03/6/23kaiho
●行動主義心理学者の教育パパによって開発されたプログラム学習
プログラム学習の出自がおもしろい。 開発者は、オペラント条件づけに基づく心理学を構築したことで、その名が知られているB.F.スキナーである。
オペラント条件づけとは、自発した(operant)行動に対して、それが好ましい行動なら賞(正の強化)を与え、好ましくない行動なら罰(負の強化)を与えることによって、好ましい行動を形成していくものである。よく知られているパブロフのレスポンデント(応答的)条件づけとともに、行動変容の中核的な技術として活用されてきた。
そのスキナーが、プログラム学習を開発することになったきっかけは、愛娘・デボラの授業参観に行き、その授業方法のあまりのお粗末ぶりにスキナーが憤慨したことにある。わかっていようがいまいが、教師が一方的にどんどん進めていく授業にあきれてしまったらしい。 オペラント条件づけの原理を使えば、もっと効果的な学習指導ができるはずと考えて研究に取り組んだ結果が、プログラム学習とティーチング・マシーンの開発であった。
60年代前半のことである。
●プログラム学習とは
プログラム学習の形態をあらためて紹介する必要はないほどよく知られているとは思うが、図1にプログラムのサンプルを一つ挙げておく。
各問の提示と、その答の提示をするためのティーチング・マシーンとがセットになっている。プログラム学習は、今では教育現場ではそのままの形では実践されていない。教育心理学の教科書には、条件づけを応用した指導法の一つとしても紹介されている程度である。ただし、「プログラム学習によるーーー」と冠した実用的な自学自習テキストは今でもかなり多数、出版されてはいる。
●プログラム学習に込められた授業設計の思想
このみかけは単純な学習を支えている考えは、しかし、その後、授業設計の思想にかなりのインパクトを与えた。以下、プログラム学習の基本的な考えと、その意義を摘記してみる。
1)教材の目標分析をする(教材)
教材に関しては、目標分析という考えを具体化してみせた。つまり、ある教材で何をどこまで、どのような道筋で教えるかを徹底的に分析したのである。 今、絶対評価が導入され、評価規準の設定が焦眉の急を要する課題となっているが、その基盤は、プログラム学習の教材の目標分析とプログラム作りにあるといってよい。
2)スモールステップで目標に導く(教材)
教材の目標分析を踏まえてプログラムのステップ(1つの問)が構成され、目標へと学習者を導くことになる。その際に、ステップから次のステップまでは、ごく自然に移れる程度にまで細分化することで、行動の逐次形成をはかるのである。 この考えと技術は、技能訓練や生活習慣の形成などの行動変容技術として生かされている。
3)手がかり管理を工夫する(教授)
学習の進捗状況に合わせて、問の中に作り込む解答の手がかりを調整する。 学習初期では、正答が引き出しやすいように手がかりを増やし(promting)、後期になったら、正答の手がかりを減らしていく(fading)。 これは、学習速度の効率化をする上で有効な方策の一つである。
4)ただちに正誤をフィードバックする(教授)
一つ一つのステップでの反応の正誤をただちに学習者に知らせる。これによって、どこがわかっていて、どこがわかっていないかを自己認識させ、学習の自己調整をさせる。 この即時フィードバック(強化)の原理は、スポーツ訓練などにおいて、要素技能の習得のためのコーチングの基本技術になっている。
5)自己ペースでの学習を保証する(教授)
一斉授業は教師ペースでおこなわれる。そのペースにぴったりと合う学習者以外は、退屈かわけのわからないものになってしまう。プログラム学習では、ティーチングマシーンを使うことで、それぞれの学習者が自分にとって最適なペースで学習を進めることができる。 自己ペースでの学習を保証するための方策の一つを示した功績は大きい。
6)反応の自発性が学習の出発点になる(教授)
オペラントとは「自発的」の意である。学習は、学習者からの自発的な反応があって始まる。反応が自発しなければ学習は進行しない。 これについては、やや矛盾したところがある。学習者の「反応」の自発性を強調はしているが、
