ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

藤井颯太の王将戦のニュースから「那須与一」が出てきました。

2022-01-31 | パソコン

昨年(2021)のニュースでは野球の大谷翔平と将棋の藤井颯太の大活躍が嬉しかったです。

昨日 藤井竜王が渡辺王将に挑戦している王将戦の第三戦が行われて藤井竜王が勝って
3連勝で5冠に王手となりました。

どの対局でもおやつに何を食べたのか話題になり、地域振興にもなっています。
4連勝で終わると5・6・7戦目の開催の予定場所は残念になります。

 今回の対局は栃木県の大田原市で赤唐辛子の 
 生産量が日本一とのことで、藤井竜王が
 赤唐辛子を背景を前に 当地の武将「那須与一」
 にちなんで弓を引いている画像がありました。

 「那須与一」は源平屋島合戦の 扇の的の場面
 で有名です。

 

 

 

2011年のブログ 新聞の記事に屋島にまつわる 話がありました。2011-03-07    

最近の読売新聞の夕刊に 海の細道」という連載記事があり
  13回「扇の的」射落とされた平家 の中に以下のように 那須与一のことが書かれていました。  

 黄金の太陽をえがいた紅の扇を竿の先に立て、舟のうえから手招きしているのは
 『平家物語』によると「齢十八九ばかりなる女房」だった。 

 若い女性であるのは平家の陣中にただよう、ある空気を物語っている。
 同じ平家の陣営にいても男と女では敵に対する気持ちがちがう。

 男にとって源氏の武者は敵以外の何者でもないが、女にとってはそうばかりでもない。
 坂東の田舎侍とはどんな男たちなのか、ちょっと気になる。からかってみたくもある。

 舟の女人は平家陣営の女たちのそうした気持ちの代弁者として波にゆられながら立っている。
 源氏方はこんな挑発を放っておくわけにはゆかない。

 扇を射落とすために弓の上手な者のなかから選ばれたのは那須与一だった。
 まだ二十歳ばかり、一本の矢によって後世に名をとどめる若者である。

 西国の春の夕ぐれ、太陽は屋島のかなたに沈もうとしていた。
 与一は残照にそまる白波に馬を乗り入れた。
  このとき、与一が馬を立て、矢を射たという駒立岩が海のなごりの水路に沈んでいる。

 与一は神々に祈ると、鏑矢を弓につがえ、ぐいとひきしぼってひょうと放った。
 鏑矢の先端には蕪形の笛がついていて、放てば音高く鳴る。

 『平家物語』のこのくだりは美酒に酔うかのような名文。そのまま引こう。

 「鏑は浦響く程に長鳴りして、誤たず扇の要際一寸ばかりを射て、
 ひふつとぞ射切つたる。鏑は海へ入りければ、扇は空へぞあがりける。
 春風に一按み二按みもまれて、海へさつとぞ散つたりける」

 青年はみごと若い女のかかげる扇を射落とした。
 恋のかけひきにもまがうこの余興はただの余興ではなかった。

 源平合戦のゆく末を占う意昧があった。じつは扇を射られたとき、平家は源氏に敗れ去った。
 壇ノ浦で平家が滅亡するのは、これからわずかひと月のことである。 


 左の画像は屋島の家の近くを流れている
 新川の橋の欄干にある
 「那須与一の扇の的のシーン」を
 編集した分です。

 下の画像は屋島観光で撮った分です。

 

 

 

    下の画像は屋島を撮影した分です。

    

    下の画像は屋島からバイクで志度まで走った時の地図です。

    


志度の畑の風景です。(2022-1-26)エンドウとソラマメが育っています。

2022-01-27 | 志度の畑

今年になってから毎日寒くてあまり畑仕事はしておらず、昨年に購入した簡易かまどで
枯れ草や小枝を燃やしています。
タマネギとソラマメにこやしをやりました。

 左の画像はエンドウの様子です。
 アーチ状の支柱 3か所とネットの
 1か所で育てている分です。
 もうかなり大きくなってきて少し白い
 花が咲きだしていて これからの生育
 が楽しみです。

 下の画像はログの近くに移植した分
 と中段のエリアの分でこれからです。

 

 左の画像はソラマメの様子
 です。
 もうかなり大きく育って
 支柱が必要です。

 上段のエリアの分は後で植えた
 ので、まだまだ小さいです。
 たくさん種を撒いたのですが
 全部芽が出てきて 間引いて
 移植もして根付きました。

 風よけにビニールシートを
 張って、こやしを撒いて
 大事に育てています。

 

