ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

志度の畑の風景です。(2020-6-30)キューリやインゲン豆がたくさん採れています。

2020-06-30 | 志度の畑

6/23(水)にジャガイモの残りを採って、6/24に残ったプラムを採ってジャムにしました。

畑に雑草が生い茂ってきていて、暑い中 草取りの作業をやっています。

サツマイモのツルを8本カットして畝に植えました。雨が降ってくれて根付いたようです。

トウガンの苗も移植したりして 随分たくさんになってしまいました。

左の画像は収穫した野菜の画像です。
 今年のインゲン豆はとても成長が早く
 毎日のように収穫が出来ます。
 キューリもたくさん採れています。
 以前は畑には毎日来れないので栽培を
 しなかったのですが、毎日生ります。
 ナスも出来が良くて喜ばれます。
 シシトウ・ピーマンもこれから採れます。
  

 

 


下の左の画像はナスとピーマンとキューリの様子です。
下の右の画像はトマトの様子です。雨除けをした2カ所になっている分は熟れてきそうです。
追加で植えた3本のトマトはこれから大きくなってくれます。

 

下の左の画像はスイカとマクワウリとシロウリの様子です。だいぶ大きくなって来ました。
下の右の画像はゴーヤの様子です。ログの近くに植えている分はまだ育っていませんが、中段のエリア
に植えた分は大きく育って来ていて そろそろ実が付きそうです。

 

 左の画像はサトイモの様子です。追加で植えた
 ので多くなりましたが、虫に食われずに大きく
 育ってきています。
 下の画像はサツマイモの様子です。最初に植えた
 畝は大きく育っていて、根が張り出して来てので
 ツルを引っ張ってやりました。
 ツルを8本作って新しい畝に植え付けました。
 これでうまくいくと収穫の時期もずれて
 いいです。
  

 

 

 

        下の画像はエダマメとオクラとカボチャとシロウリの様子です。

        

 左の画像はトウガンの様子です。種から芽が
 出た分を移植して、スダレデ日よけもして
 根付いてくれました。家内の友人が多度津の畑
 で作った苗ももらったので多くなりました。
 下の画像は赤ジソとツルムラサキです。赤ジソ
 は畑に生えてきた分を移植して差だっています。
 ツルムラサキは赤色と緑色を一本ずつ植えて
 うまく育ってきています。

  

 下の画像はユズとレモンの様子です。
  

下の画像は アジサイ キキョウ グラジオラスです。 グラジオラスが沢山咲いています。

    



今年はプラムが豊作でした。 毎年たくさん生った記憶と ならなかった時もあったので
今までブログに書き残した10年分をたどってみます。

2010年のブログです。 6月の後半を振り返って  2010-06-28 

             プラムも熟れてきていて 沢山採ってきました。
           6/28(月)の茶話会に少しプラムを持っていきましたが甘くてよかったです。 

2011年 のブログです。
 

志度の畑でいろいろと収穫をして来ました。 2011-06-17 

         プラムも沢山の実が付いていて、実の重さで枝が一本折れていました。
            次回に熟れていて収穫できると良いタイミングなのですが。

子どもたちと香川県の遊園地(レオマワールド)に行きました。 2011-07-04 

  レオマから約1時間で志度の畑に行き、ちょうど熟れて採りごろのプラムを皆で沢山採りました。
   今年は例年よりも豊作で、帰ってから配るためのケースに詰めたり、
   痛んだプラムはジャムにしたり
いろいろと作業をしました。

2012年 のブログです。 

6月の志度の畑は雨ばかりでしたが、アジサイの花が綺麗でした。2012-07-03

  今年はスモモがほとんど生らず、梅も不作の年の様ですが何とか50個くらいの梅が採れました。

                       

2013年 のブログです。

志度の畑でラッキョウの収穫とトウモロコシに網掛けをしてきました。
 
2013-06-27 

  今年はスモモがほとんど生らずだったようでブログの記述がありませんでした。

2014年 のブログです。

志度の畑でタイミング良く 完熟のスモモを採ってきました。 

2014-07-03    

 先週がスモモの収穫時期なら志度に行こうと
 考えていたのですが、今週はもうかなりの実が
 落ちていて、次々にポタッ ポタッと実が落ちる
 音が聞こえます。
 早速 梯子で手の届くところの実を収穫して、
 写真を撮りました。
 梯子に上がって完熟の実の写真を撮ったのは
 初めてで、Photoscapeで編集しました。



