その日その時 写真で見る歳時記

気ままに写した写真に気ままな言葉たちの集まり

恋の闇

2007年07月31日 | Weblog

恋の闇

***

新月の夜に 現れるのは

きみの姿をした

魔物かもしれない

それでもぼくは

抱くだろう

闇と手を組み

堕ちるだろう

・・・

***

 

恋のために理性を失う

恋の闇

「恋の闇路」ともいい

恋のために心が乱れて

理性を失ってしまう状態を

闇にたとえていった言葉です

恋をすると

周囲のことが何も見えず

心のコントロールもままならず

感情が激しく揺れ動きます

我を忘れて嫉妬に狂ったりするのも

まさに「恋の闇」の中に迷い込んでしまうせいでしょう

分別を失っている点では

「恋は盲目」も同じですが

こちらはぐんと明るい印象

恋一筋で

恋人の欠点が

まるで見えなくなっている娘たちに

「恋は盲目だね」と

冷やかしていったりする言葉です

 

 

 


浴衣(ゆかた)

2007年07月30日 | Weblog

浴衣(ゆかた)

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夏休み~浴衣のきみと~

打ち上げ花火が

終わった後の暗闇を

小さな蛍が

ほんのり照らす

ふたりは

そんな関係だった

きみは 蛍のようだった

***

夏の装い

浴衣(ゆかた)

花火大会、お祭り・・・

夏のイベントになると今でも浴衣は

人気のファッションです

もともと

湯帷子(ゆかたびら)といったものを

略して浴衣となったのだそうです

帷子(かたびら)とは単(ひとえ)の着物のこと

江戸時代以前は

お風呂というと 

湯につかるのではなく蒸し風呂でした

そこに

麻の湯帷子を着て

入っていたそうです

浴衣という漢字も

その由来を物語っています

今のように

湯船につかる風習は

江戸時代からだそうです

木綿が庶民の間に広まり

入浴後に浴衣でくつろぐようになったそうです

もともとは人前で着るようなものではなかった浴衣が

今やファッションの一端を担っている

未来にはどんな装いが登場することでしょう~~

浴衣といえば

母が好きだった浴衣姿を思い出します

そして母が好きだった

ノウゼンカズラも同じころにぎやかに咲いていた

浴衣とノウゼンカズラは

少しだけ私をセンチにしてくれる

 

 

 

 

 


玉章(たまずさ)

2007年07月29日 | Weblog

玉章(たまずさ)

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突然のきみからの手紙

いつもメールなのに

今朝もメールで

おはよう~っ!したのに

何かあったのかと・・

おもむろに文面に目を通す

文面からは緊張感は漂ってこない

でもすごく気になる

携帯電話を掛けてみる

電話先で~

「どうしたの?」

「だって、手紙が来たから~」

くすっと笑う声が聞こえた

その後に少し怒った感じで

私が手紙書くとへんかしら?

ちょっと季節の挨拶してみたかったの・・

何事もなく・・

本当に何事もなく

よかった~~~~あ(笑)

***

 

玉章(たまずさ)

もとは玉梓(たまあずさ)といいました

手紙を携えた使者が梓の杖を持っていたことから

使者をさす言葉になり

やがて

相手からの手紙を敬って

口にするときにも

こういう言い方をするようになったということです

やがて「たまずさ」となり

漢字も「玉章」をあてるようになりました

梓の木は

木目が細かいので

中国では版木に用いたそうです

「梓にちりばめる」といえば

出版するという意味になります

上梓という言葉も同じ由来です

ちなみに日本では

版木は桜の木を使ったそうですが

上桜とは言いませんね(笑)

最近は手紙を書くことが少なくなり

一文字一文字に心をこめることが

できるということが手紙のよさです

話し言葉ではなく

改まった言葉だからこそ

伝えられるものがあると思うのです

写真の花は梓の花です

 

 

 


心星(しんぼし)

2007年07月27日 | Weblog

心星(しんぼし)

