その日その時 写真で見る歳時記

気ままに写した写真に気ままな言葉たちの集まり

小春日和

2007年11月18日 | Weblog

 

小春日和

 

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今朝の散歩は

 

いつものコースと

 

逆まわり

 

見慣れた風景が

 

少しだけ変わって見える

 

少しだけ得した気分

 

見慣れたベンチも

 

なんだかおしゃれ

 

きみの好きなベンチに

 

腰を掛けて

 

きょうも

 

本を読みます

 

きみの夢がもっと膨らむように

 

春のような日差しが心地よい

 

~~~

 

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柔らかな日差しに ほっと一休み

冬の初めのころの

ほんわりと暖かくてのんびり穏やかな

ちょっと春のような日差しのことを

「小春日」といい

そんな気持ちのいい天気のことを

「小春日和」といいます

小春日和が訪れるのは

旧暦の十月ごろ

俳句には冬の季語として

小春日和が登場しますが

それは

旧暦の冬が十月から始まっているからです

旧暦の十月というと

新暦の十一月から十二月にかけた時期に当たります

これから本格的に寒くなろうかという

冬本番を目前に控えたころですね

ですから

そんな時期に訪れる小春日和に

人々は心底ほっとするのです

小春日和の日差しで

少しばかり体を温めた後

わたくしたちは

本格的な冬に臨みます

小春日和というのは

寒い外出前の

一杯のホットココアのようなものなのかもしれません

 

 

 

 


天衣無縫(てんいむほう)

2007年11月17日 | Weblog

 

天衣無縫(てんいむほう)

 

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デートの朝に寝坊した

 

慌ててシャワーを浴びて

 

慌てて化粧して

 

慌てて電車に乗った

 

マズイ!

一時間の遅刻

 

その時

 

携帯がメールの知らせ

 

「只今 キャンペーン期間中

 

一時間まで無料で待ちます」

 

「遅刻するなら是非この機会に!!」

 

いつも笑わせてくれる

 

きみが好き

・・・

***

 

天女の衣のように

天女の衣には

縫い目がないそうです

そのことから

技巧を凝らさなくても

そのままで完成された作品を

天衣無縫(てんいむほう)と呼ぶようになりました

天才的な芸術家の作品が そうですね

麻雀にも

天衣無縫という役があるそうです

配られたとき 何もしなくても

そろっている手のことだそうです

まさに天衣無縫ですね

最近は

天真爛漫と同じような意味で

使われるようです

「天真」は 自然のままで

飾り気がないこと

「爛漫」は 

光り輝く様子で

人柄が純真で 無邪気なことを言います

天才肌の人には

天真爛漫な人が多いようですから

こうなったのかもしれません

天真爛漫にしていれば

すばらしい作品が出来るかな?

 

 

 

 

 

 

 


恋染紅葉(こいそめもみじ)

2007年11月16日 | Weblog

 

恋染紅葉(こいそめもみじ)

 

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雲のない青空に

 

紅葉の先端が

 

少しだけ赤くなっている

 

朝日がまぶしいほど

 

赤い色を透けて輝いている

 

ほら~~

 

この手も

 

赤い紅葉だね

 

きみが手を空に向けると

 

手のひらを光が抜けて赤く輝かせる

 

かわいい手の将来は明るい

 

大きく開け

 

きみの将来

 

~~~

***

 

厳しさを乗り越えて

十一月の誕生色は

秋の残照に映える紅葉の

燃えるような赤

「もみじ」は「揉み出(い)ず」が

変化したものだそうです

色が 揉みだされるという意味です

赤に限らず

黄色に色づくときも使ったようですが

やはり

もみじといえば

鮮やかな紅色を思い浮かべますね

植物分類上は すべて

カエデ科の植物で

モミジ科の植物というのはないそうです

夜の冷え込みが厳しくて

日中との寒暖の差が

大きければ大きいほど

その紅は 美しく

鮮やかさを増します

厳しさを乗り越えて

しかもそれを肥やしにすることが出来る

そんな紅葉もあっぱれさが

人の心を打つのでしょうね

 

 

 

 

 


捨て色(すていろ)

2007年11月15日 | Weblog

 

捨て色(すていろ)

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きみが絵を描くと

 

いつも一色なくなっている

 

