薬屋のおやじのボヤキ

公的健康情報には嘘が多くて、それがためにストレスを抱え、ボヤキながら真の健康情報をつかみ取り、発信しています。

真夏は肉を食って大汗をかく(三宅薬品発行の生涯現役新聞N0.270)

2017年07月25日 | 当店毎月発刊の三宅薬品:生涯現役新聞

当店(三宅薬品)発行の生涯現役新聞N0.270:2017年7月25日発行
表題:真夏は肉を食って大汗をかく

副題:冷え症を改善し、毒を抜き、健康な体作りをしてくれます

(表面)↓ 画面をクリック。読みにくければもう1回クリック。裏面も同様です。 

 

(裏面)瓦版のボヤキ
    熱中症、脱水症なんのその…?

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ヒトも野菜も本来の栄養を取っていない、この事実に驚愕!

2017年07月24日 | 正しい栄養学

ヒトも野菜も本来の栄養を取っていない、この事実に驚愕!

 薬屋半分、百姓半分、つまり半商半農生活の小生です。かっこ付けて言えば、“ファーマー・ファーマシー”(順番は逆ですが)の二足のわらじをエンジョイしています。別立てブログ「ファーマー・ファーマシーの日記」では百姓仕事がメインとなっていますが、気軽に日々の仕事なり自分が患った疾患を綴っていますし、このブログでも「24節気の健康と食養」では毎回うちの自家栽培野菜などの状況を紹介したりしています。
 ファーマー・ファーマシー生活というものは、人の健康を考え、美味しい野菜作りを考え、それでもって食っていけるということになりますから、こんな有り難い仕事はありません。
 こうした恵まれた生活をさせていただけることに日々“感謝、感謝、感謝”です。

 さて、人の健康を様々な面から考えてたどり着いた、理想的な食生活とは、実にとんでもない食事内容になってしまいました。“まさか、こんな食事が…?”と、なかなか腑に落ちなかったです。それはどんなものかと言いますと、2014.1.13投稿の次の記事で書きました完全生菜食で「葉菜類・根菜類だけで、豆・芋・穀類さえ食べない」というものです。
 
生菜食の是非について考える。完全生菜食で信じられない健康体に!
 これは、小生としては、人類進化の歴史を研究するなかから、論理的な面からは納得のいくものでして、それはゴリラの食とほぼ同じものです。
 牛は前胃で細菌の働きにより草を発酵(前胃発酵)してもらっているのですが、ゴリラは馬と同様に大腸で細菌の働きにより草を発酵(後腸発酵)してもらい、たんぱく質を合成するための各種アミノ酸やエネルギー源とするための短鎖脂肪酸を得ています。
 ゴリラはオスが200kg、メスも100kg超の巨体で、腸が大きく、盲腸が発達していますから、盲腸の中で草を発酵させることができるのですが、これは、ゴリラが、ヒトそしてチンパンジーとの共通の祖先から分かれた後に獲得していった形質と思われます。
 一方のヒトそしてチンパンジーの共通の祖先は、主として果物食を通したようで、体型は大きくならず、現生のチンパンジーと同程度の体型であったと思われます。その後、ヒトとチンパンジーは分かれ、ヒトはチンパンジーより若干大きくなった
のですが、これは大腸の発達によるものです。なお、現生のチンパンジーは雨季と乾季がはっきりした地域に住んでいることが多く、乾季には硬い豆を代替食とすることが多いです。
 では、ヒトはチンパンジーと分かれた後、どんな環境でどんな生活をしていたかとなると、まだこれは謎ですが、ヒトが直立二足歩行する裸のサルとなったことからして、エレイン・モーガン女史の「人類水生進化説」が正しいと思われ、その食性については女史と見解を異にしますが、小生はヒトの祖先は「水生環境で草を食べていた」と考えています。
 その詳細については、別立てブログ『永築當果の「男と女の不思議」』のなかで、「人類水生進化説」及び「人類の誕生と犬歯の退化」で語っていますので、お時間がありましたらお読みになってください。
 なお、ヒトはその後、半陸生生活を余儀なくされ、陸において見出した芋を代替食とするようになり、デンプン消化酵素をより多く出せるようになったと考えられます。そして、1万年前からは人口増加により新たな代替食糧を必要とし、穀類を食べるようになったと考えられます。また、それより前から植物が貧相な地域にあっては動物性食品を代替食として取り入れていったのも間違いないことでしょう。
 こうして現生人類は、だんだん後腸発酵に頼ることがなくなって、必要な三大栄養素(炭水化物、脂肪、たんぱく質)をダイレクトに摂取するように変化していったと思われます。
 しかし、代替食はあくまで代替であって本来のものではないですから、体に無理が掛かり、それに慣れ切るには100万年単位の年月が必要となりましょう。
 そうしたことから、難病患者の体質改善には、体に無理の掛からないヒト本来の食性に適合した完全生菜食が最適なものとなっていると考えられるのです。
 三大栄養素(炭水化物、脂肪、たんぱく質)の摂取で、どんな無理が掛かるかと言いますと、膨大な量の消化酵素を必要とし、また、消化し切るのにかなりのエネルギー量を必要とするからです。
 ヒトのエネルギー消費は、通常、基礎代謝:約60~70%、生活活動代謝:約20~30%、食事誘発性熱産生:約10%とされています。
 このなかで、食事誘発性熱産生とは、三大栄養素が消化されたときに発生する分解熱のことで、食後に体が温まるのはこのせいですが、これをヒトのエネルギー消費とすることには違和感を感じます。もっとも、ヒトは体温維持のために体内熱を作り出さねばなりませんから、食事誘発性熱産生でもってこれを充てるということになりましょうが、これは後から申しますが、完全生菜食にすると後腸発酵による熱産生が伴いますから、恒常的に体温維持に大きく貢献し、摂取カロリーを大きく減ずることが可能になり
ます。
 それはそれとして、注目すべきは基礎代謝(生命活動をする上において必要最小限のエネルギー)であり、その割合は次のようだと言われています。<
骨格筋:22%、脂肪組織:4%、肝臓:21%、脳:20%、心臓:9%、腎臓:8%、その他:16%>
 このなかで、三大栄養素の消化・分解・再合成に必要とする代謝(エネルギー消費)は、肝臓とその他(胃、膵臓、小腸その他臓器)における過半を占めるでしょうから、少なく見積もっても30%にはなりましょう。
 つまり、ヒトの現代の食事(ほとんどが代替食で占める)では、消化酵素産生をはじめとする食物代謝のためにかなりの労力を強いられている、ということになるのです。