「学習者は、強化によって変わる応答的な存在」とみなしている。プログラム学習への批判の原点にもなっているところである。
●プログラム学習への批判
学習指導の領域で60年代の一つのエポックを画したプログラム学習も、一部は後述する方向への発展的な展開をみせたものの、次第に熱気がさめていく。
その一番の理由は、スキナーのオペラント条件づけの思想に内在する、学習者の管理志向への嫌悪である。 学習者が自発した反応に対して強化という形で行動を望ましい方向へ形成していくのは、一見すると、管理とは無縁のように思えるが、外部から(教師や親から)強化がもらえるような形で学習者は自分の行動を調整しなければならない息苦しさがある。
さらに、細分化された学習を繰り返すことで逐次的に最終目標までいっても、要素的な理解の積み重ねになり、かならずしも、全体の枠組の深い理解につながらないという問題がある。一つ一つはできたが、それでどうなの、ということにもなりかねない。
これは、また、学習の単調さにもつながり、学習に飽きてしまうという動機づけの点での問題ももたらした。 さらに、「セルフペース」「自発」と言いながら、実際の学習は、厳密に学習の過程が決められており、「個別的だが画一的」(1)というパラドックスに陥ってしまったのである。
もっと現実的な問題もある。教材をプログラム化していくところで、膨大な労力が必要なことと、プログラム化できるものに厳しい限界があることがわかってきたのである。 かくして、60年代の後半になると、真性のプルグラム学習はブームが終りを迎えることになる。
そして、プログラム学習の原理(考え)は、学習指導の一つの原理として教室の中に取り込まれ、プログラム学習の技術は、次の述べるコンピュータを使った学習へと発展的に継承されことになった。 なお、プログラム学習の原理と技術はほぼまるごと、行動療法として、情緒障害の治療の効果的な技術として定着している。
●プログラム学習からCAIへ
プログラム学習はティーチング・マシーンとともに導入された。開発当時のマシーンは、おもちゃのようなものであったが、60年代後半になって急速に普及しはじめたコンピュータが、ティーチング・マシーンの役割を引き受けることで、プログラム学習は、CAI(ComputerーAsistedーInstruction)として発展的に受け継がれた。
CAIは、コンピュータの能力が加速度的に向上するにつれて、その形態も活用も変貌してきたが、前述したプログラム学習の6つの原理は、とりわけ、「ドリル型CAI」と呼ばれる形態において、ほぼそのまま継承さ た。何が変貌したかを摘記してみる。
1)教材提示が、ビジュアル化も含めて多彩になったこと 文字による問や回答の提示ではできなかった、たとえば、地図、実験器具などを見せたりすることができるようになった。それと同時に、ドリル形式の学習だけでなく、関連した素材を視覚的に提示することで、説明機能も組み込むことができるようになった。かくして、もう一つのCAIとして、「説明型CAI」が発展してきた。
2)学習者にあった学習スタイルをえらべるようになったこと 個別学習とはいっても、直線型プログラムでは、すべての学習者が同じプログラムを学習することになる。その欠点を補うために、分岐型プログラムが開発されたが、これもそれほどの自由度はなかった。ましてや、学習者の学習スタイルに応じて臨機に学習内容を変えることまではできなかった。 それに対して、「チュートリアルCAI」と呼ばれるシステムは、まさに家庭教師の役割をコンピュータが担うような学習ができるように設計されている。 学習者の認知特性を分析して学習者の学習スタイルのモデルを作り、それに合わせたプルグラムーー提示の単位が大きくなるので、CAIではフレーム(frame)と呼ばれるーーが提供されることになる。これをさらに徹底的にやろうとしたのが、「知的CAI」であるが、完全には成功していない。
3)教材、教材作成の資料および子どもの反応の内部蓄積が可能になったこと コンピュータが開発されて半世紀が経過したが、その間に、記憶容量は指数関数的に増加してきた。今や一冊の本さえ軽々と電子的に記憶できてしまう。