   

    下の画像はタマネギの様子です。寒さ対策にワラを敷いています。
    上段のエリアの分はまだまだ育っていませんが、下段のエリアに
    早く植えた分はもう大きくなって来ました。

    

        

下の左の画像は ニンニクの様子です。今年も何か所も植えたのですが大きく育っています。
下の右の画像はイチゴ畑とワケギの様子です。ワケギはもう何回か収穫しました。

 

    下の画像はキンカンとスイセンとナンテンです。スイセンが咲きだしました。

    


24年前の冬の北海道旅行の写真を集めて見ました。

2022-01-25 | 旅行

先日のTV放送で北海道の紋別に流氷接岸のニュースがあり、砕氷船ガリンコ号の画像を見て
冬 北海道に行ったことを思い出しました。1998年の2月ですから もう24年も前です。 
その時は若くて元気だったので厳寒の北海道をいろいろと回ってきました。
冬の北海道に行っておいて とても良かったです。

冬の北海道には1998年の長野オリンピックの時に行った記憶があり、
パソコンに保管されていた写真を見つけて編集しました。
今では消えてしまったAPSフィルムのカメラで撮った写真をカメラのキタムラでCDにしてありました。

 ツアーは3泊4日で最初は札幌の
 雪まつりをみて夕食後に旭川まで行って
  一泊  翌日は旭川の冬まつりで
 好天の中を氷の彫像を見て歩きました。 
 旭川を出発して、吹雪の中を最北端の
 宗谷まで
行って宗谷まで行き宿泊は
「人間の條件」の

 ロケ地で相当に寒いことで知られている
 猿払村でした。猿払村で泊まったときに 
 雪で作ったスクリーンに映画を写して 
 部屋から見たと思います。 
 たしか「エアフォース・ワン」で 
 かなり新しい作品でした。
 ここは相当に寒く 日本で最も寒いのかと
 思いました。翌日は紋別港で流氷を見物して

 夜は層雲峡温泉   の氷爆まつりでしたが 猛吹雪で怖かった記憶があります。


 ちょうど長野オリンピックがあった年でした。家内と家内の母と3人でツアーに参加し
 旭川市では亡くなった家内の父の友人の木村さんがいろいろとお世話をしてくれました。
 事前に旭川冬まつりに関する地元の新聞の切抜きを作って送ってくれたり 
 冬まつりの写真などもいただきました。

下の画像は旭川のホテルで木村さんと撮りました。  下の画像はツアーで知り合った吹田の3人組です。      

ツアーの食事でいつも一緒のテーブルになる3人組と知り合いました。
勤めていた会社は別々で退職後の趣味で知り合って旅行に来たそうで摂津のほうの人でした。


 最初の見学は さっぽろ雪まつりの
 雪像でした。

 期間の終わり頃で雪も降ってきて 
 手入れが大変だと思いました。

 夕食はバイキングで 沢山食べたのを
 覚えています。

 旭川で木村さんが少しくらいとお店に
 連れて行ってくれたのですが少し食べ
 たのとビールを飲んだくらいです。

 

 

 翌日は市内の常盤公園で大小の
 氷雪像を見ました。

 氷の彫刻大会もあったようで 
 大きなまつりでした。

 快晴の天気でしたが その年は
 寒い年だったようで相当に寒く
 氷点下15度くらいだったよう
 です。

 

 

 

 

 旭川でゆっくり出来ずに
 バスで吹雪の高速を走り
 ました。

 何箇所かドライブインが
 空いていてそこで飲んだ
 地ビールが美味しかった 
 です。
 スット飲めてあとから 
  試食の豆を少し食べた
 よう な記憶です。

 

 


 

 翌日も地吹雪の道を
 バスで
    紋別に向かい

 ガリンコ号に乗っての
 流氷体験でした。
 紋別港の広場にも氷で
 作った人形などが沢山
 展示されていました

 

 

 

 

 その夜は層雲峡の立派なホテルで 
 近くに氷爆まつりの会場があるので 
 夕食後に見たのですが吹雪になって
 ホテルに帰るのが大変でした。

 氷爆まつりはカラーで美しく
 ライトアップされた広い場所でした。


 

 

 

 

 

 

        それ以外にも富良野の美術館や 鹿や白鳥をみたり スノーモービルに
        乗せてもらったりと 忙しい行程を寒さの中 元気だったと思います。

        