 一方、ヒトの本来の食性である完全生菜食(葉菜類・根菜類だけ)にあっては、食物代謝に要するエネルギー消費は、噛むことと胃の蠕動だけでほとんど済んでしまいます。
 完全生菜食には三大栄養素はほぼ皆無の状態で、食物繊維の塊と言っていいでしょう。よって、消化酵素の出番はないのです。
 完全生菜食に慣れきった体になれば、腸内細菌がそれに適したものに変わり、生まれ変わった腸内細菌叢(腸内フローラ)が発酵を始めてくれるのです。そして、各種アミノ酸や生活活動代謝に必要なエネルギー源となる短鎖脂肪酸(ブドウ糖と同質)を彼らが作り出してくれるのです。出来上がった栄養素は、皆さんよく聞いたことがお有りの黒酢とどれだけも違わないものです。これら栄養素は、大腸壁から体内への水分吸収と一緒に流れ込んでくれ、これらはダイレクトに体細胞内で利用できますから、実に合理的です。
 こうしたことから、完全生菜食の場合はカロリー計算が全く無意味なものとなるのですし、消化器官はまれに口から入ってくる少量のでんぷん質や植物性たんぱく質のほんのわずかな消化活動をするだけで、開店休業状態となってしまいます。
 もっとも、葉菜類・根菜類を口で咀嚼するだけでは食物繊維がどれだけも細密にはならず、腸内細菌も発酵させるのに苦労するでしょうが、現代においては、ミキサーで泥状態に細密化できますから、腸内発酵もスムーズに進むというものです。

 こうした食生活は、難病を患った方の治療や完治後の健康維持のための食であって、一般人にはとても真似できません。現代の飽食時代にあっては、美食の誘惑に食欲煩悩が勝てるわけないですからね。加えて、強固な意志でもって完全生菜食に慣れきった体に体質変換を果たしたとしても、その後に宴席などの付き合いで美食を取ると、消化器官はビックリして消化不良を起こしますし、腸内細菌叢に大打撃を与えて以後の発酵が著しく滞る危険性も生ずるようです。

 このようにヒト本来の食性と現代人の食生活にはあまりにも大きな隔たりがあり、面食らうことが多いのですが、難病が完全生菜食による後腸発酵でもって治癒する例が非常に多いことを鑑みるに、現生人類が今日の食を取り始めたのは、ごくごく最近ではなかろうかと思われます。
 なお、ヒトは霊長類の一員で、霊長類には後腸発酵に止まらず前胃発酵の能力まで獲得した種も多く存在します。また、現代人が通常食を取る場合においても、野菜中心で肉や魚が少量であれば、けっこう後腸発酵してくれもするようです。少なくともミネラル吸収においては、後腸発酵が少しでもあれば吸収効率はアップし、戦前の1日400mgのカルシウム摂取であっても全然カルシウム不足が生じなかったのは、これによるところが大きいのではないかと思われます。

 ヒトは、摂取した栄養素でもって生命維持活動をしようとせずとも、必要な栄養素はヒトと共生する腸内細菌が作り出してくれ、完全生菜食にして腸内細菌に全面的に頼れば、それでもって必要な栄養が全部得られ、たっぷり体内熱産生してくれますし、日々の活動が十分にできるということをご理解いただきたいと思います。

 さて、ここからはガラリと話を変えます。
 表題のとおり、我々が食べている野菜も本来の栄養を取っていないというものです。
 植物の三大栄養素は「窒素、リン酸、カリ」と言います。窒素(N)、リン(P)、カリウム(K)です。この三大栄養素をバランスよく肥料として野菜に与えてやると、野菜は良く育ち、美味しい野菜が採れるとされています。手っ取り早い施肥は化成肥料で「8・8・8」とか「12・8・8」と表示されていますが、これはN・P・Kの比率です。これ以外に、苦土石灰(マグネシウムとカルシウム)が補助的に使われます。
 化学肥料だけでは美味しい野菜ができないからと、最近はこだわりの有機肥料を使うケースも多くなってきていて、うちの畑も苦土石灰は使いますが化成肥料なしで、専ら有機肥料を多用しています。でも、有機肥料も主成分は三大栄養素のN・P・Kで、野菜は有機肥料に含まれるN・P・Kをダイレクトに吸収し、育っているのです。

 ところが、化成肥料も有機肥料も何も投入しなくても植物はスクスクと育つのです。
 耕作放棄された田畑では雑草がびっしりと繁茂し、皆、いきいき元気です。自然林では樹木がスクスク育ち、大木に生長します。
 だったら、野菜や果樹とて同じでしょう、というものです。
 世界で初めて無農薬・無施肥でリンゴ栽培に成功された青森のリンゴ農家の方(木村秋則さん)が有名ですが、適正な自然栽培条件を整えてやれば、無農薬・無施肥で、より美味しいリンゴが採れるのです。
 これは何も珍しいことではなく、うちにも有りますが農家の庭先には柿の木が必ず1本はあり、無農薬・無施肥の放任栽培であっても、いやそうすることによって、毎年美味しい柿を生らせてくれるのです。
 果樹であれば周りの土を耕すこともないですし、雑草が生えたって果樹が負けることはないですから、こうした自然栽培がけっこう可能となります。
 そうした果樹に、もっと多く実を付けないか、もっと甘味が出ないかと、下手に肥料を与えたりすると、逆に果樹が弱ってしまい、実を付けなかったり、枯れたりします。
 小生はミカンとブルーベリーで痛い経験をしました。有機肥料の過剰投入によって、ミカンは枯れそうになって実を付けず、ブルーベリーはここ2年全く実を付けてくれません。
 よって、今年から再び無農薬・無施肥の放任栽培に戻すこととした次第です。
 もっとも、甘夏は有機肥料の積極投入によって酸っぱさが減じて甘味を増しましたから、一筋縄ではいかないのが果樹栽培だと、ますます分からなくもなります。
 さて、問題は野菜です。
 野菜となると、ヒトが農業を始めて以来、無施肥では収穫量がだんだん落ちてしまい、有機肥料を多用するのが当然のこととなり、近代になって使いやすく鋭利に利き、安価な化学肥料にとって代わったのです。それに伴って野菜がますます虚弱となり、農薬が必須となりました。でも、近年になって、化学肥料の使いすぎは土壌を著しく劣化させることから、有機肥料への揺り戻しが一部で始まったのは皆さんご存知のとおりです。
 しかし、野菜作りにおいて果樹のように無農薬・無施肥の放任栽培への取り組みは、ごく一部で実施されているも、おいそれとは成功するものではなく、試行錯誤しながらやっと成功する人が少しずつ出始めたといったところのようです。
 そういう小生も、試行錯誤している一人なのですが、なかなかうまく行かず、今年から新たな手法での再挑戦を試みることにしているといった状態です。

