その日その時 写真で見る歳時記

気ままに写した写真に気ままな言葉たちの集まり

一行三昧(いちぎょうざんまい)

2008年02月29日 | Weblog

 

今日の句

 

舐めまわす視線に耐えて雛の宿

 

***

 

今日の言葉

 

一行三昧(いちぎょうざんまい)

 

禅の修業といえば座禅

自分と向き合い

心の安定を得られる

座禅に集中することも

一行三昧(いちぎょうざんまい)

ひとつのことに

精神を統一して邁進する

それを

一行三昧(いちぎょうざんまい)

といいます

お寺で行うような

修行アイテムだけではありません

座禅をしなくても

日常生活のすべてに際して

心が素直で

純真でいられたら

それもまた

一行三昧(いちぎょうざんまい)

寝たり起きたり

どこにいても

どんな環境でも

一行三昧することが

極楽浄土になります

あなたにとって

どこにいるときが

一行三昧しやすいですか

あなたにとって

何をしているときが

一行三昧に近づけるでしょうか

茶の湯の手前に

無心なっているとき

掃除をしているとき

与えられた仕事をこなしているとき

あなただけの

一行三昧の入り口を

探しておくことをお勧めします

(ほっとする禅語より)

 

大人も子どもも

夢中になる時間は

一日にどれくらいだろう

大人になるほど

夢中になる時間が少なくなっています

仕事有っての生活ですし

生活有っての

一行三昧(いちぎょうざんまい)ですから

夢中になれること沢山あっても

出来ないことがあるけれど

何とか夢中になれることを

いくつか持っていてほしいものです

 

今日の写真は

名古屋東山動物園のコアラの赤ちゃん

現在二匹のコアラが

それぞれの赤ちゃんを

大事に抱えて育てています

この赤ちゃんは

もう一匹よりも少し生育が遅れていますが

随分と一気に成長してきて

心配していた生育も

大丈夫になってきました

コアラの赤ちゃんやコアラの動いているのを

見る時間帯があります

それは餌やりの時間です

午後1時ころに入るとほぼ100%

動いているコアラに会えます


我逢人(がほうじん)

2008年02月28日 | Weblog

 

今日の句 

 

春寒しあなたのせいと拗ねている

 

***

 

今日の言葉

 

我逢人(がほうじん)

・・・

人と人との出逢いの尊さを

三文字で表わした言葉です

心と心 物と物

そして

人と物の出逢い

出逢いこそ命です

道元禅師(曹洞宗をひらき、永平寺の開祖)は

中国で念願の師と出逢った時を

「まのあたり先師をみるこれ人にあうなり」

という言葉にしました

自分だけ考えて

自分だけで行動していたのでは

見つからないことがある

だから

その人との出逢いこそが

すべての始まりだと思った

感動の言葉です

構えた格好でも

些細な偶然でも

人との出逢いは何かを生みます

人は自分と違う

領域を持って生きています

出逢いはあなたを

広く深く成長させてくれます

人と逢う事を大切に

人と逢える場を大切に

そして

人と逢う姿を大切に

(ほっとする禅語より)

 

毎日毎日・・

新しい人 物 ことがらに

出逢うことがない日はないほど

現代は忙しく動き回る人間ですから

いまさら~と思えることですが

実は毎日逢っている

人も物も事柄も

ただ仕事やスケジュールの

流れの中の事柄で

終わることが多い

人と人とが

心を交わす出逢いは

それほど多くはない気がするのです

自分を高めてくれる

人を高められる出逢いなどは

本当に限られていると思うのです

素敵な人との出逢いが

今日もありますように

祈ります

 

今日の写真は

名古屋出身の伊藤圭介理学博士の

名前が付いているシモバシラという花の茎に

出来た霜柱です

この霜柱は普通によく見かける

土を持ち上げる氷の固まりになる

霜柱とは違って

シモバシラという名前の花の後の

枯れた茎の水分を補給するための導管から

吸い上げられた水分が凍って

外部に出て積もってゆくことで出来た霜柱なのです

その時の水分や気温の状況で

形も蝶やブローチや綿菓子のように

色々な形になって出来上がります

このような茎から立ち上がってできる状況は

条件がそろえば他のものでもできるそうですが

水分が上手く補給できなくて

他の種類ではあまり見かけないそうです

 