バスの中で ガイドさんが北海道のことをいろいろと話してくれています。
私は熱心に聴くほうで このツアーで聞いたかと思うのですが
上手な話し方だったのでしょう 「馬喰一代」と「塩狩峠」の話には
涙がでたかと思っています。

今回 どんな話だったのかと調べてみました。
「馬喰一代」は以下のような文がありました。
ミノルを北見競馬に出場させ、大平の学資を得ようとした。
ミノルは見事優勝したが、無理な競争がたたってその場で死んでしまった

三船敏郎で 映画にもなっていました。

「塩狩峠」は 次のような話でして 三浦綾子が小説にして
映画にもなっています。
塩狩峠に差し掛かった旅客列車連結器が外れて客車が暴走しかけたところ、
当時
鉄道院(国鉄の前身)職員でありキリスト教徒であった長野政雄という男が
列車に身を投げ、客車の下敷きとなり乗客の命が救われた。


コンビニのコピー機でカラオケ用の楽譜を入手することが出来ました。

2022-01-16 | 志度の畑

2021年の春先に体調が悪くなって、今も週に3回は近くの病院でリハリビ運動をしています。

それと健康のために 家内が習っているカラオケ教室にも週に2回 行くようになりました。

今回 教室で好きな歌を発表することになり、40年も前に歌った事がある

南こうせつの「夢一夜」に決めたのですが、シングルCDはもう売っていません。

カラオケの歌はYouTubeで入手できたのですが、楽譜がないと先生から教われません。

楽譜を入手しようとインターネットで調べて  「プリント楽譜」を見つけて

近くに出来た コンビニのコピー機でプリントすることができました。

   【カラオケ】夢一夜/南こうせつ

   

   

   


東京の娘の家族と一緒に雪の福井で過ごして来ました。(2021-12-30~2022-1-3)

2022-01-06 | 旅行

東京に住んでいる娘の家族が久しぶりに 主人の実家の福井で正月を過ごすのに便乗して
12月30日から1月3日を雪の福井を見られて良かったです。
娘は所沢市でレンタカーを借りたのですが、1,600kmの走行距離だったようです。

12月30日の朝早くに高速バスで大阪駅に向かって、11時過ぎのサンダーバード号に
乗りました。自由席だったのですが通路を隔てての席が取れました。福井駅近くのホテルに
行って、東京から来た娘の車で主人の実家に行って夕食を食べました。

 12月31日はホテルから娘夫婦と社会人2年生の
 孫との5人で雪の中を永平寺に行って来ました。
 街中は融雪装置が設置されているので、行きは気に
 ならないですが、お寺近くでは靴底に付いている金具が
 役に立ちました。駐車場も雪で覆われていましたが、
 スタッドレスタイヤのお陰で無事に運転できます。

 下の画像は永平寺で撮ったスマホの写真を編集加工
 しました。

 

   

永平寺の見学の後は東尋坊に行って来ました。前にお出かけでも来たことがあるのですが
その日は強風でしたので、昼食の後は観光を少しにして近くの三国温泉で温まって来ました。

  

 1月1日はホテルの朝食バイキングの後
 昨日と同じ5人で金沢城と兼六園に
 行って来ました。
 お正月なので金沢城の入園料はシニアは
 無料でした。
 城内の見学は丸太の組み合わせなどが
 すごかったです。
 兼六園の灯篭は会社の先輩が庭に作った
 形で写真のスポットでした。樹の雪吊り
 を久しぶりに見ました。ちょうどお昼時で
 お店には入れなくて、高速のSAで食べて
 併設されている温泉に入って来ました。


  

 1月2日は福井の実家の家族と孫たちと
 お店で昼食を取ってから、5人だけで
 恐竜博物館に行きました。
 まだ行ったことがなくて想像以上に
 立派なところでした。
 中学生の孫はとても熱心に見回っていて
 私は途中で休憩したり映像を見たりして
 過ごして喫茶店にも入りました。

 下の画像はスマホて撮った分を編集加工
 したものです。


  


 1月3日はホテルから福井駅に行き サンダーバード
 の出発時間を待つ間に立ち寄ったお店の人が高松か
 来たバレーボールの人でカニをすすめられて高価なのを
 家内の友人用にも買い 福井名物の水ようかんも
    お土産に買いました。
  

福井駅からサンダーバードの乗りましたが、うまく座れて良かったです。
京都駅から高速バスの予約を採ったのですが出発時間までだいぶ時間があったので
駅構内を散策したり、昼食をとりました。

下の画像は階段のイルミネーションと 駅ピアノのスナップです。