 自然栽培の方法は幾人もの方が提唱されていますが、無農薬・無施肥・放任を基本とするも、放任のありように若干の違いがあり、手法も様々なものとなります。
 そのなかで、論理性があり、成功例が多いのが「炭素循環農法」のようです。
(これは2001年にブラジル在住の林幸美氏がホームページ「百姓モドキの有機農法講座」で公開され、頻繁に補追、訂正が行われています。これには先駆者がおられ、同じくブラジル在住の「Sr.アヒル殺し」(日本人?日系人?)で、その方の実践や理論を引き継いでおられるようです。)
 そのポイントとなる事項について、小生の私見をまじえて、別立てブログ「ファーマー・ファーマシーの日記」で、「たんじゅん農」=炭素循環農法を理解するにあたって思ったこと(土づくりその2)と題して記事にしましたが、その要点は次のとおりです。

 炭素循環農法に入る前に、「土」の性状について広く知られている今までの知見で大いに参考になる事例をあげておこう。まず誰でも知っている森林限界という言葉。
 富士山や北アルプスの山岳地帯では概ね2500mで植物は生えなくなる。気温が低くなるから木が生えないというのではない。糸状菌(カビや茸)、これは通常の土壌微生物の中で最も多いものであるが、糸状菌は高山では繁殖できず、糸状菌が全くいないから木は生育できないのであり、樹木は糸状菌との共生なくして生きていけないのである。
 糸状菌の種類は非常に多く、菌から伸びた糸が複雑に植物の根と絡み合って糸状菌が作り出した様々な物質が植物の根に供給され、植物は生育できるのである。
 ところが、人は、植物を育てるために土壌に手を加える。苦土石灰や化成肥料などの化学肥料に止まらず有機肥料(本来は土壌中で枯れた植物を糸状菌が分解すべきもの)を投与して、それを植物に直接吸収させるのだから、糸状菌の出番はなくなる。糸状菌が働こうとしても、これらの肥料が糸状菌の成育を妨げ殺すことになるから、慣行農法が行われている土壌の糸状菌叢は本来の姿とは全く異なった貧弱なものに変わってしまっているのである。
 よって、植物を病害虫被害なしで元気よく育てようとする場合、土壌を本来あるべき姿の糸状菌叢にもっていくために何かの臨時措置を施し、それが成功したら、一切の肥料なし(ただし枯草などが必要)で素晴らしい野菜が採れるようになるというものである。
 このように、土づくりは、土壌の糸状菌叢を正常化させるのが第一に重要な方策として考えねばならぬ事項となる。
 しかし、土壌は糸状菌叢だけで出来上がっているものではないから、ややこしくなる。
 土壌中で有機物や無機物の分解合成を行う生物は、大きく分けて3つのドメインに分類され、菌類(糸状菌など)・細菌・古細菌(好熱菌、好塩菌、メタン菌など)である。
 これら3つのドメイン間でも共生関係が生まれ、糸状菌叢の正常化だけでは本来あるべき姿の土壌とはならず、細菌叢、古細菌叢が整い、かつ3つのドメイン間の個々の微生物種のバランスも整わねばならないのである。
 こうなると、理想的な土づくりをするのが至難の技となってしまうが、何もかも人の手でバランスを取らせたり、正常な叢づくりに手を出したりしなくても、一定の条件を与えてやれば、その後は彼らが思いのままに働いてくれ、うまくバランスを取り、正常な叢に近づけてくれようというものである。(要約引用ここまで)
 ここから先は、いまだ勉強中で、ブログ記事にできていませんが、大雑把なつかみとして次のことが言えます。
 土壌中の微生物群が求めているのは高炭素資材であり、「C/N比の高いもの」を投入することによって微生物群を正常化できる。慣行農法で窒素肥料(有機肥料であっても窒素分は多い)を投入してあると、ほとんど全部の微生物群は窒素分を嫌うから、貧相な微生物群となっており、また、そのバランスも悪い。過剰な窒素分が抜けるまでは微生物群が正常化せず、自然栽培に適した土壌とはならない。

 いかがでしょうか。
 施肥栽培による野菜はダイレクトに栄養を吸収させるものであって、これはヒトの三大栄養素と同質のものとなります。
 一方、自然栽培は土壌中の微生物群が求めている高炭素資材を微生物群のために投与してやるというもので、これはヒトの場合、腸内細菌が必要とする食物繊維の摂取ということになり、高炭素資材と食物繊維が同質のものとなります。
 そして、自然栽培に適した微生物群が土壌中に十分存在するようになったら、彼らが野菜に必要な各種栄養素を野菜に供給してくれるというもので、これはヒトの場合、後腸発酵に適する腸内細菌叢(腸内フローラ)が出来上がれば、発酵を始めてくれ、ヒトに必要な各種栄養素をヒトに供給してくれるというもので、ともに共生する微生物群が多大な貢献をしてくれることになるのです。

 これには驚かされます。ヒトも野菜も自ら栄養を取らなくても、共生する微生物群がちゃんと栄養を宿主に供給してくれるのですからね。
 そして、ヒトが三大栄養素(炭水化物、脂肪、たんぱく質)を取ることの無意味さと、野菜に三大栄養素「窒素、リン酸、カリ」を与える無意味さが、これまた同質のものであること。特に、ヒトが取るたんぱく質は窒素化合物であり、これの過剰摂取は単にエネルギー源として燃やされるだけであり、それによって生じた窒素酸化物は体中の細胞に炎症を起こさせてヒトの体を蝕むのです。一方、植物に窒素肥料を与えると、どうしても過剰となり、硝酸態窒素が植物に残留して植物の免疫力が落ち、農薬をかけないと病害虫を駆除できなくなるのです。こうしてヒトも野菜も窒素化合物は毒になるというのも一緒です。

