その日その時 写真で見る歳時記

気ままに写した写真に気ままな言葉たちの集まり

健気(けなげ)

2007年11月30日 | Weblog

 

健気(けなげ)

 

***

 

公園に出かけたある日

 

いつも見かける子が

 

なぜか浮かない表情

 

どうしたの

 

今日お母さんは

 

するとかなしそうな顔で

 

お母さん病気なの

 

今日はだれと来たの

 

お兄ちゃんと犬と~

 

そうかぁあ・・

 

お兄ちゃんは

 

一人どこかで遊んでいる

 

ここでじっと待ってるように言われ

 

子犬と一緒に待っている

 

じゃぁ一緒にここで童話の本読もうか

 

わがきみと一緒に

 

本の読み聞かせが始まる

 

次第に顔が明るくなってゆく・・

 

よかったよかった

 

健気なあなたの顔が

 

少しでも明るくなれば・・

 

わがきみも同じように明るい笑顔

 

~~~

 

***

 

健気は

けなげは・・「けな」と「げ」がついた言葉で

「けな」は気に「な」がついた言葉らしい

悲しい 寂しい 頼りないのほかに

普通ではない 特別だという意味の

「異(け)・なり」という言葉が

変化したものだといわれています

大槻文彦「大言海」によると

「けなげなり」の前進は「けなりげなり」という語が

存在したとあります

昔はどちらかというと

健康だとう言う意味で使われていたようです

健康だということが普通ではない

貴重な時代だったのでしょう

やがて勇ましいという意味や

心がけがしっかりしている

真っ直ぐ困難に立ち向かう という意味でも

使われるようになっていきました

これらは

心が健康であればこそできることだといえます

現代は

身体の健康よりも

心の健康の方が

当たり前ではない時代になってきたようです

だからこそ

健気な姿には

勇気付けられたり

感動させられたりするのでしょうね

 

 

 

 

 

 

 

 


天晴れ(あっぱれ)

2007年11月28日 | Weblog

 

天晴れ(あっぱれ)

 

***

 

秋の市民写生大会で

 

なんときみは

 

特選

 

祝福の声に

 

おもわずバンザイ

 

めったに参加しない父親までが

 

あっぱれ・・でかしたぞっ!

 

バカ殿である

 

きみはまったく意に介していない

 

みなそれぞれの

 

絵を鑑賞して

 

実力伯仲と思えたから

 

余計に感動があった

 

あれほど大喜びしたときには

 

見向きもしないきみが

 

家に帰ると

 

大騒ぎ

 

人前でのあの冷静さは

 

なんだろう

 

大物 それともシャイ

 

など複雑な思い

 

・・・・

 

***

 

心の声

天晴れ すばらしい! お見事!

思わずそう叫ぶ瞬間

誰にもあると思います

天晴れと書きますが これは当て字

もともとは「あはれ」

「あぁ・・・・」とか「あれ~~」などと同じで

自然に口から出てくる感嘆詞でした

ですから 感動したときだけでなく

うれしいときも 悲しいときも

さまざまな場面で「あはれ」と

叫んだり つぶやかれていました

その「あはれ」を強調して言ったのがあっぱれ

やがてこちらは

賞賛するときだけに使われるようになりました

一方「あはれ」の方は

「哀れ」として 今も使われます

感嘆詞は 心が

もっとも素直に表面に出てきた声です

こんな言葉を叫ぶときが

一番気持ちがいいですね

写真は・・桜の葉っぱが葉っぱの陰に隠れた・・

いわゆる葉隠れの術?「あっぱれっ!!」

 

 

 

 

 


機嫌(きげん)

2007年11月27日 | Weblog

 

機嫌(きげん)

 

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いちどに

 

持ちきれない花を

 

くれる人よりも

 

一本の花を

 

毎日くれる人が好き

 

素敵な気持ちが

 

毎日続くんだもん

 

恋と同じで

 

積み重ねたほうが

 

頑丈だから~

 

~~~

 

***

 

変身した言葉

もともと 「譏嫌」と書いたそうです

意味は そしり 嫌うこと

いまと全然違いますね

人々は

そしられたり 嫌われたりしないように

その時々の様子をうかがったり

気を遣ったりしました

つまり 「譏嫌」を大変気にしたわけです

その結果

いつのまにか

その人の気分の良し悪しを意味する言葉になり

やがて気分そのものを指す

言葉に変わっていきました

「ごきげんよう」という挨拶も

相手が 気分よく過ごせますように・・

という祈りを込めたものです

今では「語機嫌」というと

よい気分を指しますね

「ご機嫌」で過ごしたい気持ちは

誰でも同じで 人と人とが交わる際に

気遣ったり 思いやったり・・・

そんな中で言葉も変化してゆくのですね

 

