その日その時 写真で見る歳時記

気ままに写した写真に気ままな言葉たちの集まり

秋の七草

2007年09月30日 | Weblog

秋の七草

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ススキのざわめく小径を

ふらり歩く 

閑静な家のお庭に

薄紫の藤袴

なんだか

きみに似ているね

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秋の七草

万葉のころから愛されてきた花たち

春の七草はいえても 秋の七草は?

意外と答えられない人も多いかもしれませんね

でも、ひとつひとつの花は

誰でも知っているものです

万葉時代の歌人

山上憶良(やまのうえおくら)が詠んだ歌

「萩、尾花、葛花、撫子の花、女郎花、また藤袴、朝顔の花」を元に

知られる秋の七草

「尾花」はススキの別名

また 「朝顔」は桔梗のことです

今でも野や山 あるいはそのへんの道端でも

よく見かける花ばかりです

派手な花はひとつもありません

その可憐さ はかなげな風情が

昔から歌人、俳人、文人に愛され

人口に膾炙されてきたのです

 

 

 

 

 

 


雨月

2007年09月29日 | Weblog

雨月

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胸がざわざわする日の空は

グレイと紺のマーブル模様

だから

あなたに早く逢いたい

こころに

闇が広がる前に

・・・・・

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名月を隠す無情の雨

十五夜の夜

この日の月を楽しみにしていたのに

夕方から雲行きが怪しくなる

やがて雨が降り出し

せっかくの名月も

雨で見ることができないのを

「雨月」といいます

あるいは分厚い雲に邪魔されて

見られないのを「無月」ともいいます

こんな言葉を生み出すほど

昔の人の生活に

月は深くかかわっていました

平安時代の貴族社会では

男性が女性のもとへと訪れる

「通い婚」が一般的でした

夫や恋人の訪れを待つ女性は

待つ間幾度も外の月を見上げ

ため息をついたのではないでしょうか

 

 

 

 

 

 


行合の空(ゆきあいのそら)

2007年09月28日 | Weblog

行合の空(ゆきあいのそら)

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きみとの出会いは

洗いざらしのジーンズに

おろしたての白シャツを

合わせたときのような

気分だった

初恋にはしゃぐほど

若くもないけど

まっさらな気持ちが

確かに

そこにはあって

・・・・

***

暑さの中に秋が交じり合って

むしむしとした暑さが続く夏の終わり

夕方外に出ると

今までとは違った風が

吹き抜けてゆきます

ぎらぎらと照りつけていた太陽も

ふと気がつくと

日差しが弱まっているのを感じます

そんな暑さと涼しさが入り混じっている

空模様を「行合の空(ゆきあいのそら)」といいます

夏から秋へ

秋から冬へ

ある日を境に気候が変わるなんて

いうことはありませんが

季節は次にめぐる季節と入り混じりながら

変わってゆきます

夏から秋にかけての「行合の空」も

季節の変わり目のひとつなんです

見上げれば

夏の入道雲に代わって

いわし雲が浮かんでいます

時には空を見上げて

「行合の空(ゆきあいのそら)」に

思いをはせてみましょう

これから来る秋や冬を

より実感できるかもしれません

 

 

 

 

 

 


女郎花(おみなえし)

2007年09月27日 | Weblog

女郎花(おみなえし)

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うそつきな彼が

彼女を泣かせると

みんな彼を

ひどいと責める

でもでも 本当は

彼女のほうが大人

変幻自在の

嘘泣きだから~

・・・

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大人の女性

女郎花(おみなえし)は

秋の七草のひとつ

女郎(おみな)は女性という意味ですが

「えし」の解釈はいろいろ~

そばにいる女性を圧倒するほど

美しいから女郎圧し(おみなえし)

そばにいる女性の美しさを

減らしてしまうから女郎減し(おみなへし)

女性だと思われる花なので

女郎べし(べしは推量の助動詞)

花が栗飯に似ていることから

女郎飯(おみなめし)

栗飯は女性の主食なので女飯と呼ばれ

白米は男飯と呼ばれていたそうです

などなどの説があって・・のオミナエシ

男郎花(おとこえし)という花もあります

女郎花の花は黄色ですが 男郎花は白

この男郎花を意識して

女郎飯のような俗説があるのかもしれません

謡曲「女郎花」によると

小野頼風の心変わりを嘆いて

身投げした女性の衣が朽ちて

そこに女郎花が咲いたとか

成熟した大人の女性を思わせる女郎花ですが

つらい思い出を心に秘めて

美しく咲いているのですね

 

 

 

 


掌(たなごころ)

2007年09月26日 | Weblog

掌(たなごころ)

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あなたが

わたしの頭をなでると

とてもくすぐったい気分になって

つい口元がゆるんでしまう

あんなにふくれていたのにね

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優しく触れるもう一つの心

手のひらのことを

「掌(たなごころ)」という場合は

そこには

「手の心」という意味が

含まれているといわれます

人に優しく触れたり

ものを受け取ったりするとき

手に心があると感じられたのでしょう

「掌中の珠(たま)」は

もっとも大切にしているもの

最愛のこどもをさします

「掌を指す」は

明白で疑問がまったくないこと

夏目漱石の小説「こころ」の

一節には「掌が翻ったように・・」

(手のひらを返したように・・)

という使われ方をしています

どれも

心のうちを表している言葉の

「掌(たなごころ)」です

あらためて自分の「たなごころ」を

見つめてみたくなりますね

 


鹿鳴草(しかなぐさ)

2007年09月25日 | Weblog

鹿鳴草(しかなぐさ)

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萩が咲くころ

君との想いでは

なぜか風流ではなくなる

この花なんていうの・・と

聞くから・・萩だよ

すると思わぬ言葉が・・

萩って「おはぎ」のハギ?