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陽が落ちて

あたりが薄暗くなっても

ひとり漂う水面(みなも)

はぐれてしまったのかい

水鳥たちが

空を見上げて

風のガイドを探してる

~~~

***

 

心の宇宙にも・・

心星(しんぼし)

北極星・ポラリスのことです

小熊座の二等星

いつも

真北の天に輝いています

古代中国では

天帝の居場所とされていました

別名もたくさんあります

北(子・ね)の方角に見えることから「子の星」

方角を知る星だから「方角星」「目当て星」

周りに明るい星がなく

ひとつだけぽつんと光って見えるから「ひとつ星」

そして

まわりの星があたかも

北極星を中心に回っているように見えるから

星空の中心に見立てて「心星(しんぼし)」

道に迷った旅人も

大海原で途方にくれた船人も

空を見上げ

この星を標(しるべ)としたことでしょう

あなたの心の宇宙にも

きっと心星(しんぼし)があるはずです

迷ったとき 途方にくれたとき

この星を探してみてくださいね

 

 


鹿威(ししおどし)

2007年07月26日 | Weblog

鹿威(ししおどし)

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深い深い木立の公園で

みんみんゼミが合唱してる

なんていったの?

聞こえないよと

あなたの顔に 耳を寄せたら

あなたは小さく

わたしの頬にキスをした

どこかでコーンと

鹿威の音がした

・・・

***

 

静けさを演出する音

鹿威(ししおどし)

「しし」とは

けものを一般的にさしていう言葉です

肉のことを「しし」といったことから

主に 肉を食用にした

猪や鹿をさすようです

「鹿」の漢字をあてているのも

そういったことからでしょう

田畑を荒らすけものたちを

追い払うために作られた

添水(そうず) 鳴子(なるこ) 威(おど)し銃など

すべて鹿威(ししおどし)といいます

日本庭園などで聞かれる

水を通した竹筒が石を打つ音

これは本来

添水(そうず)と呼ばれるもので

僧都(そうず)とも書きます

静かな空間に 

コン・・・コーン・・と刻むリズムは

心地よい安らぎをかもし出してくれます

こんな優しい音で

けものを追い払ったなんて

心のゆとりを感じます

自然と共存していた人々だからこそ

こんなに自然に溶け合う音を作り出せたのでしょう

 

 

 

 

 


雲の峰

2007年07月25日 | Weblog

雲の峰

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綿飴みたいな 入道雲が

ぐんぐん高く ふくらんでゆく

迷わずに わたしも

夢へと手を伸ばそう

かがめた体を

大きく伸ばす要領で・・

~~~~

***

 

山の峰のように沸き立つ雲

雲の峰

梅雨明けの夏空に沸き立つ入道雲

変幻自在に高さを競います

まるで 山の峰のように見えるので

「雲の峰」と表現しました

入道雲を最初に峰にたとえたのは

古代中国の詩人陶淵明(とうえんめい)で

「夏雲奇峰多し」とうたいました

入道雲(積乱雲)は

いかにも勇壮で

男性的に見えるため

日本では太郎の名を冠して

呼ぶことが多い

関東では「坂東太郎」

大阪では「丹波太郎」

九州では「比古太郎」と呼ばれています

雲の山の峰にたとえるのは

眺めて感興尽きない

大いなる自然への畏敬の賛美が

こめられているからでしょうね

 

 


忘れ潮

2007年07月23日 | Weblog

忘れ潮

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人気がまばらな朝の浜を

子犬がうれしそうに駆けている

足跡を波が

一生懸命消している

波が消し忘れた一角に

かわいい足跡が残る

・・・

***

 