 

 

 

 

 

 

 


草紅葉

2007年11月26日 | Weblog

 

草紅葉

 

***

 

別れ際に

 

きみが見せた表情は

 

わたしの知る

 

どんな顔とも違ってた

 

淡淡とした哀しみが

 

金色の光を放つ

 

それは

 

去ってゆくものだけが持ってる輝き

 

・・・・

***

 

野に広がる紅葉

秋も深まると

山の木々の紅葉が

野や里に下りてきます

同じころ

田の土手や畦などの草も

いっせいに色づいて

靴で踏むのも惜しいほど美しくなります

それが「草紅葉」「草の錦」といわれます

でも その美しさもほんのひとときで

霜が下りるととたんに枯れて

みすぼらしくなってしまうのが草紅葉のはかなさでしょう

紅葉する草の中でも

ほうき草は変わっていて

夏は緑色の細い茎を

秋になると濃いピンクになります

名前の通り

茎は乾かして箒にし

実は「とんぶり」といって

畑のキャビアといわれるほどおいしいものです

 

 

 

 

 

 


浮世

2007年11月25日 | Weblog

 

浮世

 

***

 

生きている間は

 

この世の人の

 

初恋の話を聞いて楽しみ

 

死んでしまったら

 

あの世の

 

最終恋の話を

 

聞いて楽しもう

 

最終恋の話は

 

初恋の話よりも

 

