ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

香川県(讃岐)の偉人 「讃岐糖業の父」向山周慶について調べました。

2014-12-26 | パソコン

前回のブログで香川県(讃岐)の偉人 「坂出塩田の父」久米通賢について書きました。

今回は讃岐を代表する特産品だった「砂糖」「塩」「綿」が「讃岐三白」の一つの

「砂糖」を産業化した向山周慶(さきやま・しゅうけい)について調べました。

 東さぬき市白鳥町にある向良神社です。
 江戸時代の人、向山周慶さんと関良助さんから
 一字ずつとって、
神社の名前がつけられました。

 向山周慶さんは白砂糖の国産化に日本で初めて
 成功した人で 
関良介さんは薩摩の人で、医者の
 向山周慶さんが関良助を助けたことに
恩義を
 感じた良助が国禁の砂糖キビの苗を持ちだし、
 周慶のもとへとどけ、
砂糖きびが讃岐の国に
 根づいたと伝えられています。


 その砂糖が和三盆といわれて、
 独特の風味が今でも重宝がられています。

    向山周慶の記念碑    関良介のお墓

    

  向山周慶は1746年に讃岐国大内郡湊村
 (香川県東かがわ市湊)生まれ
  1819年に74歳で死去。

  讃岐糖業の始祖として白砂糖作りを確立し、「讃岐糖業の父」と称される。

  高松藩医・池田玄丈について医術を学んだ。

  その頃、第5代高松藩主・松平頼恭は、砂糖生産に注目し、玄丈に研究を命じていた。

  16歳で周慶は、玄丈から砂糖精製の研究を託され、以後30年間にも及ぶ苦難の歳月を経て、
  1790年はじめて白砂糖の精製に成功した。

  1803年白砂糖の製法を確立し、大坂で讃岐の和三盆糖として名声を高めた。


向良神社にある顕彰の碑に書かれている碑文の写真と、
その内容をWORD → PDF → JPG画像にしたものです。


 左の写真は屋島の四国村に展示されている砂糖を
 作っていた小屋を
紹介しているものです。

 今ではこのような小屋は残っていませんが、
「和三盆」づくりが東讃の方で残っているよう
 です。

    

最近は通りませんが、志度から大阪に帰るときに国道11号線に和三盆のお店(ばいこう堂)があり、
立ち寄ったことがあります。

とても上品な感じのする甘さのお菓子で、私の口に合うようなものではなく 
たまにしか食べることはありません。

和三盆の作り方と お菓子の写真をインターネットで調べてPhotoscapeで編集しました。

 

 

 

  


 2012-2-10の
 ブログ : 
 讃岐弁の話ーその2
 に餡入り餅の雑煮のことを
 書いています。

 日本の各地でいろんなお雑煮が
 ありますが、私が子供の頃には
 甘い餡の入った餅のお雑煮が
 普通で 母親が皆の希望を
 きいては 白いのが何個 
 赤いのが何個とたくさんの
 お雑煮を作っていました。

 昔 砂糖が高級品だったころに
 せめて正月くらいは甘い餅を
 食べたい
ということから
 始まったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 2012-1-10のブログ : 讃岐の食べ物の話ー1 志度のカキ焼き

 2012-1-10のブログ : 讃岐の食べ物の話ー2 白方のカキ

  に讃岐の冬の味覚と言うことで、観光大使になってカキのことを書いています。  
 その記事をWordに貼りつけて、編集してからPDF→画像にしました。
 
      
  

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kimiちゃん)
2014-12-27 12:37:38

讃岐 ご紹介 ありがとう~

  偉い 人物伝 なるほど 此れが 今に繋がり~!!

   名産に 経済 国を 豊かに!!

    
調査の検証をお願いします (Anonymous)
2018-12-15 13:37:19
写真の甲良神社は東かがわ市湊にある向山周慶の生誕地のものではないでしょうか?
向良神社について (ひでさん)
2018-12-15 20:38:01
向良神社の写真についてのご指摘を
ありがとうございました。
調べてみましたら、掲載した写真は
高松市松島にある向良神社ではなくて
東さぬき市白鳥町の方だと分かりました。

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