日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

あの世とこの世の違い

2009-08-14 20:54:49 | 日月神示の研究
<記事転載>

 続・「生前葬」が未来を開く

                        近藤洋一 

 今回の生前葬では約1時間、儀式を行いました。この1時間、死者は棺桶に入り、静かに瞑目(めいもく)することになります。棺桶の中は非常に狭苦しくて、こんなところで1時間も身動きせず、じっとしていられるのかなと懸念していたのですが、死んでみると、意外や意外、心身とも非常に楽だったのにはびっくりしました。
 前々日、目の上を五針縫う怪我をして、目の辺りが腫れていたのですが、式が終わると腫れが引き、みんなにびっくりされました。棺桶の中が特別の波動で満たされた“共鳴場”になっていたようなのです。
 杉浦和尚の読経と鐘の音、参列者の集合意識などが共鳴し、非常に精妙な振動数をもつエネルギー場ができあがっていたのだと思います。とにかく超リラックスの場といってよい気持ちの良い1時間の棺桶体験でした。
 この模様につきましては、後日バンクシア・ブックスでご紹介させていただく予定をしています。
 ここでは当日、息子の太郎が読み上げた遺言状をご紹介させていただくことにいたします。式の模様をイメージしていただければ幸甚です。

遺言状
 あの世に旅立つにあたって、一つの言葉をプレゼントしたいと思います。
 それは『超』という言葉です。『超』というのは『超えていく』ということを意味しています。この言葉は21世紀をイキイキ楽しく生きる上で大切なキーワードになるでしょう。
 チャレンジPPKは20世紀の常識を超えていくことが出発点になりますが、これには少し注意が必要です。大切なことは常識を超えていくことであって、常識を『否定』することではありません。
 20世紀には20世紀の常識がありました。20世紀の社会を維持していくためには、20世紀の常識が必要だったのです。今でも多くの人が常識を支えとして生きています。
 常識を否定すると、大多数の人を否定することになります。だから常識を否定してはなりません。ただ超えていくのです。
 『千里の道も一歩から』です。目標が大きければ大きいほど、目指すところが高ければ高いほど、『いまここ、この現実』を肯定することからスタートする必要があります。
 これからは特に、人間関係が大切になってきます。充実した人生に恵まれるかどうかは人間関係が大きなカギを握っています。相手の人を肯定し、思いやる習慣を身につけるならば、君の中にある『利他の心』が目覚め、人生を成功に導いてくれることでしょう。
 このことを明確にして、目の前にやってきたことを誠心誠意こなしていくことです。
 的に当てよう、当てようとしなくても、的は向こうからやってくるものです。
 宇宙と一体となって進みましょう。君が発振する響きが、自然の摂理にかなうものであればあるほど、宇宙とともに進化することになります。
 次に、なぜ20世紀の常識を超えていく必要があるのか、その意味を解き明かしておきましょう。
 人生は誕生するところからスタートします。赤ちゃんが生まれるとみんな大喜びします。
 誕生日はおめでたい日なのです。しかし『誕』という日本語には『偽りの』という意味があります。日本人は生まれたその日から、無意識の中に、人生は偽りなのだという観念を刷り込まれて、生きている可能性があります。歳をとればとるほど、お誕生日がめでたくない日になっていく理由も、日本語の中に隠されているのです。
 日本語にはまだ謎があります。死ぬ日が『命日』と命名されていることです。人は死んで初めて『イノチ』になるということだとすると、生きているときの『イノチ』は一体どうなっているのでしょうか?
 人は間違ってこの世に生まれてきて、死んで初めて本来の『イノチ』に帰るということが言霊として、日々使われている以上、人生には意味がないということになります。
 これが20世紀の常識だったのです。人生最大の落とし穴といってよいと思います。
 人生は幻』という言葉があります。実在しているように見えるけれども、実在していないものをさす言葉、それが幻です。ほとんどの人が『人生は幻』ということに何となく納得しているのは、すべて日本語に由来しているように見えます。
 だから『人生は偽り、人生は幻』なのです。
 まだあります。亡くなる前のことを『生前』と言いますが、『生まれる前』とは何を意味しているのでしょうか? 生前葬とは、『偽りの人生』に終止符を打ち、新しいピカピカの命としてよみがえることと定義したいと思います。
 日本語に隠された謎を明らかにし、与えられた『イノチ』を日本語の呪縛から解き放つことで、充実した人生が始まることになります。
 日本人の先輩の素晴らしいところは、人生のもっとも大切なことに気づくよう、日本語の中に謎として残しておいてくれたことだと思います。
 このような先輩の暖かい配慮に報いるためにも、21世紀を言葉の呪縛から解放される世紀としたいものです。
 チャレンジPPKの果たすべき役割はまさにこの点にあります。
 「私たちは間違って生まれてきたのではありません。『イノチ』を完全燃焼させることによって、人生をイキイキわくわく楽しみ、宇宙と一体となって進化・成長していくならば、『この世も天国、あの世も天国』になるのです。天・地・人、一体となって、素晴らしい響きを響き渡らせましょう。
 この世の仕組と、あの世の仕組をしっかりと理解し、真実の姿を悟るならば、私たちは『イノチ』そのものとなり、光り輝く存在になるのです。」
 『イノチ』が『イノチ』に帰るのですから『死』は存在しないことになります。『死』とは魂が肉体という〈この世の着物〉を脱ぎ捨て、裸になって、すぐ隣の『あの世』に帰っていくことを意味することになります。扉を開ければすぐそこが『あの世』なのです。
 『この世とあの世』の関係を明確に認識し、自分が生まれてきた意味を知るなら、君はいままで不可能と思われていた能力、いわゆる『超能力』が当たり前のこととして身に付き、20世紀の常識では思いも及ばなかった『超人』として、多くの人を泥沼から救出することのできる存在となることでしょう。
 21世紀とはそんなすごいことが当たり前になる世紀なのです。
 以上、『あの世』に旅たつにあたっての贈る言葉といたします。
 最後になりますが、皆様には大変お世話になり、ありがとうございました。心より感謝申し上げます。名残惜しいのですが、お先に失礼致します。またお会いする日を楽しみにしています。
 2009年6月28日
                       近藤 洋一