 
 

 

収穫して、透明なケースに入れた
状態で写真を撮りました。
隣人の冷蔵庫に入れてもらって
おいて、クーラーボックスに詰めて
持ち帰りました。

 大きな梯子と長い塩ビのパイプを使って隣人の
 尾崎さんにも手伝ってもらって採りました。
 以前から屋島の近所にも配って喜ばれていたので
 今年も屋島の前のNさんと、義母が屋島で独居中に
 お世話になっていた近所にお住いの民生委員のMさんに
 お渡ししました。
 持ち帰ったスモモを翌日に 私と家内の知人に配り、
 傷んだ分は家内がジャムにしました。




2015年 のブログです。
志度の畑にサツマイモの苗を50本 植えてきました。 2015-06-25 

 今年はプラムの収穫時期が例年より早い感じで もうポタポタと落ち始めていました。
 たくさんの実が生っていなくて、作業が楽ですが 青い分も採って、かなりの量を持って帰りました。

      

 

 

 
2016年 のブログです。

志度の畑でジャガイモ・プラム・ウメの収穫をしてきました。 2016-06-16 

  今年はプラムが豊作の年のようで たくさんの実が付いていて枝がたわんできています。
   6/10には少し赤くなったのがチラホラと見えていましたが 6/13には赤くなった実が
   かなりありました。 例年 収穫には手間取るのですが 今年はブルーシートを張った
   上に実を叩き落したり、枝をゆすって落とすなどの方法にしました。(12kgありました。)

  

真夏のような暑さの中 志度の畑でジャガイモ掘りとプラムの
収穫をしてきました。
 2016-06-22 

  今年はプラムが豊作の年で、例年よりも半月くらい早く熟れ出していて
   前回と今回でたくさん収穫
しました。土曜には梅酒に使う瓶 3つにプラムを
   詰めて宅急便で送り、日曜にもパックに詰めて持って帰れるだけの量を持ち帰り、
   月曜にはいろいろと配り回りました。 熟れすぎた実はジャムにするのですが、
   私も造田の家で家内の指示に従って ジャムを作ることをやりました。
      

志度の畑では雨が降って、ジャガイモとプラムの収穫作業が大変でした。
2016-06-27 

    6/23(木)の朝 家内の運転で志度に行き、6/25(土)吹田に戻ってきました。
    今回の畑仕事はジャガイモ畑を掘り起こしての最後の収穫と まだまだ残っていた
    プラムを採ってきました。家内が収穫の作業をしてくれたので作業がはかどり
    車で行っていたのでプラムや野菜や花などをたくさん持ち帰って来ました。
    6/22のブログに今年はプラムが大豊作で前回と今回でたくさん収穫したと書いてあります。
    もう今回は残っていても少ないかと思っていましたが、まだまだたくさんの実があって かなり
    採ったあとの6/25に高松市議の太田さんが娘さんと来て大収穫で喜んでくれました。
    プラムの実は完熟の状態でポタポタと落ちていきます。採った分もすぐに傷んでほとんどジャム
    になりました。 ちょうど6/27が地区の茶話会で、少し持って行って喜ばれました。
  
 
2017年 のブログです。
今回の志度行きではビワ・ウメ・タマネギ・ジャガイモの収穫をして来ました。2017-06-12 
   去年 プラムは大豊作だったので、今年はあまり期待できないと思っていたのが、
    たくさんの実が生っていて、枝がたわんできていましたので、補強しました。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