教材に関係する資料や完成したプログラムはもとより、子どもの反応の履歴や成績などもすべて電子的に記憶できるようになった。これによって、それらの活用の充実をはかることができるようになってきた。
なお、こうした学習活動を包括的に管理するシステムは、CMI(computer managed instruction)とも呼ばれた。 4)プログラム作成のツールが充実したこと
プログラムが完成してしまえば、それを使った学習は自動化できる。しかし、プログラムの作成には、膨大な時間と労力がかかる。 そこで、プログラム作成にもコンピュータを利用できるようするため、オーサリング(authoring)ツールや、簡単なプルグラム作成のための言語が開発された。
●CAIからe-learningへ
プログラム学習に限らないが、コンピュータを活用した技術やシステムは、ここ半世紀のコンピュータの驚くべき速さの進化に伴って、またたく間に陳腐化してきた。プログラム学習、CAIも例外ではない。いずれの用語も、もはや死語にさえなっている。
現在では、インターネットによるコンピュータのネットワーク化によって、e-learningと呼ばれる学習形態が出現してきている。
これはいわば、コンピュータ家庭教師と呼ぶにふさわしい教育システムである。ここには、スキナーが痛切に希求した学習の個別化の考えが、技術的にはティーチング・マシーンとはおよそかけ離れたIT技術を使ってほぼ完璧に実現されている。
すでにこの技術を活用した大学院レベルの教育が始まっている。今後は、不登校児童生徒など、学校の外での教育への展開が期待されている。
文献
○沼野一男 1962 「プログラム学習入門」 講社00
○木村捨雄 1977 「CAIシステム」東洋ら「教育のプログラム」共立出版
(1)スタディボックス社ホームページ(http://www.studybox.co.jp/st11/st.html)楠房子の言説
(2)CIS Corporation ホームページを参考(http://www.cis.co.jp/ka/e-learn/gaiyo.htm)
●行動主義心理学者の教育パパによって開発されたプログラム学習
プログラム学習の出自がおもしろい。 開発者は、オペラント条件づけに基づく心理学を構築したことで、その名が知られているB.F.スキナーである。
オペラント条件づけとは、自発した(operant)行動に対して、それが好ましい行動なら賞(正の強化)を与え、好ましくない行動なら罰(負の強化)を与えることによって、好ましい行動を形成していくものである。よく知られているパブロフのレスポンデント(応答的)条件づけとともに、行動変容の中核的な技術として活用されてきた。
そのスキナーが、プログラム学習を開発することになったきっかけは、愛娘・デボラの授業参観に行き、その授業方法のあまりのお粗末ぶりにスキナーが憤慨したことにある。わかっていようがいまいが、教師が一方的にどんどん進めていく授業にあきれてしまったらしい。 オペラント条件づけの原理を使えば、もっと効果的な学習指導ができるはずと考えて研究に取り組んだ結果が、プログラム学習とティーチング・マシーンの開発であった。
60年代前半のことである。
●プログラム学習とは
プログラム学習の形態をあらためて紹介する必要はないほどよく知られているとは思うが、図1にプログラムのサンプルを一つ挙げておく。
各問の提示と、その答の提示をするためのティーチング・マシーンとがセットになっている。プログラム学習は、今では教育現場ではそのままの形では実践されていない。教育心理学の教科書には、条件づけを応用した指導法の一つとしても紹介されている程度である。ただし、「プログラム学習によるーーー」と冠した実用的な自学自習テキストは今でもかなり多数、出版されてはいる。
●プログラム学習に込められた授業設計の思想
このみかけは単純な学習を支えている考えは、しかし、その後、授業設計の思想にかなりのインパクトを与えた。以下、プログラム学習の基本的な考えと、その意義を摘記してみる。
1)教材の目標分析をする(教材)
