日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

「小林興起(こばやしこうき)氏 がこれで当選する。喜ばしいことです。」 副島隆彦氏

2009-08-05 08:51:31 | 政治・社会
<記事転載>

副島隆彦です。 以下の新聞記事で、政治家の小林興起氏が、東京の民主党の比例区で当選することが、ほぼ決まった。 小林先生を応援し、心配していた、私としても大変うれしい。 副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)

「自民除名の小林興起氏、民主が比例東京で公認へ」

2009年8月2日 朝日新聞

 http://www.asahi.com/politics/update/0802/TKY200908020087.html

 民主党の菅直人(かんなおと)代表代行は2日、東京都豊島区での街頭演説で、小林興起元衆院議員(65)を、今回の総選挙で同党の比例東京ブロックで公認する方針を明らかにした。

 小林氏は東京10区から無所属で出る準備を進めていたが、民主党新顔も立つため、民主党が小林氏を比例で処遇することで競合を避けた。小林氏はすでに民主党入党の手続きを取ったという。

 自民党衆院議員だった小林氏は05年の総選挙で郵政民営化に反対し、東京10区で新党日本から立候補したが自民党の小池百合子(こいけゆりこ)氏に敗れた。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。このようにして小林興起は、政治家(国民の代表)として国会に堂々と復帰する。彼は私が応援してきた政治家のひとりなので、どうなるだろうかと心配していたので、本当にうれしい。

小林興起は、4年前の小泉郵政民営化法案に、自民党内で、反対票を投じた48人(忠臣蔵の赤穂浪士みたいだった)の衆議院議員のひとりであり、その急先鋒だった。彼は、アメリカ大使館に乗り込んでいって、公使の男に、堂々と、「 おかしいではないか。アメリカは日本にあまり勝手なことをするな」という趣旨で詰め寄ることもした。

小林興起の本、『主権在米経済』(光文社、2006年6月刊)は、その証拠の本である。きちんと筋を通して、日本国民の利益を守った小林興起氏を、今こそ、私たちは日本の優れた政治家の一人として、応援して当選させ、氏に国会で頑張っていただきたい。私は、池袋(豊島区)と練馬光が丘 の氏の選挙区(東京10区)にも、呼ばれれば応援に行こうと思っています。氏の後援会ではこれまでに何回かお話ししました。

 この東京比例ブロックで、小林氏を、民主党が公認し、氏は民主党に入党した。そして、あの”見ず転女(みずてんおんな)”の小池百合子には、東大准教授の元気な民主党公認の若い女性をぶつける、という優れた作戦に出た。これは、まさしく小沢一郎戦略である。 小沢の恐ろしさに断末魔の自民党は、今、本当に、戦々恐々としているだろう。

 国民新党系も、新党日本の系統の支持者たちも、小林興起先生を応援することで、これで一丸となれる。 

4年前の「小泉郵政民営化クーデター選挙(2005年9月11日)で、小林興起は、自民党公認をはく奪され、落選し、党から除名され、刺客として送り込まれた小池百合子( 小泉純一郎に、ある朝の閣議の前に「あなた」と言って、手作りのお弁当を届けた大臣。小泉は慌てて逃げた。このあと小池は寝込む。重病説が広まった) に敗れた。 今度は、その雪辱戦である。

あの「安政の大獄(たいごく)」ならぬ「郵政の大獄」で、一番ひどい目に遭い、週刊誌などからの女性スキャンダル攻撃に遭って、本当に苦労した政治家の一人が、小林興起氏である。だから、私は、彼が国会に復帰して、思う存分、活躍してくださることを、心待ちにしています。

みなさんも小林興起氏を応援してください。

副島隆彦拝

-----------------------------
 小林興起氏が民主党に移籍したことは知りませんでした。また、2005年の選挙で小池百合子氏に敗れたことも忘れていましたが、Wikipediaで調べると副島氏が言われるように郵政民営化反対の急先鋒だったことが分かります。

 小林氏は出身が練馬なので、東京10区が地元になりますが、小池氏は兵庫県出身なので東京10区は地元ではないことになります。

 10年くらい前、自由党の会合に参加した際に、小池百合子氏の講演を聞いたことがありました。その時は小池氏は自由党の議員でしたが、その後自由党を離れて自民党に入り、郵政選挙の際には小泉氏の刺客として東京10区で立候補したことは記憶に新しいです。

<Wikipedia>
小林興起

経歴

東京都練馬区出身。千代田区立九段中学校、東京都立日比谷高等学校を経て東京大学法学部卒業。大学卒業後の1966年に通商産業省に入省。1973年に政府派遣留学でペンシルベニア大学院修士修了(MBA取得)。帰国後は、資源エネルギー庁、通商産業省産業政策局などを歴任。1980年に聖心女子大学講師に就任。1982年に通産省を退官した。

2回の落選を経て1990年2月衆議院議員に初当選するものの、1993年には落選した。1996年10月に東京都第10区を制して国政に復帰し、同年11月から労働省政務次官を務めた。1998年夏、亀井静香や平沼赳夫らと清和会を離脱し1999年春志帥会を旗揚げ。2000年に3選。2002年には小泉内閣で財務省副大臣を務めた。2003年には4選を果たした。

2005年7月、郵政民営化法案採決で反対票を投じ、郵政法案反対派の急先鋒として各種メディアで認知度が高まるが、同年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では自民党からの離党を余儀なくされ、新党日本から出馬。自民党公認の刺客候補として兵庫6区から東京10区に鞍替えしてきた小池百合子らと戦い、小選挙区で大敗した上、比例代表東京ブロックにおいても届かず落選。自民党が名簿切れという失態をおかした為、現在は一応、次点に擬せられている。10月、自民党から除名処分を受けた。

2006年11月1日国民新党へ移籍し2007年77月の参院選に比例区から出馬したが落選。2007年10月にオープンインタフェースの社外取締役に就任した。

2008年8月末に国民新党を離党し、無所属で東京10区からの再出馬を目指していたが2009年7月の衆議院解散後に一転して民主党へ入党。同党の比例東京ブロックより単独出馬し、東京10区の民主党候補である江端貴子を支援する方針を表明した。

 ●副島隆彦氏の重たい気持ちで書く掲示板 
  http://soejima.to/

 ●小林興起 Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E8%88%88%E8%B5%B7

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 急いで、労働者派遣法 を改... | トップ | イエス・キリストはフリーメ... »
最新の画像もっと見る

政治・社会」カテゴリの最新記事