったという感じです。

ポンペイの柱もすごい高さで どうやって立てたのかと感心します。

カタコンベ(地下墳墓のこと)は写真が禁止でした。
墳墓は地下3階まであり、螺旋階段でおりて行くと
礼拝堂やら供物部屋、彩色された部屋などもあり
内部はとても広い。

食後に海を見ようと道路を横断して行ったのですが、
帰りのときには車が信号無視でくるのが怖くて
ガイドさんが迎えに来て道路を渡らせてくれました。

 

アレキサンドリアで撮った写真をコラージュにしました。

エジプトは金製品が有名ですので 金製品の店に案内されましたが
高価だったのか 値段の交渉をした記憶もなく何も買わなかったようです

同じホテルにて宿泊。


4日目 11/23(日)
        午前:キザのピフミッド見学。
               4,500年前の古王国第4王朝時代に作られた最も美しいとされる
        最大の★クフ王のピラミッド、★カウラー王のピラミッド、
        ★メンカウラー王のビラミッド
          (3大ピラミッドのうち1つは内部まで入場)、
        ★スフィンクスを見学。
        またパピルスのお店へご案内します。
        昼食は名物ケハブ料理をご賞味下さい。
        午後はオプショナルツアーでメンフィス・サッカラ観光。
        宿泊は同じホテル。


今回のツアーに参加した目的はピラミッドです。昔の映画で「ピラミッド」
を観た記憶もあり、どうやって造ったのか想像できません。
沢山のピラミッドを見て 1つのピラミッドには途中までですが内部にも
入れました。その頃は体力もあって元気だったと思います。

ピラミッドとスフィンクスの前で記念写真を撮りました。

ピラミッドはいたるところにあり 事前に勉強をしていいなかったので
どれがどれだかも分からずに見て廻りました。


ピラミッドの入場券もいろいろ買っていました。
まだ他にもあったようです。

沢山撮ってきたピラミッドの写真をコラージュにしました。




オプションツアーの中に カーペットを作っているところの見学もありました。
小さな子供がカーペットを作っている写真です。
    
        


今日はパピルスの店に案内されました。
パピルス「papyrus」は 茎の断面が三角形で、
「paper」は「papyrus」に由来するそうです。

その店で売っている絵を買ってきまして
帰ってから初めて絵の額を買う経験をしました。
いまでも飾っていますが綺麗です。
会社の人達にはバスに売りに来る千円で
何枚も買えるのにして 配りました。
買った絵の図柄は次のようなものです。

     


20年前のエジプト旅行ーカイロ編

2023-12-11 | 旅行

20年前の2003年11月20日~29日に家内が友人と計画した
「10日間のエジプト」というツアーに便乗して行った「エジプト旅行」について
今までのブログを編集しました。

まだ会社で仕事をしていた頃でしたので まめにEXCELで
行程表・土産リスト・支払い明細表などを作ってありました。
当時は 1ドル 120円 エジプトポンド(L.E.) 20円でした。
日本円の支払いも出来て 「千円・千円」と言って土産物を売っていて
つい いろいろと買ってしまいました。

行程表は次のようなもので 帰国してから作ったものを今回パソコンから
見つけて今回 手直しをしました。
これをもとに当時の記憶をたどっていくことにします。

当時はまだデジカメがポピュラーではなく APSのカメラとバカチョンカメラ
で撮ったのを カメラのキタムラでCD化してもらっていました。
現地で団体写真も撮ったのが残っていたり パソコンに沢山の写真があったので
地域ごとにコラージュにしたり 絵ハガキのスキャナー分なども入れて
整理していきます。


「エジプト旅行の行程表」

1日目 11/20(木)
関空発17:20 コリアンエアーにてソウルで乗り継ぎカイロへ。

2日目 11/21(金)
カイロ着02:20 朝食後エジプト考古学博館観光。
エシプト各地より出土された貴童な品が数々あります。
とくに2階に展示されているツタンカーメンの黄金の品々は圧巻です。
午後はカイロ観光(モハメッド・アリモスク)。
その後香水のお店へご案内。
ご宿泊はカイロ近郊のヘリオポリスにあるムーベンビック。

 今回は 34名のツアーで

関空 → ソウル 2時間  ソウル → カイロ 12時間 

AM3時に入国 バスでホテルへ 7時前に朝食に小さなレストランへ
そこでいきなりピラミッドが見えて驚きました。

今日は エジプト考古学博物館と
モハメッド・アリモスクの観光と 香水店での買い物です。 
モハメッド・アリモスクは立派な建造物で 内部の装飾も豪華絢爛という
表現があてはまる見事さでした。