 現代人の食生活と今日の野菜栽培は共通点があまりにも多く、表題を「ヒトも野菜も本来の栄養を取っていない、この事実に驚愕!」としましたが、本来のヒトの食性と野菜の自然栽培も、全く同様に共通点があまりにも多いです。
 そして、これ以外にも共通点があります。ヒトが現代の食生活をすることによって「早熟し、見た目の格好良さ=背が高くなる」が得られます。野菜に肥料を与えると「早く大きくなり、見た目の格好良さ=色が濃い」となり商品価値が高くなります。しかし、ヒトは虚弱になりますし、野菜は不味くなりますし早く腐ります。
 なお、自然栽培の野菜は若干生育が遅くなり、色は薄く、妙にアクっぽい(場合によっては、これが美味いと感ずる)ということは全くなく、自然の味がして、なかには最初は物足りないと感ずる人もいらっしゃるようですが、食べ続ければ誰もが“こんな美味しいものはない”と、はまってしまうようです。
 草むらで草を食む牛は、色の濃い草を避け、色の薄い草しか食べないと言います。なぜならば、色の濃い草は糞尿がかかった草で肥料を吸って育ったからです。牛は、そうした草は、不味いと思うのか毒があると思うのか、そのいずれか、あるいは両方でもって、“自然に育った草”を求めるのです。

 小生は、今さら完全生菜食に切り替えようとは全然考えませんが、野菜づくりにおいては何とかして自然栽培を成功させ、草むらの牛になりたいと願っています。
 というようなわけで、小生のこれからの人生は、半商半農から半農半商とウエイトの掛け方を農業重視に少し移して、文字どおりのファーマー・ファーマシー生活をエンジョイしたいと考えています。

 今回も随分と長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただきました読者の皆様に深く感謝申し上げます。

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24節気の健康と食養:大暑から立秋まで

2017年07月22日 | 24節気の健康と食養

 24節気の健康と食養:大暑から立秋まで

 小暑の次にやってくる24節気が大暑で、毎年7月23日頃(2017年は7月23日)になります。気温もどんどん高くなって、読んで字のごとく、暑さは大暑でもってピークを迎えるということになりましょうか。
 特に梅雨のある本州・四国・九州では、ちょうど梅雨明け頃に当たり、梅雨明け後の1週間、10日は猛暑となることが多いです。

 ところで漢方5季(春夏秋冬と土用)の区分では、大暑から立秋までは、夏の土用(7月19、20日頃~立秋の前日まで)と概ね一致します。
 よって、『24節気の食養:大暑から立秋まで』は、投稿済みの次の記事と大きく重複しますから、先ずはこれをご覧ください。
 夏の土用に何を食べますか。まずは「体の中の水害を防ぐ」ことから。

 これに少々補足します。
 この時期、梅雨明け後の1週間ほどは、猛暑にさらされ、かつ、地面の湿り気で湿度も高く、蒸し暑さがとてつもないものとなります。昼間、屋外に長時間いると、熱中症の危険が大です。その時期が過ぎれば、湿度は低下し、少し楽になります。
 昼間、暑い盛りに、体の芯を冷やしてくれるスイカがとてもおいしく感じます。でも、冷蔵庫で冷やし過ぎたスイカの食べ過ぎは「冷たい物中毒」の恐れがあり、要注意です。
 そして、快適な冷房も長時間あたると、体が冷えすぎてしまい、様々なトラブルが発生します。その対応策は、前々回の「夏至から小暑」の記事で書きました正しい入浴法や、前回の「小暑から大暑」記事で書きました貼るカイロの利用があります。参考になさってください。
 この時期に旬となってくるのが、真夏の果物です。露地物のスイカ、メロンが出回わります。これらは、体に熱がこもる昼間に召し上がると、熱取りとなります。

 大暑が過ぎた頃に「土用の丑」の日がやってきます。この日に鰻を食べると滋養が付き、夏病みしないと言われます。中国や韓国では、概ね「土用の丑」と同じ頃、その前後10日の日の3回を「三伏」*といい、1年で一番暑い時期とされ、肉料理で滋養をつける習慣があります。韓国料理の「参鶏湯」が有名です。これについては、当店新聞2016年8月号で紹介したところです。
(注)「三伏」とは、正確には次のようになります。
夏至から数えて3番目の庚(かのえ)の日から「初伏」が始まり、夏至から4番目の庚の日から「中伏」が始まる。そして、立秋以後の最初の庚の日から「末伏」が始まり、初伏、中伏、末伏の総称が「三伏」となる。初伏と末伏はそれぞれ10日間と日数が決まっているが、中伏の日数は年によって異なる。夏至から立秋までの間に、庚の日が4回ある場合、中伏は10日間、5回ある場合は20日間となり、「三伏」の期間は年によって30日間となったり40日間となったりする。

 寝苦しさが一番ひどくなるのもこの時期です。敷布団が背中にぴったり張り付いて、暑くって汗をかき、熟睡できません。
 よって、女房はこの時期、畳の上で寝ています。
 小生も以前はそうしていましたが、1段レベルアップして本格的な「平床寝台&硬枕利用」を1995年10月から実行しています。
 厚手のベニヤ板と木枕を使い、下図のように寝るのです。

 「人は病の器」と言われるほどにたくさんの病気を抱えているのですが、背骨と首骨を正してあげると、一見無関係と思われる部位の様々な病気が治癒してしまうことがけっこうあります。整体治療がその良い例ですが、寝方一つでそれが十分に期待できるとのことで、小生も実行しているのですが、これになれるまでが大変です。1年は掛かりました。興味がお有りな方は、次の記事をご覧ください。
 なんと腰痛も解消!背骨と首骨を正す西式健康法「平床寝台&硬枕利用」