教材に関しては、目標分析という考えを具体化してみせた。つまり、ある教材で何をどこまで、どのような道筋で教えるかを徹底的に分析したのである。 今、絶対評価が導入され、評価規準の設定が焦眉の急を要する課題となっているが、その基盤は、プログラム学習の教材の目標分析とプログラム作りにあるといってよい。
2)スモールステップで目標に導く(教材)
教材の目標分析を踏まえてプログラムのステップ(1つの問)が構成され、目標へと学習者を導くことになる。その際に、ステップから次のステップまでは、ごく自然に移れる程度にまで細分化することで、行動の逐次形成をはかるのである。 この考えと技術は、技能訓練や生活習慣の形成などの行動変容技術として生かされている。
3)手がかり管理を工夫する(教授)
学習の進捗状況に合わせて、問の中に作り込む解答の手がかりを調整する。 学習初期では、正答が引き出しやすいように手がかりを増やし(promting)、後期になったら、正答の手がかりを減らしていく(fading)。 これは、学習速度の効率化をする上で有効な方策の一つである。
4)ただちに正誤をフィードバックする(教授)
一つ一つのステップでの反応の正誤をただちに学習者に知らせる。これによって、どこがわかっていて、どこがわかっていないかを自己認識させ、学習の自己調整をさせる。 この即時フィードバック(強化)の原理は、スポーツ訓練などにおいて、要素技能の習得のためのコーチングの基本技術になっている。
5)自己ペースでの学習を保証する(教授)
一斉授業は教師ペースでおこなわれる。そのペースにぴったりと合う学習者以外は、退屈かわけのわからないものになってしまう。プログラム学習では、ティーチングマシーンを使うことで、それぞれの学習者が自分にとって最適なペースで学習を進めることができる。 自己ペースでの学習を保証するための方策の一つを示した功績は大きい。
6)反応の自発性が学習の出発点になる(教授)
オペラントとは「自発的」の意である。学習は、学習者からの自発的な反応があって始まる。反応が自発しなければ学習は進行しない。 これについては、やや矛盾したところがある。学習者の「反応」の自発性を強調はしているが、
「学習者は、強化によって変わる応答的な存在」とみなしている。プログラム学習への批判の原点にもなっているところである。
●プログラム学習への批判
学習指導の領域で60年代の一つのエポックを画したプログラム学習も、一部は後述する方向への発展的な展開をみせたものの、次第に熱気がさめていく。
その一番の理由は、スキナーのオペラント条件づけの思想に内在する、学習者の管理志向への嫌悪である。 学習者が自発した反応に対して強化という形で行動を望ましい方向へ形成していくのは、一見すると、管理とは無縁のように思えるが、外部から(教師や親から)強化がもらえるような形で学習者は自分の行動を調整しなければならない息苦しさがある。
さらに、細分化された学習を繰り返すことで逐次的に最終目標までいっても、要素的な理解の積み重ねになり、かならずしも、全体の枠組の深い理解につながらないという問題がある。一つ一つはできたが、それでどうなの、ということにもなりかねない。
これは、また、学習の単調さにもつながり、学習に飽きてしまうという動機づけの点での問題ももたらした。 さらに、「セルフペース」「自発」と言いながら、実際の学習は、厳密に学習の過程が決められており、「個別的だが画一的」(1)というパラドックスに陥ってしまったのである。
もっと現実的な問題もある。教材をプログラム化していくところで、膨大な労力が必要なことと、プログラム化できるものに厳しい限界があることがわかってきたのである。 かくして、60年代の後半になると、真性のプルグラム学習はブームが終りを迎えることになる。
そして、プログラム学習の原理(考え)は、学習指導の一つの原理として教室の中に取り込まれ、プログラム学習の技術は、次の述べるコンピュータを使った学習へと発展的に継承されことになった。 なお、プログラム学習の原理と技術はほぼまるごと、行動療法として、情緒障害の治療の効果的な技術として定着している。
●プログラム学習からCAIへ