 


喫茶去(きっさこ)

2008年02月27日 | Weblog

 

今日の句 

 

「客人もふと足止め見入る春の庭」

 

*** 

 

今日の言葉

 

喫茶去(きっさこ)

・・・ 

よくいらっしゃいました

どうぞお茶でも召し上がれ

こんな光景は日常的によく見かけますね

お茶を差し出す行為は

心を映し出すものです

あなたは

嫌いな人が来ても

お茶を召し上がれと言えますか?

到着したとたん

慌てて言い訳しようとする人に

ご苦労様

まずは一杯と

相手の呼吸を

整えてあげることを考えますか

よく来たねという

気持ちも

一杯のお茶が表わします

寒かったでしょうという

ねぎらいの気持ちも

一杯のお茶が表わします

「喫茶去(きっさこ)」は

お茶を召し上がれ・・と

ただそれだけの言葉

抹茶を立てても

番茶でも

理屈抜くに一杯差し出すことが

禅の心にも通じます

儀式でもなく

健康やのどの渇きのためとも

こだわらず ただ

「さあ お茶をどうぞ」

「茶の湯とはただ湯を沸かし茶を立てて飲むばかりなる本を知るべし」

(千利休)

(ほっとする禅語より)

 

毎日の生活に追われていて

ある意味で流されてしまうことの多い毎日

なかなかゆとりある気持ちになれない中で

ふと出合った禅語

読み砕くうちに少しは

気持ちも緩やかになれそうな

そんな言葉を選んで

日々の気持ちに新鮮さをくわえてゆきたい

 

 


春告草(はるつげぐさ)

2008年02月26日 | Weblog

 

春告草(はるつげぐさ)

 

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青春切符おりた駅には梅の花

 

***

 

見上げる空は快晴

 

甘い香りは

 

梅が咲いているらしい

 

駅舎を出れば

 

梅が見ごろ

 

あてもなく下りた町に

 

そっと迎えてくれた花

 

新しい思い出が出来た

 

花よありがとう

 

心の癒し旅

 

・・・

***

 

梅一輪 一輪ほどの 暖かさ

(服部嵐雪)

「春告鳥」は鶯

「春告魚」は鰊(にしん)

そして 春告草といえば

梅のことです

また 好文木(こうぶんぼく)ともいわれ

学問の象徴でもありました

香りが良いので匂草(においぐさ)香栄草(かばえぐさ)

一年のうちででいち早く

花を咲かせるので「花の兄」

春風を待つので「風待草(かぜまちぐさ)」ともいいます

雪も似合うし

鶯とは名コンビで

万葉集には桜よりも多く詠まれています

昔から

「桜切るばか 梅切らぬばか」といわれるほど

梅は枝を切れば切るほど

活力が増していくのだそうです

あのたくましい枝ぶりは

その生命力の表れなのですね

美しいだけではなく

遠い昔から

わたくしたちに勇気を与え続けてくれる花・・

そして

一輪ごとに

春を呼んでくれる花です

(山下景子著「美人の日本語」より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


寒苦鳥(かんくどり)

2008年02月25日 | Weblog

 

寒苦鳥(かんくどり)

 

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菜の花が主役になれぬ春の雪

 

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昨日の話しですが

 

また「はるばあちゃん」登場

 

わが相方に一言

 

「庭掃除手伝いましょうか~」

「まだ寒いから・・こんどにしましょう」

「あなたも寒苦鳥だね」

「寒苦鳥??」

「なんですか・・それ?」

この会話の寒苦鳥って

ご存知ですか・・?