<転載終わり>
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 生前葬とはなかなか面白いことを実践してると思いました。また、「『死』とは魂が肉体という〈この世の着物〉を脱ぎ捨て、裸になって、すぐ隣の『あの世』に帰っていくことを意味することになります。扉を開ければすぐそこが『あの世』なのです。 」という説明もその通りだと思います。

日月神示でも同じことを言ってます。

「地上人が死後、物質的に濃厚なる部分を脱ぎ捨てるが、その根本的なものは何一つとして失わず生活するのである。その状態よりも尚一層、そのままであって何等の変化もないと思えるほどである」(『地震の巻』第八帖)


「霊界には、山もあり、川もあり、海もあり、また、もろもろの社会があり、霊界の生活がある。故に、そこには霊人の住宅があり、霊人はまた衣類をもつ。住宅は、その住む麗人の生命の高低によって変化する。霊人の家には、主人の部屋もあれば、客室もあり、寝室もあり、また食堂もあり、風呂場もあり、物置もあり、玄関もあり、庭園もある、といったふうに、現実世界とほとんど変わりはない。ということは、霊人の生活様式なり、思想なりが、ことごとく同様であるということを意味する。また、内分を同じくする霊人たちは、相集まり、住宅は互いに並び建てられており、地上における都会や村落とよく似ている。その中心点には多くの場合、神殿や役所や学校など、あらゆる公共の建物が、ほどよく並んでいる。そして、これらのすべてが霊界に存在するが故に、地上世界に、それの写しがあるのである。霊界を主とし、霊界に従って、地上にうつし出されたのが、地上人の世界である。」(『地震の巻』第十五帖)


 この世とあの世はほとんど同じ世界のようです。ということは、死とはあの世に移動するだけということかも知れません。

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