志度の畑のプラムが大豊作で たくさん採って来て配りました。
2017-07-04   

   6/23(金)に北海道一周クルージングから帰って来て、すぐに家内の運転で志度に行きました。
    私はすぐにプラムの収穫を始めて、家内は弟を多度津まで送って友人のご主人の見舞いに
    行きました。6/24(土)の午後には多度津から家内の友人も来てくれて 
    プラムの収穫をしてジャムも作りました。6/25(日)の夕方には高松市議の  
    太田さんが今年もプラムを採りに来てたくさん収穫しました。6/26(月)の
    午前中に吹田に車で帰って、午後の茶話会にプラムを持っていき 喜ばれました。
    去年が豊作だったので今年は少ないかと思っていたのですが、去年以上の豊作で採るのが
    大変でした。木の下にブルーシートを敷き枝ごとに切り落として収穫することで 
    作業がはかどりました。収穫したプラムを詰めるパックを100均でかなり買いました。

 去年もプラムを採ってジャムにした高松市議の
 太田さんが
お母さんと娘さんを連れて収穫に来ました。
 持ち帰ったプラムは 約20kgで、それをジャムにしたことがブログに載っていて画像に編集しました。
     
公民館の茶話会に来られた方たちに少し食べてもらって美味しいと言われました。
福祉委員会のメンバーに傷みかけたプラムをあげましたら ジャムが出来たとのブログを見ました。
     

2018年 のブログです。 

回の志度行きはプラムの収穫をしてジャムを作りました。 2018-06-28 

  6/22(金)の朝 家内の運転でで志度に向かい、6/25(月)の朝 吹田へ帰って来ました。
  今回はプラムが完熟の状態で ぽたぽたと音を立てて次々に落下していました。
  プラムの樹の下にはビニールのマットを敷いてあるので、落ちて裂けた分も拾って持ち帰って
  皮をむいで実だけにして煮込みました。25日には地区の茶話会があり、
  プラムの実を持って行き、
喜ばれました。     

 

 

 

 

 

   

 

2019年 のブログです。 

今回の志度行きは、ジャガイモとプラムの収穫をして来ました。 2019-06-20 

  6/16(日)には家内の友人も来てくれてプラムの収穫をして、翌日の昼過ぎに吹田に向いました。
   今年はまだ完熟の状態でなく。少し色づいた実も持ち帰りました。

今回の志度行きは、二回目のプラムの収穫をして来ました。 2019-06-26 

  6/23の日曜には高松市議のOさんが今年もプラムを採りにきました。
   枝をゆすって下に
敷いたブルーシートに落としました。
   帰る前にも翌日の茶話会に持って行くプラムを採取して 喜ばれました。
   下の画像は一昨年にOさんが作ったジャムです。
   

 
     


志度の畑の風景です。(2020-6-21)プラムがたくさん採れました。

2020-06-22 | 志度の畑

6/16にプラムを採って、6/17に多度津に持って行きました。家内の友人の畑でトウガンの苗を

頂いて 丸亀の「黒川種苗店」でツルムラサキとトマトの苗を買いました。

6/20(土)に家内の高松の友人がプラムを採りに来て たくさん収穫しました。

6/20(日)の午前中にゆうパックで吹田にプラムなどを送りました。

 左の画像はプラムの実が熟れた状態
 です。6/16に収穫した後 6/18 6/19
 が雨でしたので 一気に熟れました。
 6/20にたくさん収穫してパックに詰めて
 6/21にジャガイモも入れて送りました。

  

 左の画像はアジサイの様子です。
 今年も沢山咲いてくれてきれいです。
 グラジオラスの花も咲きだしています。

  

 

 

 

   

 左の画像はツルムラサキとトウガンの苗です。
 丸亀市の「黒川種苗店」で買いました。
 トウガンの苗は家内の友人からもらいました。
 いつも大きなトウガンをいただきますが 今年は
 私の畑で大きく育ってくれるでしょうか。
 下の画像は「黒川種苗店」のお店です。
  

下の左の画像はトマトの様子です。雨除けのカバーはまだ付けてた分は実が大きくなって
きました。 追加で3本のフルーツトマトを植えました。
下の右の画像はサツマイモとサトイモ様子です。 どちらも順調に育っています。

 

下の左の画像はキューリとゴーヤの様子です。キューリは何本か収穫出来ました。 ゴーヤの
ネットはうまく出来ていて ツルが大きく伸びています。
下の右の画像はカボチャとスイカとキクイモの様子です。 カボチャのツルが伸びすぎています。
スイカは小さいのが一個ありました。 キクイモはすごく育っています。

 