本当にこの色が好きなんだね

 

でもその色が

 

ほかの人から見れば

 

いつも残ってしまう色だから

 

いつも

 

誰かがくれる

 

きみは今から

 

経済通だ・・・(笑)

 

~~~

***

 

なくてはならない色

「捨て色」とは色彩学の用語で

ある色をひときわ鮮やかに見せたり

より効果的に印象付けたりするために使います

目立たない色のことです

ベーシックカラーと言ったほうが

わかりやすいでしょうか

すべての色が

自己主張していては

お互いのよさを消してしまいます

どんな世界でも

それぞれの性格や特徴に合った

役割分担があるのですね

目立つ色に比べて

その存在に 気づきにくいということはあります

最近は

何色か セットになった化粧品の中で

どうしても余って捨ててしまう色のことを

捨て色と呼んでいるようです

言葉の使い方としては

少し残念な気がします

本来の捨て色は

捨てたようにさりげなく施していて

実はとっても必要な色

なくてはならない色のことなのですから

 

 

 

 

 


山茶花(さざんか)

2007年11月14日 | Weblog

 

山茶花(さざんか)

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小春日和の散歩は気持ちよい

 

空を見上げたきみが

 

つぶやいた

 

天の川が壊れてゆく

 

えっ?

 

その指差すほうを見上げると

 

あれはねぇえ~と

 

言いかけてやめた

 

きみの見ている夢を

 

壊さないために

 

ほらぁあ~

 

あそこに花が・・

 

山茶花よ

 

きれいだね・・がハモッた

 

どうして

 

山茶花って言うの

 

ほらっ来た・・

 

きみの質問攻撃の

 

始まりだ・・

・・・

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優しさの秘密

山茶花(さざんか)

漢字そのまま読めば

「さんさか」なのに「さざんか」?

これは 倒置現象と呼ばれるものです

「新しい」は

もともと

「あらたしい」でした

「舌鼓」は「したつづみ」と

間違えやすいですね

言いにくい言葉は変わってゆくのです

山茶花(さざんか)の場合

もうひとつ間違いが重なっています

中国では 山茶がつばき

茶梅がさざんかだったのです

いつのまにか山茶が

さざんかになってしまったのです

たしかに

椿とよく似ています

椿は 花ごと

ぽとりと落ちるのに対して

山茶花は

花びらが一枚ずつ

はらりはらりと散ってゆきます

椿が凛とした印象を与えるのに対して

山茶花が優しい印象なのは

散り際の違いなのかもしれません

 

 

 

 

 

 

 

 


帰り花

2007年11月13日 | Weblog

 

帰り花

 

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幾度かの

 

嵐が過ぎ去った

 

公園に

 

ツツジが

 

ぽつり ぽつり咲いている

 

嵐などには負けないと

 

決意表明しているように

 

出番の春にはまだ遠いのに

 

初冬に春の花が咲き出す

春に咲く桜や山吹

ツツジ 桃 杏など

初冬 小春日和のころ

ふたたび花を咲かせることがあります

ぽかぽか陽気にだまされたのか

春に花芽が充分育たず

時期遅れに咲いたのか

あるいは

次の春が待ち遠しかったのか・・

そんな季節はずれの花を

「帰り花」または「返り花」といいます

「狂い花」とか「狂い咲き」という

言い方もありますが

「帰り花」のほうが美しい言葉ですね

ちなみに

一度は身請けされて堅気になった遊女が

ふたたび遊廓に戻ることも

「返り花」といいました

この返り花には

少し切ないものがあります

 

 

 

 

 

 

 


野山の錦

2007年11月12日 | Weblog

 

野山の錦

 

***

 

君から届いた手紙の文字は

 

鳶の翼のつややかな色

 

何気ない言葉を綴る

 

便箋に

 

楓の葉を一枚

 

挟んで

 

そっちは今年も

 

紅葉なんだね

 

その優しさも

 

変わっていないね

・・・

 

***

 

 

野山の錦

秋も半ばを過ぎると

木々の葉の色が 

緑から燃えるような赤や黄色に変わってきます

秋の紅葉は昔から

春の桜と同じくらい

待ちわびる存在でした

したがって

紅葉(もみじ)をさす言葉も多く

「野山の錦」もそうですが

うっすらと色づいて来たのは

「薄紅葉」

夕方のもやの中にかすむのは

「夕紅葉」

照り映えているのは