長い時間かかるだろうな~

 

~~~

 

***

 

この世はどんな世

中世ごろまでは

「憂世」と書きました

憂き(うき)

つまり 辛く苦しいのが

この世だったのですね

戦乱に明け暮れる毎日

天災、飢饉・・・・

そんな中 人々は

今生きているこの世よりも

死んでからのあの世に

憧れるようになっていきました

江戸時代になって

暮らしが豊かになるにつれて

「憂世」も「浮世」と書くようになりました

漢字を一文字変えただけで

まったく

生き方が変わってしまうこともあるのですね

ただ この「浮」は

「定めのない・空しい」「浮ついた」という

意味に解釈するようです

でも

「うきうきする」の「浮」だと思いたいですよね

 

 

 

 

 


御伽噺(おとぎばなし)

2007年11月24日 | Weblog

 

御伽噺(おとぎばなし)

 

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久しぶりのお休みが続きます

 

今日はきみのために

 

夜も本を読みましょうね

 

きみが本に興味を持ったのは

 

創作童話

 

最近は

 

むかしむかし~で始まる

 

御伽噺が大好き~

 

むかしむかしを~

 

省略すると

 

どうして読まないのと

 

叱られてしまいます

 

最近は・・新作童話まで

 

昔々とつけて喜んでいます

 

きみの頭の中には

 

昔虫が住んでいるようだ

 

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***

 

夢に入る前の語らい

御伽とは

身分の高い人の寝床に入って

お相手をすることでした

お相手といっても いろいろありますが・・・

やがて

重要視されていったのは

お話の相手でした

戦国時代以降になると

御伽衆といわれる職ができます

これはほとんど男性です

彼らは 諸国の情報を伝えたり

雑談の相手をしたりするのが仕事でした

テレビも新聞もないころ

情報や知識が如何に重視されたかということです

子ども相手の話を意味するようになったのは

明治時代以降のことだそうです

大切な人の枕元で 交わされた

さまざまな御伽噺の始まり

子どもに読んで聞かせる絵本や

お話の内容だけが 御伽噺ではなく

お母さん お父さんの

一言一言が御伽噺なのでしょう

 

 

 

 


忘れ音

2007年11月23日 | Weblog

 

忘れ音

 

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部屋に入ってきたきみが

 

いま玄関で

 

虫が鳴いていたよ

 

こんな寒くなっても鳴いているんだね

 

寒いって鳴いたのかなぁあ

 

お腹空いたって鳴いたのかなあ

 

寂しいって鳴いたのかなあ

 

そうね~

 

どれも当たっているかもね

・・・・

***

 

最後の一匹

季節を過ぎて鳴く虫の音のことを

忘れ音といいます

「きりぎりす 忘れ音に啼く 火燵哉(こたつかな)」 芭蕉

昔は 蟋蟀(コオロギ)のことを螽蟖(きりぎりす)

螽蟖のことは 機織(はたおり)と呼びました

そして

鳴く虫の総称として

きりぎりすといっていたようです

蟋蟀も螽蟖も

語源は鳴き声からだといわれますが

忘れ音になると

「コロコロ」とか「キリキリ」とは聞こえません

「ヒョロヒョロ・・」と か細く 弱弱しく 悲しげです

わたくしたちは

見送り 見送られながら

果てしない命の営みを続けてきました

この忘れ音の主が

最後の一匹だとしたら

その寂しさは はかりしれません

人の生命の営みに

心から感謝したい気持ちです

本日の写真はイメージのみです

 

 

 

 


浮寝鳥(うきねどり)

2007年11月22日 | Weblog

 

浮寝鳥(うきねどり)

 

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金色の夕陽が落ちる湖で

 

まどろみかけた水鳥が

 

ふと首を上げて

 

一声鳴いた

 

しんと静まる湖面の水は

 

何も答えてくれないけれど

 

大丈夫

 

世界はまだそこにある

 

薄墨に広がる夜が

 

何もかも隠してくれる

 

きみを包んで

 

そこにあるから

 

***

 

あてどなくさまよう想い

冬の湖などで

雁や鴨が水面に浮かんだまま

眠っている姿をご覧になってことあると思います

水上で長い首を翼の間に入れて

丸くなる水鳥たち

ずいぶん器用な格好でねむるものです

水鳥のこうした習性を

「浮寝鳥(うきねどり)」と呼ぶのですが

彼らは水上で「浮き寝」をする様子は

のんびりしているようでいて

不安定なものにも見えてしまいます

昔の人々は

心配事を抱えて

安らかに眠れない夜の自分自身を

しばし「浮寝鳥」にたとえたものでした

和泉式部が

「水のうへにうきねをしてぞ思ひやる」

と歌ったのも

恋ゆえの心配から

まんじりとも出来ずにいた夜のことです

また 光源氏と

一夜限りの関係を持ってしまった

人妻の空蝉は

その逢瀬を「浮き寝」にたとえています

平安時代の人々にとっても

不倫の恋は

不安定なものであったのでしょう

 

 

 

 


古学び(いにしえまなび)

2007年11月20日 | Weblog

 

古学び(いにしえまなび)

 

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おとなにも

 

弱みがあることを知った

 

あの日

 

幸せな子ども時代は

 

終わったと思う

 

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ちょっと振り向いて

古典の学問のことを

古学び(いにしえまなび)といいました

「学ぶ」の語源は 「まねぶ」

真似をすることです

昔から

学習の基本は

良いお手本を見つけて 真似をすることでした

教えてもらうのではなく

自分から 真似てみたいことを

見つけることなのです

「いにしえ」とは 「往(い)にし方(へ)」

つまり

過ぎ去った方角のことです

過去には 数え切れないほどの人生

数え切れないほどの思いがあります

お手本の宝庫ですね

古典や歴史に限ったことではありません

過ぎ去った方角を振り向いてみれば

真似したいなぁと思う事が見つかりませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


初心(ういごころ)

2007年11月19日 | Weblog

 

初心(ういごころ)

 

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わたくしの初心は

 

こどものいいところ 1番

 

こどもの悪いところ 2番

 

大人のいいところ 3番

 

大人の悪いところ 4番

 

1番を保ちつつ

 

2番を捨て去り

 

3番にすり寄って

 

4番を避けるのだ

 

たった4つのことなのに

 

これがむつかしいんだな~

 

初心を貫くのは

 

大変だってよくわかる?

 

それってなんか変だって言われてるけど

 

いいの・・わたくしの初心なんだから

 

・・・

 

***

 

 

いつも生まれたて

「しょしん」と読めば

始めに思い立った決心のこと

「うぶ」と読めば

世間ズレしていないこと

そして

「ういごころ」と読めば

穢れのない心のことを言います

「うい」や「うぶ」の語源は

どちらも「生み」「産む」

生命の誕生に由来する言葉なのです

実際に生まれることは

誰でも一生に一度ですが

わたくしたちの細胞は

日々生まれ変わっているといいます

人は毎日

ささやかな生まれ変わりを

繰り返しているのです

生まれたばかりのような

まっさらな心で見れば

見えなかったもの 見失っていたものが

見えるかもしれません

「初心忘るべからず」ですが

初心(ういごころ)も失いたくないですね