   

エジプト考古学博物館観光は 2時間半ほどで駆け足で観た感じですが
ツタンカーメンと特別室のミイラは見ました。 

      

エジプトは香水が有名だそうで香水店に案内されました。
香水には縁のない生活ですが、装飾に綺麗なので小さなガラス製の香水瓶
を買ってしまいました。

ヘリオポリスのホテルはシャワーも出て バスタブもあり
ドライヤーも
付いていて良かったです。


9月の末から10月の初めに東京と琵琶湖に行きました。(2023-9-29~10-6)

2023-10-09 | 旅行

2023-9-29~10-1に東京の娘のところに行ってきました。金曜に羽田から上野の美術館を観て
土曜には久しぶりのはとバスで東京観光をして、日曜には孫の文化祭を見てから帰って来ました。

 金曜の朝一番で高松空港から
    羽田に行き、孫が迎えに来て
 くれて上野のホテルに荷物を
 預けてから上野公園に行きまし
 た。
    左の画像は「あヽ上野駅」の
 歌碑です。
   下の画像はホテル近くの様子で
 アメ横も近い繁華街です。
         

        下の画像はホテル近くの風景と夕食の焼肉の様子です。

     

 上野の美術館は東京都美術館と
 国立西洋美術館を見ました。
 東京都美術館は「永遠の都
 ローマ展」でイタリアからの
 彫刻作品が70点も展示されて
 いて、見事でした。
 国立西洋美術館は
もうひとつの19 世紀―ブーグロー、
 ミレイとアカデミーの画家たち」で
 多くの作品が観れました。 
 下の画像は美術館の入り口の
 彫像です。
     

 下の画像は国立西洋美術館の多くの作品をデジカメで撮ったのを編集しました。 
 
  

 左の画像は東京駅南口のはとバスの乗り場
 です。今回は「はとバス お江戸味わい
 道中」というツアーで、
 レインボーブリッジ = お台場 = 豊洲 =
 勝鬨橋(車窓)
 築地「すしざんまい」(昼食)
 築地場外市場(自由散策)
 東京スカイツリー(R)天望デッキ
 浅草観音と仲見世(自由散策)
 上野 伊豆榮にてうな重 (夕食)


下の画像は築地市場と昼食夕食の様子です。ものすごい人込みで何も買ったりしませんでした。

 

    下の画像はスカイツリーの様子です。2013-8-21のブログに記事がありました。

      

        

] 

 

   下の画像は 孫の学校の学園祭の様子です。中高の男子が元気にやっているのに感心しました。

   

       朝ドラで坪内逍遥が早稲田と聞いて記念館を見てきました。

       


2023-10-5~10-6に元の会社の上司が持っているリゾートマンションに一泊してきました。
約5時間もかかって到着して、琵琶湖バレーとカラオケに行って夕食はBBQでした。
翌日は湖北の彼岸花を見てから長浜市の曳山祭りミュージアムと大通寺を見てから
昼食をとって 長浜IC→北陸自動車道→新名神 約5時間で帰って来ました。

 

     

          


    東京から帰ってからサツマイモを掘りましたが、出来が良くて良かったです。
     今年は良くかったブドウが終わり近くなりました。畑のカキも少し採って干し柿にしました。

      

        今日はクリ拾いの2回目です。前回は30個でしたが今回は多かったです。

        


東京の娘の家族と一緒に東京と箱根で過ごして来ました。(2023-4-2~5)

2023-04-07 | 旅行

東京に住んでいる娘の家族と久しぶりに4月2日から4月5日を東京で過ごせて良かったです。
娘が7人乗りのレンタカーを借りて、娘の家族5人とで 東京→小田原→箱根→東京を走ってくれて
いろいろな所に行けました。

4月2日の朝早くに高松空港から羽田空港向かって、12時過ぎに東京駅で娘夫妻と会って
まず江戸城のスタンプを貰ってから、ルーブル美術館展とアナと雪の女王を観てから孫と蒲田の
ビジネスホテルに泊まりました。夕食は近くの中華店で食べました。

 名城スタンプラリーで江戸城のスタンプ
 を押して来ました。
 ちょうど4月2日(日)まで春季皇居乾通り
 一般公開中で大勢の人が来ていました。
 
 日本武道館では東京電機大学の入学式が
 行われていて皇居乾通りの桜もきれいに
 咲いていました。

   