「照葉(てりは)」

銀杏などが黄色くなるのを

「黄葉(もみじ)」

ほかにも「山紅葉」「谷紅葉」「庭紅葉」

樹木の名を入れて

「柿紅葉」「桜紅葉」「蔦紅葉」などなど

山が紅葉に彩られることを

「山粧う(やまよそう)」といいます

秋の一時期

燃えるような赤や黄色の錦の衣を

まとった山を見ると

まるで山が自分を

美しく粧っているかのようだという意味で

宋代の画人郭熈(かくき)の「山水訓」にある

「秋山明浄にして粧ふがごとし」から来た言葉です

 

 

 

 

 

 


木守柿(きもりがき)

2007年11月10日 | Weblog

 

木守柿(きもりがき)

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遅くなってしまった

 

庭の柿の収穫

 

ひとつずつ丁寧に

 

ありがとう

 

いただきます と

 

枝から切り離す

 

ねぇえ ひとつ残ってるよ

 

あれはね

 

天への捧げものなの

 

来年へ感謝の気持ちも込めてね

 

・・・

***

 

木守柿(きもりがき)

柿は 収穫するとき

すべてを採ってしまわないで

木の先端のほうに

少しだけ残しておく風習があります

地方によっては

残す数はひとつだけだったり

数個だったりするようですが

日本各地に残る風習のようです

理由も鳥にあげるため

来年の豊作を祈るため

神(自然)に捧げるためなど さまざまです

残された柿が  直接

木を守っているわけではないようですが

それでも

鮮やかに熟した柿が

葉もまばらな木の先端で

秋風に吹かれているのを見ると

最期まで踏ん張って

その木を守っているように見えます

鳥への思いやりが

長い目で見れば連鎖で

自然を潤すことになるのでしょう

木守柿を残しながら 人もまた

自然を守ろうとしてきたのです

 

 

 

 

 

 


優形(やさがた)

2007年11月09日 | Weblog

優形(やさがた)

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きみに逢いに

 

今日もきました

 

いつもきみは

 

優しい目で迎えてくれる

 

そして

 

全身で受け止めてくれる

 

きみの背中で

 

一日揺られて

 

スッカリ体についた

 

つき物がゆすり落とされて

 

またがんばろう~~

 

元気が出てくる

 

きみの背中は

 

わたしのゆりかご

 

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優しさの源

優形(やさがた)は

気立てや姿

振る舞いが優しいことです

その「優しい」の語源は

大きく分けて二つの説があります

ひとつは「痩(や)す」」

つまり 痩せているということです

もちろん 痩せている人が優しいということではなく

身も痩せるほどに

心遣いをするということなのです

もうひとつは「止(や)す」

停止状態を表す言葉で

「安らか」や「休む」などの

言葉を生みました

どちらかというと

前者のほうが優勢のようですが

痩せるほど気遣いされては

される方も

居心地が良くないと思いませんか

言葉の由来は別として

優しさが生まれる場所は

安らかな心

心のゆとりをなくしているときは

本当に優しくできないですものね

 

 

 

 

 

 

 


偶さか(たまさか)

2007年11月08日 | Weblog

偶さか(たまさか)

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仕事帰りの満員電車・・

 

外をぼうっと見ていたら

 

反対側のホームに

 

昔のあなたを見つけた

 

あなたもわたしに気がついた

 

小さく手を振ってくれた

 

なんだか少し

 

元気が出た

 

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偶さか(たまさか)

偶然 たまたま 稀に たまにという意味です

偶さかの「たま」は

滅多にないこととか たまにという意味に由来します

偶の字は形声文字で

音符は禺(ぐ)で

禺(ぐ)はじっと座っている様子を示します

また うずくまる獣の形から来てるそうです

そのような形をした「ひとかた」人形を偶ともいいます

その昔は

人を呪にかけるときに木偶人をつくり

呪儀の対象としたそうです

偶人は又副葬品でもありました

その場合にはふたつ並べられることが多かったので

偶は「ならぶ」などから偶数の文字も出来たそうです

さらに時代と共に

意味も広がりを見せてきました

いまはむしろ装飾語の意味合いで使われることが多いですね