 最後に、今回も、うちの自家栽培野菜などの状況をご紹介させていただきます。
 キュウリは足が短く、第1弾が終り、第2弾が生りはじめました。
 ナス(白ナス・紫ナス)やピーマンは足が長く、順調に収穫が続きます。
 トマトは足が短い方で、ゴールデンウイークに苗を定植したものは、間もなく峠を過ぎましょうが、冷床種蒔きした在来種トマトが今季末から色付くことでしょう。
 十六豆(十六ササゲ)第1弾はピークを過ぎましたが、まだまだ収穫が続きます。
 ぼつぼつ収穫できているオクラは、これからが本番になります。
 今年も少々遅れている
ゴーヤが8月になってから収穫できるでしょう。
 3年目の栽培となるカボチャは順調に収穫できていて、間もなく食べ頃です。
 こうして、夏野菜が出揃うのがこの時期です。
 また、薬味として、大きくなってきた青シソがありますし、ミョウガが頭を出し始めます。
 2年目の栽培となるチマサンチュ(韓国では焼き肉にこれを巻いて食べることで有名)が大きく育ち、下のほうの葉から順次もいで、おひたしや味噌和え、そしてサラダにしています。菜っ葉類が少ない夏ですから、貴重な葉野菜です。
 なお、フキはまだまだ収穫が可能ですが、食べ飽きました。
 ニラも少々栽培しており、いつでも刈り取って料理に使うことができます。
 これ以外にもありまして、時期外れですが夏大根と夏キャベツの収穫が続いていますし、
夏ニンジンの収穫も始まっています。他に、枝豆が毎日食べられます。
 果物はメロンを栽培していますが、毎年失敗続きでしたが、今年は今のところ何とか枯れなくて、収穫を始めたところです。
 今年は何もかも順調にいっており、天の神、地の神、野菜の神々に感謝、感謝、感謝。

 次回は、「立秋」(8月8日頃)の健康と食養です。

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平均余命は伸びる?それとも縮む?

2017年07月20日 | よもやま話

平均余命は伸びる?それとも縮む?

 日本人は随分と長生きするようになった、平均寿命は世界トップクラス。で、世界一だったかどうだか? これは調べれば直ぐに分かることですが、その気になれません。
 なぜならば、平均寿命なんて個人個人には何の関わりもないことであり、それを知ったって何の役にも立たないからです。これが役に立つのは、時の為政者がその統治する民の人口動態を先読みするときに必要とするだけのことです。
 我々個人個人が必要とするのは、人生設計する上において、あと何年生きられるかという「平均余命」です。ただし、最近は、年老いていったん大病すると寝たきりにさせられ、死にたくても死なせてもらえないという、生き地獄の期間も含めての「平均余命」ゆえに、これもあまりあてにできない数字ではありますが。
 「健康寿命」という言葉があるように「平均健康余命」の数値を厚労省がしっかり調査し、周知徹底させてほしいものですが、その定義がまだ確定していませんし、ちゃんとした調査もなされていませんので、いまだこれがはっきりせず、残念なことです
。これについては、自分なりに計算してみたものがありますから、一応の参考になるかと思い、下に貼り付けておきます。
 2012年6月1日発表「健康寿命」のマスコミの取り上げ方は間違っている

 さて、表題にした「平均余命は伸びる?それとも縮む?」についてですが、本題に入る前に、現在の高齢者の年齢別平均余命については、その死亡原因とともに、「高齢者の仲間入りをしたら死に方を考えましょうよ」の記事で紹介しました。
 その記事の冒頭で表にしましたが、かいつまんで言うと次のようになります。
 男の場合:70歳の平均余命は15年で平均85歳で死ぬ。85歳まで生きれば平均余命は6年で平均91歳で死ぬ。90歳まで生きれば、あと4年、平均94歳まで。
 女の場合:70歳の平均余命は20年で平均90歳で死ぬ。90歳まで生きれば平均余命は6年で平均96歳で死ぬ。95歳まで生きれば、あと4年、平均99歳まで。
 大ざっぱに言えば、男は85歳前後から、女は男より5歳長生きし、90歳前後からバタバタと死んでいくということになります。ここらあたりを頭に置いとかれるといいでしょう。

 これより本題に入ることとします。
 “昔の平均寿命は40歳、今は倍の80歳。日本人は随分と長生きするようになった”
 幾度もこうした話を耳にします。加えて“昔は80歳の年寄りなんてめったに見かけなかった”とも言われます。これ皆、大間違いです。
 “昔の人は長生きだった。80歳の元気な年寄りはたくさんいた。”
 と言ったほうが正しいようです。
 それを、以下、説明することにしましょう。随分前になりますが、36年前(1981年)に人口動態調査の結果をデータ解析された西丸震哉氏(1923年生、2012年没)の解説をその著から紹介することにします。
(西丸震哉氏は、その後1990年に「41歳寿命説」を著しておられ、2000年には「体内崩壊 加速する『41歳寿命説』」も書いておられます。氏の警鐘を一言で言えば、「1959年以降、日本は“薄いガス室”になったのであり、この環境の悪化は幼い子供たちを直撃し、彼らの寿命を大きく縮めている」というものですが、本稿においては、このことについては触れないことにします。)

(1981年:西丸震哉著「食生態学入門」より)
 平均寿命…、ここ30年(1951-1981年)のあいだに日本では男子は49歳から73歳まで延び、世界の最長寿国になったと信じられている。そして人は、自分の残り年数をこの平均寿命から消費年数を引いたものと見做すことにしている。
 これはたんへんな誤りであることに気がつかない…。
 平均寿命が延びた理由は、生後1年までのゼロ歳児の死亡率が15%から1%以下に低下し、20歳前後の結核死亡率がゼロになって、平均値の足をひっぱっていた大きな要因が抜けたことによる。…(ほかには)寄生虫病や伝染病などの天敵排除が画期的によくなったためである。
 これの見方を変えると、むかしだったら健康で成人になり得ずに死ぬ程度の人が、自分がそれに属する弱さであることも知らずに、今生きているという現実がある。
 この弱さは他のマイナス因子に対しても同じように弱さとして現われる可能性をもつ。現在だからゼロ歳では殺されずにすんだが、30歳までは生きられない人というのも含まれるし、生きてはいるが健康ではないという人もいる。
 70年前(1911年)の30歳になり得た人は、当時の悪条件下でとにかく30年間殺されずにすんだ、かなり強健な人であり、当時(1911年)の30歳の人が(1941年に)60歳になれた率は、30年前(1951年)の30歳の人が現在(1981年)60歳になった率よりも高い。ゼロ歳から測ると、過去の時代ではまるで低くなってしまうだけのことであって、最大寿命の平均値、つまり何歳まで生き得たかとなると、その延びはまったくない。