   

 

        国立新美術館でルーブル美術館展が開かれていたのを見てから
        劇団四季の「アナと雪の女王」を観ました。

            


 鎌田のビジネスホテルに孫が迎えに来て
 くれて小田原駅から小田原城に連れて行っ
 てくれました。

 

 

 

 

 

  


 左の画像は箱根ロープウェイです。
 初めての乗車ですがとても立派でした。

 下の画像は箱根の地図です。

  

 

芦ノ湖から富士山が見えて良かったです。箱根駅伝ミュージアムも見て来ました。
箱根の関所も有名な観光地です。

 

 

 左の画像はエクシブ箱根の夕食です。
 高級なホテルで部屋も広かったです。

 下の画像は朝食とフロントの様子です。

  

 


家内と孫たちは箱根小涌園ユネッサンで過ごして、私と娘夫婦は美術館に行きました。

 左の画像はポーラ美術館の入り口付近の
 様子です。

 ポーラ美術館は箱根町仙石原にあって
 印象派絵画のコレクションは日本最大級。
 ポーラ創業家2代目であった鈴木常司が 
 数十年にわたって収集した美術品約9500点
 を展示するため、「箱根と自然と美術の
 共生」のコンセプトのもと、2002年9月に 
 開館した。現在の収蔵作品数は約10,000
   点。
収集品の中核を成すのは19世紀以降の
 西洋絵画および近代日本絵画で、
 5つある展示室のうち3室がこれらの絵画に
 残り2つの展示室のうち2室は東洋陶磁、
 ガラス工芸、化粧道具の展示にあてられて
 いる。

    

                  

            

 左の画像は岡田美術館のポスター
 です。
 
岡田美術館は、箱根町小涌谷にある
 ユニバーサルエンターテインメント
 創業者の岡田和生が収集した、
 コレクションを展示する目的で設立
 された美術館である。
 2013年10月4日にオープン。
 美術館は明治時代のホテル「開化亭」
 跡地に5階建てで建設され、
 敷地は美術館が多い箱根で屈指の広さ
 を持っている。

 美術館正面に、640枚の金地パネルに
 描かれた福井江太郎の「風・刻」と
 題した風神雷神の大壁画が飾られて
 前に足湯カフェが併設されている。
所蔵品がたびたびメディアで大きくとりあげられている。
1948年以降に所在不明となった喜多川歌麿の肉筆大作「深川の雪」が2012年に発見されたが、
これを当館が所蔵して2014年に66年ぶりに一般公開したことで注目を集めた
83年間所在不明であった伊藤若冲の「孔雀鳳凰図」が2015年に発見されたが、
これも当館が所蔵して2016年に一般公開される

2015年より将棋の女流名人戦の冠スポンサー名として本美術館の館名が冠せられ、
「岡田美術館杯女流名人戦」と名乗ることになった。また五番勝負第1局の対局場としても使われている。

        

    下の画像は武蔵八王子駅にある娘が住んでいるマンションの様子です。
    イトーヨーカドーの前で駅にも近くて、近年は高層ビルも建ってきています。

    

        八王子駅から羽田行きのバスがあり、早くに着いたので飛行場で発着を
        見たり 昼食を食べて高松に向かいました。

        


24年前の冬の北海道旅行の写真を集めて見ました。

2022-01-25 | 旅行

先日のTV放送で北海道の紋別に流氷接岸のニュースがあり、砕氷船ガリンコ号の画像を見て
冬 北海道に行ったことを思い出しました。1998年の2月ですから もう24年も前です。 
その時は若くて元気だったので厳寒の北海道をいろいろと回ってきました。
冬の北海道に行っておいて とても良かったです。

冬の北海道には1998年の長野オリンピックの時に行った記憶があり、
パソコンに保管されていた写真を見つけて編集しました。
今では消えてしまったAPSフィルムのカメラで撮った写真をカメラのキタムラでCDにしてありました。

 ツアーは3泊4日で最初は札幌の
 雪まつりをみて夕食後に旭川まで行って
  一泊  翌日は旭川の冬まつりで
 好天の中を氷の彫像を見て歩きました。 
 旭川を出発して、吹雪の中を最北端の
 宗谷まで
行って宗谷まで行き宿泊は
「人間の條件」の

