ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

12年前の冬に北海道の雪まつりに行ったことを

2010-02-22 | 旅行

冬 北海道に行ったことが一度あります。
ちょうど長野オリンピックがあった年でした。
家内と家内の母と3人でツアーに参加し
旭川市では亡くなった家内の父の友人の木村さんが
いろいろとお世話をしてくれました。
事前に旭川冬まつりに関する地元の新聞の切抜きを
作って送ってくれたり 冬まつりの写真などもいただきました。

   

ツアーは3泊4日で 札幌雪まつりをみて夕食後に
旭川まで行って一泊 翌日は旭川冬まつりの氷の
彫刻を見てから 吹雪の中を宗谷まで行って 宿泊は
「人間の條件」のロケ地で相当に寒い 猿払村でした。

   
翌日は紋別まで行き ガリンコ号に乗っての流氷体験でした。
紋別港の広場にも氷で作った人形などが沢山展示されていました。
旅行には当時流行っていたAPSフィルムを使って広角の撮影が
できましたが フィルムが無くなっても北海道には売ってなくて
今では市場から消えています。

   

その夜は層雲峡の立派なホテルで 近くに氷爆まつりの会場が
あるのですが 吹雪になるとホテルに帰るのが大変でした。
ツアーの食事でいつも一緒のテーブルになる3人組と知り合いました。
勤めていた会社は別々で退職後の趣味で知り合って旅行に来たそうで
摂津のほうの人でした。

   

さっぽろ 旭川 層雲峡のまつりの写真をを
コラージュにして見ました。

   


他の写真もコラージュで整理しようかと思っています。


寒い季節には訃報が多いです

2010-02-16 | お出かけ

会社の時の友人の父が亡くなった報せがあり
志度でお世話になっている津村さんの奥さんも
先日 亡くなりました。

今日の新聞には 次のような訃報がありました。
スキャナーで画像にしてOCRで文書にしてみました。

裕次郎主演作を監督
井上、梅次さん(いのうえうめつぐ) 映画監督
11日、脳出血で死去、86歳
葬儀は近親者で営んだ。後日、お別れの会を開く予定。
喪主は妻で女優の月丘夢路(つきおか・ゆめじ、本名丼上明子)さん
1952年、新東宝「恋の応援団長」で映画監督デビュー。
1957年、石原裕次郎を主演に「鷲と鷹」「嵐を呼ぶ男」などを発表。
日活アクション全盛期の一翼を担った。
また日本映画が衰退に向かった1963年に香港へ渡り、
香港映画の基礎作りに貢献した。
70年代以降は天知茂主演の「明智小五郎シリーズ」など
主にテレビドラマを演出。
1983年、近藤真彦主演で
「嵐を呼ぶ男」を再映画化した。


裕次郎の映画は何作かビデオで持っていてDVDにしたりしました。
その時にラベル用に入手した画像がありました。

      


娘が読んでいた雑誌「花とゆめ」を久しぶりに

2010-02-12 | お出かけ

娘が小学生の頃に私も一緒に読んでいた少女雑誌
「花とゆめ」を買ってみました。
月2回の発行ですが もう889号でした。

      

「ガラスの仮面」44巻が出ていることも知って買いました。
古本で買ったのもありますが全巻 揃っています。
これも随分ながく続いています。

私の好きな作家は 川原泉 で「銀のロマンチック・・」は
スケートの話ですがオリンピックも近いので読み直してみました。
川原泉の新しい作品があるようで 買ってみます。

当時 「パタリロ」という漫画があったことを思い出して調べてみました。

 これも長く続いていて100巻を超えているようです。
この作家 魔夜峰央は 美内すずえのアシスタントを
していたこともあったそうです。

「花とゆめ」で知った3人の作家について資料にしました。
      
   美内すずえ        川原泉         魔夜峰央 

 

 

 


子供の頃に読んだ雑誌を思い出しました

2010-02-06 | お出かけ

万博公園にあった国際児童館がなくなりました。
そこにあった蔵書に子供の頃の雑誌「少年」の1号(1946/11/1)から
228号(1968/5/1)があったようです。
手塚治の「鉄腕アトム」が懐かしいです。

ふと「少年ケニア」が記憶から出てきて調べてみますと 
作者の山川惣治は去年が生誕100年でした。
このところ阪急電車や 餘部鉄橋など100年が良く目につきます。

もうひとり小松崎茂も記憶にあって 調べてみました。

作った資料をプリントしてスキャナーで画像にしてみました。