 いかがでしょうか。大正12年生まれの西丸震哉氏が58歳のときに書かれた、36年も前の書物につき、文章が難解で、どぎつさもあり、読み取りにくい箇所がありますが、氏が言わんとするところは次のようなことになるでしょう。
 「昔は若くして死ぬ人がかなり多かったが、30歳まで生き延びた人の余命は、少なくとも60歳までをみた場合、戦前戦中に高齢者となった人の方が戦後の人より長かった。そして、長寿者はおおよそ何歳まで生きられるかというと、これは今も昔も変わりない。」
 ということなのですが、後段は“最大寿命”の意味するところが不明ではあるも、平均余命が延びに延びていることからして、これにはクエスチョンが付きます。

 ところで、平均余命とは何かと言いますと、「ある年齢の人がその後何年生きられるかという期待値であり、生命表で、ある年齢に達するまで何人生存し、その年齢のうちに何人が死亡するかが計算されており、これを元にし、現在の死亡状況が将来にわたってそのまま続くと仮定した場合の生存年数」となっています。
 よって、西丸震哉氏がおっしゃるように、今の高年齢層はかなり強健な人たちで占められており、後に続く人たちはどうしても虚弱さが拭えず、実際の平均生存期間は期待値ほどまでにはたどり着けないというマイナス因子を持っており、これは年齢が若いほどその傾向が強くなりますから、平均余命は真の姿を捉えてはいません。
 そして、生活習慣や生活環境の変化に大きく左右させられる面もあり、流動的です。
 一方で、医学が進歩し、重篤な病になっても助かる確率が増えて長寿になるということもあります。このプラス因子で平均余命は延びているのではないでしょうか。

 さて、戦後、平均余命は着実に延びてきています。例えば65歳の男性であれば、1950年:11.5年、1960年:11.62年、1970年:12.50年、1980年:14.56年、1990年:16.22年、2000年:17.54年、2010年:18.86年、2015年:19.46年となっています。なお、女性の場合は1950年で男より2.4年長く、その後だんだん開きが大きくなり、2015年には4.8年長くなっています。

 戦後の高度成長により、平和でとても豊かになった日本です。まずは食が豊かになり、ついで生活が非常に便利になり、また住環境も大幅に改善されたものですから、お年寄りの寿命が延びるのは必然でしょうが、日本的特徴も幾つかあります。 
 その第一は、高度成長末期をピークにして圧倒的に死因第1位であった脳血管疾患死が大きく減少に転じたことがあげられましょう。それまでは、肉をあまり食べない食生活につき、血管壁のもろさが原因してのピンピンコロリと逝く脳出血死が際立っていたのに対し、食生活が豊かになって血管壁に脂が巻くこと(コレステロール沈着)により、脳出血死が減る一方となったからです。
 なお、その後は飽食が進みすぎて血管が詰まる脳梗塞が脳出血にとって代わり、脳血管疾患はかなりの増加傾向(ただし死因としては漸減)にあります。
 
 第二は、救命救急医療の目覚しい発達で、昔なら脳血管疾患、心疾患でピンピンコロリと死ねたものを、直ぐに救急車が来て救命救急病院で手当てしますから、寿命が延びます。この救命によって後遺症が出なければ残りの人生を楽しめるのですが、最悪、寝たきりにさせられてしまいますから、そうなったら救命救急は良かったのか悪かったのか、ということにもなり、考えさせられます。
 第三は、寝たきり老人の増加です。高度成長後しばらくしてから肺炎死が一直線で増加傾向にあるのですが、その大半は寝たきりによる誤嚥(ごえん)が元での肺炎の発症によるものです。やれ点滴だ、胃瘻(胃ろう)だ、人工心肺だ、といった無駄な延命治療で命を引き延ばされているからです。こうした延命治療は日本に特有なもので欧米にはなく、欧米では、逆に、これは老人虐待であるとして避けられています。

 こうしたこともあって、統計上、平均余命は着実に延びてきているのでしょうが、いつまでも元気なお年寄りとなると、だいぶ差っ引いて考えねばならんでしょうね。

 それと、もう1点、前の話に戻りますが、「昔は年寄りは少なかった。それだけ昔は早死にしたんじゃないの。」と勘違いしてしまう原因として、明治以降、子だくさんで人口が急増していた時代にあっては、子供や若者の数が圧倒的に多くなってしまい、相対的に年寄りの割合が小さくなってしまっていたことがあげられます。
 これは、完成したばかりの住宅団地のようなもので、若者夫婦とその子供たちの核家族が大半を占め、3世代入居者なり年寄り夫婦入居者はわずかばかりとなり、そうした団地では、年寄りをあまり見かけないのと同じことです。
 加えて、現在の日本は急速な高齢化社会になり、年寄りの数があまりにも目立つようになったことも、錯覚の要因となっていましょう。

 ここで、反論がありましょう。歴史上の人物で80歳を超えた人がどれだけいたか、今日では一昔前に著名だった方の訃報は80歳超がざらだ。加えて、100歳以上の長寿者が千人を超えたのは1981年の1,072人であったのに対し、現在(2016年)では65,692人にもなっているではないかと。
 たしかにそのとおりで、小生もこれを否定しません。ですが、考えてもみてください。歴史上の長寿者は大半の人が死の直前まで活躍していました。楽隠居を決め込んで命を長らえた人はどれだけいたでしょうか。一方、今日の著名人の訃報は“まだあの方生きておられたの?ずいぶん長く入院していらっしゃったんですね”ということが多くて、80歳になっても現役を通していた方の突然の訃報となると数は少ないです。
 100歳以上の長寿者も同じで、長~く楽隠居させてもらい、終わりがけは要介護となり、ボケも進み、最後は寝たきりで生き長らえさせられているといったところでしょう。