 ロケ地で相当に寒いことで知られている
 猿払村でした。猿払村で泊まったときに 
 雪で作ったスクリーンに映画を写して 
 部屋から見たと思います。 
 たしか「エアフォース・ワン」で 
 かなり新しい作品でした。
 ここは相当に寒く 日本で最も寒いのかと
 思いました。翌日は紋別港で流氷を見物して

 夜は層雲峡温泉   の氷爆まつりでしたが 猛吹雪で怖かった記憶があります。


 ちょうど長野オリンピックがあった年でした。家内と家内の母と3人でツアーに参加し
 旭川市では亡くなった家内の父の友人の木村さんがいろいろとお世話をしてくれました。
 事前に旭川冬まつりに関する地元の新聞の切抜きを作って送ってくれたり 
 冬まつりの写真などもいただきました。

下の画像は旭川のホテルで木村さんと撮りました。  下の画像はツアーで知り合った吹田の3人組です。      

ツアーの食事でいつも一緒のテーブルになる3人組と知り合いました。
勤めていた会社は別々で退職後の趣味で知り合って旅行に来たそうで摂津のほうの人でした。


 最初の見学は さっぽろ雪まつりの
 雪像でした。

 期間の終わり頃で雪も降ってきて 
 手入れが大変だと思いました。

 夕食はバイキングで 沢山食べたのを
 覚えています。

 旭川で木村さんが少しくらいとお店に
 連れて行ってくれたのですが少し食べ
 たのとビールを飲んだくらいです。

 

 

 翌日は市内の常盤公園で大小の
 氷雪像を見ました。

 氷の彫刻大会もあったようで 
 大きなまつりでした。

 快晴の天気でしたが その年は
 寒い年だったようで相当に寒く
 氷点下15度くらいだったよう
 です。

 

 

 

 

 旭川でゆっくり出来ずに
 バスで吹雪の高速を走り
 ました。

 何箇所かドライブインが
 空いていてそこで飲んだ
 地ビールが美味しかった 
 です。
 スット飲めてあとから 
  試食の豆を少し食べた
 よう な記憶です。

 

 


 

 翌日も地吹雪の道を
 バスで
    紋別に向かい

 ガリンコ号に乗っての
 流氷体験でした。
 紋別港の広場にも氷で
 作った人形などが沢山
 展示されていました

 

 

 

 

 その夜は層雲峡の立派なホテルで 
 近くに氷爆まつりの会場があるので 
 夕食後に見たのですが吹雪になって
 ホテルに帰るのが大変でした。

 氷爆まつりはカラーで美しく
 ライトアップされた広い場所でした。


 

 

 

 

 

 

        それ以外にも富良野の美術館や 鹿や白鳥をみたり スノーモービルに
        乗せてもらったりと 忙しい行程を寒さの中 元気だったと思います。

        


バスの中で ガイドさんが北海道のことをいろいろと話してくれています。
私は熱心に聴くほうで このツアーで聞いたかと思うのですが
上手な話し方だったのでしょう 「馬喰一代」と「塩狩峠」の話には
涙がでたかと思っています。

今回 どんな話だったのかと調べてみました。
「馬喰一代」は以下のような文がありました。
ミノルを北見競馬に出場させ、大平の学資を得ようとした。
ミノルは見事優勝したが、無理な競争がたたってその場で死んでしまった

三船敏郎で 映画にもなっていました。

「塩狩峠」は 次のような話でして 三浦綾子が小説にして
映画にもなっています。
塩狩峠に差し掛かった旅客列車連結器が外れて客車が暴走しかけたところ、
当時
鉄道院(国鉄の前身)職員でありキリスト教徒であった長野政雄という男が
列車に身を投げ、客車の下敷きとなり乗客の命が救われた。


東京の娘の家族と一緒に雪の福井で過ごして来ました。(2021-12-30~2022-1-3)

2022-01-06 | 旅行

東京に住んでいる娘の家族が久しぶりに 主人の実家の福井で正月を過ごすのに便乗して
12月30日から1月3日を雪の福井を見られて良かったです。
娘は所沢市でレンタカーを借りたのですが、1,600kmの走行距離だったようです。

12月30日の朝早くに高速バスで大阪駅に向かって、11時過ぎのサンダーバード号に
乗りました。自由席だったのですが通路を隔てての席が取れました。福井駅近くのホテルに
行って、東京から来た娘の車で主人の実家に行って夕食を食べました。