:::

***

 

インドの雪山・ヒマラヤに

寒苦鳥という鳥がいるそうです

実はこの鳥は架空の鳥です

夜になって寒いので

「夜が明けたら巣を作ろう」と

決心するのですが

日が昇ると朝日が暖かいので

忘れてしまう

結局 巣を作らないまま夜を迎えて

また寒さに震える

「明日こそ巣を作ろう」・・・

でも また~

次の日になると忘れてしまう

そうやって

一生 巣を作ることもなく

むなしく鳴き続けるのだそうです

これは皆様よく分かっている戒めですね

でも 本当に

よぉ~~くわかっていても

やはり思い当たってしまうのです

さぁあ 寒苦鳥のようには

なりたくはないと思ったら

最初の一歩が

一番 億劫なのです

でも 一歩前に踏み出すだけで

きっと寒苦鳥ではなくなるはずです

(山下景子著「美人の日本語」より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


薄氷(うすらい)

2008年02月23日 | Weblog

 

薄氷(うすらい)

 

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薄氷の解けて緋鯉の輪も広し

 

***

薄氷を踏んでははしゃぐ

 

いたずら盛りの顔が

 

大きな顔と小さな顔が

 

見る見るうちに

 

昂揚してゆく

 

小さなきみは

 

大人になったら

 

タップダンスの貴公子に

 

陽が次第に高くなる

 

春はすぐそこ

 

小鳥も賑やかに歌う

 

・・・

***

 

一歩一歩春に近づいている証

次第に春めいて

吹く風もやわらかくなり

もう氷も張ることがないだろうと

思っているころ また寒さがぶり返し

水溜りや池

田んぼの隅っこなどに

薄い氷が張ることがあります

ちょっと触ると

パリパリ割れてしまいそうな薄さで

池などの岸辺近くでは

萌え始めた草の緑が

氷の中に透けて見えたりします

 

薄氷の草を離るる汀(みぎわ)かな 高浜虚子

やがて日が高くなると

あっけなく解けてしまうのも

はかなくて「薄氷」は

春がすぐそこまで来ていることを

予感させる言葉です

(道行めぐ著「美しい日本語帳」より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


翌檜(あすなろ)

2008年02月22日 | Weblog

 

翌檜(あすなろ)

 

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旅立ちはその日の風の杉の花

 

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最近姪っ子が

 

見え透いたかわいい嘘をつきます

 

「イチゴもらったから~ジャム作ったの」

 

と言っては

 

好きな彼に

 

届けている

 

でも結局

 

タイミングが悪くて

 

 

手渡せなくて

 

自分で食べている

 

さてさて次は

 