食べ物に弱いけど

どうしてそこにたどり着くのか~

食べ物の話になると

もう止まらない

季節はお口から来るようだ

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恋する秋

秋の七草の筆頭に上げられている萩

その萩の異称が「鹿鳴草(しかなぐさ)」です

「萩」という漢字は

日本人が考え出した国字です

草冠に秋

萩が秋の代表的な植物と

考えられていたことがわかりますね

万葉集では「芽」「芽子」とかいて

「はぎ」と読ませているようです

毎年古い株から新しい芽を出すので

「生芽(はえぎ)」が変化したもの

葉が黄色くなるので「葉黄(はぎ)」

葉が沢山ついた木なので「葉木(はぎ)」

秋がなまったものという説などたくさんあります

異称も多く

秋知(あきしり)草 月見草 野守草

古枝(ふるえ)草 庭見(にわみ)草 玉水(たまみず)草など

鹿は秋になると

雄が雌を恋い慕って

独特の声で鳴きます

鹿といえば紅葉ですが

恋する鳴き声には

萩のほうが似合うと思ったのでしょうか

蝶々のような小さな花たちが

恋風に揺れているようです

 

 

 

 

 


待宵(まつよい)

2007年09月23日 | Weblog

待宵(まつよい)

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東の空に浮かぶ火星が

月を見上げて

瞬いている

凛と優雅の妖艶を

妬むような

赤い光で

・・・

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明月を待ち焦がれる前夜

旧暦八月十五日は

一年で一番美しい月が見られる夜

この夜に出る月は

中秋の名月といわれ 愛されてきました

「待宵(まつよい)」は

その十五夜の前夜

八月十四日の夜のことです

名月の前夜

空には限りなく満月に近い月がかかります

明日も

こんなふうに晴れればよいと

今夜のように美しい月が見られるといい

そんな願いをこめて

名月を待つ夜を過ごしたのでしょう

明日は雨かもしれないという

心配も含まれていたのでしょう

その思いが

「待宵(まつよい)」という

美しい言葉を生みました

今年の名月は今月27日です

 

 

 

 


秋扇

2007年09月22日 | Weblog

秋扇

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ふっと

あなたを思い出して

思い出したということに

少し驚く

もう~ひとときも

離れられないと

思った頃も あったのに

・・・・

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秋扇

部屋の片隅に忘れられる扇

クーラーも扇風機もない時代

夏に涼を取るために

団扇や扇を使うのが一般的でした

夏の間は重宝がられ

大事に使われていたのに

団扇も扇も秋が来れば

不用のものになってしまいます

「秋扇」とは

秋になっていらなくなった扇のこと

そこから

「秋扇」には 恋人の思いが

さめてしまったこともさすようになりました

恋が燃え上がっているときは

毎日のように会っていたのに

時がたつにつれて

間遠になってしまう

恋愛にはときとして

こんな結末も待っています

 

 

 

 


竜田姫(たつたひめ)

2007年09月21日 | Weblog

竜田姫(たつたひめ)

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車窓を流れる木々を背にして

あなたは本を読んでいた

賢そうな白い額に

一陣の風

知らずに心が

茜に染まる

・・・

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秋の彩を身に纏う姫君

四季の移り変わりの美しさを愛でる心は

いまも昔も変わりませんね

古の日本人は

秋の美しさを「竜田姫(たつたひめ)」という

女神になぞらえて讃えました

古代中国の陰陽五行という思想では

東は春 西が秋になっています

この思想が伝わった日本の都

大和の国では

東の佐保山が

春の女神の佐保姫

西の竜田山が

秋の女神

竜田姫とされたのです

春をつかさどる佐保姫は

野山を花で埋め尽くし

秋をつかさどる竜田姫は

紅葉となって山や里を彩ります

黄色や赤にと

秋が深まるにつれて色づいた葉は

竜田姫が染め上げた彼女の衣といわれています

 

 

 

 

 

 


玉響(たまゆら)

2007年09月14日 | Weblog

玉響(たまゆら)

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見えないものをどれくらい

信じることができるだろう

どこまでいけば

理解(わか)るだろう

わたしたちは

確かなものを

探し続けて旅をする

確かなものなど

ひとつもないのに

ふと通りゆく玉響は

わたしをどこへと誘(いざな)うだろう

どこまでいけば

理解るだろう

・・・

***

 

ほんのかすか

玉響(たまゆら)とは

「かすかな」「あるかないか」といったことをさします

玉響(たまゆら)は

現在ではほとんど使われない言葉ですが

なんという美しい響きと文字でしょう

しかもその意味するところは

翡翠や瑠璃 真珠などの

美しい宝玉が触れ合って

かすかな音を立てる様子が

元になっているのです

昔の人は

宝石の見た目の美しさと共に

かすかに響くその音までも

愛でていたのでしょうか

現代でももっともっと使って

残していきたい言葉の筆頭かもしれません

「君が手とわが手とふれしたまゆらの

心ゆらぎは知らずやありけん」

(大田 水穂)

手が触れ合った瞬間

ほんのかすかに胸がときめく

恋の始まりにつながるかどうか

自分にもわからないような

心の動きを美しく歌い上げています