 12月31日はホテルから娘夫婦と社会人2年生の
 孫との5人で雪の中を永平寺に行って来ました。
 街中は融雪装置が設置されているので、行きは気に
 ならないですが、お寺近くでは靴底に付いている金具が
 役に立ちました。駐車場も雪で覆われていましたが、
 スタッドレスタイヤのお陰で無事に運転できます。

 下の画像は永平寺で撮ったスマホの写真を編集加工
 しました。

 

   

永平寺の見学の後は東尋坊に行って来ました。前にお出かけでも来たことがあるのですが
その日は強風でしたので、昼食の後は観光を少しにして近くの三国温泉で温まって来ました。

  

 1月1日はホテルの朝食バイキングの後
 昨日と同じ5人で金沢城と兼六園に
 行って来ました。
 お正月なので金沢城の入園料はシニアは
 無料でした。
 城内の見学は丸太の組み合わせなどが
 すごかったです。
 兼六園の灯篭は会社の先輩が庭に作った
 形で写真のスポットでした。樹の雪吊り
 を久しぶりに見ました。ちょうどお昼時で
 お店には入れなくて、高速のSAで食べて
 併設されている温泉に入って来ました。


  

 1月2日は福井の実家の家族と孫たちと
 お店で昼食を取ってから、5人だけで
 恐竜博物館に行きました。
 まだ行ったことがなくて想像以上に
 立派なところでした。
 中学生の孫はとても熱心に見回っていて
 私は途中で休憩したり映像を見たりして
 過ごして喫茶店にも入りました。

 下の画像はスマホて撮った分を編集加工
 したものです。


  


 1月3日はホテルから福井駅に行き サンダーバード
 の出発時間を待つ間に立ち寄ったお店の人が高松か
 来たバレーボールの人でカニをすすめられて高価なのを
 家内の友人用にも買い 福井名物の水ようかんも
    お土産に買いました。
  

福井駅からサンダーバードの乗りましたが、うまく座れて良かったです。
京都駅から高速バスの予約を採ったのですが出発時間までだいぶ時間があったので
駅構内を散策したり、昼食をとりました。

下の画像は階段のイルミネーションと 駅ピアノのスナップです。

  


23年前のアメリカ西海岸の旅行を振り返ってみます。(ロサンゼルス編)

2021-09-08 | 旅行

1998年12月6日から11日まで 初めての海外旅行に行った時の記憶をたどってみます。
(今回で最終です。)

家内がダンスの友達2人と行く旅行に便乗したのですが、初めてのアメリカを体験できて良かったです。

 当時はまだデジカメが無くて、 
 APSカメラで撮影して
プリント
 したアルバムが7冊ありました。

 APSカメラは2コマで撮ったら
 パノラマ写真に
なるのでかなりの 
 写真をパノラマにしていて、
今回 
 のリメイク版にはこのパノラマ写真
 が
役にたちました。それとストロボ
 が弱くて暗い
写真が多かったですが  画像編集ソフトで明るくしました。

旅行に際して購入した本が残っていました。 アメリカ西海岸は新婚旅行のルートとして
人気が
あるようで、日本人の新婚カップルをよく見かけたように思います。
 行程は サンフランシスコ → グランド・キャニオン →  
                 ラスベガス 
→ ディズニーランド → ロサンゼルス です。


下の画像はガイドブックのロサンゼルスのページをスキャナーで撮ったものです。

 

サンフランシスコとラスベガスの泊まったホテルの名前は覚えていませんが
ロサンゼルスは
都ホテルだったと覚えています。
ロスの観光はバスでいろいろな所に連れて行ってくれたのですが、
あまり写真を撮ってなくて
インターネットから取り込みました。
サンタモニカの海岸には全然近寄っていませんがGoogleマップの
ストリートビューで画像を見つけました。

 

 都ホテルの全景をGoogleのストリートビューで
 画像に
しました。近くにはリトル東京があり、
 松坂屋やおかだや
などのお店があり買い物も
 日本語で通用して楽でした。
 ホテルには和食のメニューがあり、皆さんは
 和食を頼んだ
のですが、私はせっかくのアメリカ
 ですのでステーキに
しました。大きすぎたので
 皆さんにも手伝って
もらったことを思い出します。
 そのホテルには日本の高校生の修学旅行の生徒たちが
 泊まっていて、朝食が一緒だったと思います。 

 
 下の画像は多分 ホテルの窓からです。

 