下の左の画像はエダマメとオクラの様子です。 エダマメは小さい実が付いています。
オクラはようやく大きくなって来ました。
下の右の画像はインゲン豆の様子です。 今年はとてもよく育ってたくさんの実がなっています。

 

 左の画像はユズとレモンの様子です。
 どちらも今年は沢山の実を付けているので
 収穫が楽しみです。
 下の画像はナンテンとキキョウです。
 ナンテンの花がたくさん咲いています。
 キキョウは伸びてきていますが花は
 まだ先の様です。
 

 バイクの走行距離が 25,555kmに
 なったのでスマホで撮りました。
 下の画像は前回のスピードメーターの画像です。
 


志度の畑の風景です。(2020-6-10)6/8に近くのお寺(願興寺)の本尊を見てきました。

2020-06-11 | 志度の畑

昨日と今日(6/11)は雨が降って畑は休みです。毎日暑いですが畑に行っています。

ビワがたくさん収穫出来てタマネギと一緒に子供たちにゆうパックで送りました。

畑の行き帰りに近所の農家で軽トラックの荷台で野菜を100円で売っているのに気づいて

アスパラガスを買いました。ハウス栽培をしていて道の駅に出して残った分だそうです。

 左の画像はサツマイモの様子です。
 畝を雑草が覆っていたのですが、
 取り除いてすっきりしました。
 下の画像はサトイモの様子です。
 

下の左の画像はトマトの様子です。雨除けのカバーはまだ付けていません。幹が太くなって
花も咲いてきて そろそろ実がなるようです。
下の右の画像はキューリの様子です。 2カ所に植えていますがネットにツルが伸びて行っています。

 

      下の画像はゴーヤ・インゲン豆・シロウリ・シシトウ・ピーマン
      ・エダマメ・オクラの様子です。ゴーヤはこれから伸びていきます。
      インゲンのツルが伸びるのはとても早くて大きくなっています。
      シシトウ・ピーマンは毎年よく育ってくれますので今年も大丈夫でしょう。

      

下の左の画像はナスとシシトウ・ピーマンの様子です。ナスにはムラサキの花がたくさん咲いて
先日 一個採りました。 ピーマンも実が大きくなってきて 少し採ってきました。
下の右の画像はミョウガ・イチゴ・マクワウリ・トウガンの様子です。 
ミョウガはずいぶん大きくなってきています。 イチゴは次々に実が生ってくれて採っています。
マクワウリはツルが方々に伸びてきて絡んでいます。 トウガンの芽が育ったので中段に移植して
苗の日よけにスダレヲ被せています。

 


 左の画像はビワの様子です。今年も豊作で
 カキの実をとる高枝ばさみで収穫しました。

 たくさん採れたのでゆうパックで送ったり川を
 とってシロップ漬けにしました。
 下の画像はジャガイモの様子です。
 もう枯れてきて
収穫の時期になりました。
 2畝だけ掘りました。男爵イモです。

 

 

 

 左の画像はプラムの実の様子です。
 少し大きくなって 色も変わってきて
 葉と区別がつきます。
 今月の終わりごろには色づいて採れます。
 下の画像はユズとレモンの実の様子です。
 今年は実がたくさん付いています。

 

下の左の画像はログまでの道沿いに咲いているアジサイの様子です。今年もたくさん咲きました・
下の右の画像は黄色い館図の花の様子です。次々に咲いていて家の持ち帰っています。 
キキョウが大きくなってきて、もう少しで蕾がつきそうです。

 


 左の画像は自宅から願興寺までの
 Googleマップです。
 願興寺には
 国の重要文化財に指定されて
 いる 本尊は「聖観音坐像」で天平時代の
 作らしく 香川県下最古最美の像です。
 この本尊は、毎月8日の午前10:30 ~ 12:00  
 の時間帯で拝観ができるので 6月8日に
 家内と一緒にお参りしました。
 とても立派な仏像でご住職から説明も
 聞くことができて良かったです。

 

 

 左の画像は願興寺のホームページからの
 お寺の全体図です。
 HPのアドレスは
 http://www.sanukigankouji.com/

 です。  
  
 願興寺 縁起:
 その創建は、天長7年
(830)に徹円  が建立したとあるが、
 旧寺跡出土の古瓦からみると、奈良時代に
 は既に建立されていたことがわかる。
 

 