どんなウソだろう

~~~

***

 

明日を夢見て

「あす檜になろう あすは檜になろうと

一生懸命考えている木よ」

井上靖の「あすなろ物語」の一節です

檜に似ていて

「あすは檜になろう」と思っているから翌檜(あすなろ)」

語源に関しては

色々な説があるものの

決定的なものはないようです

「あすなろ物語」では

「決して檜になれない悲しい木」

というニュアンスで描かれています

しかし

明日を夢見て生きてゆく

自分の姿を翌檜に重ね

心の励みにしている人は多いはず

悲しい木なんかじゃない

夢を追い続けることが出来る自分がいて

その上 その姿に感動する人々がいる

それだけでもすばらしいことです

その説

実は俗説なのだそうですが

それでも多くの人を

勇気付けてきたことは

間違いないでしょう

(山下景子著「美人の日本語」より)

写真は植物園のセコイアの木です

 

 

 

 


奏鳴曲(そうめいきょく)

2008年02月21日 | Weblog

 

奏鳴曲(そうめいきょく)

 

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春時雨 演奏法を切り替える

 

***

 

興味を持つことは

 

何でもやってみたい性格

 

どこまできみは本気なのか

 

ヴァイオリンに興味を持った

 

指がまともに弦を押さえられない

 

ガラスが割れるのでは

 

酷い音だった

 

ある日を境に

 

気にならなくなった

 

教え方次第であると

 

基本は

 

好きになることで

 

いくらでも上達すると

 

目から鱗の言葉

 

仕事も同じなんだと

 

改めて思った

 

もっと好きになろう

 

負けないように

 

・・・

***

 

カタカナの感じ 漢字の感じ

ソナタのことを日本語では

奏鳴曲と言います

ソナタとは

ソナタ形式で書かれた楽曲のことです

ソナタ形式とは

 提示部、展開部、再現部という3部によって構成される器楽曲の形式

主題はふたつあるのが基本

詳しい説明は省きますが

タイトルや詞などで使われる場合は

そいうことにとらわれず

語感だけで使っている場合が多いようです

ほかにも

「小夜曲」(セレナーデ) 「夜想曲」(ノクターン)

「円舞曲」(ワルツ) 「狂詩曲」(ラプソディー)

「遁走曲」(フーガ) 「前奏曲」(プレリュード)

「協奏曲」(コンチェルト) 「幻想曲」(ハンタジー)

などがよく使われます

曲の性格をよく表わしているもの

そうでないもの さまざまですが

日本語にすれば

また違ったロマンティックな

雰囲気が漂いますね

(山下景子著「美人の日本語」より)


春隣(はるとなり)

2008年02月20日 | Weblog

 

春隣(はるとなり)

 

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サイコロの目を書き換えて春隣

 

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駄洒落で始まってゆく朝です

 

お隣のおばあちゃん

 

名前を「はる」さん

 

いつもチャイムを押しながら

 

はるがきたよっ!

 

我が家はいつも春隣

 

:::

 

***

 

手で触れるほど近くにきた春

冬のさなかには

寒さにひたすら耐えているだけですが

だんだんと寒さが緩んで

冬の終わりが見えてくると

かえって春が待ち遠しくなるものです

まして

何かちょっとした春の兆しに

気がついてしまうと

その気持ちはいっそう強まるもの

頬に当たる風も

心なしか柔らかくなり

目を凝らすと土からかすかに

緑色が顔を出し始め

北国では氷柱から滴る

雫の音も絶え間なく聞こえてくるころ

そんな思いを表わす「春隣」は

手で触れるほど近くまで来たという

気持ちは素直に伝わる素敵な言葉です

 

叱られて目をつぶる猫春隣  (久保田万太郎)

 

春も近く

活動的になった我が家の猫

何かいたずらをして叱られてしまった

陽の当たる縁側で

ぎゅっと目をつぶる猫の様子に

春が近づいたなあという思いがこもります

(道行めぐ著「美しい日本語帳」より)

そろそろ山下景子著

美人の日本語もおわりです~

添え書きとして使わせていただいた

美しい日本語も

これからますます消えそうなものばかり

この美しい日本語を消さないように

機会があるたびに使ってゆきたいと思っています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


花弁雪(はなびらゆき)

2008年02月19日 | Weblog

 

花弁雪(はなびらゆき)

 

***

 

花弁雪ひとひらそっと手の中に

 

***

 

 子どもの雑誌に載った

 

雪の結晶を見て

 

自分で見たいと言い出した

 

なかな雪が降らなくて

 

雪のあるところまで出かけることに

 

ところが

 

なかなかタイミング悪くて

 

結晶を見る機会がなく

 

家に戻る

 

翌日

 

朝から大騒ぎ

 

どうしたの?

 

雪がちらついている

 

おまけに

 

顕微鏡持ち出さなくても

 

窓ガラスに

 

綺麗な結晶がついている

 

食い入るように見るきみは

 

寒さも忘れて

 

妄想の世界かも(笑)

 

・・・

***

 

幸福が降ってくる

雪を花に例えた言葉

雪を花に例えた言葉は沢山ありますが

見たまま「雪の花」、六角形の結晶の形から「六つの花」

天からの花の意味で「天花(てんか)」

そして、大粒のはらはら舞い落ちる雪が

「花弁雪」といいます

「牡丹雪」も

大粒の雪を牡丹の花に見立てたものですね

降る雪の姿は本当に命があるようです

その美しさを 雪見して

楽しんだりもしました

雪の多い地方では

そんなのんきなことは

言っておられないでしょうけれども

雪の多い年は豊作とも言われます

「瑞花(ずいか)」は

めでたい花という意味で

方策の兆しとなる花のことを言いました

つまり 雪のことなのです

この冷たい一片(ひとひら) 一片(ひとひら)が

いつか 本当の幸せの花に

変わりますように・・・・・

(山下景子著「美人の日本語」より)