バスで行った直売市の「ファーマーズ・マーケット」には 沢山の果物・野菜が売られていて
ジュースを飲んだり楽しかったのですが、
短時間しか過ごせなかったのが残念でした。
ガイドブックのスキャナー分と、インターネットの画像を切り取って編集した分です。

  

      

 


ハリウッド通りの画像を撮ってあった写真と、インターネットから取り込んだ分で編集しました。
有名な映画俳優などの手形や足型、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム(星形のプレート)
をGoogleマップのストリートビューでも見つけました。

  

      


 ディナーショーの写真が  
 アルバム
にあり、
 編集しました。

 ワイルド・ビルという文字が
 見えます。
 西部劇スタイルの踊り子の
 ダンス
と投げ縄の写真を
 編集しました。
 多分 ここで初めての  
 Tボーンステーキを食べたかと
 思います。インターネットの
 画像
のようには肉が付いて
 なくて、ほとんど
骨を齧った
 ような記憶です。

 食べた後は 足元のバケツに
 骨を捨てたと思います。

   

     


インターネットのロスのパノラマ写真です。

     


ガイドブックからスキャナーで取り込んだ ビバリーヒルズとサンタモニカの説明です。

          

Googleマップのストリートビューで取った画像と、インターネットの画像を編集した サンタモニカです


23年前のアメリカ西海岸の旅行を振り返ってみます。(ディズニーランド編)

2021-09-06 | 旅行

1998年12月6日から11日まで 初めての海外旅行に行った時の記憶をたどってみます。
家内がダンスの友達2人と行く旅行に便乗したのですが、アメリカを体験できて良かったです。
海外旅行の経験が豊富で、英語もすごく達者なYさんが面倒を見てくれて楽しい旅行ができました。

 当時はまだデジカメが無くて、 
 APSカメラで撮影してプリント
 したアルバムが7冊ありました。
 APSカメラは2コマで撮ったら
 パノラマ写真に なるのでかなりの 
 写真をパノラマにしていて、今回 
 のリメイク版にはこのパノラマ写真
 が役にたちました。

 

旅行に際して購入した本が残っていました。 アメリカ西海岸は新婚旅行のルートとして
人気があるようで、日本人の新婚カップルをよく見かけたように思います。
行程はサンフランシスコ→グランド・キャニオン→ ラスベガス→ディズニーランド→ロサンゼルスです。

 

今回のブログは サンフランシスコ→グランド・キャニオン→ラスベガスに続いてディズニーランドです。


 英語の達者なYさんは一人でメキシコに
 行くので、
ディズニーランドへは家内の
 友人との3人で行くことになり、
ガイド
 さんから行程について 丁寧な説明を
 受けて無事に行って
来れてガイドさんも
 ホッとしたような記憶です。

 見どころを何か所か聞いて、主だった
 ところを何か所か
見たのですが、
 クリスマスの飾りもきれいで
 とても良い感じで過ごせました。

 

 

 

 

ホテルの前・入り口付近・マッターホルンが見える風景などを撮ってあった写真を編集しました。

     

大きなクリスマスツリーの前で撮った写真とインターネットから取り込んだ画像を編集しました。

               

 場内を歩いているといろいろな
 アトラクションに出会います。
 家内はジッと動かない人が
 人形か本物かをしつこく
 観察して
最後には相手が
 根負けして
動いてくれた
 と思います。

 西部劇の決闘シーンも迫真の
 演技を見せてくれて
楽しかった
 です。APSカメラで
撮って
 あった写真を編集しました。


マーク・トゥエイン号に乗った
時に撮った写真2枚とインターネットの画像2枚を 
Photocapeで編集しました。舟に乗り合わせた中に本当に可愛い姉妹がいて
音楽に合わせて動くしぐさも可愛かったです。

 

    

 

ガイドさんがお勧めとして「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」を言ってくれたのが、
この写真かどうかわかりませんが、舟に乗ってジャングルをクルーズしたと思います。

             

下の画像は たぶん「イッツ・ア・スモールワールド」だと思います。「PEACE ON EARTH」
というタイトルと流れていた音楽が「世界は一つ」だったことが記憶にあります。
内部で撮った写真は暗いですが、明るい光で飾られているのでうまく撮れていました。

    

 

 

他のアトラクションとしては 「マッターホーン・ボブスレー」ジェット・コースターに乗った記憶と
ガイドさんから勧められた「4Dシアター」に入った記憶で、日本でUSJに行って
「4Dシアター」を思い出しました。