プログラム学習はティーチング・マシーンとともに導入された。開発当時のマシーンは、おもちゃのようなものであったが、60年代後半になって急速に普及しはじめたコンピュータが、ティーチング・マシーンの役割を引き受けることで、プログラム学習は、CAI(ComputerーAsistedーInstruction)として発展的に受け継がれた。
CAIは、コンピュータの能力が加速度的に向上するにつれて、その形態も活用も変貌してきたが、前述したプログラム学習の6つの原理は、とりわけ、「ドリル型CAI」と呼ばれる形態において、ほぼそのまま継承さ た。何が変貌したかを摘記してみる。
1)教材提示が、ビジュアル化も含めて多彩になったこと 文字による問や回答の提示ではできなかった、たとえば、地図、実験器具などを見せたりすることができるようになった。それと同時に、ドリル形式の学習だけでなく、関連した素材を視覚的に提示することで、説明機能も組み込むことができるようになった。かくして、もう一つのCAIとして、「説明型CAI」が発展してきた。
2)学習者にあった学習スタイルをえらべるようになったこと 個別学習とはいっても、直線型プログラムでは、すべての学習者が同じプログラムを学習することになる。その欠点を補うために、分岐型プログラムが開発されたが、これもそれほどの自由度はなかった。ましてや、学習者の学習スタイルに応じて臨機に学習内容を変えることまではできなかった。 それに対して、「チュートリアルCAI」と呼ばれるシステムは、まさに家庭教師の役割をコンピュータが担うような学習ができるように設計されている。 学習者の認知特性を分析して学習者の学習スタイルのモデルを作り、それに合わせたプルグラムーー提示の単位が大きくなるので、CAIではフレーム(frame)と呼ばれるーーが提供されることになる。これをさらに徹底的にやろうとしたのが、「知的CAI」であるが、完全には成功していない。
3)教材、教材作成の資料および子どもの反応の内部蓄積が可能になったこと コンピュータが開発されて半世紀が経過したが、その間に、記憶容量は指数関数的に増加してきた。今や一冊の本さえ軽々と電子的に記憶できてしまう。
教材に関係する資料や完成したプログラムはもとより、子どもの反応の履歴や成績などもすべて電子的に記憶できるようになった。これによって、それらの活用の充実をはかることができるようになってきた。
なお、こうした学習活動を包括的に管理するシステムは、CMI(computer managed instruction)とも呼ばれた。 4)プログラム作成のツールが充実したこと
プログラムが完成してしまえば、それを使った学習は自動化できる。しかし、プログラムの作成には、膨大な時間と労力がかかる。 そこで、プログラム作成にもコンピュータを利用できるようするため、オーサリング(authoring)ツールや、簡単なプルグラム作成のための言語が開発された。
●CAIからe-learningへ
プログラム学習に限らないが、コンピュータを活用した技術やシステムは、ここ半世紀のコンピュータの驚くべき速さの進化に伴って、またたく間に陳腐化してきた。プログラム学習、CAIも例外ではない。いずれの用語も、もはや死語にさえなっている。
現在では、インターネットによるコンピュータのネットワーク化によって、e-learningと呼ばれる学習形態が出現してきている。
これはいわば、コンピュータ家庭教師と呼ぶにふさわしい教育システムである。ここには、スキナーが痛切に希求した学習の個別化の考えが、技術的にはティーチング・マシーンとはおよそかけ離れたIT技術を使ってほぼ完璧に実現されている。
すでにこの技術を活用した大学院レベルの教育が始まっている。今後は、不登校児童生徒など、学校の外での教育への展開が期待されている。
文献
○沼野一男 1962 「プログラム学習入門」 講社00
○木村捨雄 1977 「CAIシステム」東洋ら「教育のプログラム」共立出版
(1)スタディボックス社ホームページ(http://www.studybox.co.jp/st11/st.html)楠房子の言説
(2)CIS Corporation ホームページを参考(http://www.cis.co.jp/ka/e-learn/gaiyo.htm)