重要文化財 『聖観音坐像』: 当寺所蔵の聖観音坐像は、国指定重要文化財になっており、
脱活乾漆造り (だつかんしつづくり)という方法で作られている。
天平時代中期の作との説が有力である。
大和以外の地方でこのように優れた仏像が残されているのは珍しく、他の脱活乾漆造りの地方仏としては、岐阜・美江寺の十一面観音立像、大阪・葛井寺の千手観音坐像、
最近発見された横浜・龍華寺の菩薩半跏像などが伝えられている。 

 左の画像は以前にこのブログ
 https://blog.goo.ne.jp/hnaka2004jp/e/8b461c76b4401b6a30582539aecb3fb0

 に乗せた分です。

 その時はまあ工事中でしたが今は終わって
 いました。

 

 

 

 

       今回 撮影した画像を編集しました。

       

Googleマップを追加します。


四国八十八ケ寺の72番から75番の札所に行って来ました。(2020-5-27)

2020-06-09 | お出かけ

コロナ騒動で何処にも行けない毎日が続いていますが、5月の27日に善通寺の従弟の

葬儀に参列して その後 善通寺にある四国八十八ケ寺の72番から75番の札所を回って来ました。

 母の実家は善通寺の有岡という大麻山が
 見える所にあり、よく行っていました。
 従弟は享年73歳で一緒に過ごしたことだ
 思いだされます。
 善通寺のお寺には何度も行っていて、今回
 「カタパン」と亀が懐かしかったです。
 葬儀があったのは生野で 75番→74番
 →72番→73番の順にお参りしました。

 



       

第72番札所 我拝師山 延命院 曼荼羅寺

聖観音立像:笠松と呼ばれていた「不老松」の幹に刻んだ弘法大師座像。
      お遍路さんは笠松大師をさすっては在りし日の姿を偲んでいます。

笠松大師:観音堂に安置されており、158cmの檜一木造りで端麗な佇まい。
     平安後期の作。香川県有形文化財。
     四国88カ所記念切手にこの仏様のお顔が描かれています。

曼荼羅寺の歴史・由来

縁起によると、創建は四国霊場で最も古い推古四年(596)。
讃岐の領主・佐伯家の氏寺として創建され、初め「世坂寺(よさかでら)」と称していました。
弘法大師がこの寺を訪れたのは唐から帰朝した翌年のこと。
母玉依御前の仏果菩提を祈るためだったともいわれています。
唐の青龍寺にならって伽藍を三年がかりで建立。
本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し、
寺名を「曼荼羅寺」に改めました。

また、四国霊場の古い案内書には、樹齢1200年を超す弘法大師お手植えの
「不老松」の存在も紹介されています。
高さは4m足らずですが直径が17〜18mもあり、菅笠をふたつ伏せたような
印象的な姿で県の自然記念物にも指定されていました。
しかし、松食い虫に浸食され、平成14年に伐採されています。

曼荼羅寺の近くには「水茎の丘」という丘がありますが、ここに庵を建てて7年余り
暮らしていたのが西行法師。
この寺に通い、本堂前の平らな石の上でよく昼寝をしていたようで、
この石は「西行の昼寝石」と呼ばれ今も同じ場所にあります。
また、その横には「笠掛桜」と呼ばれる桜の木も。
西行が都に帰る際、同行者が形見にと桜の木に笠をかけたまま出発したのを見て
「笠はありその身はいかになりぬらんあはれはかなきあめが下かな」
という歌を詠んだそうです。

 

        

第73番札所 我拝師山 求聞持院 出釈迦寺

捨身ヶ嶽禅定まで登れなくても、ここでご宝号を唱え、祈願すれば同じぐらいの
ご利益があるといわれます。

捨身ヶ嶽遥拝所:寺の境内から50分ほど登った場所にあり、
さらに100m進むと大師捨身のお行場が毎月旧暦15日には護摩祈祷が行われています

出釋迦寺の歴史・由来

出釋迦寺の開基には、弘法大師幼少期の数ある伝説のひとつ「捨身ヶ嶽」縁起にゆかりがあります。それは、弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時。我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で刻んで安置し、堂宇を建てたといいます。