 今も昔も80歳ともなると、体がなかなかいうことを利かなくなりましょうし、脳の働きも落ちてきます。90歳ともなると、半分気力で生きているという状態になるのではないでしょうか。そうであっても、昔の人は懸命に働き続け、とうとう“もう動けん”となって気力が一気に萎えてしまい、ろうそくの火が消えるように逝ったのではないでしょうか。
 ご近所でも死ぬ20日前まで毎日畑に出かけ、80歳をどれだけか過ぎたところで、“もう動けん”と言って、皆に隠していた肝臓がんで亡くなられた男の方がいらっしゃいます。そして、小生のおふくろは93歳まで毎日畑でどれだけかは百姓仕事をし、ある日仕事をし過ぎたことが元で1か月ほど寝たり起きたりの生活となり、滋養強壮漢方薬でもって回復させたものの、その後の4年弱の期間は楽隠居を決め込んで百姓仕事はほとんどせず、何とか自立生活はできましたが、最後は10日間寝込み、享年98で逝きました。おふくろの場合はオバケのような強靭な体でありましたから普通の人より数年は長く働き続けられたのですが、これは例外でしょうし、昔であればもう少し早く(93歳で仕事をし過ぎた時点で
)逝ったことでしょう。

 いずれにしても、昔のお年寄りは基本的に生涯現役で過ごし、家族や社会に役に立つ生き方に徹したのですし、“もう動けん”となったら悪足掻きせずに早々に逝ったと考えられます。ですから、昔のお年寄りは尊敬されもしたのではないでしょうか。
 楽隠居を決め込み、家族や社会に甘えて長~く介護していただくようでは、次世代に敬老の精神は決して生じませんし、年寄りが“死にとうない”と悪足掻きすれば、“早よ、死ね!”と言われるのがおちでしょうね。
 団塊世代の小生です。この先10年20年ひょっとしたら30年、少なくとも自分だけはそうならないよう、生涯現役を通したいと願っているのですが、果たして思惑どおりに事が進んでくれるかどうか、だんだん甘えが出てきそうで不安になります。
 そのなかで一番気がかりなのは、血管性疾患で救命救急のお世話になって後遺症が出たり寝たきりになることです。もし、血管性疾患になったら一切の手当てを受けずにピンピンコロリと逝きたい。そのためにリビングウィルをしたためているところです。
 次のブログ記事をご参照ください。
 
延命治療を受けないためのリビングウィル(死の間際にどんな治療を望むかをあらかじめ示した書)を書く
 そのリビングウィル、今までに3回書き直し(日付だけ)したのですが、その度に“もう、いつこの世からおさらばしても思い残すことはない”という気分にだんだんなってきて、“今日一日を坦々と生きる”という、若干の余裕を持った半農半商の充実した暮らしができるようになった気がします。
 これは一つの死生観ということになりましょうが、リビングウィルを書く前と後とでは、死に対する
心の持ちようが随分と変化しました。書いてよかったとつくづく感じています。
 高齢者となられた皆さんにお勧めします、リビングウィル。

 長々と書き綴ってまいりましたが、主題とずいぶん外れた内容となってしまい、申し訳ありませんでした。今回も最後までお付き合いいただきまして有り難うございます。

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夏の土用に何を食べますか。まずは「体の中の水害を防ぐ」ことから。

2017年07月18日 | 漢方五季の食養

夏の土用に何を食べますか。まずは「体の中の水害を防ぐ」ことから。 

 夏の土用の入りは7月19、20日頃で、2017年は7月19日です。そして夏の土用は、立秋の前日までの19日間ほど続きます。夏は、立夏に始まり、土用の入り前日までで、立秋からは秋になります。なお、土用は、各季節の変わり目を指し、年に4回訪れます。
 中医学(漢方)では、このように季節区分がなされているのですが、梅雨のない中国の中心部では、これでピッタシなんでしょうね。
夏の土用の入りの時期は、夏至からすでに約1か月経ち、日が昇るのが遅くなり、沈むのも早くなり、秋へ移らんとする季節だと。
 でも、24節気の大暑が7月23日頃で、暑さのピークとされている上に、日本では、この頃に梅雨明けとなり、猛暑となります。特に、梅雨明け後の1週間か10日間は、高温多湿の酷暑となります。
 ここに、中国中心部と日本とで、年平均気温が同じぐらいの地域であっても、夏の土用の季節感は、全く異質なものとなります。よって、夏の土用の健康対策も、中医学(漢方)のそれをダイレクトに採択することはできないでしょう。

 ところで、土用は、先に言いましたように、年に4回訪れ、春夏秋冬の4つの季節の間に、季節の変わり目として入っています。
 
その土用の時期は、たいていは“土”に“用”がある時期で、つまり、耕地を掘り返すことが多くなります。小生の百姓生活の経験から、そのように思われます。
 
なぜに季節の変わり目を土用と言うのか、それを明確に解説されたものを見かけないのですが、土用の季節は「土を掘り返すことで湿気を多く浴びることが多い時期であるから、体調に注意しなければならない」との言い伝えが日本国内にあります。
 また、「土用の期間中
は、土の中に神様がいるから、毎日土を掘り返してはならぬ。定められた特定の日にしなさい。」という習慣も日本国内にあるようです。これは、上の言い伝えと同義でしょう。
 よって、こうしたことから、小生思うに、24節気なり季節区分や土用の設定は、そもそも農業暦から来ているのですから、“土”に“用”があるから「土用」なのだと理解してよいと考えます。そして、土用に注意すべきことは「湿気」であると。これは、農作業をするなかで、土を掘り返している最中にしゃがみこむと、むっとした嫌な湿気を強く感じますから、よく理解できます。

 さて、日本の「夏の土用」は、入りが梅雨明けと概ね重なり、その後の1週間か10日は蒸し暑さが猛烈にひどくなります。中国中心部では、蒸すことはなくても、この時期に大暑が来ますから猛烈な暑さになり、暑さという面では一致し、やたらと水分を取りたくなりましょう。
 ところで、漢方の世界では、土用は脾(ひ)の季節です。脾は「消化吸収の要となり、水分代謝を調節する役割を担う働き」を指し、脾に密接な臓器は胃とされています。
 このことは、春の土用でも夏の土用でも他の土用でも同じです。
 よって、「消化吸収・水分代謝」に気を付けなけねばならないのは、先の春の土用と同じです。対処の仕方にどれだけかの違いが出てくるだけです。