遠い記憶の中に

忘れ潮とは

潮が引いた後

砂浜や磯に置き去りにされていったような

水溜りのことをいいます

潮溜まりと言う言葉がありますが

こちらは海水が溜まった場所を

忘れ潮のほうは

残っている海水のほうを言います

この潮溜まり

覗いてみると 思わぬ発見があったりします

小魚が泳いでいたり

蟹やヒトデそして貝などがいたりします

忘れ潮と一緒に

取り残された生き物に出会える場所なのです

私たち人間も

時代の流れの中で

いろいろなものを

置き去りにしてきました

もしかしたら

忘れられていくものの中に

大切なヒントが隠されているかもしれませんね

忘れ潮をのぞきこむように

遠い記憶を

呼び戻してみるのも

よいかもしれませんね

 

 

 

 


鬼灯(ほおずき)

2007年07月22日 | Weblog

鬼灯(ほおずき)

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ほおずきを鳴らすきみは

誰よりも上手だった

そして

ぼくは誰よりもへただった

幼かった想い出はいまも鮮明

赤く熟した ほおずきを見ると

懐かしさがよみがえる

おたがいに もうすっかり

大人になってしまったね

・・・・

***

 

鬼灯(ほおずき)

ほおずきの語源はいろいろあります

実が人の頬に似ているから

実を口に入れてふくらまし

頬を突いて鳴らすことから

ホホという虫が好んでつくことから

また、実が火のように赤いことから

火火著(ほほつき)になった

「著」は染まるという意味があります

また、酸漿とも書きますが

これは漢名

すっぱくて苦い味だからだそうです

あやしげな赤ちょうちんのイメージから

鬼灯とも書かれる様になりました

いかにも

厄除けとして効き目がありそうです

怪しげな鬼灯まで味方にしてしまう

そのたくましさは見習いたいですね

ちなみに

ほおずき市の立つ日は

観音様の功徳日で

四万六千日と呼ばれ

参拝すると四万六千日分の

ご利益があるそうです

 

 


夏野(なつの)

2007年07月21日 | Weblog

夏野(なつの)

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力を付けて輝く太陽

むくむく膨らむ白い雲

野菜を積んだトラックが

風に幌をなびかせて

走ってゆく

さぁあ~ ぼくたちも

アクセルを踏み込もう

加速する夏の香りを

胸いっぱいに吸い込んで

・・・

***

 

草いきれするような夏の野原

夏野(なつの)

さまざまな夏草が生い茂って

緑濃い夏の野原のことです

日本中どこでも

国道を少し外れて歩けば

真夏の日の下

雲の下にこうした草の生い茂る

野原を見つけることが出来る

夏野を行くと、草いきれにむせ返って

暑さもひとしお感じますが

古い時代から人々は夏野で

薬草を採ったり、鹿の袋角を取ったりする

薬狩りの行事を行っていました

それゆえ「夏野」という言葉は

万葉の時代にすでに使われていましたが

近代になると、新緑の頃の夏野を

「卯月野(うづきの)」

梅雨の頃の夏野を

「五月野」ともいい

緑一色なので

「青野」ということもあります

いずれにしても

夏野という一言で

太陽のかっと照りつける

草の生い茂って暑い野原を

思い浮かべてしまうのですから

言葉の力とはすごいものですね

 

 

 


空蝉(うつせみ)

2007年07月20日 | Weblog

空蝉(うつせみ)

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非通知の着信を

あなただと

直感して 思い知る

いまでも忘れられずにいるのは

あなたではなく

わたしの方だと

・・・

・・・

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蝉が脱皮した後の抜け殻

空蝉(うつせみ)の語源は

「神」に対する

「うつそみ=現世の人」という意味ですが

平安時代から「蝉の抜け殻」の

意になったそうです

「源氏物語」でも

「空蝉」は

蝉の抜け殻のように

衣を脱ぎおいて

源氏の求愛から逃れています

和歌では「空蝉の」は

「世」「人」「身」にかかる枕詞(まくらことば)として

はかなさや無常を詠むときに使われます

俳句では

夏のはかない景物として

「蝉の殻」「蝉のもぬけ」といった

言い方をされます

芭蕉は

「梢(こずえ)よりあだに落ちけり蝉のから」

蕪村は

「わくら葉にとりついて蝉のもぬけかな」という

句を残しています