この場所は「捨身ヶ嶽禅定」といわれ元は札所でしたが、今は寺の奥の院となり、境内から急坂を50分ほど上がった場所にあります。弘法大師が虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える「求聞持法」を修めたことから「求聞持院」という院号がつきました。ここで拝むとすばらしい記憶力が得られ、学業成就や物忘れにご利益があるといわれています。

また、弘法大師が身を投じた場所は、ここからさらに50mほど登った場所にあります。下を見れば足のすくむような深い谷底ですが、眼下には讃岐平野や瀬戸内海を一望できる絶景が広がります。

 

        

第74番札所 医王山 多宝院 甲山寺

本堂:檜の一木造りで、重厚な姿と力強く引き締まった表情が印象的な
   「薬師如来像」が祀られています。
毘沙門天の岩窟:大師堂の左手にある奥行12mほどの岩窟。
        大師が彫ったといわれる毘沙門天像が祀られています。

甲山寺の歴史・由来

甲山寺周辺は弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所。
平安初期、壮年期になった弘法大師は善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建立する霊地を探していました。
ある時甲山を歩いていると、麓の岩窟から老人が現れ「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、
仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう。」と言いました。
弘法大師は大変喜び、毘沙門天像を刻んで岩窟に安置し、供養しました。

その後、嵯峨天皇の勅命を受けてこの地にある日本最大の溜池「満濃池」の修築工事を監督する別当に任命された弘法大師。朝廷が派遣した築池使さえも達成できなかった難しい工事です。
弘法大師は甲山の岩窟で修復工事の完成を祈願し、薬師如来像を刻んで修法しました。
すると大師を慕って数万人の人々が集まり、力を合わせてわずか三ヶ月で完成させたのです。
朝廷からこの功績を称えられ、金二万銭を与えられた弘法大師は、その一部を寺の建立にあて、
先に祈願をこめて刻んだ薬師如来を本尊とし、安置。山の形が毘沙門天の甲冑の形に似ていることから
「甲山寺」と名づけられました。
薬師如来は、心身に災いする一切のものを除くといわれる仏様。
甲山寺を訪れた人々の力強い支えとなっていることは言うまでもありません。

甲山寺の見どころ

本堂・毘沙門天の岩窟・子安地蔵(大師堂へ続く石段の隣に祀られたお地蔵様は子宝に
   ご利益があるとか。 
   子宝を願ってお地蔵様の前掛けを持ち帰り、叶うと新しい前掛けを持ってくる習わし。)

 

        

第75番札所 五岳山 誕生院 善通寺

金堂:善通寺の本堂。創建当時の金堂は、永禄元年(1558)、
   三好実休の兵火により焼失し、現在の建物は、
   元禄12年(1699)に上棟されたものです。
   本尊・薬師如来坐像は、像高3メートルにも及ぶ
   丈六の巨像で、元禄13年(1700)、
   御室大仏師北川運長によって造像されました。

五重塔:総高43メートルに及ぶ大塔で、善通寺のシンボルとして、
    広く人々に親しまれています。創建以来、大風や火災に
    より、いくたびかの倒壊・焼失を経ましたが、
    そのたびに再建されました。
    現在の塔は、弘化2年(1845)、仁孝天皇の御綸旨に
    より再建が始められ、明治35年(1902)に
    完成したものです。
    初層には五智如来像のうちの4体が安置され、
    毎年ゴールデンウィークに特別公開を行っています。

善通寺の歴史・由来

五岳山 善通寺の創建は、『多度郡屏風浦善通寺之記』(江戸時代中期成立)によると、唐より帰朝されたお大師さまが、御父の寄進した四町四方の地に、師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して建立したお寺で、大同2年(807)臘月(陰暦12月)朔日に斧始めを行い、弘仁4年(813)6月15日に落慶し、父の諱「善通(よしみち)」をとって「善通寺」と号したと記されています。