 先ずは、梅雨以降、「湿熱」で「脾=胃」が弱っていますから、胃に負担がかからないよう、よく噛んで食べるのが第1となり、この時期にはエネルギー消耗が少ないですから腹八分としたいものです。なお、食欲も落ちていますから、美味しく食べられるものを少しずつあれこれ食べるのが良いということになりましょう。
 また、梅雨時以上に「冷たい物」を口にしたくなりますが、決して「冷たい物」を摂らないことです。その昔には、「冷めた物」も摂りすぎには要注意、と言われました。つまり、常温状態の「冷めた物」であっても胃腸に差しさわりがあると言っていたのでして、ましてや冷蔵庫で冷やした「冷たい物」となったら論外なのです。
 うちでは梅雨後半からこの時期にかけて「むしシャブ」をやることが多いです。様々な野菜と茸を中心にして、豚肉を少々乗せます。「胃」に負担を掛けず、「胃」を温めるという、「胃」に優しい料理です。食事中に汗をかきますが、日中に汗をほとんどかくことがない女性に特におすすめします。こうでもして汗をかかねば健康を維持できませんからね。

 次に、水分代謝ですが、この時期は「体の中の水害を防ぐ」という感覚でもって、「入りを絞り、出すを放つ」ぐらいの対処が必要でしょう。
 もっとも、水分補給なしで大汗をかけば脱水症状を引き起こし、熱中症になってしまいますから、暑いなと感じたらチビチビと水分補給する必要があります。
 さて、水分補給ですが、この時期、気化熱の放散がままならず、「湿熱」が体内にこもってしまい、冷蔵庫が普及した今日にあっては、「よく冷えた飲み物」でもってダイレクトに体の芯を冷やしたくなります。
 さあ、こうなると大変。「脾=胃」が、びっくり仰天!
 一気に大量の冷水を補給すると、「体の中で水害が起きてしまう」と心得えてください。限度を超えた冷水は、「脾=胃」の処理能力を超えてしまい、何ともなりません。ましてや、昭和の高度成長以降は、異常に「冷たい物」が容易に「胃の腑」に入ってくるようになったのですから、大変なことになります。
 これが頻繁に繰り返されると、「冷たい物中毒」になってしまいます。
「冷たい物中毒」がいかに恐ろしいものであるかは、まだ十分には認識されていないようです。
(参照→暑くなった5月半ば、“冷たい物中毒”から脱却するチャンス!
 かといって、何らかの形で体を冷やさないことには体に熱がこもってしまいます。
 さてどうしたものか。
可能であれば、日中に「水風呂」に入ることですし、夜の入浴時には、前後にたっぷりと冷水シャワーを浴びることです。
 こうして体の表面の熱を取り、体の芯からは決して熱を取らないことです。

 本題の夏の土用の食事ですが、これも、基本は春の土用と同じです。
 五味に注目してください。脾が欲しがるものは、甘味でしたよね。それに塩味を足し、辛味を添えれば満点です。避けねばいけないのが酸味で、苦味はほどほどであれば気にすることはないというものです。
 夏の土用といえば、鰻(うなぎ)の蒲焼です。土用丑(うし)は、皆さんご存知のとおり。この鰻の蒲焼ですが、甘味があります。どの鰻屋さんも秘伝のタレに甘味を入れていますが、漢方では肉は甘味の食品としていますから、甘味の塊のようなものです。
 そして、タレは醤油などの塩味がたっぷり付いています。大汗をかけば塩分を失いますから、適度の塩味が求められます。
 鰻の蒲焼に必ず添えられるのが、山椒です。これは辛味です。
 漢方食学から評価すれば、この三味の組み合わせは、満点の調理法となります。
 加えて、柔らかくて消化しやすいですから、この時期に気を付けたい「消化吸収」にもってこいの料理です。
 日本料理には、こうした漢方食学の五味が、知らず知らず生かされているものが多いのですが、味覚という面からも、三味の組み合わせはとてもうまくできています。

 残りの2味は酸味と苦味で、酸味を避け、苦味はほどほどに、ということになります。
 先に、苦味について申しましょう。この時期の苦味の代表は、ビールです。苦味はほどほどにした方がよいですから、ビールは嗜む程度に止めたいものです。冷えたビールのがぶ飲みは、先に書きました「体の中の水害」どころか「大洪水」と心得た方が良いでしょう。ちなみに、西欧では猛暑にならないこともあって、ガンガンに冷えたビールを飲むことは決してしませんし、氷を浮かべた水というものもありません。

 最後に酸味ですが、その前に、「食い合わせ」というものがあって、「てんぷらとスイカ」がよく知られています。この組み合わせは胃に負担がかかり、消化不良を起こしやすいですから、特にこの時期には問題となる「食い合わせ」の一例です。
 この「食い合わせ」に「鰻と梅干」というものがあります。これは理由が分からんから間違いだと言われるのですが、漢方食学の五味の理論からすれば、土用には酸味を避ける必要があるから梅干は控えなさいとなって、皆が一度は食べたくなる鰻は夏の土用の時期ですから、これで正しいのです。
 この理論に従って、「春は酸味が必要だから梅干を食べ、春の土用は酸味を控えるために梅干を食べるのを止め、夏はほどほどであれば良いから小梅を食べ、夏の土用は再び梅干を食べるのを止める。」というのが正解かというと、決してそうではありません。
 何ごともバランスの問題でして、夏の土用に酸味を抑えすぎると、これを欲しがる肝臓が弱るでしょうし、甘味(肉を含む)が必要だからといっても、度が過ぎれば、これを欲しがっている胃とてトラブルを起こすに決まっています。
 特に、飽食時代の今日の日本人にあっては、血液がドロドロになっていますから、血液をサラサラにしてくれる梅干は年中欠かせないですし、また、その酸味の主成分であるクエン酸はエネルギー回路を円滑に回すのに欠かせない有機酸ですから、梅干は土用の時期であっても食べたいものです。朝に1粒で良いですからね。
 それに上乗せして、昼食に鰻丼と梅干では、酸味の摂り過ぎと考えたいです。
 つまるところ、今日の日本において「酸味を避ける」とは、調理する上で土用には「酢を控え目にする」という配慮を働かせれば良いでしょう。
 例えば、酢の物は日本料理に付き物ですが、土用には酢を控え、春には強くするといった配慮です。老舗の高級料亭では、このように季節によって味付けを変えておられるようです。小生には年に1度行けるかどうか定かでない高級料亭。できることなら季節毎に、漢方で言う季節ですから年8回、高級懐石料理に舌鼓を打つのではなく、漢方味学を勉強するために足を運びたいのですが・・・。
(備考)2011.7.20投稿、2015.7.22微修正、2016.7.17一部追記。以下、毎年日にち改訂。

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