鎌倉時代に佐伯家の邸宅跡に「誕生院」が建立され、江戸時代までは、善通寺と誕生院のそれぞれに住職をおく別々のお寺でしたが、明治時代に至り善通寺として一つのお寺となりました。現在は真言宗善通寺派の総本山であり、また四国八十八ヶ所霊場の75番札所でもあります。

現在の善通寺は「屏風浦五岳山誕生院善通寺」と号し、山号の「五岳山」は、寺の西にそびえる香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山の五岳に由来し、その山々があたかも屏風のように連なることから、当地はかつて「屏風浦」とも称されました。そして、「誕生院」の院号は、お大師さま御誕生の地であることを示しています。御誕生所である善通寺は、京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰をあつめてまいりました。

総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内は、「伽藍」と称される東院、「誕生院」と称される西院の東西二院に分かれています。金堂、五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は、創建時以来の寺域であり、御影堂を中心とする「誕生院」は、お大師さまが御誕生された佐伯家の邸宅跡にあたり、ともに弘法大師御誕生所としての由縁を今に伝えています。

善通寺の見どころ

金堂五重塔御影堂(弘法大師が御誕生された佐伯家の邸宅地に建ち、奥殿には大師自筆と伝わる
           本尊・ 瞬目(ひめき)大師像が秘蔵されています。
現在の建物は天保2年(1831)に再建され、昭和12年に大規模な修築がされました。
また、御影堂地下には、約100メートルの「戒壇めぐり」があり、
暗闇の中、御宝号を唱えながら大師と結縁する道場となっています。

 

        

 香川県には歯が折れそうなくらい堅い堅い  堅パン というお菓子があります。
 堅パン は全国にたくさんありますが、
 歯が折れるんじゃないかと不安になる
 くらい堅いのはきっと善通寺の
 「熊岡菓子店」の堅パンだけ!
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七ヶ所まいり(しちかしょまいり、ななかしょまいり)とは、四国八十八箇所霊場のうち、香川県にある第71番札所弥谷寺から第77番道隆寺までを遍路する参拝方法の総称。江戸時代後期の寛政12年(1800年)に書かれた『四国八十八番寺社名勝』には「足よはき人は此印七り七ヶ所めぐれば四国巡拝にじゅんず」とあり、古来1日で巡礼できる遍路として利用されていたことが窺える。

概要[編集]

それまで修行者が多く巡礼していたものが、江戸時代ごろから庶民の間で流行するようになった。その1つが四国八十八箇所である。これを模して小豆島には小豆島八十八ヵ所霊場江戸には御府内八十八ヵ所霊場など、全国各地に大小さまざまな巡礼地が作られた。また、近年では四国別格二十霊場新四国曼荼羅霊場なども各地で作られているが、これらは「移し霊場」または「写し霊場」と呼ばれ、四国遍路隆盛の証左とも言われる。

七ヶ所まいりは、四国八十八箇所巡礼が困難なものが阿波一国参りや讃岐一国参りとして、短期間で巡礼できる遍路としてはじめたことから発祥したとされる。

また、71番より遍路を始める風習は、弥谷寺ふもとの多度津湾が金刀比羅宮に参拝するための海の玄関口として栄えていたこと。1770年以降より旅籠屋で配られた道中案内記によれば、善通寺を誕生の地、弥谷寺を入学の地、海岸寺を産湯の地として金比羅山とあわせて紹介しており、四国八十八箇所遍路の大衆化以前より、弘法大師ゆかりの三箇所と金比羅山の参詣がすでに一般化していたことなどが理由とされている。

いずれにしても、当時の旅籠屋が発行した観光ガイドが金比羅参詣や弘法大師ゆかりの地の三箇所、そして七ヶ所まいり等の参拝方法の紹介役を担ったことが分かる。

七ヶ所まいり参拝順路[編集]

  1. 四国霊場第71番 - 弥谷寺(大黒天)
  2. 四国霊場第72番 - 曼荼羅寺(福禄寿)
  3. 四国霊場第73番 - 出釈迦寺(恵比寿神)
  4. 四国霊場第74番 - 甲山寺(毘沙門天)
  5. 四国霊場第75番 - 善通寺(布袋尊)
  6. 四国霊場第76番 - 金倉寺(弁財天)
  7. 四国霊場第77番 - 道隆寺(寿老人)